25
「ティト……俺、頑張ったよな……」
「しっかりしてくださいユキ様! こんな、こんなところでお倒れにならないでください!」
「はは……もう疲れたよ……」
「ユキ様ぁぁぁぁ!」
バザールから少し離れた日陰。
俺はそこで倒れていた。
うん。バザールを甘く見てた。大型のショッピングモールどころではない。
簡単に言えば「周り全員、バーゲンセールに突撃するおばちゃん」なのだ。
そのバイタリティと攻撃性は類を見ない。
のんびり見て回る? ゆっくりと見る?
とてもじゃないが、無理な話だ。
商品を見ようと足を止めれば「邪魔! そんなとこに突っ立ってんじゃないよ!」と押し飛ばされ、見ようとした商品が買われていく。
気になった店があったかと思えば「あ! あれ見てよ奥さん! すごいわよ!」と大挙する人々に押し流される。
諦めてイリーヌさんの店を探そうと辺りを見回していると「どこ見てんだ! 余所見してんじゃねえ!!」と真後ろから突き飛ばされる。
しかも突き飛ばされてバランスを崩し、倒れてしまったら大変だ。人の波は止まることなく、倒れている人物が居ても流れ続ける。
ほうほうの体で抜け出し、バザールから少し外れた路地で、ついにがっくりと膝を突いた。
はは、どんだけ踏まれたよ俺。
服もボロボロ、とまでは言わないが、かなり砂に塗れてしまっている。これ、洗濯しても繊維とかが駄目なんじゃなかろうか。
魔法は、物質として残るものを生み出すことは無理だ。だから衣類の修理なんかを魔法で、というのは出来ない。ちまちま補修の布を当てて修繕するしかないわけだ。そんな技能は無いから無理な話なんだが。
いや、多分、一応針と糸と布があれば、イメージ通りにそれらを動かして縫い付ける、なんてことは出来ないことは無いだろうけども。そんなイメージを習得するために、裁縫技術を習得しなければならない。よって断念する。
「小芝居は終わりにしまして、いかがいたしましょうか」
ティトが俺の肩に腰掛けながら質問してくる。
どうするかってもなぁ。この中でイリーヌさんを探すのも中々難しい。というかあの中に突っ込むのもう嫌だよ。
「薬は届けておきたいから、イリーヌさんを探すってのは変わらないんだがなぁ」
どうにか上手い探し方は無いものか。バザールが終わる時間を見計らって、というのはイリーヌさんも店じまいしてしまっている可能性もあるし。
レーダーに検索機能とかが付けられれば便利なのだろうが、残念ながらそういうことができるほど、魔法も万能では無いらしい。正直な話、あのレーダーに検索機能だなんてイメージできない。目的の人物だけ光点の色を変えるとか? どうやって大量にある光点の一つが目的の人物だって理解できるんだよ。
まぁ、地道に探すのが不可能に近いという想定だけは正しいだろう。だからこそ、俺は屋根の上に登ることにした。
バザールの近辺にも、建物はある。主に行商人達に開放している貸し倉庫だ。バザールを利用する商人は、自らの商品をその倉庫に入れている。倉庫の内部は薄暗く、気温も外に比べて低く保っているため、品質管理には丁度良いのだとか。
とにかく、例のバイタリティ溢れる連中といえど、屋根の上にまで突撃してくることはあるまい。というか、わざわざ通り道でないところにまで突撃してきて文句垂れたら殴り飛ばす自信がある。
足に力を込め、大地を蹴り出す。
建物は平屋で高さは三メートルほど。両腕両足を突っ張れば、この路地を形作る建物同士を登ることもできるだろう。
最初の一歩のみを大きく取り、後は地道によじ登る。
それでも数分もかからず、俺は屋根の上に登ることができた。
「うっわ、人多すぎだろ……」
上から見下ろして初めて分かるバザールの全容。
道の両端に商人が御座を広げ、思い思いの商品を並べている。
道には人がひしめき合い、通行するのがやっとという状態だ。こんな状況でよく買い物なんてしてられるな。
