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アイドル育成計画  作者: 夜明天
第3章

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第31話

モニタールームの空調が、首筋に冷たい風を送り込んでくる。

僕は無意識に首元を擦った。そこには何もない。それなのに、あの感触が——江ノ島の指が這いずる感覚が、まだ皮膚に残っている気がした。

「さあ始まりました! 『Heaven or Hell Project』一次審査!」

司会者の声がスピーカーから響く。僕は両手を膝の上に置いた。指先が小刻みに震えている。

今朝の電話。廊下での遭遇。そして、志歩の唇の柔らかさ。

全てがごちゃ混ぜになって、頭の中で渦を巻いている。

「それでは、今夜パフォーマンスをする8組をご紹介します」

司会者は次々とアイドルグループを紹介していく。

地下アイドルが4組、そして低迷した人気アイドルが4組。

画面には彼女たちの笑顔が映る。緊張を隠そうとする者、堂々と振る舞う者、震えを隠せない者。

それぞれの表情が、モニター越しに伝わってくる。

8組目。9組目。心臓が、激しく規則的に脈打つようになった。

「そして最後、現在SNSで大バズり中の期待の新星、『METROPOLARiS』!」

スポットライトが一斉に点灯する。白い光が7人を包み込んだ。

千佳が最初に動いた。カメラに向かって、いつもの笑顔。手を振る仕草は自然で、まるでこの舞台が彼女の居場所であるかのようだ——いや、もう彼女の居場所なんだ。

玲奈ちゃんはピースサイン。指先まで力が入っている。

初歌ちゃんは小さく微笑んで、ピースの後、控えめに手を振った。

ルナは腕を組んで顎を上げている。挑発的な笑み。「かかってこい」——その目が、そう言っている。

志歩は両手を胸の前で組んで、深呼吸。昨日見せたあの表情——迷いのない、まっすぐな目。今もそれが、彼女を支えているのだろう。

綾乃さんは柔らかく微笑んで、ゆっくりと手を振る。7人の中で一番落ち着いている——いや、落ち着いているように「見せている」のかもしれない。その優しさの奥に、彼女の強さがある。

