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閑話・彼の場合3

「へぇ。普段の道に魔獣が、ねぇ?」

「ええ。そのせいで、今回は酷い目に遭いました」


 助けた商人の話によると、街道のごく近くに猪型の魔獣が現れたそうな。

 東側に広がる森から飛び出してきたらしいそいつは、我が物顔で街道近くを闊歩し、近くを通る旅人や商人達を手当たり次第襲っているそうだ。

 そんな状況だからか、噂が回るのも早い。この商人は一つ前の宿場町で情報を仕入れ、街道を大きく迂回するように進路を取ったそうだ。


「護衛を雇うっつー考えは無かったのか?」

「魔獣を相手にできる護衛など、私の儲けでは雇えませんよ」


 そういうものなのだろうか。

 魔獣とやらを避けたとしても、さっきみたいなモンスターを相手取る護衛すら雇わないのは、どうかと思うんだが。


「迂回するといっても、魔獣が徘徊していない可能性はありませんからね。魔獣がいると分かっていて、たかだか害獣程度を相手にする値で護衛を受けてくれる冒険者などいませんよ」

「そういうものか」

「ええ、ですので非常に助かりました。このお礼は、街に着いた後必ず」

「だから気にすんなって。乗車料と案内料で十分だ。物資も分けてもらったしな」


 腰の袋をぽんぽんと叩く。

 あの後、青年が本当に何も持っていないことを心配した商人が、丈夫な袋と保存食をくれたのだ。

 曰く、あれだけの魔術を使える冒険者との繋がりを持てるほうが重要なのだとか。

 魔術じゃなくて魔法だって言おうとしたが、違いを説明するのが難しそうなので曖昧に頷いておいた。


「はは、欲の無い方ですな。ですが先ほども申し上げたとおり、私との繋ぎと思っていただければと」

「んー……まぁ、そういうことなら貰っておこうか」


 魔獣の討滅とやらが短期間で終わりそうもないことは明白だ。ならば先立つものは多いほうが良いだろう。

 ま、手始めにその猪型の魔獣とやらをサクッと倒してみようか。

 そのための情報収集もやっておくか。街に着いてからでも行うが、まずはこの商人から聞いておく。


「しかしそんな奴が陣取っていて、近くの町の連中は何をしているんだ? 対策はどうなっている?」

「はあ、それがどうも、魔獣を討伐できるだけの冒険者が揃わないらしく……」

「何でだよ。何か別件でもあるのか?」

「ええ、街の南東に広がる森に非常に強い魔力反応があるとかで、領主が戦力を集めているそうです。猪型のような小物は放っておけと」


 小物なんだ、その魔獣。

 聞くだけだと、猪型も大概な災厄な気がするんだけど。


「我々にとっては災厄ではありますが、腕利きの冒険者が五、六人も集まれば討伐は可能ですからね。それすら集められない状況が迫っている、という方が恐ろしいですよ」

「……なるほどな」


 恐らく、その強い魔力反応とやらが、青年が真に討滅すべき魔獣なのだろう。

 どれほどの戦力をぶつければ対応できるのか分からないが、きっとどれだけ集めても不足だろう。世界の危機であり、異世界から勇者を召喚するほどなのだ。この世界に生きる人間だけで対処できる相手ではなかろう。

