第4話
「とりあえず、どこか座って話しませんか?」
僕は2人を見回した。立ち話では落ち着かないし、志歩もまだ僕のことを完全には信じていないようだった。
「あ、スタバがあるね」
千佳さんが指差す先には、SHIBUYA TSUTAYAのスターバックスコーヒーがあった。平日の昼下がりということもあり、それほど混雑していない。
スターバックスの店内は、平日の昼下がりの穏やかな空気に包まれていた。エスプレッソマシンの音が定期的に響き、客たちの低い話し声が心地よいBGMとなっている。
窓際の席に座った僕たちの間に、微妙な緊張感が漂っていた。
女の子が改めて僕を見つめる。その瞳には、まだ半信半疑の色が残っている。
マスクとメガネを外したとはいえ、やはり信じがたいのだろう。
「本当に乃木健人さんなんですか?」
彼女の声は小さく、周囲に聞こえないよう配慮されていた。
「証明になるものを...」
僕は財布から身分証明書を取り出して、テーブルに置いた。志歩は恐る恐るそれを手に取り、写真と僕の顔を見比べる。
「本物だ...」
小さくそう呟いて、証明書を僕に返した。
「改めて自己紹介させてください。月島志歩です。普段は路上ライブをやっていて...本当にありがとうございました」
一方で千佳さんは、まるで友達同士のお茶会のようにリラックスしていた。
「志歩ちゃん、かわいい名前~。何歳?高校生?」
千佳さんのフランクな態度に、志歩さんは少し身を引く。
「あ、はい...17歳です」
答えはぎこちない。元アイドルの僕よりも、むしろこの正体不明の女性の方に警戒しているようだった。
「それで...」
僕は少し迷ったが、思い切って口を開いた。
「志歩さんは、僕がなぜアイドルを辞めたか、詳しいことはご存知ですか?」
「ニュースで見た程度で...契約上の問題があったって」
「実は、もう少し複雑で...この1ヶ月のこと、お話ししてもいいですか?」
志歩は頷いた。
全てを話し終わった後、志歩さんは口元を押さえて絶句していた。そして「そんな…酷い…」と、口に出すのがやっとという様子で言った。
「まあでも、1ヶ月前のことですから…」
僕はそう言いながらも、志歩の反応に少し心が重くなった。
「けど、まあ酷かったね。昨日のEmmaの歌番は」
横から聞いていた千佳さんが、さらりと爆弾を投下した。
「え、そうなの?具体的には?」
僕は驚いて千佳さんの方を見た。
「音程がバラバラで、ダンスも揃ってなくて…ネットでも話題になってるよ。『乃木健人がいた頃のほうが良かった』って」
その言葉は、僕の胸に複雑な感情を呼び起こした。予想していたこととはいえ、実際に聞くと心が痛む。
「でもまあ、そうなるのも当然かもしれない」
僕は小さくため息をついた。
「どういうことですか?」
志歩さんが首をかしげる。
「実は僕、表向きはメンバーでしたけど、裏ではほとんどマネージャーみたいなことをやっていたんです。ボイストレーニングもダンストレーニングも、トレーナーと一緒になってメンバーを指導していました」
「そうなんですか?!」
志歩は目を見開いた。さっきまでの同情的な表情から、純粋な驚きの表情に変わっている。
「そうですよ。ボイストレーニングでは『ここで力を入れて』とか『もっと壮大な感じで歌って』とか、細かく指導していました」
僕は苦笑いを浮かべた。
「でも最近は『もう必要ない』みたいな空気になっていて...まあ、僕がいなくなれば当然こうなりますよね」
複雑な気持ちだった。彼らの失敗を喜ぶ気にはなれないが、自分の存在価値が証明された気もする。
「乃木さんって、アイドルもやってプロデューサーみたいなこともやって...一体何者なんですか?」
「ただの一般元国民的アイドルですよ」
「一般元国民的アイドルって、すごいパワーワード」
志歩さんがツッコミを入れた。
「ハハ、確かに」
そう言って、僕は頼んだダージリンティーを一口飲んだ。少し苦味のある味が、今の複雑な気持ちとよく合っていた。
「紅茶を飲む姿もかっこいい…流石健人くん…」
「千佳さん、オタク出てますよ。」
僕は流れツッコミを入れ、そろそろ本題に入る。
「僕はこれからアイドルを作りたいんです。『Emma』を超えるような、そんなアイドルを作りたいんです。」
「それで何で私達なの?」
千佳さんが謎めいた顔で言う。
「それは、メンバーにするためですよ。」
数秒の沈黙の後、千佳さんが驚いたような表情で叫ぶ。
「はい!?私がアイドル!?いや、無理でしょ!?無理無理!だって、来年27だよ?!」
そんな千佳さんの肩に手を置いて諭す。
「大丈夫です。Emmaの最年長メンバーは来年で29歳です。まだギリギリ現役だと思いますよ。」
「あ…それでもギリギリなんだ…」
今度は肩を落とす千佳さん。
この人の感情はまるで、スペースショットみたいに上下する。本当に忙しい人だ。
「千佳さんは顔も可愛いですし、私は歌を歌えるし…って事ですか?」
「何を言っているんですか。あなたも十分可愛いと思いますよ。」
「可愛い」という言葉に、志歩さんの頬がほんのりと桜色に染まった。慌てて俯く彼女の仕草が、言葉通り愛らしい。
普段、人前で歌を歌っている彼女も、こういう場面では17歳らしい一面を見せるのか。
「女子高校生を口説いちゃ駄目だよ!健人くん!」
「口説いてませんから!で、千佳さん。やるんですか?やらないんですか?」
「小さい時、ダンスをやってたから、まあできると思うけど…」
千佳さんは遠くを見つめるような表情になった。
「実は昔、オーディション受けたことがあるんだ。でも年齢で落ちちゃって。まさか今になって、こんな話が舞い込むなんて」
そう言って苦笑いを浮かべる彼女の表情に、諦めきれない夢の残滓を僕は見た。
そんな事はさておき、某アイドル育成ゲームの属性で言う『青色』、クール属性の千佳さん、『黄色』、元気属性の志歩さん。こうなってくると赤色属性の、所謂『普通の子』が必要になってくるが、それでは物足りない気がする。
「もう1人…いや、出来れば3,4人は欲しいですね。」
「どう言う系統の子?」
「1人確実に欲しいのは、もう、本当に『普通の女の子』ってタイプの女の子です。もう3人はどういうタイプでもいいです。」
「分かりました!………あの、良かったら千佳さんと乃木さん、タメ口使ってくれませんか?」
「まあ、いいで…よ。」
ついうっかり敬語が出てしまいそうになった。
「あと、グループチャット作らない?連絡先交換しよ。」
千佳さんの提案で連絡先を交換し、グループチャットを作る。
この日はこれで解散となった。僕は田園都市線の各駅停車に乗りながら、やるべきことをiPadに書き出していった。
(ここから僕の人生を変えるんだ。)
その気持ちが僕を突き動かした。




