殺人人形は夢を見ない
私たちは基本的に、仕事で組む時以外、同じ場所に集まることはない。
篠組に雇われた傭兵に襲撃された時は例外で、珍しいことだったのだ。
だから、こうして、閉鎖された介護老人ホームの二階で、一緒に夕食を食べているというのはなんだか落ち着かなくて、居心地が悪い。
それは、私以外のメンバーも感じているらしく、篠組の襲撃に反攻をかけるために全員同じ船で移動したあの時とはモチベーションが違う。
ムードメーカーの紫が居ないというのもあるかもしれない。私にはその代役は無理だ。
沈黙のまま夕食は終わり、私は部屋に引き上げようとしていた。
赤﨑と黒澤の間にはなんだか緊張感があって、それも居心地の悪さに繫がっている。
「次の一手だが」
唐突に黒澤が口を開く。赤﨑の顔が強張った。
私は浮かせかけた尻を椅子に戻した。
「次の一手だが、今度は楊を狙おうと思う」
赤﨑がため息をついた。
「これで何人目だ。六人目だろう。王の組織の大物ばかり的にかけるのはなぜだ」
王は、私が潜入していた組織のトップの名前だ。中国の黒社会では老舗の組織で、古くは上海租界のアヘンの取引がルーツらしい。
日本進出も早く、地下銀行を使った違法送金の仕組みを作ったのも、彼らだった。
「篠組に我々を襲わせたのが、こいつらだ。徹底的に叩く」
黒澤が言う。
違和感。
私はまたそれを覚えた。
我々の組織は小人数で、正体を巧みに隠している。だから、優秀な日本の公安警察にも尻尾をつかませてないし、顧客となるヤクザ組織とも最低限の接触しかしていない。
つまり、大規模な外国人犯罪組織である王のグループが我々を危険視する訳はないのだ。
黒澤は違うと言う。でも、違うという根拠は示してくれない。合理的な赤崎は、それが不満なのだ。灰谷も同じことを考えている。
私も、そこまで執拗につけ狙う必要があるのか疑問に感じなくはない。
何事にも淡々としている黒澤が唯一示す執着。
その執着がどこからくるのか、私はそこに興味があった。
「ずっと、持ち出しが続いている。資金が続かん。いい加減にしろ黒澤」
どこからかの依頼なら、経費は補填される。
だけど今回の一連の仕事は我々の自主的な仕事だ。従って収入はなし。つまり、継続すればするほど赤字ということになる。
これを、もう八ヶ月以上続けているのだ。
「金の心配はするな。用意する」
黒澤が言う。苛立ちを表に出すのは、彼にしては珍しい事だ。
「その金はどこから出るのか教えてほしいね。打ち出の小槌でも持っているのか?」
椅子を引いて、赤崎が黒澤を睨みつける。黒澤も赤崎を睨んでいた。
いつもなら、灰谷がここで仲裁に入る。だかが、彼はそれをしなかった。
腕組みをして、半眼のまま黒澤を見ている。
黒澤が口を噤む。怒りと苛立ちの感情が透けて見えた。
こんなのは、黒澤じゃない。私はそう考えていた。黒澤は、いつも飄々としていて不遜で誰よりも強くないといけない。
私を殺人人形に作りかえた男なのだから、超然としていなければならない。
ヒップホルスターの、ワルサーPPKのグリップを、私は無意識に指で撫でていた。
胸の奥が疼く。
普段と異なる黒澤を見て、死への憧憬がむくむくと頭をもたげてくる。
黒澤を撃つのは今日なのだろうか?
