不動智の銃弾
手榴弾の爆発音や拳銃の音が聞こえたはずなのに、上の階から誰も偵察に来ない。
警備員室と回線を繋げたモバイルPCを見る。
監視カメラは、事務所のドアを盾の代わりにして、拳銃を構える者が二人の姿をとらえていた。
更に廊下の角に待ち構える者が二人。画像を事務所内のカメラに切り替えると、壁にへばりつくようにして更に四人の姿が見えた。
ヤクザといえば、拳銃と連想する者は多いかもしれないが、実は事務所にこれだけの数の銃器があるのは極めて珍しい事だ。
『改正暴力団対策法』の施行によって、銃の所持の罰則も強化され、事務所に現物を保管するのはリスクが高くなってしまったから。
だから銃火器で武装していないヤクザの本拠地は要塞ばりに防備を固めるのだし、草戸のような特別な訓練を受けた危ない男を外部から雇い入れたりもする。
我々の組織と同じように、銃の保管場所を別に持っている方が、日本の非合法組織ではオーソドックスと言える。
銃を平気で持ち歩くのは、外国の犯罪者ばかりだ。不法入国が殆どの彼らには本拠地も定かではない。だから、せっかく罰則を強化した暴力団対策法も意味がない。
そんな情勢にもかかわらず、典型的な日本のヤクザである篠組で、市木のようなド素人にも銃が配備されていたのは、我々の襲撃を予測していたということだろう。
緋村の顔が浮かぶ。
どこかのフロアに隠れているのか、それとももうここを出てしまったのか分からないが、昨日この事務所に緋村はいた。
その時、銃器が持ち込まれ、我々の襲撃について注意を喚起したのかも知れない。
草戸の『いきなり手榴弾を使う』という常軌を逸した行動も、我々が外国の傭兵部隊なみの訓練を受けていることを知っていたというなら納得できる。
ただし緋村も草戸も、今日が襲撃の日ということまでは分からなかったみたいだけど。
慎重に階段を上がる。
彼我の戦闘経験の差に大きな隔たりがあるのなら、攻めに出ず防備を固めるのが戦術的には正しい。
こうやって、筒先をそろえて待ち構えていられると、私でも攻め口を見つけるのが難しいから。
相手の予想を凌駕する行動を採る。そうやって、硬い防備を突き崩さないといけない。
兵士なら、ここはスタングレネードの類を使う場面だが、生憎とそんな便利なものはない。草戸から手榴弾を取り上げることが出来たのは単なる僥倖だ。
警備員室や市木の事務所を制圧できたのは、その僥倖を利用しただけ。
状況をかき回す。今、私が打てる手はそれしかない。
至近距離での銃の撃ちあいなど、やったことがない奴らばかりのはずだから、そこを突く。
階段から三階の廊下に出る。五メートルほど先にある廊下の曲がり角が、彼奴らの事務所だ。
私はそっと、その曲がり角から左手だけを突き出す。その左手には黒星が握られていた。
ごついトカレフは私の手には大きく、反動も強いので片手撃ちには向かない。
それでも立て続けに引き金を引く。これは、相手に命中させる射撃ではない。
銃声を立てる事、実際に銃弾が近くを飛んでくる事、それを待ちうけている連中に知らしめるための威嚇射撃だ。
銃弾は壁を削り、鉄製の扉に当たって鈍い音を立て、隠れている連中の近くを怒り狂ったスズメバチの羽音を立てて通り過ぎただろう。
彼らは戦場に初めて立った兵士の様に、恐怖を感じたはずだ。日本のヤクザでは、銃撃戦の経験などない。
恐怖を感じた兵士はどうするか?
それを跳ね返すために銃を撃つ。攻撃衝動に身を任せる。狙いも何もない。そして、あっという間にマガジン内の弾を撃ち尽くす。
私が黒星の弾を七発、全部を撃ち尽くして廊下の角に引っ込んだ後、ほん一秒位の時間をおいて喚き声と銃声がした。
ここを戦場に例えるなら、最前線という事になる扉を盾にしていた二人の怒号と銃声だ。私は、わざと大胆に廊下を横切る。
まるで、普通にそこに通りかかったかのように。
ゆっくり歩きながら、ワルサーPPKを向ける。男たちのトカレフは、指に力が入りすぎ、連射しすぎだ。射線はブレで、殆どが私の上方に弾が着て行く。
ダブルタップで撃つ。扉から半身を出して、腰だめで黒星を構えている男の目と眉間に命中した。
もたつき、興奮でブルブルと手を震わせながら、マガジンの交換を終えたもう一人の男が、再び黒星を撃ち始める。
私は、壁にもたれたまま、相手が八発の弾を撃ち尽くすのを待っていた。
私は今、姿はおろか手すらも出していない。
なのに、相手は銃を撃ち続ける。それは、銃を撃っている間だけ、恐怖を忘れるから。
銃声が途切れ、私はまた普通に廊下を横切る。
横切りながらワルサーPPKをダブルタップで撃つ。
今度もまたマガジン交換をしている男の頭部に二発とも命中し、その男は仰向けに倒れた。
敵の前衛を崩した形になったので、無造作に廊下に入る。
マガジンは歩きながら交換した。予備のマガジンはあと二つ。
開いた扉の前を速足で通過した。途端に銃声が沸く。
事務所の中で待ち構えている四人が一斉に撃ったのだろう。
だが正確な射撃ではなかった。
廊下の二人と同様、トリガーを絞る時に力が入りすぎているので、銃口が狙いから大きく外れてしまうのだ。
そして銃は反動で上に跳ねる。にもかかわらず、連射するから狙いよりかなり上に着弾してしまう。
だからほら、また殆どが私の頭上を通過していったでしょ?
