判決は『死刑』
銃撃が止んだので、遮蔽物に隠れていた敵がそっと顔を覗かせる。
小さな、そして微かな動きだけど、私にはすぐに探知出来た。私は今、どこも見ておらず、全てを『観て』いる状態。
反応して機敏に私の右手が動いた。もちろん、その動きに視線は送らない。見なくてもわかるから。
顔は正面を向いたまま三メートル先の床をぼんやりと見ている。
ワルサーPPKを持った右手だけが、射線に相手を捕える。
鳴り響いた銃声は一つ。
一種のトランス状態ともいえる『不動智』の私からは、訓練を受けて身に染みついたはずの軍隊式ダブルタップなどがすっぽり抜け落ちる。
理由はわからない。私を訓練したインストラクターも不可解だと言っていた。
言えることは、私の精密な射撃が更に精密になることと、このトランス状態から脱すると心身をえらく消耗すること。くたびれ果てて、その場で眠ってしまいたくなるほど。
偉い学者さんなら、これがどういうことなのか研究するだろうけど、私にとって重要なのは、これの持続時間や信頼性だけ。
私は黒澤によって作られた人を殺すためのカラクリ人形。精密な暴力装置の歯車という名の部品。好奇心や探究心とは無縁の存在なのだから。
撃ちきった左手の黒星を投げ捨てる。
ベルトに差した、もう一丁の黒星を抜く。
遮蔽物から手だけ出して反撃を試みる者がいた。
そう思った瞬間にはもう右手のワルサーPPKは弾丸を発射していた。
突き出された拳銃から火花が散り、その拳銃はもぎ取られるようにして吹っ飛んでゆく。
まさにピンポイントで、私は拳銃を撃ち落としたのだった。
「こなくそ」
罵りながら、私から見て右側から誰かが立ち上がる。動体探知機と化した私の右手はすでにそこをポイントしていた。
発射音は同時。相手の黒星の銃声数発と、私のワルサーPPKの銃声が一発。
立ち上がった男は、酔っ払った様に後ずさり、壁に背中をぶつけて、すとんと腰を落とす。
眉間に当たったワルサーPPKの銃弾が脳をかき回して後頭部から抜けたのだ。
左の方向で動き。戸口に向って低い姿勢のまま逃げ出そうとしている者がいた。
今度は私の左手が動いた。黒星を撃つ。
狙いは端から問題ではない。大雑把にその方向に撃つだけ。
その男は、あわてて机を倒して作った遮蔽物に戻ってゆく。
正面と右側の遮蔽物から二人、同時に男が立ち上がる。
私のワルサーPPKは、まず右側の男を撃った。そして、間髪を入れずに正面の男を撃つ。あとで気が付いたことだけど、正面の男は、この部屋内戦闘で、最初に手から黒星を弾き飛ばされた男で、利き腕の指を負傷していた。慣れない銃を利き腕ではない方で射撃していたのだから、わずか二、三メートルの距離でも、当たるわけがない。
それを、脳を経由しない速度で、条件反射的に判断を下していたというなら、けっこうすごいことなのではなかろうかと思う。
左手の方向で動き。
黒星を撃つ。三発。牽制射撃。銃声で『死』を連想させるための射撃だ。それで弾切れだった。
左手の黒星を投げ捨てながら、左側を振り向く。頭を抱えて蹲る男の姿があった。床と壁に、黒星で出来た銃弾の痕があった。
こいつが戦意を喪失しているのは、すぐにわかった。
床が、男が失禁した尿で濡れていたから。
彼の戦う術の象徴である黒星を、何か汚らわしい物の様に投げ捨てていたから。
ひいひいとみっともない悲鳴を上げていたから。
そして、見なければ存在しないとでも思っているのか、男は頑なに頭を抱え、床に額をこすりつけている。
私は、そいつが手で守る後頭部にワルサーPPKを向けた。掌の中で、私の小さな鋼が跳ねる。スライドがブローバックして、薄い硝煙を曳いて薬莢が飛んだ。
