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 魔素溜まりの南に到着した。

 ここまでの道中で戦闘が起こることはなかった。

 魔素溜まりの様子を確認するために展開したレーダーには、ちょこちょこと小さな群れの反応があったが、この大集団が近づくと逃げるように遠ざかっていった。

 レーダーの薄ぼんやりとした明かりは、次第に形をはっきりとさせていき、今では大きな光点が重なり合っている。

 ティトに言わせれば、いつ魔獣が出現してもおかしくない状態だそうだ。

 このままのペースで進めば、防衛部隊を分ける前に魔獣が出てくる可能性も高い。

 包囲殲滅するために陣形を整えて、などと悠長なことをやっていると、横っ腹を食い破られる可能性も出てきた。

 さすがにこの状況で奇襲されると、蹂躙される予感しかしない。

 一応前衛が円陣を組み、中央に呪い士と魔術師を配置しているが、イノシシにしろビートベア型にしろ、突進力のある魔獣が出てくれば、この程度の布陣など一蹴される。

 俺は魔素溜まりの様子をザンドに伝える。同じ班だし、呪い士が魔素溜まりを確認することは不思議では無いようだし、何だかんだで色々と都合が良い。


「何? ……そうか。思ったよりも近くに寄っていたのだな。ここから包囲にかかるべきか」


 俺の進言をあっさりと受け入れるザンド。作戦参謀さん、そんな簡単に信じちゃって良いのだろうか。


「魔獣は人類の敵だ。そこで虚言を弄する者など居ない。それとも、お前は魔獣の仲間だとでも言う気か?」

「まさか。二回も殺されかけてるっつーの」

「ふ、悪運の強い女だ」


 軽くこけた頬を晒し、口元を歪ませている。何故か、彼にはその表情が似合っていた。

 ザンドは前を行くルーカスに声を掛ける。


「ルーカス。魔素溜まりが活性化しているようだ。戦闘準備にかかろう」

「ふむ。お前がそういうのなら、そうしようか」


 ルーカスはザンドを全面的に信頼しているようだ。ザンドの言う通りにすれば、何もかも上手くいくと心底から思っているようで、その関係が何とも羨ましい。今の俺には、そのように信頼できる相手など居ないのだから。ティトも、時折信じられないことをしでかす一面があるし。

