襲撃
アサルトライフルの弾は壁を貫通し、石膏ボードが砕け、白い粉塵が飛散した。
壁に立てかけ、私が背中を預けている鉄板にも銃弾が当たって鈍い音がしていた。
銃弾の衝撃は、私の背にも感じる。鉄板越に、誰かが蹴りつけているかのようだった。
敵の斉射の間、私は手足を縮こませながら、せっかく髪を洗ったのにまた埃だらけになって面倒くさいと、思っていた。
カラシニコフという名前で有名なアサルトライフルを構えて男が踏み込んでくる。
私は、床にワルサーPPKを置き、両手を挙げて跪いていた。
「おまえひとりか」
平坦な声で、踏み込んできた男が言う。
イントネーションが日本人のそれではない。
「ええ」
私がそう答える間にも、残り二名が浴室やトイレのドアを開けて、チェックをしている。
確認したという合図は、米軍では「クリア」というが、この男たちは中国語だった。
「歓迎光臨」
私がそう言うと、カラシニコフの台尻でいきなりぶん殴られてしまった。
鼻血が出て、着替えたばかりの服に散る。
まったく、今日はなんて不運な日だろう。
「くろさわ、どこにいる」
私のワルサーPPKを拾い上げながら、最初に踏み込んで来た男が言う。
そしてワルサーPPKを無造作にポケットに入れる。
生理的な不快感。まるで、蛇にチロリと舐められたかの様な……
私は、私のワルサーPPKを他人に触られると実に不愉快になる。
「私のなんだけど。返してくれる?」
男は、一瞬何を言われたか分からなかったようだ。しかし、私の掌を上にして差し出す仕草は万国共通の「ちょうだい」のポーズらしく、カッとした男は足を飛ばしてきた。
つま先が私の鳩尾に食い込んで息が詰まる。
胃液がこみ上げたので、そのまま男の足にぶちまけてやった。
中国語で男が私を罵って、もう一度私を台尻で殴る。
星が目の前で散って、私は仰向けに倒れた。
残り二人は、ヘラヘラと笑って、私を尋問しようとしている男をからかっているようだ。
「くろさわどこいった。いわないところす」
仲間に揶揄されて頭に血が上ったらしい男は、私にのしかかり、コンバットナイフを抜いて突きつけてきた。
別に怖くはなかった。この程度のことは、あの地獄の日々に散々やられたから。
喉にチクリと感じるナイフの切っ先に、生への執着と死への憧憬がせめぎ合う。
『黒澤の目の前で、血まみれになって死ぬ』
そんな妄想を私は頭の中で弄んだ。
黒澤は血と一緒に生命を流亡させる私を、優しく抱き上げてくれるだろうか?
そして、悲しそうな目をしてくれるだろうか?
私の顔から表情が抜け落ちるのは、そんな時。
感情が波立てば波立つほど、無意識に平静を保とうとするから。
男は、何か不気味なものを見るような顔つきになった。
ああ……私にはわかる。
男が見せたのは、恐怖の兆候だ。唾をのみ込んだのがそれ。
「黒澤はいるよ、ここに」
私がそう言うのと、二発の銃声が響いたのは同時だった。
天井から逆さまにぶら下がった黒澤が、SIGP226で二人の敵を撃ったのだ。
私にのしかかっていた男が、慌ててカラシニコフを構えようとした。
私は、その腕を押さえるのと、私に突きつけられたナイフを捻るようにして奪い取るのとを同時に行った。親指の方向に捩じると、簡単に握っているモノを奪い取れる。
ナイフを奪った一瞬で、間髪を入れずに男の腿に突き立てる。
男は転げまわって悲鳴を上げた。
本当は首を掻き切るか、肝臓に突き込むのが普通なのだけど、黒澤が一人は生かしておこうと決めていたので、戦意を奪うに留めたわけ。
「本当に『アイヤー』って言うんだね。」
黒澤は、妙なことに感心しながら、脚を刺されて悲鳴を上げる男のアキレス腱をナイフ切り、舌を噛まないように猿ぐつわを噛ませ、縛り上げる。
『サクサク・ギュッ』まるで、食肉業者のような手際の良さだ。
いつの間に用意したのか、死体運搬用のビニールのバッグがあった。
「なにそれ?いつもそんな物を持っているの?」
ハンカチで鼻血をぬぐいながら、私は思わずそう言った。
「人を一人拉致する計画があったので、たまたま持っていたんだよ」
鼻歌まじりに私の問いに答えながら、黒澤がそれに男を収める。猿ぐつわのせいでくぐもってしまった悲鳴が、男から漏れた。
「天井から撃つなんてレオンみたいだろ?」
黒澤は上機嫌だった。
男を縛る時に取り返してくれたワルサーPPKを、黒澤が私に差し出す。
私は、ひったくるようにして、それを受け取った。
黒澤からもらった銃を後生大事にしているのを見られるのが恥ずかしいような気がしたから。
「ジェームス・ボンドもこの銃を使っているんだぜ」
