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「は? 食堂が閉まってる?」


 『山猫酒場』に戻ってきた俺達が、最初に見たものはドアに貼り付けられた紙。

 識字率はさして高くないらしいため、文字は読める人間相手に申し訳程度に書かれているだけであり、大半は絵で示されている。

 女の子がベッドに寝ていて、頭には氷嚢が置かれている。髑髏のマークが吹き出し付きで書かれていて、食堂のイラストの上から大きくバツマークが付いている。

 文字を読めば、要するにフローラが急病のため、今日は食堂を休みにするということらしい。

 夕焼けにもならないこの時間から、すでに休業が決まっているとは。

 今朝までわりと元気だった気がするんだけどな。注文も取ってもらったし。


「女の子、病気、ですか?」

「らしいな。今日だけ休むってことらしいし、そんなに重い状態じゃないんだろうけど」


 しかしこうなると心配になる。店の従業員を心配するなんて現代日本では考えられないが、関わりを持ってしまうと途端に気になる。

 服の件で世話にもなったし、様子だけでも見に行こうか。

 ま、親父さんの許可が取れれば、だけど。

 張り紙のついたドアを押し開けて、薄暗い室内に入る。

 すると、数名の冒険者が手持ち無沙汰にロビーで待ちぼうけしているのが目に入る。

 

「おや」


 不審に思いあたりの様子を窺うと、買取表だの依頼ボードだのがひっくり返されている。

 カウンターにいつもいるはずの親父さんの姿も見えない。

 どういうことだ。

 悩んでいるところに見知らぬ冒険者ルックの男が近寄ってくる。

 フィルがすすっと俺の後ろに隠れるのが分かる。

 うん、俺も隠れたい。いきなり何なんだこいつは。


「おう、アンタも今帰ったのかい、『妖精憑き』」

「……もういいよ」


 見知らぬ冒険者からも『妖精憑き』と呼ばれるとは。二つ名って怖い。

 というか世間話かよ。

 諦め気味の声に何かを感じ取ったか、その男が慌てふためく。


「い、いや。悪い意味で言ったんじゃないぜ。凄腕の呪い士だって話も聞いているからな。ただ、本人の名前が分からないから、二つ名で呼んでるだけで」

「ああそうかい」


 言ってから、ぶっきらぼうに過ぎたかと反省する。

 取り繕うように、気にしていないことを示すために、声色を高めにして男に尋ねる。


「ところで、ここで何をしているんだ? 親父さんの姿も見えないようだし」


 世間話でも振ろうとしてきたのなら、それに応えるのが誠意の表し方だろう。

 俺のその様子に安堵の息を吐いた男が答える。


「表の貼紙は見たか?」

「ああ。フローラが急病とか何とか。それで食堂も休みになるんだってな」

「そうなんだよ。マスターも親馬鹿だからな。今日は娘の看病をするからって、奥に引っ込んじまった」


 おかげで依頼の達成報告もできやしない、と男が苦笑いする。

 俺は男の発言に、親父さんはマスターと呼ばれているのかと見当違いな感想を抱く。


「ここらにいるのは、全員そのあおりを受けたやつらってことさ。アンタも同じクチかい?」


 同類を哀れむような視線を送ってくる。

 だが残念。


「いいや。俺は今日は買い物に出てただけだ。前の魔獣騒ぎで、小金が入ってるんでね」

「そういえばそうか。報酬は金貨一枚って話だったよな。買い物ってのも、補充とかか」


 うん、まぁ、違うけど。訂正する気は無い。面倒だし。

 いやあ羨ましい、俺は実力不足だったから請けられなかった、などと話す男を尻目に、周囲を見渡す。


「待ちぼうけ喰らってる割には、誰も騒いでないな」


 何と言うか、やれやれ仕方ねぇなあの親父は、みたいな空気は流れているが。

 俺の疑問に男が答える。


「娘さんが病気になったときはいつもだからな。そんなに体が丈夫な方じゃないみたいだから、年に何回かはこういうこともある」

「それは、何というか」


 随分と生きにくい娘だ。医療施設が発達している世界でならばともかく、まともな医療技術が見込めないこの異世界で、体が弱いというのはかなりのハンデではなかろうか。

 呪いなんてものがあるから、そうでもないか。親父さん、呪い士だし。治癒で病原体がどうにかなるとは思えないが、疲労回復の呪いは病身には良薬になるだろう。

 ともあれ、俺には関係ないな。依頼を請けていたわけでもないし、さっさと部屋に戻って休むと……いや待って?