それとも俺が知らない、カタログみたいなものがあって、客はそれを目当てに目的地まで直行しているとでも言うのか。
屋根を伝って、イリーヌさんを探しながらバザールを眺めていく。
時折気になるものが置いていたりもするが、足を止めて注視している間に誰かに買われていく。
武器の類は必要ないが、篭手とか具足、コートの類なんかは欲しい。あとはアクセサリ類。
このバザール、小物として、大量にアクセサリが並べられる傾向にあるようだ。
だが、いくらなんでもアクセサリが多すぎると思った。
値段までは見たわけでもないが、売れているものや売れ残っているものを見ると、デザイン性がどうのこうのとか、ファッションがどうのこうの、という問題では無いらしい。
「ティト、あの辺のアクセサリって、どういうものなんだ?」
分からないことはティトに聞こう。ティトも全部知っているわけではないが、大抵のことは答えてくれる。
「魔道具、ですね。ざっと見た限り、弱いものですが身体強化の呪いが込められています」
「ほう」
ステータスアップのアクセサリだなんて、ファンタジーの定番じゃないですか。
「あ、じゃあ属性耐性のあるアクセサリなんかもあったりするのか?」
「ええ。高価な宝石を使いますが、火の熱気を防いだり、風の影響を軽減したりと、様々な効果を持つ指輪やペンダントなどがありますね。他にも、衝撃を軽減したり、刃物の通りを鈍くしたり、毒や麻痺の症状を軽減するような装飾品も存在するとのことです」
それはテンション上がる。防御能力が紙の俺には、そういったものが重要なのだ。全属性耐性、全状態異常防御の装備は、どんなゲームでも最高級品だ。さすがにこのバザールで売っていることは無いだろうけれど、存在するのならいつか手に入れてみたい。
「さすがにこの混雑じゃ買えそうにないけども……っと、イリーヌさん見つけた」
そのまま屋根伝いにバザールを眺めていると、これもまた人だかりに塗れたイリーヌさんを発見した。
薬の売れ行きは好調らしく、大勢の人々が手を伸ばしあっている。
店の前には看板と、何やら分数が書かれている。一/一二とはどういう意味だろうか。
転売でもされるんじゃねぇか、と思えるくらい、大人気だ。まぁ、イリーヌさんの値段設定は、モノによるが、俺が昨日見た薬屋よりも良心的だ。さすがにここで買って他所に持ち込む、なんてことが許されるほど甘い商売では無いと思うが。
今ここで降りていっても迷惑になるだけだろう。人がある程度捌けていくまで、ここでのんびり待っていよう。
改めて見ると、商売をしている時のイリーヌさんは、俺と会話しているときとは別人のような顔をしている。
俺の前では、ちょっと残念な感じだけれども妖艶な女性、という印象だったのだが。
見下ろす彼女の顔は、年相応のうら若き女性、としか見えない。あんな笑顔も出来たんだな、と思いながら。
商品を受け取るときに手が触れて、真っ赤になっている客を見て、真実を教えてやりたくもなり。てかどんだけ純情さんなんだよあいつは。
豪快な笑顔で息子を紹介するおばさん達や、身を固める気は無いかと持ちかける紳士。これで家族が助かると何度も頭を下げる二足歩行の爬虫類。
商売の最中に、そういった雑談をも交わしながら、手早く計算をし商品をチェックし手渡していく。
……忙しそうだなぁ。
ぼーっと見ていても仕方ないが、どうせやることはない。
薬の材料を取りにいくにしても、この付近にどれほどのものがあるかも知れないし、もし遠出することになったなら面倒だ。
今日は彼女の店が閉まるまで、ここで活気を見つめていようか。
などと思っていると。
「申し訳ございません、本日完売となりました! またのお越しをお待ちしております!」
イリーヌさんの威勢の良い声が響いた。
その言葉を皮切りに、大勢詰め寄せていた客達が、別の店へと雪崩れ込んでいく。
陽はまだ高い。俺としては昼食時、といったところか。
こんな時間に完売だなんて、仕入れる量を間違えでもしたのだろうか?
