急襲
黒澤は清掃業者に偽造したバンで、私はピザ屋の派手な塗装のスクーターで、篠組の事務所に向った。
黒澤は、篠組の隣のマンションの裏手に車を停めたはずだ。
それが、私たちの今回の逃走ルート。順調にいった場合のプランAだ。
私は、篠組の唯一の入り口である通りに面した側に無造作にスクーターを停めた。
荷台からピザの箱を出す。もちろん、この箱にはピザなど入っていない。
時計を見た。打ち合わせの時間ぴったりだ。
今、作戦行動は開始された。
配送のメモ帳を覗くふりをして、篠組の正面玄関のインターフォンのボタンを押した。
「こんちは。イタリアン・ピッツァでぇーす」
見張り場所から観察したとおりに演技をする。
「なんだ、またかよ。頼んでねぇぞ、帰れ」
声変わりの途中のような、掠れた高い声が、応じてくる。
こいつは、族あがりのチンピラで、篠組の最末端構成員だった。このビルに住み込みで働いていて、いわゆる『行儀見習い』というやつだ。
「あ? 何だ? この野郎、こちとら仕事でやってんだ。出てきてゼニ払えよ」
私は、わざと伝法な口調で応じる。
このチンピラは沸点が低く、すぐに激昂するのを観察の結果知っていたから。
「おめぇ、ここがどこだかわかってるのか?」
案の定、恫喝してくる。もうひと押しだ。
「知らねぇよ。いいからゼニ払え」
そういって、私は扉を蹴る。扉は鋼鉄製で、蹴った音が重かった。
「この野郎」
ドアのロックが外される音がする。
勢いよく鋼鉄製の扉が開いた。こじ開けるのが難しければ、自ら開くようにすればいい。ここまでは、狙い通りだった。
ビルの防備の要は、この鋼鉄製の扉なのに、一般市民より血なまぐさい場所に生息しているとはいえ、平和ボケした日本のヤクザの危機管理はこの程度のもの。
額に青い血管を浮かびあがらせた、粗野な若者が顔を出す。
その顔が困惑にひきつる。
なぜなら、そいつは腹に衝撃を感じたはずだから。耳は銃声を聞いたから。
私は、扉が開いた瞬間、ワルサーPPKを抜いて若者の腹に銃口を押し付け撃ったのだ。
衝撃に凍りつく若者を、肩で屋内に押し込むようにして私は室内に侵入を果たした。
そのまま、袖口に隠したスローイングナイフを投擲する。
ワルサーPPKを持った状態でナイフを投げられるよう、私は左手でナイフを投げる訓練をしている。
ナイフは一直線に走って、この部屋に必ずいる警備担当の男の喉に刺さる。この男が座る位置も、私は掌握していた。
喉に深々と刺さったナイフは気管を切断し、悲鳴に代わって空気の漏れるような音がもれる。
短刀使いである灰谷は、その音を虎落笛に似ていると言っていた。冬の強い風が竹垣などに当たって発する笛のような物悲しい音のことを虎落笛と言うのだけど、実際聞いてみるとたしかにそうだ。
私の足元では、「痛い痛い痛い痛い」と、子供の様に泣きじゃくりながら、腹を撃たれた若者が床でのた打ち回っている。
私はそれを足で踏みつけ、動きを止めてから、そいつの眉間を撃った。
一度ビクンと跳ねて、そいつは死んだ。
人は死ぬときはホロリ、サクリと簡単に死ぬ。
逆に死なないときは実にしぶといのだけど。
そっと、後ろ手に鋼鉄製の扉を閉める。
内鍵を閉め、床に落としたピザの箱を拾い上げた。
ここまでは、シミュレーション通り。
予定通りに事態が進行すると、実に気持ちがいい。
廊下に出る鉄扉は、警備室による制御をうけるので、ロックされる前にスローイングナイフで喉を刺し貫かれた警備担当の男を蹴ってそちらに転がす。
ドアストッパーの代わりだった。
男の脅えた目がきょろきょろと動いていた。
喉を押さえる彼の手が、どくどくと溢れてくる血で真っ赤になっている。
男は喉を潰されて声が出ないのだけれど、私を見る目が命乞いをしていた。
それを私は見下ろす。
私の目に何を見たのか、男の表情が絶望と諦念のそれに変った。
うるさくないのと、ばたばたと死にかけの虫みたいな動きをしない潔い態度が良い。
見苦しく命乞いなどをされると、私が犯した最初の十四件の殺人を思い出してしまうから。
はじめて私が殺した男たちを思い出させる者がいると、怒りの衝動がわいたり、泣き叫びたくなったり、今でもまれに精神の安定を欠くことがあるのだ。