黒澤を殺して私も死ぬ。ああ……なんて素敵な考えだろう。
陶然としかけた私に冷水を浴びせたのは、桃山だった。私の変化を見て、わずかに殺気を漏らしたのだ。
私は『殺し』を意識すると、何かスイッチのようなものが入って、五感が鋭敏になる。
五感を超えた、勘のようなものも鋭くなる。
その『勘』が、桃山からの殺気を感知したのだ。私は桃山を見た。桃山は慌てて視線を外す。間違いない。桃山は私が黒澤を殺そうとしたことを察知していたのだ。
灰谷の態度。苛立たし気な黒澤。ケンカ腰の赤崎。そして、私の動きを牽制するかのような桃山の動き。
一気にこの場所がキナ臭くなった。
私の思考が冷えてゆく。拳銃使いの脳に切り替わってゆくのがわかる。立体画像が私の頭の中に構築されていった。
「言えないなら俺が言ってやろう。黒澤、お前の打ち出の小槌は『遺産』だ」
日本の裏街道を行くものなら、一度は耳にしたことがあるのが『遺産』の話だろう。
地下銀行を使った違法送金用にプールされていた資金を、誰かかが持ち逃げして、日本中のイリーガルな組織が、その資金をめぐって争奪戦を繰り広げたという事件。
私が潜入していた黒社会のトップ、王の祖父が集めた莫大な資金だった。王の祖父は、この資金が強奪されて間もなく暗殺された。だから、だれが言い出したかか『遺産』と呼ばれているのだった。
噂によれば、日本の一部の警察官僚まで加わって、水面下で血みどろの抗争が続いたらしいけど、関係者が殆ど死んでしまって、真相は藪の中ということだ。
警察官の拳銃自殺とか、不祥事による社会的な抹殺などが頻発した時期があったそうだけど、それがこの一連の事案にかかわった警官らしいなどと、まことしやかに言われている。
資金の持ち逃げなど、この業界では珍しいことではないけれど、その額がケタ違いだったので、ここまで大事になったそうだ。
結局持ち逃げされた『遺産』のほとんどは行方不明のままで、『徳川の埋蔵金』レベルの話になっていたはず。
これが、『遺産』の話。アンダーグラウンドの世界では、何となく語るのがタブー視されていて、単なる『遺産』という記号で呼ばれるようになているみたい。
都市伝説みたいな枝葉の噂話まで入れると収集つかなくなるほど諸説あるけど、ざっくりとした話はそんなところ。
私はそんな話は与太話だと思っている。
でも、『遺産』なんかの話が、合理主義者の赤崎から出たのが意外だ。
黒澤は厳しい顔のままだ。
『遺産』の話なんか出た時点で、笑い飛ばすのが黒澤という男のはずだが、それもない。
「俺も業界にいたからな。色々と噂は聞いているぜ」
灰谷が唐突に口をはさんだ。
「互助会」
黒澤の左の眉が上がった。驚いた時の黒澤の癖だ。
そしてもう一人。桃山の顔色が変わった。
「ずいぶん、調べたな。大変だったろ」
黒澤が笑った。やっと、いつもの黒澤になった。
赤崎が椅子の背もたれに背中を預けて伸びをする。
「俺は、掘り方を教えただけさ。灰谷が全部調べたのさ。ノーマークだっただろ?」
確かに、灰谷にはPCを使ったりする絵が浮かばない。でも、灰谷は自分で卑下するほど馬鹿じゃない。
飲みこみが早いのも、気遣いが出来るのも頭の回転が速い証拠だ。
「たしかに。君を侮っていたよ。すまん」
黒澤が、素直に灰谷に頭を下げる。
灰谷は表情一つ変えなかった。
「緋村がヒントを残して行ったからな。俺はその痕跡をもう一度なぞっただけさ」
灰谷が言う。額には青筋が浮かんでいて、静かな口調の裏には激しい怒りの炎が燃えているのがわかった。
場合によっては黒澤を殺す。灰谷の目はそう言っていた。
「もともと『互助会』は、天下り出来ない不器用で真面目な警官を救うための非公式な互助組織だろ。それが、いつの間にか、警察の組織内組織になって、現職警官はもとより警察OBまで巻き込んで町の掃除屋を気取ってやがる」
背もたれに寄り掛かっていた赤崎が、今度はテーブルに身を乗り出してそう言った。
「例の『遺産』を手に入れたのは『互助会』だって噂もあるぜ」
灰谷が椅子を蹴って立つ。乱暴な足取りで、黒澤に近付き黒澤を殴った。
「お前、『互助会』とやらの下請けをしてやがったな!」
黒澤が椅子から転げ落ちる。
うめき声一つ上げずに、黒澤は立ち上がり、灰谷の正面に立った。
「その『互助会』とやらが、俺たちが理想にしていた社会正義のために動くなら、利用されてやってもいい。だが、俺たちがやってきたのは、殆ど『互助会』と対立している組織を潰す仕事だったじゃないか」
そういって、灰谷は黒澤をまた殴った。
灰谷の細い目の目じりには涙が流れていた。
警察官や元・警察官が集まって作った非公認の任意団体が『互助会』。
何の変哲もない名前だけど、やっていることはゲシュタポみたいな秘密警察もどきの団体だ。私たちは、その下請けだったということ?
