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一応、おっさんのサンドイッチが一つだけ残っていたのと、イリーヌさんのサンドイッチがほぼ丸ごと残っていたので、それをティト大明神が食することによって致命的な結末は回避出来た。
ところでティトさん。イリーヌさんのサンドイッチもおっさんのサンドイッチも、変わらない表情でもぐもぐ食べてらっしゃいましたが、もしかして味に頓着しない方なんスか?
そんな感じで食事を終えた後は、就寝の準備である。
とは言っても、結界が起動している限り外敵の進入は無いと考えても良いそうだ。
テントを張るまでもなく、イリーヌさんは荷台に藁を敷いてマントに包まって眠りだした。雨が降ったらどうするんだろう。
見上げると満天の星空だった。ここまで星が見えるなら、雨が降ることもないか。
そういえば、こっちに来てから空を見上げる余裕はなかった気がする。
時間はあったはずなのに、空を見上げるという行為が頭の中からすっぽりと抜け落ちていたようだ。
夜光虫の姿は見えない。レーダーで確認すると、夕方よりも数が減っていた。どこかに移動したんだろうか。
「すげぇな」
現実の空を思い返す。
排ガスで汚染され、夜を通して煌々と光る街。
普段から星など見えるわけもなく、偶の流星群によってちらりちらりといくらかの星が見えるのが関の山。蛍など以ての外だ。
田舎に行けば、この世界と似たような空が見られるのだろうが、俺の親戚にそんな場所に住んでいる人はいない。皆都会へ出てきてしまったのだ。
だから、俺にとって、こんな星空を見るのは初めての体験だった。
「ユキ様の世界では、このような星空は見えないのですか?」
ティトが俺の左肩に腰掛ける。重さは感じないので、座っているように見えて浮いているのかもしれない。
「そうだな。空気は汚れているし、夜でも昼のように明るい場所が多いから。人間の生み出す光が、星の光を駆逐してしまうんだ」
「随分と詩的な表現をなさるんですね。ユキ様はロマンチストですか」
「そういうこと言わないで! 急に恥ずかしくなっちゃうから!」
「だったら最初から仰らなければいいのに」
ティトが呆れ顔でこちらを見つめる。
「それで、どうしてまだ起きてらっしゃるんですか? 結界があるから夜番は必要ないはずでは?」
ティトの疑問も尤もだ。俺だって寝たい。だが、寝る前に少し確認しておかなければならないことがあった。
「山にな、妙に数の多い集団がいるんだよ」
しかも、じりじりと距離が近づいてきている。
ただの隊商ならば問題ないが、夜を徹しての強行軍というのはどういうことだろうか。
もう少しで山を下りられるからこそ、開けた場所での野営を考えているのかもしれないが、どの道この明かりでは設営などできそうにない。
隊商でなければ何か。
寝静まる頃、キャンプ地としてある程度確立された地域に向かう集団。
どう考えても盗賊の類ではないのか。
魔道具屋で見たが、遠見の水晶というものがあった。望遠鏡に似た形の筒で、効果も望遠鏡のように遠くを見るものだ。それがあれば、山の中からでも、こちらの姿を確認することは出来るだろう。
距離としてはまだ先だ。ここに到着するまでにはまだ暫く時間が掛かる。
その集団の正体を見極めるまで、眠るわけには行かない。
もし相手が人間ならば、結界を破る手段など幾らでも持っているからだ。
戦闘準備を整える。
準備が無駄になるなら、それはそれで良い。
俺は依頼人を守る必要があるわけで、用心するに越したことは無い。
「まずは、威嚇と信号を兼ねて一発」
花火をイメージする。
掌から野球ボール大の光球が生まれ、ふよふよと空に打ちあがる。
結界を通り抜け、大体一五メートルほど上がったところで、球状に破裂する。
破裂した光は、青や赤、黄色や緑と、幻想的に様々な色を撒き散らして消えていく。
レーダーの光点を確認する。
それらは一度歩みを止めたが、少しするとまた進行を開始した。
「……一応の危険が無いと判断すれば、そのまま進んでくる、か。強さを見極める目がないのか、極端に馬鹿か」
敵情を考察する。
今の一発で逃げてくれれば良かったが、それをしないということは、こちらに向かってくる明確な目的と強い意志があるということだ。
仮にただの物盗りの集団ならば、危ない橋など渡ることはしないだろう。別の獲物を狙うことにして、この場は退けば良い。
それをしないということは、相手も切羽詰った状況にあるのか、あるいは何も考えていないのか。
「襲われたら殴り返すだけだけどなぁ」
「今の魔法は、放つ必要があったのですか?」
「ん? 無いといえば無いが、戦闘が避けられるなら、それが一番楽だし」
「しかし、相手に気付かれた可能性があります。こちらに気取られていると」
おっと。そういう解釈もあるのか。ちょっとばかり軽挙だったか?