男が後頭部を守る手の甲にボッっと穴が開き、頭蓋に弾丸がめり込む。
まるで叩頭礼をするかのように、男はゴツンと地面に額を打ち付け、死の痙攣に身を震わせた。
我々と戦争を始めたのなら、命乞いはない。黒澤が「皆殺し」といったのだ。だから、私はそのようにする。
歩きながら、最後のマガジンを交換する。
部屋に踏み込む際の異様な集中力は途切れ、今は膝をつきたいほど心身を消耗していた。
何日も徹夜をし、疲労がピークになって、睡魔に襲われたことがあるなら、それが私の今の状態に近いと思ってほしい。
血臭と硝煙漂う事務所から、体をひきずるようにして出る。
膠着状態にある四階を黒澤と挟撃しなければならない。
わざと足音を立てて階段を上る。
後方の守りである、事務所が制圧されたことを、分からせるため。
「まだ決着つかないの?」
モバイルPCに向って言う。カメラは、黒澤のモバイルPCに切り替えてあった。
「このあと、やることがあるから、怪我したくないんだよ」
黒澤が苦笑を浮かべる。
そんな顔を見ると、なんだか私が「どうにかしてあげたい」と、思ってきてしまうから不思議だった。
「威嚇射撃後、引っ込んで。二秒後に私が出るから」
戦場では、リズムが生まれることが稀にある。この四階の戦場がそうだった。
黒澤が銃を撃つと、敵は遮蔽物に隠れる。きっちりその二秒後に男たちが、立ち上がって反撃するのだ。
銃を撃っていない側は、完全に遮蔽物に隠れている状態なので、戦場が膠着するのだ。
篠組の男たちは、銃を撃っていないと不安なので、機械的に安全なタイミングを計って撃つ。黒澤は、私の到着を待って、あえてこんな『千日手』に持ち込んだのかもしれない。あ、『千日手』って、白井さんに教えてもらった将棋用語ね。
黒澤が撃って二秒後に反撃をする。それが、『千日手』の戦場に出来たリズムだった。
黒澤が、手だけを出してSIGP226を撃つ。狙いは正確である必要はない。ここが、銃弾が飛び交う戦場であることを、篠組の男に思い出させるだけで良いのだから。
喚きながら、篠組の男が二秒後に立ち上がって黒星を撃つ。なんとなく、黒澤がいると思われる方向に。
私が、彼らの背後に姿を現したのは、ほぼ同時だった。
距離は五メートルもない。
疲労困憊しているとはいえ、私ならまず外さない距離。
ダブルタップで二度撃つ。
背後から撃たれた二人は、遮蔽物につんのめるようにして倒れた。
辛うじて振り向いたのは、残り一人だった。死相の浮いた悲惨な顔色だったけど、そいつが緋村だった。
咄嗟に狙いを下に向ける。頭を撃ち抜くはずだったダブルタップの銃弾は、緋村の右腕の付け根と右膝を砕いていた。
撃たれた瞬間、緋村は悲鳴を上げたが、床に倒れてからは、唇を噛みしめて私を睨んでいた。死にかけの虫の様にじたばたしない点は褒めてあげてもいい。膝を砕かれると、屈強な男でも失禁して泣き喚くくらい痛いのだから。
緋村は赤崎と同じくとても頭がよくて、他者を見下すようなところがあったのだけど、今は、その面影はない。追い詰められた手負い獣の気配を漂わすだけの男に成り下がっていた。
「さすが翠だ」
そう言って黒澤が遮蔽物から出てくる。そして、床に転がった緋村を見下ろした。組織の裏切り者。だけど、黒澤の目には憎しみとか怒りとか、そいうった感情の動きはなかった。
路傍の石を見る目。黒澤が緋村に向ける目線は、それだ。
「殺さなかったのか?」
ぼそりと黒澤がつぶやく。
殺してもいい。そう言われていたのだから、私は頭に致命の銃弾を叩き込んでもよかったのだけど、そうはしなかった。