 ルーカスは全体に、行進停止を告げた。

 突然の停止命令に何事かとどよめく面々。


「総員に告げる! これより魔素溜まりに接近する! 全体、小休止! 警戒班は臨戦態勢を取っておくように!」


 彼の言葉に、息を呑む気配がする。

 そりゃそうだ。魔素溜まりなんてものは魔獣の巣窟と同義だ。

 何時戦闘になってもおかしくない状況であれば緊張もするさ。

 慎重に慎重を重ねるに越したことはない。取れる休憩は取るべきだし、あからさまな油断も禁物だ。


「女。名を何と言う?」


 ルーカスの指示に従い、各々がその場に留まり、水分補給などをする。

 そんな中、ザンドが俺に話しかけてきた。


「藤堂雪。呪い士だ」


 この世界に来て何度目かになる自己紹介。

 相変わらずの意思疎通の呪いによる翻訳。超便利。


「トウドウユキ、か。覚えておこう」

「忘れてくれ。大したことが出来るわけじゃない」

「魔素溜まりを確認できる呪い士が、大したことが出来ない? 冗談を言うな。それならば、世の呪い士の大半は塵芥も同然だ」


 え、魔素溜まりってそんなに確認しにくいの? 『山猫酒場』の親父さんも見てたじゃない。

 誰でも出来るようなことだと思ってたんだけど違ったのか。


「あ、それと前に呪い士同士で話してたんだが、強化の件について、ついでに良いか?」

「ふむ? 話を聞こう」


 歩を進めながら、ザンドに呪い士会議の中身を伝える。


「……やはり、呪い士の数が少ないか」

「少ないなら少ないなりに、相応の戦術を取るべきだと思うんだが」

「俺の考えでは、戦闘は長くても二十分。それ以上引き伸ばされるようなら、それは壊滅する時だけだと考えている」


 随分と火力に自信があるようで。


「そもそも今回の依頼を請けているのは、過去に男爵級クラスの魔獣討伐を経験した者だけだ」


 マジで。そういう話は一切聞いてないんだけど。一応侯爵級は倒しているから参加資格は満たしているけどさ。


「男爵級ともなると、大火力による一撃必殺が理想だからな。今回は範囲魔術となる分、威力は分散されてしまうだろうが、それでも討伐には十分な火力になる」

「経験的に、そういうのが分かるんだな」

「それなりに場数を踏めば、な。最悪の場合、俺とルーカスでどうにかする。そういうお前はどうなのだ? その若さで魔獣討伐など、誰にでも出来ることではない」

「まぁ、それはな」


 そろそろ本題を伝える。


「で、だ。俺は強化の呪いなら自信がある。魔力の消耗も気にしなくて良い。それで、全部隊に強化を掛けておきたいんだが」

「まさか。そんなことをすればすぐに魔力切れを起こすぞ」

「気にしなくて良いんだって。魔力容量だけは人並み以上にあるんだよ」

「……ならば、頼んでおこうか」


 許可は貰った。人数は八〇人弱。全員を一旦視界に納め、各々の体にサポーターを着けていく。

 そこかしこで驚きの声が上がる。

 それは目の前のザンドも例外ではなかった。


「……後衛にまで強化をかけて、本当に大丈夫なのか?」

「まぁ、ついでだよついで。掛かってて損は無いだろ?」


 それに、これだけの大人数に掛ければ、魔力の消耗量もある程度は把握できるだろう。

 こっそりとティトに聞く。


「さすにがちょっとは減ってると思うんだが、どうだ?」

「何がですか? 魔力のことなら、微塵も減っているように見えませんよ?」

「嘘だろ!?」


 これだけの大人数だぞ!?

 一人当たりの消費が少ないのか、それとも俺の魔力容量がそれだけ常識外れなのか。いや、規格外ってのは聞いているが、具体的な数値が分からないから判断できない。

 軽く計算してみると、一般的な魔力容量だと、十数人に強化をかければ五分も経たずに魔力切れを起こすらしいが、今回の俺は約八〇人に呪いを使っている。それだけで五倍近いというのに、魔力切れを起こす様子がない、どころか減っている形跡すらないという。仮に一%減っていたとしても、常人の五百倍、それよりも少ない消耗ということなら、千倍程度を考えておけば良いのだろうか。もっと多い可能性も十分にあるが。まぁ、ティトをして規格外と言わしめたくらいだしな。他人と比べる必要も無いか。

 それほど魔力が多いと言うのならば、逆説的に、俺は一体どれほどの魔力を、アンチドート五〇粒に込めたことになるのだろうか。気のせいでした、と言われる程度には減っていたらしいのだから、少なくともこの人数に魔法を使うよりも消費していたはずだが。