 だとしても。


「それじゃあその猪型の魔獣、俺が倒しても問題ないよな」

「え? そりゃあ、まあ、はい。討伐依頼も出されているでしょうし」

「オーケー。んじゃ街に着いたら、その依頼を請けられそうな場所に案内してくれよ」

「それくらいならお安い御用です。丁度その店に卸しに行くところでしたからね」


 計ったようなタイミングの良さ。いや、誰も青年を謀ろうとはしていないのだが。

 馬車はゆるやかに道を行く。




 そして、暫し経った頃。


「見えてきましたよ。あれが目的の街です」

「ほうー、見た感じかなり大きいな」


 外壁は石で作られ、堅牢さを前面に押し出している。

 あれならばちょっとやそっとのことでは崩れまい。


「そうですね。この街はそこらの魔獣に襲われてもビクともしないほどの防衛能力を有していますから」

「……質問。そんな街なのに、戦力を掻き集めなきゃならんほど酷い状況なのか?」


 強い魔力反応とやらが一体どの程度のものなのやら。

 小物と放って置かれる魔獣を討伐できるのが腕利きの冒険者五、六人だよな。それがどの程度の規模の扱いなのかにもよる。往年の狩りゲーでは四人一組が限度ではあるが。

 今となっては古典の名作のダンジョンRPGでは六人パーティなので、要するに一パーティ程度なのだろうか。


「そうですな。見立てによると、その魔力反応が魔獣であれば伯爵級、あるいは侯爵級であろうと。もしそんなものがやってくれば、英雄並の冒険者が複数名必要でしょうな」

「へぇ。もし揃わなかったら?」

「壊滅するでしょうな」


 何たら級ってのがイマイチよく分からんが、英雄並の冒険者が複数必要って絶望的じゃね? そんなの集められるわけがないから、格落ちの冒険者を大量に揃えておこうって話だろ。それこそ腕利きレベルの冒険者を数十人とかさ。

 それで対応できるかどうかは分からんが。


「まあ、そのような事態にはならんでしょうが」

「ほう? 何か当てでもあるのか?」


 楽観視するのは、そうできるだけの判断材料があるということだ。

 青年が問うと、商人はニヤリと笑みを深める。


「貴方ですよ。先ほどの襲撃をあっさりと退けた貴方に助力いただけるのであれば、相手が何であれ撃退は容易いかと」

「お、おう」


 正直、この世界の住人達の強さが分からない。青年自身、その力を当てにされたところで、どれほどのことが出来るかわかっていない。

 そもそも魔獣がどんなものかすら、まだ対峙したことがないのだから。

 だからこそ、猪型の魔獣とやらを試金石にと思っているわけなのだが。


「さて、到着です」


 そうこう考えているうちに外壁が近づいてきた。

 見れば門番が検問を行っている。積荷の確認だとか、そういう系統だろう。

 そこで青年ははたと気付く。


「身分証とか必要だったりする?」


 身の証を立てられるものを、一切持ち合わせていないことを。


「……詳しくは聞かないことにしておきましょう。私の護衛ということで入った後は、卸し先の宿で身分証を発行してもらうと良いでしょう」

「助かる。マジ助かる」


 積荷のチェックは滞りなく、スムーズに進む。

 どうやらこの商人は食料品を運んでいたようだ。通りで、あれこれ食料を融通してくれるはずだ。

 馬車に乗ったまま城壁内へと進む。

 道路はきっちりと舗装されており、幅も広い。馬車での通行をしっかりと考えられた工事が行われているのだろう。

 ただ、外から見た印象よりは狭い気がする。石造りの建物が所狭しと建っているからだろうか。

 外壁に近いところは冒険者向けの店が多いようで、武器屋だの防具屋だのが軒を連ねている。

 商人が向かうのはそんな店の一つで、名を『揺蕩う小舟亭』。聞けば、サービスの内容が充実した良心的な値段の宿であるとか。駆け出しから熟練者まで、多種多様な冒険者が利用する宿らしい。