なぜなのか考えても、その理由は思い浮かばない。本能に従ったというのが、最も正解に近いかもしれない。
「なんとなく……ね」
緋村をポイントしたまま、そう答えた。
黒澤の唇に笑みが走った。
「なんとなく……か」
黒澤は、まあいいとばかりに凝った首を回し、床にあるバッグを拾い上げた。
そこには小型のドリルとC4と雷管、それに携帯電話と束になった針金があった。
「そうだな、あと三十分ほど俺には作業する時間が必要だ。だからお前にチャンスをやるよ」
バッグを肩に担ぎ、設計図をポケットから出しながら黒澤が緋村に言う。
「翠はお前を殺さなかった。つまり、まだお前には『運』があるってことだ。だから、翠を必死になって説得しろ。その結果、翠がお前を殺さなくていいと判断すれば、俺はお前を殺さない」
それを聞いて私が思ったのが、
「また、黒澤がくだらないゲームをはじめた」
……だった。
それに巻き込まれた私は、単に面倒くさいという感想しかなかった。
黒澤は、口笛を吹きながら三階に降りてゆく。
私は、壁に寄りかかりながら横目で床に横たわる緋村を見ていた。
緋村の手の届くところに、黒星が一丁落ちているけれど、それを使って最後の抵抗を試みるつもりは緋村には無さそうだった。
利き腕の肩を砕かれていては、ロクな射撃は出来ないし、私の拳銃の腕前は十分承知しているから。
緋村のような頭のいい男は、勝率の低い賭けはしない。
「おかしいと思わないか?」
緋村の第一声はこうだった。私の興味を引くため、どうやって話を組み立てるか、緋村の頭脳はフル回転しているはず。
命がかかっているのだから、そりゃあ必死になるでしょうね。
「俺は、この組織の収支を計算していたからわかる。成り立つわけがないんだよ」
情に訴えてくるかと思っていたけど、予想に反して私の漠然とした疑問を緋村は正確に突いてきた。
正直に言うと、私はちょっと興味を引かれたのだった。
「例えば、お前の直近の仕事。神和会の顧問を消す仕事があっただろ?」
新宿の夜。冷たい雨。ヒラヒラした服。橙次の広くてあったかい背中。そんなことを思い出す。相手の所属していた組織が神和会という名前だったとは知らなかったけど。
「あの仕事で、支出はざっくりと二千万円。報酬は一千五百万円。わかるか? 赤字なんだ。これだけじゃねぇ。ほとんどの仕事が、トントンか赤字の有様。ビジネスとしては破綻してるんだよ」
ゆっくりと緋村が動いて、壁によりかかる。膝が砕けているので立つことは出来ないらしい。
そして、壁によりかかって座りながら、ゆっくりと上着をめくる。急な動きを見せたら私に撃たれるとでも思っているのだろう。
血で汚れたワイシャツの胸ポケットに、ロングピースが見えた。
「吸っていいだろ?」
緋村が許可を求めてくる。私はひらひらと手を振って好きにしろと身振りで返答した。
緋村は震える手でやっとタバコを一本抜出し、赤いプラスチックの百円ライターで火をつける。
タバコ如きで砕かれた肩と膝の痛みは緩和しないだろうけど、気付くらいにはなるのだろう。事実、紙の様に白かった緋村の顔に少しだけ血色が戻っていた。
「どこまで話したっけ? そう、収支がおかしなことになっているって話だったな」
タバコの煙を吐き出して、緋村が話を続けた。
「仕事の単価が高い事。民間企業と違って、雇用保険だの事業税だのがないこと。それは、利点だよ。だが、コストがかかりすぎる。仕事は毎日あるわけではないし、アシが付かないように、殆どの道具は使い捨てだろ? 効率がわるいのさ」
我々は、人を殺すための精密な機械。私はその歯車の一つ。組織運用の視点などは必要ない。だから、そういった事柄は全て赤崎と青木と緋村で処理していた。
