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「……この辺り、かな?」


 東門から、少し北側。殺意感知では、この先の建物に反応が集まっている。

 路地に身を隠しながら、そっと辺りを窺う。

 幸い現在は月が雲に隠れている。現場は思った以上に暗い。


「酒場というわけではなさそうですね」

「盛り場の可能性はあるけどもな」


 近寄りすぎると、いくら認識阻害をかけてもらっていても、見咎められる可能性がある。偵察ならばこの辺りが限界だろう。


「できれば、カメラは裏口に仕掛けたいよな」


 現在地点からは、通りに面した入り口しか見えない。

 裏口があるとは限らないが、もしも後ろ暗いところのある連中ならば、堂々と表から出入りすることはないだろう。

 もしかしたら地下道とか別の入り口があるのかもしれないが、そこまで考えると限がない。

 裏口があると仮定して、その付近に仕掛けよう。

 一応、既に水を出し、周辺の砂を泥のように捏ねて宝石を包んでいる。一部は穴を開けているので、映像が撮れないということはないだろう。


「ティト、認識阻害はかかってるよな?」

「ええ。お任せ下さい」


 ティトに確認を取る。認識阻害が掛かっているのなら、あとは動くだけだ。道中、通行人にぶつかることがあったというのに、俺を認識した人は居なかった。ティトさんの隠蔽技能、マジパねぇっす。相手が酔っ払っていただけの可能性もあるんだけど。それを言うとティトの機嫌が絶対零度になるから決して言わない。言ってはならない。

 足音を立てないように気をつけながら、路地から路地へと移っていく。

 路地に入る前に、軽く建物の様子を見てみるが、特段変わったところはない。

 まぁ、ここがアジトだと決まったわけでもない。何もない可能性だって十分にある。殺意感知が反応していることが気がかりだが、店の種類によってはそういうこともあるだろう。

 誰にも見つからずに目的の場所へと到着。ここまでは良い。

 あとは裏口があるかどうかだが……。


「多分、これだよな」

「でしょうね」


 木製のドア。これが裏口でなければ何だと言わんばかりの扉。まぁ店でなくても、裏口というか勝手口みたいなものはあるよな。台所のゴミとか、台所からそのまま出せたほうが便利だし。

 扉の奥からは騒ぎ声が聞こえてくる。内容までは分からないが、だからといって押し入るわけにもいかない。ここがアジトだと確定しているならばともかく、ただの民家や酒場であれば、不法侵入にしかならない。

 扉から数歩離れ、ある程度扉付近を見通せる場所に宝石を設置する。偽装はできている。パッと見、土が固まっているようにしか見えない。上出来だ。


「ティト、お前から見てこれはどうだ。大丈夫か?」

「問題ないでしょう。あるとすれば、雨でも降って土が流された場合のことですが」

「天気は仕方ない」


 雨が降ったら、何をおいてもこの場所に突撃するだけだ。その際に相手の何かに引っかかったら、それはそれで。

 むしろ大っぴらに動いて、わざと相手の網にかかって、引きちぎっていくほうが楽な気がしてきた。


「ユキ様。守るものが何もなければそれも手でしょうけれど、攫われた森人との関係性が分かりやすい現状、それは悪手でしょう」

「わ、分かってるよ?」


 ていうか、軽やかに心の中身を読まないでください。口には出してないはずなんですが。


「ユキ様は考えていることが顔に出ますから。今も、力技でどうにかしようとでもお考えになったのでしょう?」

「しまった、そっちか」


 迂闊に物も考えられやしない。なんてこった。そんな顔に出るタイプだっけなぁ、俺って。


「とりあえず、ここは一旦これで良いか」


 今できることはやったはずだ。後はこいつが捉えた風景を写すモニターを作らなければ。

 まぁ土台になりそうな盥は既に作ってあるけども。実際に水を入れて、水鏡にしてみないことには分からない。

 中継カメラとして使えるのか、それともただの記録媒体になるのか。


「それじゃあティト、ずらかるぞ」

「了解です」


 そう言って、路地を抜け、表通りに出た途端。

 行く手を遮る、一つの影。

 驚きに一瞬動きを止めてしまうが、ただの偶然だろうと思い直す。ティトの認識阻害が掛かっているはずなんだ。ここまで何の問題もなく来れた。この人影だって、偶然俺の前に出てきただけだろう。

 唾を飲み込み、何事もなかったように立ち去ろうとする。


「おいおい、ちょっと待ちなよお嬢ちゃん」


 影が、言葉を発する。

 もしかして、気付かれてる?