私は床から黒星を拾い上げ、事務所の前を素通りして四階へと続く階段がある廊下に向った。慌ててはいけない。常に冷静に。
ここの連中は銃に習熟していないから、私が動揺しなければ楽に殺せる。
私は何人殺しても心は動かないし、体調も万全なことも考慮すれば、ここでの仕事は楽な部類に入る。
かつて、黒澤と行った仕事のうち、一番手強かったのはコロンビアの麻薬カルテルではなかったろうか。
連中はナイフの使い方も巧みで、銃も名手が多かった。日本とは修羅場の種類が違うのだろう。より戦場に近い環境なのだから。
袖口からスローイングナイフを抜く。
鉄板を型抜きしただけの無骨なナイフで、先端だけは尖らせてあるけど、刃はなまくらなので、多分リンゴの皮もまともに剥けない。
投げると刺さる。そのためだけにつくられたナイフ。
それを、左手で包み込む様にして持つ。
そして、別の構成員が待ち受ける最初に倒した二人とは反対側の廊下の角へ、無造作に踏み出した。
銃を構えて待っているのは、モバイルPCを見なくても分かっている。
狙い澄ました初弾は何としても避けなければならない。
素人でもじっくり狙った弾は案外正確に飛ぶ。ただし、二発目以降は、ぐっと命中率が落ちる。反動の大きい黒星なら尚更。だから、軍隊での拳銃射撃術は、二発撃っては一旦射撃をやめてリセットするのだ。
私は、大きく一歩踏み込むと同時に、両膝の力を抜いた。傍目には、カクンと脱力して倒れた貧血女みたいに見えただろう。
銃声がした。頭髪を引きちぎるほど近い空間を、銃弾が走る。私はその場で蹲るように座った。
予備動作なしで動くには、全身の力を抜くこと。わかってはいても、なかなか人はこれが出来ない。
私を廊下の角で待ちうけていた男二人は、仕留めたと思ったかもしれない。
それほど際どいタイミングだった。
坐った姿勢のまま、ダブルタップで撃つ。同時にナイフを投擲する。
二人並んでいた男のうち、右側の男の眉間と鼻に穴が穿たれ、後頭部が爆ぜる。
左側の男は、銃を放り出して、ナイフが深々と刺さった喉を押さえた。
私は、起き上がりながら、まだ空中にあった男が放りだした黒星を左手でつかみ取り、その黒星でナイフの刺さった男の眉間を至近距離から撃つ。
硝煙を引いて薬莢が飛ぶ。光があふれている様に見えるのは、アドレナリンの奔流のせいで、瞳孔が拡散しているため。赤い宝石の様に、血が飛び散る様が見えた。
全てがスローモーション。
すごく、精神が集中した一瞬だった。
『死』。それが、意識させられる刹那。だが今度の私の運命の天秤は、またも『生』の方に傾いたらしい。
階段の先、四階からは、黒澤との銃撃戦の音が聞こえる。
私が通り過ぎた三階の事務所からは、銃撃が止まっていた。
廊下を守る四人が、あっという間に排除されたのだ。三階の事務所内の四人は、外堀を埋められ、出城を壊れた気分だろう。立ち直る前に、一気に畳み込むべきだ。
廊下の二人から黒星を取り上げる。
生意気にマガジンまでもっていたので、それに交換した。
一丁を左手に、一丁をちょっと屈んだだけでパンツが見えてしまう様な、ピザ屋の制服の短いスカートのベルトに差して、事務所の方に戻る。
事務所内に向けて、左手だけを出し、黒星を撃つ。
威嚇射撃。事務所内の四人が遮蔽物に隠れた気配がした。
私は、連続で撃ちながら無造作に事務所に入り、その瞬間に地形を頭の中に再構築する。
視線は正面一か所に据えて、他は見ない。
人間の視界は実は百八十度以上ある。だから、事務所の戸口に立っている私には、事務所内すべてが見渡せることになる。
ただし、どこかに視線を集中させると、極端に視界は狭まる。
射撃には、視界が狭まるほどの集中が必要なのだけれど、私の右手のワルサーPPKは、まるで自動追尾のように、視界の端の標的にさえ、そちらに視線を向けることなく命中させることが出来た。
私がどんな姿勢であっても、どれほど動いていても、銃口はピタリと標的に向くのだ。
ただし、黒澤にもらったワルサーPPKじゃないと、その神憑り的な射撃術は発揮されないのが不思議なのだけど。
戸口に立って、三メートル先の床を見る。
五感は研ぎ澄まされていた。
黒星とワルサーPPKを持った両手はだらりと下がっている。
私は、多分呆けたような顔になっているだろう。意識を集中ではなく拡散させる。それでいて、空気の動きすら分かるような鋭敏なセンサーが作動しているという矛盾した状態。
思考は邪魔だ。意識は透明になってゆく。
私に戦闘技術を叩き込んだ、人民解放軍崩れのインストラクターは、その状態を日本のある剣豪が到達した境地に似ていると言っていた。
たしか……『不動智』とか言っていたっけ?
私は全く興味がないので、よく覚えていないのだけれど。