「フローラが寝込んでたら、洗濯頼めねぇじゃねぇか……!」


 これは死活問題だ。そこまででもないけど。汚れた下着をどこに仕舞っておけばいいのか。自身のものならば、適当に影に放り込んでおけばいい。

 しかしフィルの下着はどうすればいい。一日穿いた女児のパンツを私物の中に放り込むとか変態にも程がある。名実共にド変態になってたまるか。

 かといって自身で洗うのも抵抗感しかない。いや、洗濯機的な魔法を使えば、手でごしごし洗うわけじゃないから忌避感は薄いけどさ。干すのをどうするんだよ。

 愕然としていると、くいと服の裾が引っ張られるのを感じる。何があったと見てみると、フィルが上目遣いでこちらを見ている。


「どうした?」


 何か言いたげな雰囲気だ。少しずつ自己主張ができるようになってきたな、良いことだ。


「洗濯、弟子の務め、です?」

「その自己主張はどうなんだろうね!」


 中学生くらいの子に自分の洗濯までを押し付けるとかどうなんだ。家事手伝いという意味ではアリなんだろうけど。

 というかどこからそういう知識を得たんだ。


「俺が朝洗っておくから、干すのだけ頼む」


 現実的な落としどころはこの辺りだろうか。共同作業ならばそこまで心も痛まない。冒険者の仕事を手伝ってもらうと宣言しているから、ある程度は任せても良いんだけどさ。冒険者の仕事じゃないってツッコミが脳内から入るが、軽やかに無視する。

 そうやって騒いでいると、カウンター奥の扉から親父さんが出てくる。ああ、生活スペースはそこなんだな。

 待ってましたといわんばかりに、冒険者が殺到する。


「おうマスター。娘さんの具合はどうだ?」

「何か食いたいものがあるとか言ってるか? 市場ならまだ開いてるし、ひとっ走り買ってきても良いぜ」

「これ、香りが良いハーブよ。枕元に置いてあげて」


 おや、依頼の達成報告に向かったと思えば。愛されてるんだな、あの子。


「お前ら。明日の朝一番に採取依頼を出す。依頼者は俺だ」


 しかし親父さんの声は対照的に暗い。何があったんだ。


「体力の消耗が激しい。呪いも受け付けない」


 その言葉を聴いた瞬間、場が凍る。

 フローラの症状はそんなにも重いのか。今朝方まで元気だったように思えたのだが。

 沈黙が支配する。

 その様子に気付いた親父さんが、慌てたように言葉を続ける。


「命に別状がある程じゃない。安静にしてれば、数日で復帰できるだろう。だが、苦しんでる娘を前に、何もしないままではいられん」

「おいおい、驚かせるなよ」

「大げさなのよマスターは」


 その言葉に、ホッとする。なるほど、親馬鹿と呼ばれるわけだ。


「で? 明日出すはずの依頼ってのは、何を取ってくればいいんだ? どうせ薬の材料だろ?」

「ああ。西の森にあるリリーリップスという花だ。紫色の小さい花でな。滋養強壮に効く」


 へぇ。そんな植物があるんだ。てか、リリーリップスってどっかで聞いたな。何でだろう。


「分かった。明日早速取ってきてやるよ」

「ありがたい。さ、仕事だ。お前らの報告を聞こう」


 そうして冒険者たちは各々の成果を見せていく。

 害獣の肉だの骨だの牙だの、何かに加工できそうなものを渡している。

 あるいは何かの紙を見せているな。親父さんはそれを読み、頷いている。依頼の達成証明書みたいな奴かな。

 しかし、リリーリップスなぁ。どこで見たんだっけか……。


「あ」


 間抜けな声を出した俺に注目が集まる。ちょ、見るなって。

 ごたごたしててすっかり忘れてたけど、リリーリップス、俺持ってるわ。鈴蘭みたいな花だろ?