「ユキ様、申し訳ありません。目の前の人物は、認識阻害を無効化しています。熟練の戦士には流石に見破られてしまいます」


 ティトが悔しげな声を出す。

 そうかい、熟練の戦士かい。それなら仕方ない。防御結界だって、威力の高い攻撃までは防げない。だったら、熟練の戦士に気配を読まれても仕方ないさ。

 大きく息をつく。落ち着け、俺。敵だと決まったわけじゃない。俺はただの通行人。そういう体で行こう。


「俺に何か用か?」


 月が、再び顔を出す。

 月明かりが街を照らし、人影を曝す。


「いんやあ? 特段用事ってわけじゃないんだけどね」


 ぼさぼさの茶髪を後ろで一つに纏め、胡散臭い笑みを浮かべる男。無精ひげが胡散臭さに拍車をかける。

 軽い猫背で、ぽりぽりと頭を掻きながら、しかし眼光鋭くこちらを見据える。まるで俺を敵だとでも告げるかのように。


「オジサン、ちょっと色々と探し物をしてるんだけどね、お嬢ちゃんは何か知らないかな」

「色々、の内容を聞かねぇことには、答えようがねぇな」

「おっと、それもそうだ。あっはっは」


 何だコイツ。何だか、ヤバイ。顔は笑っているのに、目元が何一つ笑っていない。

 そして何より。

 殺意感知が、全力で反応してやがる。

 まずったな。「何が?」とでも押し通しておけばよかった。あれじゃあ何か知ってますって言ってるのと同じだわ。


「オジサンさあ、怪しい人を探してるんだよ。お嬢ちゃんは、そういう話を知ってないかな」


 返答を間違えると、随分と厄介なことになりそうだ。

 冷静に。落ち着いて。


「例えば、裏路地でコソコソと何かをしてるような人とかさ?」


 射抜くような視線。

 怯むな。怯えるな。

 そもそもこいつは、どの立場の人間だ。俺の手札を考えろ。状況を読め。


「……話すからさ、まずはその物騒な気配をどうにかしてくれないか」

「お? 素直だし大人しいね。オジサン驚きだよ。大概の子は逃げるか騒ぐかするってのに」


 そりゃあそうだろ。目の前にいきなり殺人鬼が出てくるような威圧感があるんだぞ。

 そんでもって、騒ぐか逃げるかした相手はとっ捕まえて、とても昼間には口に出来ないようなあれやこれやをするんだろ。

 目の前の男から、殺意感知の反応が消えていく。

 一応、一旦セーフか。


「それじゃあちょっと教えてくれないかな。お嬢ちゃんが知っている、怪しい話をね」


 口調には気軽さを感じるが、気を抜くわけには行かない。いつでも逃げられるように、体勢だけは整えておこう。


「話すけど、そっちも何か教えてくれよ。一方的ってのはフェアじゃない」

「おっと、それもそうだ。まあ、お嬢ちゃんがオジサンの敵じゃなければね」


 身が竦む。一々殺意を混ぜてくるのは止めてほしい。

 主導権を握られているのは癪だが、実力に差がありすぎる。いや、身体能力だけで言えば負けている気はしないが、実戦経験という点で勝てる気がしない。


「誘拐騒ぎがあるだろ?」

「ああ、あるね」

「俺の知り合いが、連れ去られてな」

「知り合いが? そいつは物騒だねえ。オジサンもそういう子を一杯知っててね?」

「そうかい。じゃあ例えば……」


 次の一言で決まる。瞬時に逃げられるように足に力を入れる。

 森人の誘拐なんて、と言いかけた所で。


「おっと、逃げようとしたって無駄だよお嬢ちゃん」

「!?」


 俺の眼前に、男の顔が映る。

 先程まで、数歩分の間合いはあったはずだ。なのに、今の一瞬でこの男は、目の前まで接近している。

 いつの間に、近づいていた?