「お、いらっしゃい。そろそろだと思ってたよ」


 声を掛けてきたのは女将か。恰幅の良い女性が破顔して商人を迎える。

 そして近くの男を呼び、顎で外を示す。これが本当の顎で使うってか。


「予定よりは遅くなりましたがな。ま、日持ちのする食材ばかりですから、問題はないでしょう」

「あいよ、アンタにはいつも世話になってるからね。少々のことくらいじゃ文句は言わないよ」


 和気藹々と喋っているが、青年はその空気に入っていけない。

 だが商人も心得たもの、機会は窺っていてくれたらしい。


「魔獣が居座ってるって聞いたし、届かないんじゃないかと心配してたくらいさ。文句を言うのはお門違いさね」

「はは、こちらの方に助けていただきましてな。こう見えて、中々の腕前ですよ」

「あ、ども」


 急に水を向けられた青年は、おざなりな挨拶しかできなかったわけだが。


「へえー、良い男じゃないか。それで腕も立つっていうなら、世の女の子が放っておかないだろうね」

「あ、いや、そんな」


 急に近づいてきてバシバシと肩を叩く女将。

 しどろもどろになる青年。こんなにもがつがつくる相手は慣れていないのだ。


「で? アンタがこんな風に紹介するってことは、アタシに何かさせたいんだろう?」

「ええ。彼に身分証の発行と、件の魔獣の討伐依頼をと思いまして」


 商人の言葉を受け、改めてまじまじと青年を見る女将。

 先ほどとは違った鋭い眼光にたじろぐ。


「ふう、ん?」


 足元からじっとりと観察された後、カウンターの方に何やら向かう女将。


「ま、大丈夫だろうさ。それじゃアンタ、頼んだよ?」

「え? あ、あぁ。任せとけ」


 ポンと胸を叩かれ、目を白黒させる青年。それでも引き受けたのは、女将の声に確かな力強さを感じたからか。

 あるいは、叩かれついでに正体不明の木札を渡されたからか。


「それが身分証明代わりさ。門で見せれば、アタシの店の所属だって分かるからね」

「そうなのか。てことは、この小舟が……」

「うちの店を表してるわけさね」


 なるほど、上手くできたシステムだ。偽造しようと思えばできなくはないだろうが。


「店からの通達と証明札と、二つ揃って初めて意味があるんだよ。さ、そういうわけでアタシは忙しくなるから。泊まるなら二階が空いてるよ」


 好きに使いな、と鍵を放り投げられる。こんな杜撰な管理でいいのだろうか。青年が気にするところではないが。

 外から帰ってきた男が女将と何やら話をする。

 一つ頷いた女将が、商人に革袋を渡す。恐らくは料金だろう。

 中を改めた商人も満足げに頷く。商取引のやり方として大丈夫なのだろうか。


「それでは、私は組合に行くのでこれで」


 そう言いながら、革袋の中から数枚の銀のコインを渡してくる商人。

 よく分からん爺の横顔が描かれている。こういうのが貨幣なのな。


「またいずれ機会があれば、その時はよろしくお願いします」

「ああ、サンキューな」


 商人は軽く会釈しながら店を出て行く。

 女将は俺の手続きだろう、同じく何かの仕度をして店を出て行った。

 泊まるならと鍵を貰ったが、まだまだ日は高い。

 街道のどの辺りに居座っているのかは分からないが、今からサクッと行ってサクッと倒してサクッと戻ってくるのは不可能ではないだろう。


「それじゃあ妖精さん、今から魔獣を倒しに行ってみるけど、何か注意点とかはあるか?」

「あ、はい。えーと、魔獣は武器が通用しないそうです」

「武器が? んじゃあ俺にはあんまり関係ないな」


 何せ魔法だし。

 気負いなく青年は街を出る。

 道中で見た、賑やかな街並み。

 買い物客と商人とのやり取り。

