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26

 イリーヌさんと別れ、もう一度バザールに挑む。

 今度の目的は胡椒だ。

 手に入れば儲けもの、程度の軽い気持ちではいけない。

 その程度の覚悟では、彼女らには対抗できない。

 俺も戦士にならなければ、待つのは無様な敗北のみ。

 手加減? そんなものをしている暇は無い。

 バザールの客達は、全員が全力で来ているのだ。

 俺だけが手加減をするなど、彼らに対する冒涜でしかない。

 だからこそ、俺は第一歩を踏み出す。

 ここから先は戦場だ。


「邪魔だガキ!」

「そっちの品物全部くれ!」

「退きなよ!」

「ちょっと通るよごめんください!」

「キャー! 西方の布よー!」

「こっちは南方のフルーツが安売りだわ!!」

「おっとごめんよ!」


 ……。

 俺は、素直に屋根の上に登ることにした。頑丈な石造りの家屋だから、俺一人が乗ったところで傷みはしないだろう。


「情けないですねユキ様」

「仕方ないだろ! あの中を進めってのは、慣れてない奴には酷だよ!」


 ティトが茶々を入れてくるが、情けないのは自覚している。

 覚悟を決めて一歩を踏み出したはずなのに、その一歩で奔流に巻き込まれ、再び踏みつけられてリタイアだ。

 屋根の上からでも商品は見える。買うにはあの人の渦の中に飛び込まねばならないが、路地から店の横手に出て、そのまま声を掛ければいけるのではなかろうか。

 そう考えながら目当ての品を探す。

 だが、どこもかしこも売っているのは布や食料品ばかり。

 香辛料や調味料の類は置いていない。

 もしかすると午前の部に店を出していたのかもしれない。


「むー」

「どうしたんですかそんなに唸って」


 手に入らないとなると、何というかこう、もやもやする。

 あると分かっているはずのものが探せないあの感覚。

 急ぎではないが、今晩の食卓が非常に寂しげなものになることを考えると、どうにかして手に入れたい。

 あの料理も、美味いのは美味いんだけどね。舌に感じる刺激が無いというのは、思った以上に味気ない。ああ、適当に保存食を取り出して、周りを削ってまぶせば良いのか?

