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 何が、どういうことだ。

 朝、目が覚めると、後ろから抱きしめられていた。

 後頭部に柔らかい感触。

 ああ、これが夢にまで見た……って違う。


「おい、起きろ。放せ」

「うゅー……?」


 もぞもぞと動く狐。手の位置は俺の臍の辺り。それが少しずつ上に上がっていく。何か嫌な感じだ。背筋がぞくぞくしてきた。


「寝ぼけるな。早く起きろ!」

「むぁー……」


 寝返りをうとうとする。だが、俺を抱きすくめているので上手くいかないようだ。

 そろそろ起きるかと思いきや、俺の体が少しずつ浮き始める。

 持ち上げる気か!? 無理やりにでも寝返りを打つつもりかコイツ!?


「いい加減にしろ! 起きろ!」


 足をバタバタ。手が完全に抑えられているので、動ける範囲は限られている。

 いや待て。一応振りほどこうと思えばできるのか。

 あまり力を入れすぎると怪我をさせてしまうかもしれないが、そもそもベッドに入り込んでいる彼女が異常なのだ。

 恨まれる筋合いは無い。


「せぇ、の!」


 両手を広げる。


「ぴゃ!」


 その衝撃で覚醒したのか、イリーヌさんが面白い悲鳴を上げた。


「ぴゃ、じゃねぇ。何で俺のベッドに入り込んでんだよ」

「……え?」


 しかしいまだ寝ぼけ眼で辺りを見回している。


「あれ。どうしてユキちゃんが?」

「寝ぼけてるな……」


 話が進まない。ティトはまだ寝ているみたいだし、ここはもう一度放っておいて、先に身支度を整えたほうが良い。

 疑問の解消はまた後だ。朝飯の時間もそろそろだし。

 水桶に布を浸し、軽く顔と体を拭う。

 そして影から着替えを取り出す。今日の衣装は黒の長袖シャツに白いハーフパンツ。頭にはおっさんに貰った長布を巻きつけていく。着ていた服を影に放り込み、一応の準備は完了。