 というか、それだけ魔力を込めれば、薬の効果も劇的に上がると考えて良いわけだな。副作用はあるけど。


「本当に消耗していないようだな……」


 ザンドが驚愕に目を見開いている。俺も信じられない気持ちで一杯だよ。


「まぁ、残念ながら治癒だとか疲労回復はあんまり上手じゃないから、それは残りの四人に任せることになるんだが」

「これほどの強化が出来るのであれば、多少の不得手は可愛いものだ。疲労すること自体が考えにくいし、これだけ強化されていれば傷を負うことも少なくなるだろう」

「可愛いって言うな。怖気が走るぜ」


 現に準男爵級を相手に、レックスは怪我をしている。軽傷だったけどもさ。強化されているからといって油断はできない。

 あと、不得手っつーか使ったことすらないから、どうなるか分かったものじゃない。疲労回復も、最初に頼まれた対象が馬だったために、ティトに却下されたし。


「さて、これならばかなりの余裕が生まれるだろう。何時如何なる時でも、対応できるように陣を整えよう。ルーカス」

「おう。総員、戦闘配備につく!」


 ザンドは唐突な身体強化に逸る部隊を諌めに、ルーカスと共に班を離れていった。

 号令と同時に、班の前衛達が俺に寄ってくる。

 俺に対する賛辞やら、自分の得物に対する自慢やら、魔獣に対する意気込みやらを口々に言い放つ。

 だが。

 それは唐突に起きた。

 レーダーに映る光点の異変。

 いや、異変と言うのはおかしい。

 これは魔力反応を正常に映し出すだけの魔法だ。

 薄ぼんやりとした明かりが変化しようと、それはただの現象である。

 だから、大量の大きな光点が、この場に幾つも生まれたことなど、ただの事実でしかない。


「魔獣が出現したぞぉ!!」


 誰かが叫ぶ。

 不味い、最悪のタイミングじゃないか?

 いくら警戒班が居るといっても、今はまだ陣を整えている最中のはず。

 勿論のこと、判断力の高い冒険者達だ。前衛は咄嗟に踵を返し、魔獣から後衛を守るように隊列を組む。

 魔術師も瞬時に詠唱を始める。


「敵勢力は騎士級、及び準男爵級! 数は……五つ!」


 冒険者の表情が硬くなる。

 なにせ数が数だ。

 騎士級や準男爵級は、数名の冒険者が罠に嵌めて囲んで、ようやく相手取れる敵だ。

 五匹とすれば、全部隊がきちんと役割をこなさなければ、至極あっさりと壊滅するだろう。

 しかし、この状況。陣を整えている最中だというのに、奇襲のごとき出現。前兆も何も無く、まさに沸いて出た。

 今は前衛がきちんと機能している。

 小型の熊やらイノシシやら、何やらを必死で食い止めている。

 そこに魔術師の攻撃が降り注ぐ。炎、氷、雷などなど、局所的な大災害が魔獣を襲う。それによってかなりの打撃を与え、前衛に対する圧力も多少は弱まった。

 けれど。


「違う、敵は五匹どころじゃねぇ!!」


 俺のレーダーには、まだまだ多くの反応が生まれていた。

 その数、およそ二〇。

 近いものから、少し離れたものまで。場合によっては、前衛の裏に回られる位置に。

 魔素溜まりの近くまで来ていたからといって、ここまで出現位置に差が出るのか。

 いいや、直前までは確かに魔素溜まりから距離はあったはずだ。だからこそ、俺もザンドに進言したのだから。

 それならば、なぜ?


「魔術です。あの範囲魔術で、魔素が移動したんです!」


 ティトが言う。

 じゃあつまり、なにか。魔術や呪いを使うと、魔素を利用すると、魔獣は瞬間移動でもするっていうのか?

 だったら、この事態は。

 俺が、魔法を使ったから、魔素が移動したんじゃないのか?