「ユキ様!」


 思いっきり髪を後ろに引っ張られる。つられて、力を込めていた足が地面を蹴る。

 ティトに文句を言う前に、気付く。


「あっれ、避けられちゃった」


 男が手を突き出している。ティトに引っ張ってもらわなければ、恐らく首を捕まれていたであろう位置に。

 驚きに目を丸くしているが、口は獰猛に歪んでいる。手応えのある獲物を見つけた狩人のように。


「逃げるってことは、お嬢ちゃん、どういうつもりなのかなあ?」

「首根っこ捕まえようとか、そっちこそどういうつもりだ、あぁ?」


 睨み付ける。実力差を感じる。確かに感じたわけだが、構うものか。こいつは敵だ。敵かどうか分からない、なんて悠長なことを言ってる場合じゃない。こいつは敵なんだ。きっとあちらも同じことを思ってるんだろう。だからこそ、躊躇無く行動した。俺を捕らえるために。

 実戦経験が足りない? んなもん、何を相手にしたってそうだ。魔獣であろうと何であろうと、どうせ俺はまだ数えるほどしか実戦を経験していない。

 殺意感知には、目の前に大きな反応ができている。


「オジサンは怪しい人を片っ端から捕まえてこいって言われてるからねえ。ようやく見つけた怪しい人なんだよ、お嬢ちゃんは」

「そうかい。だけど残念、俺は多分アンタ側だ」


 だが、それ以上に。


「オジサン側? どういうことかな?」


 俺達の周囲を囲むように、いくつもの反応が出ていた。

 ――微かに聞こえる射出音と風切り音。

 殺意を確認した瞬間に用意しておいたイメージを発動させる。


「巻き上がる突風!」

「くうっ!?」


 俺の足元から、強風が吹き上がる。

 胡散臭い男が思わず腕で顔を覆うほどの風だ。

 風で防御したその周囲に、数本のボルトが落ちる。


「ちっ!」


 周囲から舌打ちが聞こえる。

 同じ手を何度も喰らうかよ。どうせ遠距離からの射撃なんだろう、と予測して行動すれば読み通り。こうまで決まると気持ちいいな。

 初手を防がれた襲撃者たちが、一斉に得物を抜き放つ。剣に短槍に短刀に。手にするものはそれぞれ違うが、共通しているものは俺に対する殺意。

 向かってこようとする意思がはっきりと感じられる。


「手掛かり、ゲットだ」


 ここでとっ捕まえて、背後関係を聞き出す。それが出来れば、今宵の成果としては上々だ。カメラを確認するまでもなく、解決の糸口を見つけられるかもしれない。

 賊の位置は後ろと、左右。屋根の上にも一人。合計四人。

 まずは後ろの奴を押さえる。

 影から剛剣・白魔を取り出しながら、後ろに大きく跳躍。慌てたように襲撃者が剣を突き出すが、そんな力の入ってない持ち方で俺の膂力に対抗できるものか。

 横薙ぎに剣を打ち払うと、それだけで体勢を崩す襲撃者。ただ敵もさるもの、弾かれた勢いを利用して距離を取ろうとする。が、それも無意味。

 身体強化された俺の跳躍は、その距離をも一瞬で詰める。敵もこの速度は予想外だったか、武器を構えるのが遅れる。

 そこを狙って、幅広の剣の腹で横っ面を殴り倒す。そのまま思い切り建物に叩きつけると、蛙が潰れたような悲鳴をあげて、ぐったりと動かなくなる襲撃者。

 次は左右の奴等、と思って振り返ると。


「ああ、確かにこれは怪しいねえ。見るからに悪者だ。胡散臭いよねえ」


 既に片が付いていた。一人は地面に突っ伏し、もう一人は胡散臭い男に締め上げられている。

 どんな反応速度してるんだよこのオッサン。というか一番胡散臭い奴が言うんじゃねぇ。

 まぁいい。片付けてくれているなら手間が省けた。残った上の奴を追わなければ。

 跳躍し、屋根に手をかける。そのまま腕の力だけで一気に体を引き上げる。

 瞬く間に三人が仕留められたのを確認した時点で逃げに入ったのだろうが、それじゃ遅い。這い上がった時点で、既に襲撃者は逃げの姿勢に入っているが、そこは射程範囲内。