そんな奴らのために命がけの仕事をしたのかと思うと、力が抜けた。
「俺たちの狙う本丸は、あんな篠塚みたいなチンピラたちじゃないぜ。灰谷。今、やっているだろ? 黒社会さ。奴らから、日本を守るんだ」
黒社会とつながりのある組織を潰し、日本に作った拠点を弱体化させ、日本に精通した専門家を殺す。巧妙に、対立する組織同士を争わせて、疲弊させる。この三年の動きはそうだった。
『互助会』は表向き動くことはない。存在すら否定される。
秘匿性も重要だが、敵を殴る拳は不可欠だ。そのためには、手足となる実行部隊が必要で、それが我々ということ。
新しいビジネスモデルとか、はみ出してしまった者の居場所とか、そんなのは、赤崎や灰谷のような者をスカウトするための方便でしかなかった。
やることは同じであろうとも、最初の時点でだましていたというのは、赤崎たちにとっては許せないことだろう。
「コケにしてくれたおとしまえはつけてもらうぜ」
赤崎が言う。緋村の流した毒は、歯車たる赤崎と灰谷を蝕んで、ついには欠けさせてしまった。赤崎が懐からSIG P220を抜く。
この拳銃は自衛隊で支給されている拳銃で、『なんらかの手違い』で、廃棄されるはずのものが生き残ったものだろう。私のワルサーPPKのように。
灰谷が半歩下がった。射線から逃れたのだ。
黒澤が撃たれる。死ぬかもしれない。私はどうするべきか一瞬考えた。
黒澤を助けるために赤崎を撃つ?
赤崎は、私の方を意識していない。やろうと思えば簡単だ。でも、赤崎を撃つ気は起きなかった。
赤崎に撃たれる前に黒澤を撃つ?
それも、私の中の機が熟していない。
黒澤は、銃をつきつけられながら、特に焦る様子もなく、こう言った。
「桃山」
私は目の端で、桃山の動きを捕えた。
抜く手も見せぬ早撃ちで、ショルダーホルスターからSIG P230と思しき小型の拳銃を抜いて、赤崎を撃ったのだった。
反射的に灰谷が動く。
空手の動きだった。太い脚から大砲のような前蹴りが、桃山を側面から襲う。
桃山が座ったままの姿勢で、後ろに倒れた。
わざと倒れることで、灰谷の蹴りを躱したのだった。
身軽に回転して、桃山が猫の様に着地した。
黒澤が土壇場で助けを求めたのは桃山だった。
私ではなかった。
なんとなく、私に助けを求めるのではないかと、勝手に私は思っていたが、違った。
組織に対する裏切りとか、警察内の組織の下請けで穢い仕事を引き受けていたとか、実はそんなことは私にとっては些末事だ。
殺しを行うために生かされた人形には『志』なんてないから。
私に必要なのは黒澤との絆。
でも、黒澤は土壇場で私を必要としなかった。
それが、どんな裏切りよりも許せない気がした。
黒澤を撃つ。
今日はそれが出来るような気がする。
赤崎は眉間を撃ち抜かれて死んでいた。
黒澤は冷静に赤崎の手からSIG P220を取り上げ、マガジンを抜き、スライドを引いて薬室の9ミリパラべラム弾を抜いていた。
黒澤は私の方は見なかった。私に何も言わなかった。
私を求めてくれないなら、私は黒澤を殺して死ぬ。
そうする権利が、私にはある。バラバラに分解されてしまった私を、殺人人形に組み上げたのは黒澤なのだから。
ヒップホルスターから、ワルサーPPKを抜く。
無様なことに、その手がぶるぶると震えていた。こんなに銃口がブレたら弾なんて当たらない。
ようやく、黒澤が私を見た。
疲れ切った顔だった。
哀しい目をしていた。
黒澤があの黒社会にこだわるのは、何か理由がある。
私の直感がそう囁いている。
でも、もうそんな事はどうでもいい。黒澤は今日死ぬし、私もやっと死ぬことが出来る。
それなのに、手が震えて仕方がない。
視界がかすむと思ったら、それは涙だった。
何か呻き声が聞こえると思ったら、それは私の嗚咽だった。
私を見て黒澤はほほ笑んだ。そして手を左右に広げる。
『さあ、撃てよ』
全身で黒澤はそう言っていた。
分かる。黒澤は多くの死に関わってきて、それに倦んでしまっているのだ。死への憧憬が私と同じく彼の胸にも巣食っている。そして、黒社会を滅したいという執念がそれを許してくれない。生と死の同居。まるで私と同じだ。
私と黒澤の奇妙な共感はこれだったのだ。それが、私たちの絆。
黒澤は、私にいっぱい嘘をついたけど、「お前になら殺されてもいい」という言葉は嘘じゃなかった。
嬉しかった。
だから、死ぬなら今だ。
この幸福感に包まれたまま死にたい。
そして黒澤を楽にしてあげたい。私も楽になりたい。