「ユキちゃん、そんなところで突っ立ってないで、ほら、降りてきなよ」
突然声をかけられる。気づかれていたのだろうか。
貸し倉庫の路地に飛び降り、そのままイリーヌさんの商売スペースに潜り込む。
「いつから気づいてたんだ?」
「店じまいの時かな。さすがに交渉しているときに屋根の上にまで意識は向けられないけれどね」
先ほどまでとは違った表情で、俺に向き直る。喋りながらでも、片付けの手は止めていない。
「さ、ここは午後から別の人の場所になるから、私達は移動しようか」
荷物をまとめ終えたイリーヌさんは、俺に向かってそう告げた。
バザールは出店時間が定められているらしい。午前の部、午後の部の二部構成で、夕方には全ての店が撤去されるそうだ。
そう考えると、完売したのが丁度午前の部が終わるくらいだったというのは、適切な値段設定と仕入れだったのだろう。そこはやはり彼女の長年の経験が活きていた。
俺達は西側の喫茶店に入る。
あくまで喫茶店と表現しただけであり、現実のものとは似つかない。軽食を取れる休憩所、といった程度だ。別に飲食する必要は無い。周りを見れば、飲み物を頼んでいる者も居れば、椅子の背もたれに体重を預けて仮眠を取っている者も居る。仮眠とか良いのかよ。
大体はバザールの帰りなのか、商品を抱えているものや友人に見せびらかしているものも居るようだ。
適当なテーブルを見つけて席に着き、人心地ついたところでイリーヌさんが口を開く。
「ユキちゃんから会いに来てくれるなんて嬉しいね。どうかしたのかい?」
口を開けばこれだ。何だ、俺は口説かれているのか?
「ああ。昨日の今日であれなんだが、ちょっとこいつを見てくれ」
彼女の言動を気にしていてはこちらの神経が持たない。俺は手早く用事を済ませようと、昨日作った薬を見せる。
テーブルに広げられた布の上には、解毒丸とキュアポイズン、アンチドートがそれぞれ一粒ずつ。
イリーヌさんは、まず解毒丸を手に取る。
「ふぅむ。これは解毒丸だね。早速肝を使ったのか。魔道具か何かで一晩で乾燥させて、朝から作ったのかな?」
「ま、そんな感じだ」
魔法で急速乾燥させて昨日のうちに作りました、とは言わない。言う必要もないし。
「で、だ。気になるのはこっちの二つだ」
そういって、まずはキュアポイズンを手に取るイリーヌさん。ああ、見た目が全く同じ丸薬を、俺が識別できているのは魔法のおかげだ。彼女が薬を手に取る時に鑑定を発動させている。
「解毒丸よりも強い力を感じる。魔道具かい?」
「ああ。キュアポイズンって言うんだ」
その単語を発した途端に、イリーヌさんの目の色が変わる。
「キュアポイズンだって……!? 一体どうやって作ったんだい!」
食ってかからん勢いで詰め寄られる。身を乗り出したときに、胸のほうに視線が行ってしまったのは無理からぬこと。まぁ、興奮しようがないんだけどさ。
「それは、さすがに、企業秘密だ」
言えるわけもない。魔力を込めたら出来ました、以上の説明をできるわけもないし、それで納得してくれるはずもなかろう。
「そ、そうか。そうだよね。済まないユキちゃん。ちょっと興奮してしまったようだ」
「そんなに驚くことなのか?」
「ああ。キュアポイズンなんて、私も過去に一度しか見たことがないよ。とても高価な薬でね。どんな毒でも治してしまう、凄い霊薬だって聞いたんだ。さすがにその当時は仕入れようなんて思いもしなかったけれど」
どんな毒でも治す、か。確かに効果説明だけを考えれば可能ではあるだろうが。
「そんなに良い薬じゃねぇぞ、それは。飲みすぎたら中毒になるみたいから、劣化版ってところが精々じゃねぇか?」
「む、中毒……。いや、それでもある程度の毒ならば消せるだろうさ。劣化であろうが何であろうが、素晴らしい薬であることには変わりないよ」
キュアポイズンでこの評価か。となると、もう一つはどうなるんだろう。
「俺の本命はこっちだな。こっちもちょっとヤバイ感じの薬だけど」
「もう驚かないよ。なんて薬なんだい?」
「アンチドート」
その名前を聞いた瞬間、イリーヌさんの動きが止まった。瞬きまで止まっている。どうした。
