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 レーダーに見える光点は、瞬く間に街の中に入り込み、中央広場にまで突撃してきたようだ。

 人里にふさわしい小さな反応は、蜘蛛の子を散らすように離れていくが、大きな反応の近くにある反応が次々に消えていく。

 それを取り巻く光点もいくつかあるが、間合いを計りかねているのか、一定以上に近づこうとはしていない。

 あんな反応が大暴れすれば、この街は簡単に機能を停止するだろう。

 領主軍だとか冒険者だとか、そんな括りは関係ない。

 魔獣という災害に対して、人間はあまりに無力だ。

 どれほど鍛えたところで所詮は群れて戦う存在。

 統率されていれば十分に戦えるのだろうが、果たして子犬の群れが象を撃ち滅ぼせるだろうか?

 一個の圧倒的な暴力を前に、どれだけのことが出来るというのか。


「はは、情けねぇ」


 足が震えていた。

 きっと、これが魔獣における強力な個体なのだろう。

 実物を見たわけでもないのに。

 その姿を眼に納めてもいないうちから。

 強烈なプレッシャーが俺を押しとどめて動かそうとしない。

 逃げる方向にも、進む方向にも動けない。

 取り囲む光点が一つ、また一つと消えていく。

 大きな光点が動くたび、小さな光点が消えていく。

 それは紛うことなき虐殺。


「ユキ様、落ち着いてください」


 ティトの静かな声が響く。

 だが、今の俺にそれを聞けるほどの心の余裕は無い。

 落ち着けといわれて、落ち着けるものか。

 叫びださないだけマシだと、褒めてほしいくらいなのだ。

 冷や汗が止まらない。

 猪を見たとき以上の言い知れぬ焦燥感が襲ってくる。


「……ユキ様」


 ティトがこちらを見ている。

 何だよその目は。

 ああ、この世界を救うはずの英雄様がとんだ無様を晒しているんだものな。

 仕方ないさ。俺はあくまで一般人なんだ。

 英雄のような胆力もなければ実力もない。


「失礼いたします」


 ティトが近づいてくる。

 いつかの時の様に、俺の顔を両手で支え、全身で俺をってあれ顔が。

 唇に。

 何かが触れた。

 何だ、何をしてるんだ。

 混乱が収まらない。

 そして激痛。


「っああああああああああ!?」

「痛みでもあれば正気に戻りますか」


 ティトが赤い液体を吐き捨てる。

 唇がヒリヒリを通り越して、ビリビリする。

 地面に赤い粒が滴り落ちる。

 ……こいつ、唇を食いちぎりやがった!

 拳で傷口を押さえるとドロリとした感触が甲を伝って服の袖口を汚す。

 荷物から傷薬を取り出し、唇に塗る。効果の弱い薬だが、自然治癒を待つよりは治りが早いだろう。

 あるいは、と思い、自身の傷のない姿を思い浮かべる。

 血はすぐに止まる。この唇の痛みは虚構だ。痛くない。傷なんてすぐになくなる。

 いっそ、治れ。


「……何しやがる」


 口の中に溜まった液体を吐き出し、ティトを睨む。


「呑まれているようでしたので、ショック療法を」


 確かに恐怖に竦んでいたが、ショック療法とは穏やかではない。

 現状を認識させる時に、針で刺したり食いちぎったりと、些かバイオレンス過ぎるだろ。

 だが。目は覚めた。

 だから、震える声で勇気を振り絞る。


「ティト。俺に、どうしてほしい? 勝ち目のあるかどうか分からない戦いから遠ざかって生き延びてほしいか。それとも、そんな戦いに身を投じて、この街を救う英雄になってほしいか。どっちだ?」


 ティトは笑みを濃くして、はっきりと答えた。


「ユキ様、私は望みました。この世界を救ってください、と。調子の良い願いだと、身勝手な行為だと、謗りはいくらでも受けましょう。ですから、ユキ様。この街を、救ってください」