 だが下味の段階でつけたものと、完成品にふりかけるのとでは味わいがまた違うだろう。とはいっても背に腹はかえられない。

 応急処置として我慢するか。帰り道に偶然でも見つかれば僥倖だ。


「ユキ様、志が随分低くなっていませんか?」

「き、気のせいじゃないかな?」


 鋭いな、ティト。

 切実に必要なもの、ではなくなったために、確かに軽い気持ちにはなった。

 いいや違う。気持ちが軽くなったんだ。背負い込みすぎず、自然体になったのだ。

 ふはは、今の俺に怖いものなどないわ。激流に身を任せて同化してやろうではないか。


「ではあの人混みに突入しますか?」

「ごめんなさいやめてくださいしんでしまいます」


 ティトとそんな会話を交わし、バザールを眺めながら、宿に戻る道に進路をとる。

 ふと。

 視界の端にきらりと光るものが目に入った。

 紅い宝石だ。

 なぜかその商品の周りには人が居ない。

 うまく飛び降りれば手に取れそうな位置にある。

 どうしてその宝石が気になるのかは分からない。

 だが心が惹かれてやまない。

 少しばかり距離が離れているが、鑑定できるかどうか凝視する。


「どうかしたのですか?」

「……ちょっと、気になるものがあってな」


 遠くて発動するかどうか分からなかったが、思ったとおり鑑定できなかった。ある程度近くで視界に納めないと見えてこないらしい。

 幸い、商品を手に取る位置までは簡単に行けそうだ。

 俺は屋根から飛び降り、バザールの人混みに着地する。

 派手な登場となった割りには、周囲のどよめきも何も起こらない。

 ここだけが隔離されているかのような感覚。


「いらっしゃい」


 小さく、しかしはっきりと響く声。

 バザールの喧騒を考えると、とてもではないが聞こえるはずのない音量のそれは、確実に俺の耳朶を打った。


「何を、お探しで?」


 店主は続ける。

 俺は視線を動かし、例の宝石を見る。

 そして鑑定が発動する。そこには「思い出の宝石。彼女に贈ったスピネル」とだけあった。

 「彼女」って誰だよ。ってか、何だよこの説明は。今までに無いくらいシンプルで、今までよりも説明になっていない。

 何も分からないのに、どうしてか俺は目を離す事が出来ない。


「この宝石、一体どこで?」

「拾いものでさぁ。綺麗なもんだから、良い値で売れるかと思いましてね」


 店主は、黒いローブを口元まで被り、ヒヒヒ、と品のない笑い声をあげる。


「本当に綺麗ですね……」


 ティトが宝石に目を奪われている。

 まぁ、いいか。


「いくらだ?」

「銀貨一〇枚で、どうですかい?」


 もっと高いかと思っていたが、意外と安い。まぁ、拾ったものが銀貨一〇枚と考えるならば、相当にボッたくった価格ではあるだろう。宿代で考えれば三ヶ月は過ごせる値段だし。いかんな。大金を手にしているからか金銭感覚がヤバイ。三ヶ月分って、指輪じゃねぇんだぞ。そっちは給料の、だけども。

 だが俺は、この宝石を買わずにはいられなかった。

 無駄な出費ではあるかもしれないが、構わない。

 ここで逃すと、きっと後悔する。ならば、せずに後悔するよりも、やって後悔したほうが良い。

 それにどうせ宝石だ。

 必要なくなれば、売れるだろう。

 俺は店主に銀貨を渡し、宝石を手に入れる。

 日に翳すと、中で紅い炎が揺らめくような輝きを放つ。


「……どこかで、見たような気がするんだよな」


 どこだったか。とても大事な記憶だったと思うのだが、どうしても思い出せない。


「きっと気のせいですよ」


 辛辣だな。俺の感傷を返しなさい。

 ここでじっとしていても仕方がない。店の前で買い物もせずに立ち止まっているなど、普通に考えて迷惑行為にも程がある。

 怪しげな店主に目礼し、再び路地へ行き、屋根に登る。

 あのまま普通に人の波に入るような愚は犯さない。

 踏まれもみくちゃにされ、手に入れた宝石を失うのがオチだ。

 屋根の上、人の目が届かない場所で、影に仕舞う。こうしておけばスられることも奪われることもないだろう。

 胡椒は見つからないが、掘り出し物が手に入ったようだ。

 今回のところはこれで良しとしておこう。

 味気のない食事も我慢だ。

 それこそ、保存食でももぐもぐ齧っておけば良い。胡椒塗れの保存食なぞ、口の中がひりひりしそうでいやだけど。

 すべては宿に戻ってからだ。

 俺は一路、宿へ急ぐことにした。

 ティトは影の中に仕舞った宝石を、名残惜しそうにずっと見ていた。

 見ててもあげませんからね。


「おっと、そういえば」


 ティトに一つ訊ねたい事が出来た。


「ティト。ちょっと聞いておきたいんだが」

「何でしょうか」


 とてつもなく重要なことだ。


「宿、どっちだったっけ?」

「……バザールを抜けて、その大通りを右に曲がって、次の交差点を左です」


 すっげぇ。俺もう地図とか覚えてないというのに、どれほど記憶力が良いんだこの妖精。

 いや、俺の脳内地図が貧弱なだけか?

 仕方ないじゃん、レーダーだって方向定まらないんだし。

 ……もしかして、俺が方向音痴だから、レーダーも定まらないってオチか……?