私は祈っていた。三年前のあの日あの時、神様は居ないと思い定めて以来、初めて神に祈っていた。
手の震えが止まらない。
涙が止まらない。
こんな事じゃ、ワルサーPPKを撃てない。
「ああ、神様、神様、神様、神様、どうか私に黒澤を殺す力をください」
―― 光 ――
目の端で何かが光った。
風の音が鋭く鳴る。
冷たいものが、ワルサーPPKを握る私の右手を走り抜ける。
私の右手はワルサーPPKを握ったまま、力尽きた椿の花の様に床に落ちた。
同時に、わき腹から、何かが体の中に入ってきた。
まるで、氷柱を差し込まれたように冷たい何かが。
黒澤が叫んでいた。
私の名を呼んでいた。
その声が、なぜか遠い。
白井先生がいつの間にか私の横にいた。
いつも気配をさせない白井先生。
今回も私は全く彼の接近に気が付かなかった。
「すまんな、お嬢ちゃん」
そういって、すっと身を引いた白井先生の手には、日本刀があった。いつも持っている杖は、妙にごついと思ったら、仕込み杖だったというわけね。
「やめろ! よせ、くそ!」
黒澤が私を支える。私の足には力が入らなくて、もう立っていられなかった。
自分の体の事は自分がよくわかる。致命傷。私が受けたのはそれだ。
黒澤は私を支えて床に横たえる。
私は私の右手を見た。
その右手は手首から先がなくて、血が脈動に合わせて噴き出していた。
ああ、もう、これじゃ、ワルサーPPKを握れない。
「返して。私のワルサーPPK」
そう言ったつもりだったけど、私の口から流れたのは言葉ではなく大量の血だった。
ほらね。やっぱり神様なんて居ない。
言葉すら紡がせてくれない。いつだって、運命は残酷だ。
「くそ! いくな翠! 俺を一人にするな! 一人にしないでくれ」
黒澤が泣いている。
彼を抱きしめてあげたいけど、もう私の手は動かなかった。
ワルサーPPKだって握れないのだ。
「灰谷が迂闊に動いたせいで、こっちの身元が割れた。リセットの時期がきたんだ。諦めろ黒澤」
遥か遠くで桃山の声がする。
嘘つきの桃山は、黒澤を監視していたのだろうか。
桃山が生きているということは、灰谷は死んだということ。
ジャガイモみたいな灰谷。
ほんとは優しい灰谷。
ねえ? 知っていた? 『志』は、男を殺すのよ。
温かい液体が、私の顔にふりかかる。
涙だった。
黒澤が、死にゆく私に泣いてくれている。
私は、黒澤の血を浴びたいと思っていたけれど、涙でもいいと今では思う。
どうせもう、目は見えないのだから。
赤かろうが、透明だろうが、もう私には関係ない。
人を殺す機械として生かされたわたしはここで終わるみたい。
ずっと黒澤を殺したかったけど、今では殺さなくてよかったと思う。
黒澤が好きだった。
たまらなく惹かれていた。
黒澤がいつも吸っていたハイライトの匂い。
男臭い笑み。
くせ毛を掻き上げる仕草。
映画や小説やコミックスの薀蓄。
いっぱいの黒澤との思い出たち。
大好き。みんな大好き。
それをちゃんと言葉で、伝えればよかった。
でもおしまい。
殺人人形は夢を見ない。
殺人人形は神様を信じていない。
だから私は天国にも地獄にも行けない。
消える。
ただ消えゆく。
それが、殺人人形の死。
それがわたしのやすらぎ。
(了)
これにて、「なろう」生活一周年記念作品『殺人人形は夢を見ない』終劇となります。
進歩は、女性キャラクターを書けるようになったこと(ちょっと反則ですけど)。
それ以外は、全く進歩がみられない作品でしたね。
結局、最後まで低空飛行のままのド底辺作品でしたけど、少数の方々は読んで頂いていたわけで、そんな、愛すべき変わり者の皆さんに感謝の念をお送りします。LOVE!
ハードボイルドは、日本に限らず絶滅危惧種らしいですが、チャンドラーやハメットのような古典、コナリーやブロックといったネオ・ハードボイルドが、私は大好きなのです。
なので、たとえ低評価でも、書いてて楽しかったです。
ちなみに今作は『ハイエナの誇り』の世界とリンクした世界ですが、前作を読まなくても全く影響ない風に書きました。
あまりにも楽しかったので、続編を書くつもりですが、また、趣味丸出しのハードボイルド作品にします。まだ、プロットもつくってませんが。
次回作の参考にしたいので、感想などは大歓迎なのであります。
ご批判も、貴重なご意見として考える性質なので、ご遠慮なく。
でもまぁ、書き切った満足感はあります。
師匠筋の方々には、相変らず勇気を頂きました。
含羞の方が多いので、名前を挙げませんが、ありがとうございました。