「あいよ!」


 駆ける。

 ティトの言葉を受けて。

 救ってくれと言われた。助けてほしいと願われた。

 俺だって救いたい。助けたい。ここに来てまだ数日しか経っていないが、だからといって全てを見捨てようと思うほど愛着がないわけじゃない。

 カルロス、マディ、ミリア、ライネ、レックス、リオ、アマリ。彼らはまだこの街にいるはずだ。

 服屋の店員は面白いし、道具屋の相場だって勉強になるし、職人達の喧騒も心地よかった。

 古着屋の店員は奇妙だし、あのハゲはムカつくし、魔道具屋とか拍子抜けも良いところだ。

 おっさんの料理だってまだ食い足りない。というか晩飯まだ食ってねぇんだよ。


「だったら、気張らないといけないよなぁ、男の子は!」


 全身の力をフルに使う。

 街並みが猛スピードで後ろに流れていく。

 広場から抜けてくる人間はもう居ない。

 地面に焼け焦げた塊が転がっている。

 他は逃げおおせたのか、あるいは。

 一々確認に戻っている暇は無い。

 ただただ、只管に走り続ける。

 そうして数分。

 広場の中央に、異形が居た。

 その全身は黒く、ところどころ血管のような赤い筋が浮き出て、明滅を繰り返している。

 蜘蛛のような胴体に人型の上半身が醜悪に融合している。いわゆるアルケニーのような姿ではあるが、上半身を数えると都合四体。

 うち一体は胴体下部から生えており背中を逸らし、地面に腕を突き立てている。

 残りの三体の腕一つ一つには人間が捕まれている。

 胴はひしゃげ、白い物が胸部から突き出て、口からは血の泡を吐き出している。

 そしてあろうことか、六本の腕にある塊を、口元へ近づけ、ゴキリ、ブチリという音と共に嚥下していく。


「っひ……!?」


 近場の男から悲鳴が漏れる。無理もあるまい。この光景は明らかに異常だ。正気を保ちたくもない。

 だが、正気であらねばあの塊の仲間入りをするだけだ。

 俺は影からミスラの剣を取り出し、腰溜めに構える。

 観察する。

 目で見える範囲で取り囲む冒険者は既に片手で数えられる程度。

 レーダーに見える光点も、少し離れた位置で数名程度。

 その他大勢が街の外へ避難に向かっている。

 この化け物を逃がせば、大量の民が犠牲となることだろう。


「やるしかないよな」


 正視に耐えぬ光景でも、やるしかない。

 まずは動きを止める。

 俺は化け物の影を操り、地面に沈めようとする。

 食らうことに夢中になっていた化け物は、一瞬のうちに胴体の半分程を地面に埋もれさせる。

 それを好機と見たか、取り囲む冒険者が一斉に攻撃を開始する。

 近接での攻撃は無い。全て弓、あるいは炎の弾、雷、氷の礫などの遠距離攻撃が飛んでくる。

 そのどれもが鋭い音を奏で、化け物に降り注ぎ、辺り一面が砂埃で覆われる。

 これでは迂闊に飛び込めない。フレンドリファイアで死ぬなんて勘弁してほしい。

 しかしまだ攻撃は止まない。

 あの程度の猛攻で手傷を負わせられる相手では無いと皆が理解しているのか。

 砂塵の漂う視界の中、全てを破壊し尽くす勢いで魔術が、矢が、乱れ飛ぶ。

 瞬間、殺気が貫く。

 何かを感じて地面に這い蹲る。

 頭上を何かが通り抜ける感覚。

 隣で、何かが肉にめり込み、貫かれる音と、男の苦悶の声が短く紡ぎ出される。

 レーダーの光点が一斉に消える。

 何が起きた。

 粉塵舞う視界を見通すと、喉に白い何かが突き刺さり腹に風穴が開いた男が倒れていた。

 骨だ。

 あの化け物は、あれだけの攻撃の中、捕食した人間の骨をこちらに撃ち出して反撃してきたのだ。

 正確に、こちらの位置を察知して。

 冷や汗が背中を伝う。

 土煙が晴れる。

 そこには傷一つ負っておらず、影から抜け出した化け物だけが存在していた。

 赤い瞳が俺を真っ直ぐ見据えている。

 その瞳の色に、攻撃された恨みや影に落とされた怒りが見えるならば救いはあったろう。

 そこに映るものには何の感慨もなく。

 うっとうしい羽虫を駆除した、程度に落ち着き払っていた。


「冗談だろ、おい……」

「冗談などではありません。これが悪魔の欠片、災害のほんの一端に過ぎません」


 規格外だ。

 これほどまでに強力とは思わなかった。

 あの攻撃の嵐を見て、ひょっとすると、と思っていた。

 それを完膚なきまでに打ち砕かれた。

 あれですら、奴にとってはその程度のダメージなのだ。

 だが呆然としているわけには行かない。

 この場に残っているのは俺だけだ。少し離れた光点はまだ存在している。生きている。

 ここで仕留めなければ、恐らくこの街は滅ぶだろう。

 あれだけの火力を叩きだせる冒険者が、赤子のように捻られた。

 それよりも数の少ない光点が、先程よりも凄まじい攻撃を繰り出せるとは思えない。

 ならば。

 俺がやるしかない。

 味方に撃たれる危険性は無くなった。

 既に骨は撃ちつくしたのか、化け物はその場に佇んでいる。

 あとは進むだけだ。お互いに武器を打ち付けるだけだ。

 彼我の距離は目算で一〇メートル。

 この距離なら一瞬で詰められる。

 相手の出方を窺う。

 じりじりと間合いを詰めながら、あるいは遠ざかりながら。

 相手は、いまだにこちらを見据えている。

PV20000、ブクマ100を越えました!

お祝いを言ってくれる方がいませんので自分で祝います!

おめでとう自分!

皆さま、ありがとうございます!

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