12
麓での小休止は、本当にすぐに終わった。
馬の汗を拭いてやり、落ち着いた環境で水を飲ませる。
その後俺達も、座りっぱなしで硬くなった体を解し、水筒に口をつけて喉を潤す。
中身は山頂の宿で入れてもらった冷たい麦茶だ。
正確には、麦茶のような風味の、青い水だ。
店の主人が透明な入れ物に真っ青な水を持ってきたときは目を疑った。
どう見ても合成着色料のような青さだったからだ。
その場で試飲させてもらったところ、麦茶のような味がした。
ハーブティーならば、抽出する植物によっては青い色が出てくるので、いっそのこと麦茶味じゃなければ良かったのに。
さすがに体に悪そうなその色を、目で見ながら飲むのは精神衛生上良くないので、中身の見えない水筒に入れて、直接口をつけて飲むようにする。
これは麦茶だ。紛うことなき麦茶だ。だって麦茶の味がするもん。だから麦茶以外の何物でもないさ。
その麦茶を飲みながら、宿で買っておいた昼食を食べる。何かの燻製肉を挟んだサンドイッチだ。
全体的にパサパサしているというか、モソモソしているというか。そして塩っぽくて、申し訳程度に入った野菜は紙を噛んでいるような……って、これ最初の夜にイリーヌさんから貰ったやつじゃね?
保存のことを考えると山頂の宿の持ち帰り品とは考えにくい。となるとこの味がこの世界の標準仕様なのか。おっさんのサンドイッチ、すげぇ。
そうして昼食を終えた後、また馬車に乗って宿場に向かっている。
本当に、小休止だった。
「このペースなら、夕方には宿場に着くね」
「夕方か。なら、本当に泊まるだけだな」
「買い物か何かでもしたかったのかい?」
「そりゃな。どの地域に、どんな産物があるか、ってのは知っておきたいし。てか、イリーヌさんだって交易商人を名乗るなら、ここらで何か買って首都で売る、とかしないのか?」
どの程度の利鞘が出るかは分からないが、全くのゼロというわけではあるまい。
「もっと地方ならともかく、宿場は首都に近いからねぇ。むしろ必需品を首都から送り込んでる有様なんだよ。だから、行きはともかく、帰り道に仕入れるのは旨みがないね。そもそも、積載量の関係もあるし。もし仕入れるとすれば工芸品だけれど、ここのは重いからね」
「そういうもんか。でも、その工芸品ってそれなりの値で売れるんじゃないのか?」
「売れることは売れるけれど、薬の方が高いし、多く持っていけるからね。暫くは薬売りを続けるさ」
「そうか。じゃあ仮に、俺が薬を作ったら買い取ってくれたりするか?」
「作れるのかい?」
「作り方は知ってる。器材がなくて作れないから、あくまで仮の話だよ」
イリーヌさんは何やら考え込んだ。
「薬師との縁は大事にしておきたいからね。ユキちゃんが作ってくれるというのなら勿論買わせて貰うけれど、ユキちゃんだけから買うってわけにはいかないよ」
「当たり前だ。俺だって全部買ってくれとも思わない。必要な分を自分で調合して、余った分を買い取ってもらえりゃ嬉しいってだけだ」
「そういうことなら喜んで。でも、本当に作り方を知っているのかい?」
破顔一笑。だが、次の瞬間には眉を顰めて尋ねてくる。何を疑っているというのか。
「前の街にいたとき、そういう本を見つけてな。結構詳しく書かれていたから、器材と材料さえあれば作れると思う。やってみなきゃわからないけどな」
口に出すたびにどんどん自信がなくなっていく。
そんな俺を見て、イリーヌさんはまた笑う。そしてとんでもないことを口走る。
「じゃあ、首都に着いたら簡単な器材を譲ろうか?」
「は? 譲るって、俺が聞いた話じゃ金貨一枚じゃ足りないって……」
この商人は何をそんな気安く高級品を手放そうとしているのか。
「簡単な器材って言ったろう? そりゃあ、ガラス器具やら何やら、何から何まで揃えようと思えば金貨が何枚も必要だけれど、私が持っているのは処分を頼まれたすり潰す道具くらいのものだからね。熱を加えながらの調合だとか、重さを量りながらの調合だとか、そういう手間がかからない簡単な傷薬くらいなら作れる程度の器材だよ」
「あ、あー。なるほどな」
そりゃ確かに、器材一式『全て』を揃えようと思えば、とんでもない値段にもなるわ。だが、どんな薬師でも、最初は簡単な調合から始めるものだろう。
それに何より、まず素材が無いのだから、『全て』の器材があったところで持て余す。日食の日にしか咲かない特別な花とか、ドラゴン種の舌とか、精霊の涙とか、全ての元素を混ぜ込んだ結晶とか、そういったものを混ぜ込む特殊な薬品など作れるはずもない。どうやって手に入れろというのか。
つまるところ、最初からあらゆる道具を揃える必要は無いのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。すり潰すだけでも、確か軟膏系の傷薬と解毒の丸薬は作れたはずだ」
後者はこねる必要があるけれど、それは素手でも問題ないそうだ。個人的に衛生が気になるので、出来る限り清潔な手で行いたい。石鹸も少々割高に感じたが売ってたわけだし、その辺は問題ないか。
どちらも効力は低いし、解毒の丸薬にいたっては特効対象がないという、じゃあ何の毒に効くんだよという代物らしいが。その代わり、あらゆる毒の効果を軽減するということなので、使いようによっては便利かもしれない。
こんな程度の薬であっても、あの街での販売価格である銅貨一〇枚よりも大幅に高くなるという首都の物価に戦慄する。現状、薬だけが高騰しているみたいだが、その理由によっては、生活必需品の価格まで高騰する可能性もある。
恐らく、悪魔の到来が近いと薄々思っているのだろう。前回の魔獣大攻勢から既に数十年が経過しているそうだ。ならば、いつ発生してもおかしくないと、皆が警戒しているために薬を買い占めている可能性も考えられる。
そして実際に魔獣が大発生すれば、食品であろうと何であろうと、生きていくために必要な物資は不足していく。それは人の多く住む土地に顕著な現象だ。
となると、それを見越しての商売を行う者もいるよな。
「頼むよ。どんな薬であろうと不足しているんだ。首都で作ってくれるなら六掛けで買い取るからさ」
例えばこいつとか。六掛けとは随分と大奮発してないか。自分の利益少なくないか。それとも職人に対する敬意なのか。確実に売れると分かっていなければできない、強気の買い付けだな。
「ま、まぁ、それは首都に着いてからの話だ。そろそろ宿場に着くんじゃないのか?」
「おっと、そうだね。ところで、何か異常はあるかい?」
「ん、見てみる」
レーダーを見る。進行方向が今度は右を向いている。
……何基準なんだよ本当によぉ!