 駆け回る少年少女。

 それを微笑みながら見守る親。

 武器を携え豪快に笑う冒険者。

 魔獣を放置すれば、いつしかこの光景も失われるのだろう。

 縁も所縁もない、赤の他人のことではあるが。

 だからこそ、無関係と放置はしたくない。

 そう思って。

 青年は街を出るや、南西方向への街道を疾駆する。


「アジリティゲイン、スピードアップ、アクセラレート、移動速度倍化。……何を言っても効果が出るってすげぇな」


 それは現実世界で漁った知識から得た数々の超常能力。魔法、魔術、超能力、スキル、アビリティ。呼び名は様々であるが、青年にとっては同じことだ。

 唱えて、効果が出るのならば、それでいい。


「お?」


 青年の視界に、黒い異物が映る。

 見るからに禍々しい。

 見ただけで分かる。

 あれは居てはいけない。

 あんな生物、存在してはいけない。

 恐怖心が沸き起こる。

 が。


「知った、ことかよ!」


 跳躍。

 黒い獣の直上で、青年は左手を突き出す。

 そして、青年はイメージを具現化する。


「落ちろ雷撃!」


 瞬間。

 青年の掌から、紫色の稲光が幾筋も絡まりあい、黒い獣に向かって伸びていく。

 それは獣が青年に気付き見上げた時には、既にその体躯を焼いており。

 絶命の呻きを上げることすらできず、魔獣はあっさりと倒れ伏す。


「なんだ、こんなもんかよ。マジ小物じゃん」


 着地と同時に振り返り反撃に備えた青年だったが、ピクリとも動かない魔獣を見て溜息をつく。


「あの、それは勇者様が強すぎるだけで……普通は役割をきちんと決めた冒険者達が、罠を利用しながら戦う相手なんですよ?」

「そういや、あの商人がそんなこと言ってたっけか。でもこんな奴相手に五、六人もいるのか」


 案外、腕利きの冒険者って言っても大したことねぇな。そんな風に考える青年。


「ともあれぶっ倒したのはぶっ倒したわけだ。こいつを持ち帰れば良いんだよな。……よっと」


 体高三メートルはあろう、その猪を軽々と持ち上げる青年。

 常人離れしたその筋力も、青年の思い描いた通りのもの。

 これならば、戦闘力に問題は無いと、にんまりと笑みを浮かべる。

 この場所に来るまで、さして時間はかかっていない。

 のんびり歩いて帰っても、日没までには街へ戻れるだろう。

 そう考えて、青年は緩やかに歩を進める。


「ところでさ、この依頼達成したらいくらくらい貰えんの?」


 貨幣価値を知らない青年にとっては、先ほど商人から貰った銀貨がどの程度の価値を持っているかも分からない。


「すいません。私も人間社会のことはよく分からず……」

「ですよねー」


 分からないものは仕方ない。そのうち分かるだろう。さして急いているわけでもないわけだし。

 特段、強化もかけずに街道を行く。

 魔獣が居座っているという話が出回っていることもあり、街道には轍が出来ているにもかかわらず、人の通りは一切ない。

 大抵があの商人のように道なき道を迂回しているか、あるいは宿場町で足止めを受けているのだろう。


「……そういや、森の方向に強い魔力反応、とか言ってたよな?」

「ええ。もしも魔獣であれば、甚大な被害が予想されると」

「そんな凄い奴なら、何か気配とか分からねぇかな?」


 そうして青年は思い描く。参考にするものは慣れ親しんだゲームにおけるマップ機能。敵影、自機、アイテム、障害物、トラップ等、画面右上に表示されるレーダーを。

 雑魚は小さな赤い点、ボスは大きな赤い点。自機は中央の黄色い点。アイテムは緑で、トラップは紫。緑も紫も存在しないレーダーには、多数の赤い点と、大きな赤い点が表示される。