「先に食堂に行ってるぞ。間に合わないみたいだったら、包んでもらうよ」


 まだ寝ているティトを懐に隠し、部屋を出て階下に向かう。

 食堂には既に食事を終えた人ばかりで、テーブルの上には汚れた食器が残っている。

 食事中の人も居るには居たが、ごく少数。少々寝過ごしたかもしれない。

 そそくさとテーブルに着くと、無愛想な男が厨房から出てきた。ここの主人だろうか。


「……朝飯だな。朝からがっつり食える方か?」


 ドスの聞いた声で話しかけてきた。

 声質にかなりドギマギしたが、言葉の内容は注文だったので、曖昧に頷いて返答とする。


「……少し待ってろ。暖めなおす」


 のっしのっし、という擬音が聞こえてきそうな足取りでまた厨房へと戻っていく。

 一々、個々人に注文を聞いているのだろうか。

 もしそうだとすると、かなりマメな人だ。ティトの言っていた、山中の宿に来た人に対するもてなしの心って奴か。

 味はおっさんの料理に比べれば正直微妙だけれど、それでも不味くは無いんだ。

 手に入る品に対して、精一杯調理しているのだろう。

 文句を言うのは自由だろうが、それを態度に表してはいけない。


「それにしても、どうしてこんなに人が少ないんだ」


 いくら寝過ごしたとはいえ、テーブルの上にまだ食器が残っているということは、そこまで寝過ごしたわけでもない。

 昨日はもっと客が居たはずだ。

 次に主人が来たら尋ねてみよう。あるいはティトかイリーヌさんが起きてきたら、話をしてみるのも良いかもしれない。

 足をぶらぶらさせながら食事を待っていると、起きてきたらしいイリーヌさんが降りてきた。


「おはよう。随分と寝坊したな?」

「あはは、どうにも朝は弱くてねぇ」


 頭の上の狐耳がへにゃっと垂れている。

 口調はそれなりにしっかりしているが、やはり本調子ではないようだ。


「んー、やっぱり人が少ないね」


 俺の向かいに座り、辺りをぼうっと眺めていた彼女が、ぽつりと漏らす。


「やっぱり、って、何か理由があるのか?」

「そりゃあ、グラスイーグルが居なくなったんだ。足止めされていた連中がこぞって出て行っているのさ」


 ああ、そういう。


「どうやら、グラスイーグルの確認だけはされていたみたいでね。この宿でも警戒していたそうだよ。旅人にも宿から出ないようにって警告していたそうだ」

「それを俺が倒したから、皆出て行ったと」

「そういうことだね。グラスイーグルがあの一体だけとは限らないが、同時に二体以上出てきたことは無いからさ。一体倒したんだから、暫くは安全だと思ったんだろうね」

「だったら俺たちもすぐに出発するか?」

「そこまで急ぐ必要は無いさ。ユキちゃんが退治してくれるだろうから、仮に出てきたとしても怖くは無いね」


 信頼してくれているようだ。過剰な信頼が怖い。

 引き攣った笑みを浮かべていると、主人が厨房から出てきた。


「……余りもののシチューで作った。朝の滋養には効くだろうよ」


 二人分の何やらが出てきた。シチューということは、昨日の晩飯なのだろう。

 だが、作った、という言葉通り、昨日のシチューとは随分と違っていた。

 中央にマッシュポテトのような塊が大きく乗っている。

 さくさくと崩して口に放り込む。うん、相変わらずの味である。


「で、今日はどうするんだ?」

「そうだねぇ。普段は下山したところでキャンプするんだと思うけれど、馬車の調子が良ければ、麓を通り越して宿場町まで行ってみようか」

「宿場町までは遠いのか?」

「麓からなら、普段は半日ほどかかっているねぇ」


 普段で麓から半日ということは、今の馬車は数段速い性能が出ているわけだから、十分辿り付ける予定だ。


「なら大丈夫そうだな」

「うん、今日もよろしく、ユキちゃん」

「ところで」

「うん?」


 本題だ。


「何で俺のベッドに入ってきたんだ?」

「夜中に目が覚めて、水を飲みに食堂に下りたんだ」

「ほう」

「それで、飲んだんだけど、部屋に戻る頃には眠くて仕方なくってね」


 そのせいで俺のベッドに入り込んだ、と?


「いやぁ、うっかり」

「どんなうっかりだよ」

「右のベッドに入るはずが左のベッドに」

「やかましいわ」


 そもそも人に魅了をかけようとした人間だ。そちらの趣味を持っている可能性も否めない。

 聞いたら何だか泥沼に嵌りそうなので、絶対に聞くまい。

 これはもう、うっかり、で済ませるしかなさそうだ。


「うっかり、なら次は無いぞ」

「分かってるよユキちゃん」


 やたら良い笑顔で答えるイリーヌさん。本当に分かっているのだろうか。

 美人さんに好意を持ってもらえるのは、男として、本当に冥利に尽きる。

 だからといって、何でもされて良いというわけじゃない。残念な美人さんという評価にしかならない。


「食ったら出発するぞ。大して急いでないみたいだけど、無為に過ごせるほど余裕があるわけでもないんだろ?」

「そうだね。ところで一つ聞いても良いかい?」

「何だよ」


 イリーヌさんが、俺の首元に顔を近づけてくる。何事!?


「うん、昨日もずっと感じていたけれど、ユキちゃん以外の匂いがするね。誰のだい?」

「犬かお前は!?」


 いや待って、狐ってイヌ科だっけか? それでも鼻が利くとは思えないが……。

 浮気がばれた男のように、冷や汗を流しながら、とりあえず店を出ようと提案するしか出来なかった。

 何でこんな気分にならなきゃいけないんだ。

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