「まぁ、それならそれで、真正面からぶっ潰すよ。一番良いのは、実は相手がただの隊商でしたってところなんだけど」
大勢の集団が向かってきている。
隊商だというのなら、どこかで野営でもすべきだろうし、何かに襲われて逃げてきているというには、速度が遅い。それに、追う者の影も見えない。
何かしらの敗残兵という可能性もあるが、それならば花火を見て進路を変えないというのもおかしな話だ。どう考えても友軍の信号弾ではなさそうな明かりを見て、それでもなお速度を変えずに進むなど考えにくい。
「結局は来てくれないと分からないんだけどな」
「そうですね」
「ところで、来るのが敵だったら、ティトはどうする?」
魔獣だったら援護してほしいけど、この数全部が魔獣とか、逆に勘弁してほしい。そんなのだったら逃げる。
人間であれば、下手を打って捕まえられでもしたら大問題だ。ちょっとやそっとの手段で捕まえられるとは思えないが、そこは人間の考えること。何が起きるか分からない。
害獣ならばティトの手を煩わせるまでもないだろう。
要するに、隠れていてくれて構わない、と思っているのだが。
「ユキ様の戦いぶりを間近で見学させてもらいますね」
そういって、俺の頭にどっかりと腰を下ろした。重くは無いんだけどね?
「それは戦闘不参加という解釈でよろしいか」
ティトは基本的に攻撃しない。今までもそうだった。防御能力に秀でているのかもしれないが、それだけに特化しているのだろうか。
この辺も聞いたほうが良いな。
「ティトは、戦闘になったら何が出来るんだ?」
「基本は人間達の言う呪いです。傷を癒したり、肉体を強化したり。あとは、防御障壁ですね」
「あー、猪防いでくれたやつな」
「それと、妖精独自の術として、幻覚を見せるくらいです」
攻撃は無いということか。完全に補助系だ。彼女こそソロの呪い士だった。
以前、ソロの呪い士について話したことがあったと思うが、なるほど。逃げるに最適というのは、自身の経験に基づいての話だったか。
「となると、ティトは基本的に後衛だな」
「そうですね。ユキ様が前衛ですので、丁度良いかと」
「うん。でもティト、俺の頭の上に居るよね」
何が丁度良いのか。後衛が前に出る奴にくっついてんじゃねぇよ。
魔法が使えるとはいえ、俺自身後衛になる心算は無い。魔獣のことを考えると、この世界は後衛の方がメインアタッカーになりそうだが。
その辺はパーティの役割分担によるだろう。俺は前も後ろもいけるわけだし。
ソロの俺には関係ないけど。
「お、動きがあるな」
レーダーの光点が二手に分かれる。こちらを包囲するような動きだ。
相手が商人であれば、取る必要の無い陣形。
であるならば。
「敵だな」
「敵ですか」
距離は、大体一〇〇メートルくらいか。今のところは疎らな列だが、近づくにつれ密度が増していく。
暗がりなので相手がどんなものか目視できないのが恐ろしさを助長する。
さらに近づいてきた辺りで、俺は明り取りのために光球を頭上に投げ上げる。
夜の帳が剥ぎ取られ、辺りが急激に明るくなる。
自分自身、あまりの明るさに目を腕で覆う。だが、明かりが来るとも思っていなかった敵集団にとっては、完全な奇襲となったようだ。
周囲から、ギィ、だの、グギャギャ、だのといった悲鳴が上がる。
ようやく明かりに慣れた目が、敵の正体を見極めようとして、驚いた。
辺りに蹲るものは、子供くらいの大きさで、しかし体躯は筋骨隆々としており、とがった耳と小さな角、緑色の肌をした人型の存在が居た。全員が思い思いの武器を手にし、腰巻やら体のサイズにあっていない革鎧などを着込んでいる。
ここまで観察しても鑑定は発動しない。今までもそうだったが、動物等の生命体には鑑定が発動しないようだ。まぁ確かに一々こいつらの来歴というか生い立ちなんぞを教えられても面倒なだけか。
そうなると敵の名前が分からないな。見た目からゴブリンと呼ぶとしよう。
「ハードノッカーですね。棍棒で人間や家畜を襲い、死骸を餌とする悪食の害獣です」
「え、ゴブリンじゃないの?」
俺の知識では、あれはゴブリンで、魔物と呼ばれる分類の生物だ。魔獣に近い敵だと思う。
だが、この世界では呼び名も違えば、分類も違うようだ。
「魔獣は魔素の塊で、獣は繁殖により数を増やす物を指し、害獣は獣の中でも人間に仇為す存在を言います。ですから、その、ゴブリンとかいう物も、れっきとした生命体である限りは獣です」
「むぅ、何か納得いかねぇ」
名前が変わっただけで、見た目もやることもほとんど同じ。生態系やら性質がどこまで同じか分からないから、同一視するのは不味いが、恐らく気にせずとも大丈夫だろう。
しかしこの付近には害獣が居ないんじゃなかったのか。あるいは居てもすぐに討伐されるはずでは。気にしても仕方ないか。何事にも例外はあるだろうし、もしかしたら、本当に出てきたばかりで、まだ討伐されていないだけかもしれないしな。
ぶっちゃけた話、今から俺がすぐに討伐するわけだし。
さて、そのハードノッカーだが。
半数程度が戦意喪失し、逃げ出していた。統率ゼロだな。
「それでも三〇匹近く残ってるのか」
数の多さは、そのまま戦力となる。
どれほど弱かろうと、あの棍棒の一撃でもまともに受ければ、俺は簡単に行動不能に陥るだろう。
攻撃力に対して、防御力が著しく低いのだ。無論、この程度の相手なら頼まずともティトが防御障壁を張ってくれるだろうけど。
「攻撃は最大の防御とは言うが、限度ってもんがあるよなぁ」
ただそれでも、戦列の乱れた敵を相手にするには十分すぎる。
俺はミスラから貰った両手剣、剛剣・白魔を肩に担ぎ、手近な集団に飛び込んだ。