 月明かりがあるならば、全ての影は俺の味方だ。攻撃した瞬間に成果確認すらせずに逃げるくらいじゃないと逃げ切れない。


「沈め!」

「っ、何だ!?」


 自らの影に沈んでいく襲撃者。腰辺りまで埋まれば、もう逃げる術はないだろう。

 体術で捕まえようとすれば失敗もあっただろうが、魔法で捕まえるならほぼ確実に成功するさ。

 白魔の腹で脳天に一撃を入れ、気絶させてから下を見る。

 胡散臭い男が捕らえた男を縛っている。俺が気絶させた奴もついでに。


「あー、すまない。手間をかけさせた」

「いいっていいって。こういうのは男の仕事さ」


 軽い口調ではあるが、力強く縛っている。どこから出したロープなんだろうか。まぁ、逃げられたら困るものな。そう簡単に気絶から回復するとも思えないが、万一ということもある。逃げられた先で報告でもされると、それはそれで面倒だし。

 埋まった男を影から出し、下に跳び降りる。

 バックブリーガーのような姿勢になってしまったが、まぁ仕方ないよな。


「……お嬢ちゃん、見た目より力持ちなのな」

「まぁな」


 男からの殺意は既に感じない。今の一件で、少なくとも直接の敵対勢力でないことが分かった。

 ならば、こちらも情報を開示しよう。相手が譲歩してくれた面もあるんだ。こちらも応えなければな。


「誘拐事件を調べてるんだ。裏路地から出てきたのも調査の一環。ちょっと前も狙われたし、今回も同じような襲撃だと思う」

「なるほど。意外と鉄火場に身を置いてるんだねえお嬢ちゃん」

「……お嬢ちゃんはやめろ。俺は藤堂雪って名前があるんだ」


 軽薄なこの口調でお嬢ちゃん呼ばわりは背筋が凍る。それならば名前で呼ばれたほうがまだマシだ。


「そうかいユキって言うのかい。それじゃ、一つよろしく、お嬢ちゃん」

「だから……」


 反論しようとして止めた。多分、言っても無駄なタイプだ。


「はぁ。ともかく、こいつらを連れて拠点に戻らせてもらっていいか?」


 溜息を吐きつつも、こちらの要求を伝える。親父さんに任せれば、どうにでもなるだろう。


「おっとそいつは困る。オジサンも怪しいこの人達を連れて行かなきゃならないからさ」


 む。ここにきて利害が対立するか。個人的には、こいつとは争いたくない。勝てるイメージが全く思い浮かばないからな。

 であれば、俺個人としては情報さえ手に入ればいいのだから、相手に着いて行くというのも手か?


「あまり得策とは言えませんが……現状唯一の手掛かりというのもあります。虎穴に入らずんば、です」


 意思疎通の呪いさん、本当にそういう意味で捉えていいんですか。こっちの諺ですよねそれ。まぁ大体同じなんだろうけども。


「なぁ。もし良かったら、アンタに着いて行っていいか? 俺はそいつ等の持ってる情報が欲しいんでな。そいつ等の処遇はどうでもいいからさ」

「ん? オジサンは構わないよ。ただ、情報が手に入るかどうかは分からないけどねえ」


 それは織り込み済みだ。こいつらは組織の末端である可能性の方が高いし。何も知らされず、ターゲットを襲撃しろ、とだけ教え込まれているとかな。金さえを貰えれば良いようなならず者であれば、依頼人も何もかもが分からずともおかしくはない。

 どこに連れて行かれるかは分からないが、いざとなれば逃げることだけならば出来るだろう。

 そこで脳裏に先の出来事がよぎる。気付いたら目の前に接近してきた、この胡散臭い男の姿。

 ……いや、逃げられるかなぁ?

 自信がなくなってきた。

 三人を抱える男と、一人を担ぐ俺と。アンバランスな見た目の二人組みが、夜の街を歩いていく。

 月明かりが、全てを見通すかのように街を照らしている。

 静かに、穏やかに。

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