「まさか、な」


 ティトが不思議そうに見上げてくるが、なんでもないと頭を振って答える。

 帰り道も大して収穫はなく、誰とも会うこともなく、宿へと帰り着く。

 あ、服屋に寄ってくるの忘れてた。道中にあったというのに、くそう。


「お帰りなさい」


 と娘さんが挨拶してくる。

 ただいま、というのも違う気がするので、手を上げて答える。ついでに、


「今日の酒場のオススメメニューは何だ?」


と聞いておく。


「今日は、えーっと、兎肉のシチューですね」

「ほう」


 確か山頂の宿で食べたメニューが仔兎のシチューではなかったか。あれは何とも言えない悲しい味だったことを覚えている。山頂の時点で、恐らく胡椒が手に入らなかったのではなかろうか。もしかして、だからサンドイッチは塩っぽかったのか……? 刺激と塩味を履き違えているとか。

 ともあれ、味比べと行こうじゃないか。おっさんの料理には敵いそうにないということがわかっているのが悲しいのだが。これは自炊も視野に入れるべきか。でも結局、調味料が無いんじゃ変わらないか。


「とりあえず食うか」


 俺は酒場へと足を向け、時間的にまだ疎らな客達の間に入り、厨房に向けて注文する。当然二人前だ。

 奥から女将さんの威勢の良い返事が聞こえたことを確認し、隅のほうのテーブル席に着く。

 何だかんだで隅っこは落ち着くのだ。ティトも目立たずに済むし。

 待っている間に、レーダーで魔素溜まりを確認する。

 ……少し、濃いか?


「ティト。魔素溜まり、集まってきてるか?」

「そうですね。恐らく数日後には、魔獣が出現するでしょう」


 数日、か。結局詳しいことは分からないのな。


「ここからあの町まで、馬車で二日かかったよな? 急に出現したら間に合わないんじゃないのか?」

「その可能性はありますね。ただ、それを見越しての明日の朝出発なのでしょう」

「なるほどな。若干の余裕があるかないかってところか」


 荷物は馬車か何かで運ぶとしても、移動は恐らく徒歩だろう。人数分の馬を用意できるわけでもなし。

 レーダーで確認する限り、街中というわけでもないので、多少の猶予はあるだろうけれど。

 今度は逆に、向かっている最中に出現する可能性が出てきたな。


「そういった危険性も含めて、報酬金貨一枚、なんだろうな」


 素材報酬が期待できないからこその金額だろう。

 剥ぎ取る時間があれば良いのだが、大量に出現したときに、悠長に剥ぎ取っている場合ではあるまい。

 ん、待てよ? いっそのこと、倒した魔獣を影に仕舞うってのはどうだろうか。

 影の中なら劣化しない、とは思えないが、緊急的に置いておくことは出来るだろう。

 後で落ち着いて剥ぎ取れば良い。劣化していたら、その時はその時だ。何もせずに劣化していくのをただ見ているよりも、幾分気が楽だろう。無闇に剥ぎ取ろうとして不意打ちを受けるよりもよほどマシだし。

 そう思うのなら、最初から剥ぎ取ろうと思うな、という感じではあるが。

 ただ、これは万一他の冒険者に協調性が無かった時のことを考えると、決して下策ではなかろう。無ければ剥ぎ取ろうともできない。結果、全体の生存率が上がる。

 まぁ、命が掛かっているのに、金に目が眩む人間が居るとは思えないが。それでも何をしでかすか分からないのが人間だ。

 周囲が一旦安全だと分かった途端、何が起きるか分からずとも、目の前のお宝に飛び込む輩が居るかもしれない。そういった不安要素は出来る限り排除すべきだろう。

 でなければ、また以前の二の舞だ。もう二度と俺の前で、人死には出させたくない。

 全てを守りきるなんて、傲慢だとは理解している。

 だからこそ。


「その傲慢を、押し通す」


 小さく、しかし強い意思を込めて呟く。

 心なしか、ティトが誇らしげに微笑んでいる。

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