そんなことばかり言っていられない。気を取り直して付近の情報を見る。
多数の光点が見える。人が集まる場所のようだ。変に大きなものはない。
「人が大勢居るってだけっぽいな。変な獣が居るとか、そういうのはなさそうだ」
「だろうね。宿場とは言っても、立派に一つの町になっている。交通の要所にもなっているから冒険者もそれなりに滞在しているし、下手な害獣程度なら蹴散らしてくれているはずさ」
「ほう、なら安全なんだな」
そんな場所ならば宿場町の警護を専門にした兵士や冒険者も駐在しているだろう。よほどのことが起きない限り、害獣被害などは起きそうにない。
「ああ、安全だよ。だから、今日はここで存分に休むとしよう」
「宿、ちょっとはマシなんだろうな」
「宿場町だからね。評判が悪くなれば潰れるほどには激戦区だ。どこも手抜きはしてないよ」
山頂の宿が特別アレだっただけで、そこそこのレベルは期待しても良さそうだ。飯は期待しないが、せめて柔らかいベッドで眠りたい。
俺が何かせずとも、きっちりと掃除していて清潔な空間で眠りたい。
ただそれだけのことが、どうしてこんなにも贅沢に思えるのだろうか。
ここ二日、たった二日街を離れただけだというのに。
いやいやいや、待ってくれ。特に酷い思いをしたのは昨日だけだが、そもそもよく考えれば、自分が掃除せずとも掃除されている空間なんてのはホテルとか旅館とか、そういう宿泊施設だけだ。
あれ。昨日は宿泊施設に泊まった気がするぞ?
「と、とにかく、期待はして良いんだな?」
「ああ。私の行きつけの宿があるから、そこに泊まるとしよう。馬の扱いも丁寧な宿だしね」
「それなら安心だな」
場所によると、馬の世話はセルフサービスというところもあるらしい。
そりゃまあ、気難しい馬の場合は主人が自ら世話をせねばならない場合もあるだろうけれど、どんな相手でもセルフサービスを強要する宿というのは考え物だろう。
さらに酷いところになると、わざとぞんざいな扱いをして馬の体調を崩させ、提携している馬屋の商品を買わせる悪徳な宿まであるらしい。
知れた時点で潰れるとは思うが、施設のサービスが充実しているために、善意の申し出と受け取られることが多いそうだ。貴族相手にやらかすほど愚かでもないし、羽振りの良い商人ならばそのまま買い換えるとか。どうなってるのこの世界。
「下を見ても上を見ても限がないよ。身の丈にあったものを選べば良いんだ」
「それが難しいと思うんだがなぁ」
そう簡単に、自分を客観的に見つめることなどできない。
身の丈。
そう、身の丈だ。
経済的なことであっても、戦闘能力であっても、自分の身の丈を知らねばならない。
一体、自分はどこまでのことができるのか。
グラスイーグルに試した程度で、自分の限界を知った気になどなれない。
俺が、この世界で、どれほどのことができるのか。
明確な指標の無いこの世界で、自らの身の程を知る。
近々、俺が知らなければならないこと。
この世界で生きるにあたって、絶対に必要なことだ。
俺は無敵でも不死でもなんでもない。
ビートベア魔獣の時だって、俺はあっさりと吹っ飛ばされた。
ティトに癒してもらわなければ、あの時点で全滅していただろう。
蜘蛛型魔獣の時は、周りの人間が大勢死んだ。
俺とて避けられたのは偶然だ。
どちらも下手をすれば死んでいた。
油断さえしなければ、どちらも何事も無く切り抜けられただろう。
だが。
実際に死に瀕したときに、油断していた、では済まされない。
「……少し、警戒しておくか」
レーダーに映る一角。
光点とは言えない、薄ぼんやりした明かりが、向かう更に先に発生していた。
見間違いとも取れるが、警戒しておくに越したことはない。
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