「うっは、マジか。できんのかよ」

「何が出来たのですか?」


 驚きのあまり声が出たところを、不思議そうに訊ねる妖精。

 たった今、行ったことを簡単に説明する青年。

 その規格外に、目を丸くする妖精。


「周辺の地図に、敵性生物の位置情報ですか」

「ああ」


 一人で戦争でもおっぱじめるつもりか、と自嘲する青年。事実、青年の持つ能力ならば可能なわけだ。


「便利だから良いけどもさ」

「そうですね、地図があるならば迷うこともありませんものね」

「ああ。上方向も北で固定されてるしな」


 知らない土地を歩く際には地図アプリを利用するご時勢だ。分かりやすい地図があるというのは心強い。

 そうしてレーダーを眺めながら街道を進む青年だが、ここで異常に気付く。


「なんか、ボスが街に向かってねぇか?」

「そう、なのですか?」


 南東に広がる森。その奥に鎮座していたボス反応が、徐々に街の方向へと移動している。

 というよりも、地図の縮尺を考えるとかなりの速度で動いていることになる。


「これは、やべぇか! 急ぐぞ、しっかり掴まってろ!」

「は、はいぃ!」


 敵の移動速度は、青年の全力よりやや遅い程度。

 今の位置から青年が全速力で移動すれば、ボスが街に到達するよりも早く辿り着ける。

 速度を増す魔法を唱えながら、青年は急ぐ。

 さして思い入れのない街ではあるが、迫る脅威を見過ごせる性格ではない。

 ある程度の防衛戦力は整えているだろうが、それで無事に終わるとは思えない。

 それに、だ。

 そもそも、魔獣の脅威を払うのは青年の役目である。

 降って湧いたような状況ではあるが、引き受けたからには知らぬ存ぜぬは罷り通らない。

 だからこそ。

 青年は駆ける。

 そして目の前に市壁が迫ったころ、ちらと森に視線をやればそこには。


「……生理的に無理」


 巨大な蜘蛛が居た。

 木々の上を滑るように、四、五メートルはあろうかという巨大な蜘蛛が移動する。

 外に近い人間はその異様を目撃してしまったようで、青年の耳に悲鳴が届く。

 一々門番に身分証を見せる暇すら惜しい。というか門番も腰を抜かしており、まともな業務など望むべくもない。

 一足飛びに市壁を駆け上がり、巨大蜘蛛の進路に躍り出る。


「なぁ妖精さん、あいつも魔獣なんだよな!?」

「そ、そのようです! あんな生物は自然界には存在しません!」


 ならば良し。

 まずは蜘蛛の動きを止める。

 青年は巨大蜘蛛を見据え、全力で魔法を解き放つ。


「ぶっ潰れやがれぇ!」


 振り下ろした拳と共に、ダウンバーストが起こる。

 木々がへし折れると共に、地面に崩れ落ちる巨大蜘蛛。

 これで時間が稼げるか、と思った瞬間。

 蜘蛛が大量の糸を吐き出す。

 風を解除し、防御に全力を込める青年。イメージするものは巨大な壁。地面に手をつき、今居る市壁を縦に伸ばす。

 実際に市壁の状態が変わるわけではなかったが、糸は見えない壁にぶち当たったかのように進行を止める。

 が、巨大蜘蛛はその糸を利用して大きく跳躍する。

 進行を止めようと鑑みた青年を嘲笑うかのように、重低音を鳴り響かせて街中に着地する。

 逃げ惑う人々。

 怒号、悲鳴、狂乱の坩堝。

 巨大蜘蛛は飛び跳ねながら、街を蹂躙していく。

 青年も後を追うが、街中での全力疾走は難しい。

 好き放題に街を壊しながら進む魔獣との距離は中々縮まらない。

 巨大蜘蛛が動きを止めたのは一際開けた場所。

 普段であれば大勢の人で賑わっているであろう広場は、今は惨憺たる有様となっている。


「……んの野郎っ!」


 何故動きを止めたか。それは青年が巨大蜘蛛に追いついたことで理解できた。

 人を、喰っていた。

 奴の口からは、人の下半身がぶら下がっている。

 近くに武器が落ちていることから、冒険者が襲われたのだろう。


「た、耐えろ! 数分もすれば増援が来る! 領主が集めてる奴等が来るはずだ!」

「大盾用意! 糸に気をつけろよ!」