レオンという人も、ボンドという人も私は知らないので、黒澤を無視する。
朱を掃いた頬を見られるのも屈辱的だから、視線も逸らす。
「レオンも007も知らないのかよ。信じられん」
黒澤は私のそっけない態度に肩をすくめたようだった。
そんなことより、撃たれた肩が痛むし、台尻で殴られた鼻と頭も痛いし、蹴られた腹も痛い。髪は埃だらけで、着替えたばかりの服は血で汚れてしまった。
せっかく止まりかけた肩の出血も再開したようだった。
だから、私は機嫌がとても悪い。
黒澤は軽々と床にある死体運搬袋を持ち上げて、肩に担ぐ。
黒い死体運搬袋は、中の男が暴れているので、くねくねと動く黒い芋虫みたいで気持ち悪く、私をイラつかせた。
「このやろう」
私は、男の頭があると思われる場所を殴る。
これで、すこし、大人しくなったようだ。
黒澤が笑った。
黒澤の笑顔はいつも少年の様だった。
私は通行人を装って、ワゴン車の後ろから近づく。
襲撃班三名を連れてきた輸送担当がこの近くにいるはずだった。
気の抜けたことに、男が一人バンパーに腰掛けるようにしてぼんやりとタバコを吸っていた。
横目でワゴン車の中を観察する。
他には誰もいないみたいだった。
「お兄さん、火貸してくれる?」
私は火のついていないハイライトを咥えたまま、わざと嗄れ声で言う。
私の服にはまだ血がこびりついていたけれど、目立たない程度には暗い。
襲撃してきた男たちは、軍隊の匂いがしたけれど、この男は隙だらけだった。 運転手として雇われただけの男だろう。密入国者か帰化人に違いない。
この間抜けは、私がさせているであろう血の臭いにすら気が付いてないようだった。
この周辺は、街娼が立つ場所なので、客をひっかけようと男に近づく女がいる。「火を貸してくれ」は、よくつかわれる手だ。
男は、私を見て食指が動いたようだった。
このあたりの街娼は、鶯谷などの有名な狩場からもあぶれた最底辺の女が多い。
それらと比較すると、私は上玉で若い。
男はニヤニヤと笑って、安物のライターを差し出してくる。
「いまはだめだが、あとでまたくる」
こいつはそう言うと、カッと目を見開いた。
私が突き上げたコンバットナイフが男の腹に埋まったから。
男の手が、私の肩を掴む。
撃たれた左肩の傷が痛んだ。
私は、歯を食いしばってナイフを捩じり抜く。男が中国語で何かを呻いた。命乞いだったかもしれない。
男の腹からナイフを抜いてもう一度深々と刺し、抉る。もう一度刺す。抉って抜いてもう一度刺した。
今度はナイフをそのままにして手を放し、男を蹴り離した。
男は路上に尻もちをつき、腹から生えたナイフの柄と私を、信じられない物でも見たかのように交互に見ていた。
ぱくぱくと男の口が動く。
何かを言っているのだろうけど、よく聞き取れないし、はじめから私は聞く気もない。
そんな事より、手が血で汚れてしまったことの方が問題だった。生臭くてかなわないし、感染症だって怖い。
私は「殺し」という行為に昂ぶらない。
今この瞬間の脈拍は、日向ぼっこしている時と変わらないのだと思う。計測はしていないけれど。
だから、相手は騙される。私の接近を許してしまう。殺す瞬間まで、殺気が漏れないから。そして十メートル以内なら、ミスなく射撃が出来るし、もっと接近できれば正確にナイフで急所を抉れる。ためらわないから、素早い。
三年前のあの日、私は人間として必要な何かが欠けてしまったのだろう。
毀れてしまった私は、血と恐怖と凌辱と屈辱で作られた『子宮』で、今の私に再生され、黒澤に取り上げられた赤子だ。
その赤子は、日々化け物に成長している。
そしていつの日か、育ての親たる黒澤を喰い殺してしまうのだと思う。
いや、黒澤の手で私が殺されてしまうのかも。
ああ……それも悪くない。
黒澤の放つ銃弾が私の体を貫く時、どんな感じがするのだろう。
私は、ワゴン車の後方にハンドサインを送る。
死体運搬袋を担いだ黒澤が暗がりから姿を現した。
「どっちが運転する?」
私は、車内にあったノートパソコンと設置されていたナビを路上に捨てる。
追跡装置が組み込まれている場合があるから。
どうせすぐ乗り換えるけれど、リスクは小さい方がいい。
「翠が運転? 冗談でしょ?」
そう言って、黒澤は運転席に座った。
黒澤は運転技術に関して私を信用していない。
他の皆が言うほど、私は乱暴な運転じゃないと、思っているのだけれど。
車は動きはじめた。
バックミラーを見ると、道路に放心したかのようの座っている運転手役の男が、パタリと仰向けに倒れるところだった。