「イリーヌさん?」
俺の呼びかけに、我を取り戻した彼女が、問うてくる。
「ユキちゃん、もう一回、その薬の名前を言ってくれないかな?」
「あ? アンチドートだよ。こっちも依存性のあるヤバめの薬だけどな」
イリーヌさんの額から、一筋の汗が流れる。
「ユキちゃん。それ、神代の霊薬……」
「は?」
「今は、製造法も何も残ってなくて、物語の中だけで語られる幻の薬なんだ。この世のあらゆる毒を治す、解毒薬の原型。キュアポイズンだって、後世の人族が生み出したアンチドートに迫る霊薬なのに、現物が出てくるなんて……。でも確かにキュアポイズンよりも強い力を感じる……」
「あのー、イリーヌさん?」
「ユキちゃん。六掛けで買い取るって言ったけどさ、さすがにこれは買い取れないよ。値段が付けられない」
「いや待って待って。俺もそういう名前の薬だってレシピ通りに作っただけで、本当にそういう薬かどうかは分からないぞ!? レシピの方が名前間違ってる可能性もあるしさ!」
レシピ云々は嘘だが、そこまでの薬だったのか、これ。中毒になるとか、依存性があるとか、マイナス方面が目に付いていたからそこまでの薬とは思わなかった。ティトも規格外としか言わなかったし。
「いや、仮にアンチドートそのものじゃなくても、この薬から感じる力は解毒のものだよ。私だって長い間薬を扱っているんだ。時には魔道具の薬も扱ったさ。だから、これがどういった類のものかもある程度は分かるよ」
そうか、ティトも言っていたな。商人は熟練の勘から、見た目や匂いなどで物を鑑定する技術があるって。イリーヌさんは薬に特化した鑑定能力を習得しているのかもしれない。
「これは、今の首都だと売る相手を選べば金貨どころか大金貨が手に入るような品だ。こんなものを作るなんて、私もぜひそのレシピを知りたいねぇ」
「企業秘密だ」
「だろうね。レシピはそれこそ秘伝だ。知りたいなんて言ったけど、むしろ教えてもらってもこっちが困るよ」
言っても構わないが、魔力込めて練っただけです、なんて言ったところで信じてもらえるわけもない。
信じてもらったところで、わりと無尽蔵に使えるであろう俺の魔力が、多少なりと減っている程度には込めているのだ。一般人にはきっと無理な話だろう。
「ともかく、解毒丸とキュアポイズンは買い取るよ。数はこれだけなのかな?」
「一応、三粒ずつ持ってるぞ」
アンチドートなら五〇粒くらいあるけど、買い取ってもらえないなら仕方ない。これは一旦ストックしておこう。
「じゃあ、ふむ。銅貨三六枚と、銀貨二〇枚だね。キュアポイズンは少し色を付けておくよ。一つ当てがあるものでね」
「マジか。薬って物凄く高値で売れるんだな」
六掛けでこの買取額ということは、解毒丸なら一粒あたり銅貨二〇枚、キュアポイズンも一粒あたり銀貨一〇枚程度で販売するということか。思ったよりも高く売れた。思わぬ収入だ。お手ごろ価格で販売しようとするイリーヌさんでさえ、これだけの値がつくとは。本当に解毒の薬って高価なんだな。今回の売却額だけでおよそ半年分の宿代だぜ? 大した素材も使っていない、たった六粒の薬だというのに。それほどまでに薬の数が足りていないというのか。 思わぬ良品に喜んだのはイリーヌさんも同じようで、顔が少し綻んでいる。
お互いに良い商売が出来たようだ。俺としては商売のつもりはなく、器材の礼なわけだが。
「またこの手の薬が出来たら持ってきておくれ。同じように買い取らせてもらうよ。ま、あまり効果の高い薬は取り扱っていないんだけども」
「はは、その辺は加減しておくよ」
世に回してこその薬だ。俺のところで死蔵していても仕方がない。
次からは少し魔力量を考えながら作ってみよう。
一つ言えることは。
一番初歩の器材で、こんだけの薬が作れたんだから、良い器材をそろえていくと、一体どのクラスの薬が作れるのだろうか、という単純な好奇心が生まれたということだ。
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