 袋の影からリリーリップスを出す。うわ、萎びてる。そりゃそうか、丸一日以上放置してたもんな。冷暗所にはなっているだろうけど、水分なんてないし。


「親父さん、これ、萎びてるけど使えるか?」


 冒険者達の間を縫って、リリーリップスを差し出す。結構採取したし、使えるものなら必要分はあるだろう。

 親父さんはひったくるようにリリーリップスを取り、検分する。


「お前、いつの間にこれを?」

「この前の夕方、かな。出て行ったときに、偶々」

「そうか。いや、十分使える。どうせ花は成分が強すぎて毒だからな。使うのは根だから、少々枯れていようが問題ない」


 そうなのか。そういや確かに全草において強壮成分があるとか書いてたっけ? 単体での摂取は有害とか言ってた気もするけど、まあ適当に他の素材と混ぜるんだろう。無いのがリリーリップスってだけで。


「いや助かった。これなら薬を作れる」

「それで足りるのか? 何ならもう何本かあるけど」

「これだけでいい。多量の服用は体に障る」

「それもそうか。毒と薬は紙一重っていうもんな」


 どこで読んだかは忘れたが。

 だが、明日の依頼として出てくるはずの物を、俺が横から掻っ攫った形になってしまったが、これは良いのだろうか?

 そう思って周囲を見る。

 少し離れたところで固まって、ひそひそと何事か話している。


「さすが『妖精憑き』だな。こうなることを予見していたんだぜ」

「妖精には予知能力があるって噂もあるものね。この前の魔獣の出現を当てたのも妖精って話よ?」

「薬になるような植物を取っておくってのも、普通じゃ考えられないよな。依頼でもないのに」


 うん、ちょっと待とうか君ら。予見してねぇし、どこの噂か知らねぇし、薬作りたいから取ってただけだし。お前の普通で語るんじゃねぇ。

 一応ティトに視線で訊ねる。

 ――未来予知とかできんの?

 ――そんなわけないじゃないですか。

 ジト目で返された。

 まぁ、そりゃそうだよな。魔獣の出現にしたって、魔素溜まりが不自然に発生してたっていう根拠もあるわけだし。魔素溜まりが魔獣発生の要因ってのも知れ渡っているみたいだし。


「いやいや、さすがだな!」

「嬉しくねぇよ! 何が「さすが」だよ!」


 冒険者達が寄ってきて俺をもみくちゃにする。おい頭を撫でるな。

 親父さんが何かを言った気もするが、聞き取れない。奥に引っ込んだから、きっと薬を調合しに行ったんだろう。

 一頻り俺に絡んだ後、冒険者達は店を出て行った。どうやら飯を食いに行くようだ。


「そうか、飯か。どうすっかな」


 食堂が休みなのであれば、どこかで食べる必要がある。

 かといって、ここくらいに美味い飯屋など知りようもない。チクショウ、さっきの冒険者達について行けば……いや、変な絡まれ方をしそうだから止めといて正解か。


「作りますか?」


 フィルが聞いてくる。

 自炊か。それもいいな。問題は厨房が借りられるかどうかだが。

 親父さんに聞いてみるか。

 フィルを連れて、カウンター奥の扉をノックする。


「親父さん、ちょっといいか?」


 暫しの空白の後、扉が開く。

 出てきたのは女将さん。


「旦那はちょっと手が離せなくてね。どうしたんだい?」


 ふむ。調理場のことならば親父さんよりも女将さんに聞くほうが良いな。仕切ってるのは彼女だ。


「飯を作りたくてな。厨房を借りたいんだけど、良いか?」


 俺の言葉に、申し訳なさそうに女将さんが答える。


「悪いけど、厨房は神聖なものだからね。アタシが認めてない子を入れるわけにはいかないよ」


 断られてしまった。それもそうか。仕事場に素人を入れたい職人は居ないものな。

 調理器具一式は自前の物を使うとしても、竈やら何やらの調子もあるだろう。現代日本のコンロと違って、火の入れ方一つで味が変わることもある。


「いや、無理言って悪かった。適当に外で済ませてくるよ」

「食事処ならアタシの知ってるとびっきりを教えてあげるから、そっちで食べてきてくれるかい?」

「お、サンキュー。助かるよ、ここ以外で美味い飯屋なんて知らなくてさ」

「世間が狭いね。ま、確かにアタシの作るご飯は首都最高だけど」


 そう言って豪快に笑う。

 教えてもらった飯屋は、ここから十分ほど歩いたところにあるようだ。

 酒と煮物の美味い、良い店らしい。酒は飲まないけど、煮物は好きだから嬉しいな。

 時間はまだ少し早い気もするけど、料理を待てば丁度良い時間になるだろう。

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