初めからスパイとして入り込んだというなら、緋村は実にうまい場所に入り込んだと言える。
「……で、俺は、仕事の対象になった組織や個人のリストを作って、共通事項はないか調べたのさ。青木は薄々気が付いていたみたいだけど、好奇心が勝って、俺を泳がしていたみたいだな」
『好奇心は猫を殺す』とかいう言葉があったけど、好奇心は豚も殺すらしい。
「するとな、浮かび上がってくるのさ。黒澤の意図みたいなものが。奴は何のためにこんな危ない組織を作ったのか、その真の目的がね」
いちいち私が、
『興味を持っているか?』
『食いついてきているか?』
……と、探る様な緋村の目が鬱陶しい。
黒澤がどんな意図を持っていようが、私には関係ない。
どれだけ黒澤のために人を殺せるか、それだけが私の興味の所在であることに、なぜ誰も気が付かないのだろう。
私は毀れている。毀れているから、緋村のような合理的で毀れていない人物には私を理解できないのかも知れない。
「あんた、青木を直接拷問したの?」
滔々と捲し立てる緋村の話の流れをぶった切って、私は言葉をはさむ。
「え?青木? ああ、青木ね。俺がペンチで爪を剥がしたよ。豚みたいにひぃひぃ悲鳴を上げてたぜ」
少々錆びついていたとはいえ、青木もまた精密な機械を構成する歯車だった。
それがどうなったのか、同じ歯車として気になっていたということが、ようやく私にもわかった。
だから緋村を殺さなかったのだろう。なんとまぁ、私は、青木の最後を聞きたかったから、殺さなかったのだ。私は青木のことは好きではなかったのだけど。
緋村は熱弁を振るっていたが、もう一言も私の頭の中には入ってこない。
気に入らないのは、緋村がこんなことを話すのを知っていて、黒澤はあえて私に緋村を委ねたこと。
緋村の話を聞いて、私の心が揺らぐかどうか、私を試したことが気に入らない。私と黒澤の絆が冒涜されたようで、全く気に入らない。
緋村は黒澤が私怨を晴らすために、組織を利用しているという。
私に言わせれば……、「だから何?」……だ。
信念とか志で仲間に加わった赤崎や灰谷あたりなら、緋村の言葉にある程度は心が動いたかもしれないけれど、私の心は揺るがない。
なぜなら、私の黒澤への執着は、生きるという生命全般の基本的な本能と密接に結びついているから。
だから、理屈が入り込む余地がない。それを、緋村は理解できないのだろう。
緋村が毀れていない証拠だ。
だから、私を理解できない。
私は武器調達屋の黄が大嫌いで、黄も私を嫌っているけれど、緋村よりよっぽどお互いを理解できる。
毀れた者同士の共感とも言うべきか。
「終わったぜ」
コンクリートの白い粉に汚れた黒澤が、四階に戻ってきた。
ドリルで柱や壁に穴をあけ、C4(プラスチック爆弾の事)と信管を仕込んできたらしい。
「上手くいったらご喝采だな」
タオルで顔の汗を拭いながら機嫌のいい声で軽口をたたいている。
そして、階下のどこかから見つけてきた、ウールのカーディガンを私の肩にかけてくれた。そういえば、私は半裸に近い格好だった。
「で、翠の判決は……」
黒澤がそこまで言った段階で、私はワルサーPPKを撃った。
何かを言いかけたまま、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりして、緋村が横倒しに倒れてゆく。
緋村の額には穴が一つ開いていた。判決は『死刑』。
私は俯いて黒澤の方は見なかった。
彼が私を探る様な目をしていたら嫌だったから。
黒澤が私を試すようなことをするから、こんな疑心を抱く羽目になってしまう。
ああ、本当に胸くそが悪くて吐きそうだ。