菖蒲さんは一礼してから、まっすぐ前を見据えた。彼女の目には、計算と覚悟が同居している。

7人バラバラの反応。それでいい。

統一感がないことが、このグループの強さなのだから。

僕は拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。

「それでは、各グループの紹介VTRをご覧ください!」

メインモニターが切り替わる。最初は『23時、舞踏会にて。』

ベネチアンマスクを身につけた9人が、暗闇の中で踊っている。衣装も振り付けも洗練されている。プロの仕事だ。

でも、僕にはわかる。

センター3人以外の動きが、ほんの少しだけ遅れている。歌声も、録音で修正されているはずだ。

画面下部にリアルタイムコメントが流れている。

『めっちゃ綺麗』

『プロって感じ』

『でも誰が誰かわかんない』

『仮面取れよw』

肯定も否定も入り混じっている。

僕は小さく息を吐いた。

江ノ島のやり方は、昔から変わらない。

完璧に「見せる」ことには長けている。でも、その奥に何があるのか——それは、誰にもわからない。

次のVTRが流れる。別の地下アイドルグループ。ステージ衣装は手作りらしい。ダンスは揃っていないが、必死さだけは伝わってくる。

画面下のコメント欄。

『頑張ってるね』

『応援したい』

『でも厳しいかも』

僕は彼女たちに、かつての自分を重ねていた。

13歳で『Emma』に加入した時の僕も、きっとこんな風に見られていたんだろう。必死で、でも技術が追いつかなくて——

次のVTR。また別のグループ。そしてその次。

あと2組か3組ほどしたら『METROPOLARiS』のVTRだ。心臓の音が、耳に響く。

呼吸が浅い。深呼吸しようとして、できない。

ふと、観客席の一角が目に入った。

スーツ姿の男性たち。業界関係者だろう。

メモを取っている。その中に、見覚えのある横顔、江ノ島裕美。

彼女は、こちらを見ていた。モニター越しに、視線が交錯する。

首筋が、熱くなった。あの練習室の記憶が、フラッシュバックする。

『健人くん、いい子ね』

『秘密、守れるわよね?』

「くそ……」

小さく呟いて、僕は目を閉じた。

数秒で目を開ける。江ノ島は、まだこちらを見ていた。

僕は、視線を逸らさなかった。

彼女が小さく笑う。その笑みには、かつて僕を支配した冷たさがあった。

モニターの中で、次のVTRが終わった。

次は『METROPOLARiS』だ。

画面が切り替わる。『METROPOLARiS』のロゴ。

そして、7人の姿。

練習風景が映し出される。汗を流す彼女たち。何度も何度も同じ振り付けを繰り返す姿。

転んで、立ち上がって、また踊る。

玲奈ちゃんの声が流れる。

『ここが、私たちの居場所です』

初歌ちゃんが続ける。

『もう、逃げません』

千佳の笑顔。

『7人だから、強くなれた』

ルナの不敵な笑み。

『アタシら、負けねえから』

志歩の真剣な表情。

『信じてもらえるように、頑張ります』

綾乃さんの柔らかい微笑み。

『みんなで、ここまで来ました』

菖蒲さんの冷静な声。

『私たちの、全てを見てください』

最後に、7人が笑顔で集まるシーン。

画面が暗転する。数秒の沈黙。

そして、画面下のコメント欄が動き出した。

『泣ける』

『絆を感じる』

『応援したい!』

肯定的なコメントが次々と流れる。

かと思ったら、

『所詮、玲奈と初歌だけでしょ』

『他のメンバー、無名じゃん』

『感動ポルノw』

『Emmaの引き立て役』

否定的なコメントが、一斉に流れ始めた。まるで、仕組まれたかのように。

いや、仕組まれているんだ。

江ノ島が、裏で糸を引いている。僕は奥歯を噛みしめた。

掌に汗が滲む。シャツの袖で拭った。

「大丈夫だ」と自分に言い聞かせる。

2週間の猛練習。機材トラブルを乗り越えた夜。

志歩の覚悟、千佳の優しさ、ルナの「一緒に戦う」という言葉。

それらすべてが、今の僕を支えている。司会者の声が響いた。

「それでは——一次審査、パフォーマンス開始です!まずは『23時、舞踏会にて。』!」

9人がステージに立つ。ベネチアンマスクを着けた彼女たちが、踊り始める。

『SHAKE! SHAKE! SHAKE!』

あの曲だ。13年前、僕が何度も聞いた曲。

江ノ島がプロデュースした、『シンデレラガールズ』の代表曲。

可愛らしいメロディ。キラキラしたダンス。

完璧に作り込まれたパフォーマンス。だが、僕にはわかってしまう。

センター3人以外は、口パクだ。振り付けも、事前に撮影した映像と合成している部分がある。

観客は気づかない。カメラワークが巧妙だから。

ふと、業界関係者席を見ると、何人かが首を傾げていた。気づいている人もいる、ということだ。

曲が終わる。拍手。歓声。

どこか冷めた空気が漂っている。

画面下のコメント欄。

『綺麗だけど、なんか物足りない』

『完璧すぎて、逆に心に響かない』

『誰が誰かわからん』

僕は小さく息を吐いた。

「それでは、『METROPOLARiS』!」

照明が落ちる。

スポットライトが、7人を照らす。王道アイドルの衣装が、まぶしいほどに輝いた。

フォーメーションの完成と同時に、玲奈ちゃんが僕を見た。

続いて初歌ちゃんも。

そして他の5人も、一瞬だけ、確かにカメラの、僕の方を向いた。

「見ていてください。」

声は聞こえなかった。それでも、彼女達の視線は、そう語っていた。

僕が小さく頷く。

玲奈ちゃんの目が細くなった。初歌ちゃんが唇を噛む。

そして7人全員が、ほんの一瞬、同時に顎を引いた。

まるで何かのスイッチが入ったように、彼女達の表情が引き締まる。

イントロの軽やかなシンセサイザーが流れた。

『SHAKE! SHAKE! SHAKE!』

相手と同じ曲だが、全く違うアレンジ。

可愛らしいメロディが、力強く、重厚に変わっている。ルナが息を吸い込む。

次の瞬間、会場の空気が振動した。

可愛らしい曲調から想像もつかない、腹の底から響く低音のシャウト。スピーカーが軋むような音圧に、最前列の観客が思わず身を引いた。

千佳がセンターで歌い始める。彼女の声は、自信に満ちていた。

『殻を破って 飛び出そう』

歌詞は同じ。でも、意味が違う。江ノ島の『可愛さ』を否定する歌。

自分たちの意志で立ち上がる、決意の歌。

玲奈ちゃんのソロパート。高音が、会場に響く。

あの時とは違う。伸びやかで、力強い。

だが、玲奈ちゃんの最初のステップが、ほんの僅かに遅れた。心臓が止まりかけた。

だが初歌ちゃんが、その遅れに合わせて自分のタイミングをずらした。僕以外には、気づいた者はいないだろう。

初歌ちゃんが続ける。感情を込めた歌声。

志歩が目を瞑る。

あの瞬間だ。彼女が一番、歌に入り込む瞬間。

観覧車の頂上で見せたあの決意が今、歌に乗っている。

ルナのラップパート。挑発的に、力強く。

綾乃さんの柔らかい声が、全体を包み込む。

菖蒲さんの正確無比なダンスが、7人を支える。

サビ。7人のユニゾン。

声が、重なる。ダンスが、揃う。

でも、個性は消えていない。

7人それぞれの色が、混ざり合って、1つの虹を作り出している。

僕は、呼吸を忘れていた。視界が滲む。

ああ、これが。これが、僕の育てた——いや、彼女たちが自分で歩き出した、『METROPOLARiS』だ。

そして間奏。フォーメーションが変わる。

千佳が後ろに下がり、玲奈ちゃんと初歌ちゃんがセンターに立つ。

ふと、江ノ島の視線を感じた。首筋が冷たくなる。だが、ステージの7人から目を離せなかった。

ラストのサビ。7人全員が、最前列に並ぶ。

『SHAKE! SHAKE! SHAKE!』

最後の決めポーズ。照明が落ちる。

数秒の沈黙。

そして、会場が爆発した。

スタンディングオベーション。歓声。拍手。

画面下のコメント欄が、一気に沸き上がった。

『鳥肌立った』

『荒削りだけど好き』

『23時の方が安定してた』

『どっちが勝つかわからん』

モニターの中で、7人が笑顔でハイタッチしている。

僕は息を吐いた。いつの間にか、呼吸を止めていたらしい。

僕は、自分の掌を見下ろした。爪の跡が、赤く残っていた。

そして空調の音が、やけに大きく聞こえた。

結果発表まで、あともう少し。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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