 範囲魔術よりも先に、俺が魔素を使ったじゃないか。

 あれだけの人数に、強化を施すなんていう、馬鹿げた使い方をしたから。


「いいえ、違います! ユキ様、それは違います! ユキ様のせいではありません!」


 呆然とする俺にティトが檄を飛ばす。

 何が違うのか。

 ……だが、誰のせいでも関係ない。

 今、俺が為すべきことをしなければ、最悪の事態になる。

 俺が原因だというのなら、後で幾らでも糾弾されよう。

 そもそもからして、魔素溜まりの位置を教えたのは俺だ。

 まだ多少の距離があるはずなのに、ど真ん中に位置したことになる。


「……また、魔王とか色々言われそうで胃が痛いんだけど」


 苦笑交じりの弱音。


「ならば、守りきらねばなりませんね。圧倒的なまでに」

「それしかないな。シンプルで、分かりやすくて良いことだ」


 幸い、俺の呪い士としての役割は既に果たしている。

 あとは目に付く敵を片っ端から倒せば良い。

 どうせ弱い魔獣ばかりだ。この剣で切れないはずはない。

 俺は両手剣を構え、突如目の前に出現した熊を両断する。

 隣で息を呑む声が聞こえたが、気にしていられるか。

 戦場には、残り十数匹の魔獣。

 前衛が押し込めている数が十匹程度。

 残り数匹は、逃げ惑う後衛を追っている。


「……後衛にも強化使っといて正解だったな」


 もののついでだと思っていたが、少しは生存率が上がるだろう。


「そのまま逃げてろよ、今行くからな!」


 まずは手近な魔獣から。

 追われているのは、奇しくも昨日話したばかりの呪い士。無言さんだ。

 うん、もう、清々しいまでの全力疾走。ぎえええ、とか叫び声を上げながら。

 あのクールっぽい言動は演技だったのか。

 いやいや、命が掛かっていれば誰だってああなるか。


「おおおォォォォォォォオオ――――!」


 雄たけびを上げ、追う魔獣に肉薄。

 そのまま掬い上げるように剛剣・白魔を振り上げる。

 それだけで、胴体が真っ二つに裂ける。

 これで一匹。ついでにこいつを影に仕舞っておく。後で取り出そう。


「……た、助かった、のか……?」


 呟く無言さんを無視し、次の標的を探す。


「ユキ様、右です」


 ティトの声にしたがって視線をやる。

 魔術師と戦士が一匹の魔獣に襲われていた。

 戦士が懸命に食い止めているが、魔獣は蛇の姿をしている。

 巻きつかれることを警戒し、牙の攻撃もいくらか防げずに被弾している。

 標的を押さえ込めていないために、頼みの綱の魔術師も攻めあぐねている。

 遠からず動きの鈍る戦士は、蛇の魔獣に巻きつかれ、いとも容易く絞め殺されるだろう。

 そうなれば魔術師も末路も見えている。

 させるものか。

 一足飛びに蛇に接近し、剣を横薙ぎに振り回す。

 さすがに大振りが過ぎたか、蛇は身を縮めて回避する。

 その一瞬の隙が命取りになった。

 無論、蛇の、である。

 戦士への攻撃が止み、自ら伏せるなどという行動を取った蛇に対して、氷の槍が頭上から串刺しに振り下ろされる。

 地面に縫い付けられた蛇は、氷の槍を破壊しようともがくが、そこに重ねて、幾本もの氷の槍がさらに出現する。

 後ろの魔術師が杖を支えに寄りかかり、ローブの下で小さく拳を握り、そして突き出す。

 串刺しにした何本もの氷の槍が一斉に弾け、蛇の魔獣ごと爆散した。

 二匹目。


「前方、魔術士集団に向かって三匹」


 ティトの声に応じ、さらに周囲に視線を向ける。

 魔術師の集団に三匹のイノシシ型魔獣が向かっている。

 戦士が守るために立ちふさがっているが、その数は二人しか居ない。

 とても止めきれるものではない。


「くっそ、落ちてろ!!」


 俺は魔法を使う。相変わらず便利な影の落とし穴だ。

 魔獣の体躯が地面に沈み込む。

 低級の魔獣なら抜け出すことは出来まい。

 だが、もとの突進力が勝っていたのか、速度を落とすに留まり、三匹の魔獣はなおも魔術師に接近する。


「それで十分だっ!」


 地を駆け、大きく跳躍。そして大上段からの振り下ろし。

 高度と速度が十分に乗った一撃は、最も進行が遅れていた魔獣を圧壊させる。

 この場は残り二匹。

 戦士が一匹ずつ押さえ込もうとし、しかしその体は後ろに押し流されていく。

 追い縋るようにステップを踏み、より近い魔獣に白魔を突き入れる。

 イノシシ型の魔獣が縦に貫かれ、口から剣を吐き出すように崩れ折れる。

 残った一匹は、魔術師達が火や氷、雷の魔術で仕留めていた。


「次ぃ!」


 レーダーをちらりと確認する。後衛側にはあと一匹。

 黒い獣を視認した瞬間、呪い士の一人が宙を舞った。

 赤い華が、咲いた。

誤字脱字、設定ミス等のご指摘をいただければ幸いです。

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