第27-2話
鏡に映る自分の姿が、惨めだった。
「heaven or hell project」の一次審査まで、あと5日。
スタジオには私1人。音楽だけが響いている。
思い出すのは、あの初収録の日だ。
私達『Emma』は…いや、私は、最悪のパフォーマンスを披露してしまった。
私が音を外した瞬間、プロデューサーの手が止まった。ペンを持ったまま、固まっていた。
ディレクターは視線をモニターから外し、天井を仰いだ。
その表情も、沈黙も、どんな言葉より残酷だった。
私だけだったら、あの場で終わっていたはずだった。優太がいなければ。
5ヶ月前の11月、私は乃木健人をグループからクビにした。
目障りだったのだ。
最年少なのにリーダー。歌も、ダンスも、何でもそつなくこなす。
健人が微笑みながら「大丈夫、ゆっくりでいいよ」と言うたびに、私の中で何かが黒く渦巻いた。
『お前に励まされたくない。』
優しさが、私の無能さを際立たせる。
だから、追い出した。
自分の未熟さが、今ならはっきりと分かる。
『Emma』の足を一番引っ張っていたのは、他の誰でもない、この私だった。
健人が優しく手を差し伸べてくれたこともあった。
だが、私はそれを振り払った。うざったい、と。
そんな事を考えながら踊っていると、足がもつれた。
「うわっ…!」
床に手をついた。息が上がっている。
立ち上がろうとした瞬間、足首に鋭い痛みが走った。
「痛っ…」
足首がズキズキと疼く。
何回目だろう。今日だけで、何回転んだ?
「……最悪」
小さく呟いた声が、広いスタジオに虚しく響いた。
その時だった。
スタジオのドアが開く音がした。
「まだやってたの?」
優太の声だった。彼は呆れたような、でも心配そうな表情で私を見下ろしていた。
「もう夜中の11時だよ。いつからここにいるんだ?」
「……昼から」
「は?10時間以上?休憩も取らずに?」
優太は大きくため息をついて、私の横に座り込んだ。そして、ペットボトルの水を差し出してきた。
「無理しすぎ。そんなんじゃ、本番前に倒れるよ」
私は黙って水を受け取った。喉が、カラカラだったことに今更気づいた。
しばらく沈黙が続いた。
優太は何か言いたげに、私の横顔を見ていた。
「……なあ」
優太が口を開いた。
「俺さ、あの日からずっと考えてるんだ。健人のこと」
その名前を聞いて、私の手が震えた。水のペットボトルが、小さく音を立てた。
「あいつを追い出す時、積極的に賛成した」
優太の声は低かった。普段の明るさは、どこにもない。
「健人が完璧すぎて、むかついてたから」
「……」
「でも間違いだった」
優太は自分の手のひらを見つめている。
「……優太」
「あいつがいなくなってから気づいたんだ。健人がどれだけこのグループを支えてたか。俺達がどれだけあいつに甘えてたか」
優太は自嘲気味に笑った。
「あの時、本気で思ったよ。『ああ、これが俺達の本当の実力なんだ』って。」
私は何も言えなかった。言葉が、喉の奥で固まっていた。
「だから今、お前がこうやって必死に練習してるの見ると、何か、その……」
優太は言葉を探していた。
「俺も、逃げてちゃダメだなって思うんだ。だから、いつもより何倍も本気でレッスンしてるんだ。」
私は優太を見た。彼の目は、真剣だった。
「あと5日。俺も、本気でやるよ。健人に、少しでも近づけるように」
その言葉に、私は小さく頷いた。
「じゃあ、お互い頑張ろうな。」
そう言い残して、優太はスタジオを去った。
優太が去った後、私は床に座り込んだまま動けなかった。
格闘番組に出てから、優太は変わった。前より本気で、前より強く。
私が彼を見下して驕っていた頃より、ずっと上手くなっている。
―嬉しいはずなのに、悔しい。
この気持ちは、また嫉妬なのだろうか。
まだ私は、あの頃と変わっていないのだろうか。
足首がズキズキと疼く。今日はもう限界だ。
立ち上がれば、また転ぶかもしれない。
それでも。
私は壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。鏡の中の自分は、汗まみれで、髪は乱れている。
はっきり言って惨めだ。
でも、それでいい。
健人のようになれなくてもいい。優太に追いつけなくてもいい。
ただ、あの日の最悪の自分よりは、マシな人間でありたい。
それだけだ。
私は音楽を、もう一度流した。