「魔術行くよ、足止めして!」


 広場の奥から、そんな声が響く。

 だが。ああ、畜生。何てこった。

 善戦ですらない。

 魔術は通用しておらず、前衛は足止めもできず、ものの数秒で瓦解。

 これが、強力な魔獣。

 猪が小物という意味が理解できた。

 暴虐。

 その一言で表せる純粋なる脅威。

 その惨憺たる光景に、僅かに立ち尽くす間に被害が広がる。


「ゆ、勇者様……」


 妖精さんの声で、我に返る。

 そうだ。呆けている暇など無い。

 領主お抱えの冒険者を待っている暇などない。


「悪い。すぐやる」


 足止めなど生温い。

 やるからには一撃必殺。

 目には目を。歯には歯を。暴虐には暴虐を。

 周辺への被害を考える必要は無い。

 もう既に奴が破壊している。

 ただただ強力な一撃を叩き込めばいい。

 だから、そう。


「消し炭にしてやるよ、虫けらがぁ……!」


 単純なる暴力。

 純粋な熱量を。

 巨大蜘蛛へと。

 外すわけにはいかない。

 蜘蛛を見据え。

 一直線に疾走。

 奴が振り向く。

 糸を吐き出す。

 既に集まる熱量で焼く。

 跳躍し、敵に取り付く。

 大きく右手を振り被る。

 そして。


「燃え尽きろおおおぉぉぉ!」


 呼び出すものは炎。

 敵対者を燃やし尽くすまで消えない無限の炎。

 動かそうとする部位から炭化し崩れていくので暴れまわることすら許さない。

 巨大蜘蛛の脚が、腹部が、ボロボロと崩れていく。

 黒い体躯なので炭化しているのか否か分からないが、そんなことはどうだっていい。

 重要なのはただ一つ。

 目の前の、この蜘蛛を、殺しきる。

 体の端から崩れていく蜘蛛に、更に追撃をお見舞いする。

 左手を突き出し、今度は電撃。

 体の内部から破壊しつくす。

 周囲の炎に、紫電が混じる。

 苦し紛れに蜘蛛がその巨躯を震わせるが、崩壊を早めるに過ぎない。

 蜘蛛が完全に沈黙したことを確認し、魔法を解除する。

 ふぅ、と一息ついて、地面に降りる。

 辺りには呆然と佇む街人達。

 まぁ、そうなるな。

 敵は英雄と呼ばれるような存在が複数必要な相手。

 領主が集めた冒険者が来るまでもなく。

 たった一人で撃破したのだ。

 それも一撃で。一瞬で。

 恐れているのか、慄いているのか。

 遠巻きに青年を眺めるだけで、誰も動かない。動こうとしない。

 ……ただ一人を除いて。


「すっ……げええええええ!」


 赤い髪の女が青年に近づいてくる。

 動きやすそうな革鎧に身を包み、身の丈ほどもある剣を背負った女だ。


「お前すっげえな! あの魔獣を一撃とかどんな魔術だよ! すげえ魔術士だな!」

「お、おう?」

「ちょっと話聞かせろよ! あ、あたしは『揺蕩う小舟亭』所属のアミラって言うんだ、よろしくな!」


 そう言って手を差し出してくる。

 こういうがつがつくるタイプは慣れていない青年だが、ストレートに好意を示されていると無碍には出来ない。


「ああ、よろしく……」


 それだけ言って、差し出された手を握る。

 途端、グイッと手を引っ張られる。


「それじゃあ行こうー!」

「おま、ちょ、待てよ!? 待てって!?」


 嵐のような出来事に、なおも呆然とする街の住人達。

 だが、その目は先ほどのような異物を見るものではなく。

 五月蝿い奴に掴まった青年を憐れむように。

 そして各々が動き始める。

 自宅の様子を見に戻る者。

 遠巻きに魔獣の骸を見る者。

 そして。


「俺達が来たからにはもう大丈夫だ! さあ、覚悟しろ魔、獣……?」


 数十人からなる、領主が雇った冒険者達。

 巨大蜘蛛の死骸を前に、持っている武器を取り落とす。




 青年の戦いは始まった。

 この魔獣はただの前哨戦。

 だが。

 今暫くは、平穏な日々を。

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