感情の爆発を抑える訓練は積んでいたけれど、リスクは小さい方がいいし、少ない方がいい。危機管理の基本だ。
殺してしまえば、人はただの物体になる。私はただの物体に心は動かない。
彼は今、肺に流れ込んでくる自分の血で、陸上にいながら溺死しようとしていたのだ。
速やかな死こそが慈悲。溺れて死ぬのはつらくて苦しいのだから。
眉間を撃つ。
壁に血は飛ばなかったので、彼の頭蓋のなかに銃弾が留まったのだろう。
頭蓋内に飛び込んだ弾は、頭蓋骨に跳ね返って、脳を撹拌したことだろう。
気が付いたら、私は鼻歌を歌っていた。変な癖だ。咳払いしてそれをやめる。
ピザの箱から、接着剤のチューブを取り出す。
中身を正面玄関の鋼鉄製の扉の隙間にたっぷりと絞り出した。
この瞬間接着剤は、これを製造しているメーカーが、キチンと固まれば車一台くらい持ち上げてもビクともしないと謳っている代物だった。
それが、本当かどうかは知らないけれど、暫くの間、この扉から入ることも出ることも出来なくすれば、それでいい。
余った接着剤は、窓のロックの部分に流し込む。
窓は防弾ガラス仕様なので、ロックさえ接着剤で固定してしまえば出入りは不可能だ。
使い切った接着剤のチューブを投げ捨てる。
このペンを立てたような細長いビルは、建物の奥に階段と小部屋、正面入り口側に大きな部屋が各フロアに一つずつという構造だ。
次に私がしなければならないのは、地下にある警備員室の制圧。
喉にスローイングナイフを突き立てられた男……今やただの物体になってしまった男が、ドアストッパーとなってる鉄扉に向う。その先は、階段と給湯室とトイレとエレベーターがある。
私は、扉の手前で止まって、ポケットから小さな鏡を出した。
鏡には、階段の上から上下二連の猟銃を突き出した上半身裸の男が映っていた。
上腕から胸まで刺青が施されていて、いかにも典型的なヤクザだったので、私は思わず吹き出しそうになってしまった。
彼は、階下での銃声を聞いて猟銃を抱え飛び出して来たのだろう。
にもかかわらず、全く闘争の気配が途絶えてしまったので、戸惑っている風情だった。
結論から言うと、こいつは馬鹿。
何故なら、こんな狭い廊下で武器の選択が猟銃だから。
平和な日本のヤクザでは、海外のマフイアやギャングと違って、ゴロゴロと銃火器があるわけないので、選択肢が少ないのは仕方ないのだけれど。
私は、壁に張り付くようにして、ワルサーPPKだけを廊下に突出し、猟銃の男がいる方向に向けて適当に二発撃つ。
精密な射撃である必要はない。
猟銃の男の破裂寸前の風船のようになっている緊張を、『銃声』という名の針でつついてやるのが目的だから。風船がパチンと弾ければそれでいい。
私は、間髪を入れずに口を開け、掌底で耳を塞いだ。
二連の猟銃の発砲音がした。
銃撃戦に慣れていないらしい猟銃の男が、私に応射しようとして引鉄を強く絞りすぎ、上下の弾をいっぺんに発射してしまったのだ。
あんな不安定な姿勢で猟銃を撃ったら、転倒は免れないだろうし、最悪の場合肩の骨を脱臼するか、鎖骨を折ってしまう。
それに、あんな密閉した空間で耳栓もなく猟銃の大音量を聞けば、音響爆弾を受けた時と同じく行動が麻痺してしまうだろう。
砲兵のように、口を開き耳を塞がないと鼓膜も損傷を受ける。
ワルサーPPKを構えて廊下に出る。
階段から転げ落ちた上半身裸の男が床の上で呻いていた。
そいつに向かって二発撃つ。意識しないとダブルタップになってしまうのは、軍人崩れのトレーニングを受けた私の習慣。
空になったマガジンを交換する。常に何発撃ったかを意識するようにしている。
これもトレーナーに叩き込まれた習性だった。薬室に一発残しておくことも習性だ。
現時点で、私が最も警戒しなければならないのは、ここの常駐警備担当責任者である、ひょろりとした若禿の男だった。
青々とした髭剃り跡と、キスする寸前みたいに無様に突き出した唇が気持ち悪い男だが、実は、上位団体から送り込まれた目付け役兼ボディガードなのだった。
男のその立場から類推すると、猟銃男などよりはよっぽど手強いかもしれない。
警備担当者が常駐している警備員室に向う。警備員室は地下一階にあった。
その時、私の目が違和感を捕えた。黒くて丸い物。それが空中を飛んでいる。
咄嗟に私のラバーソールのブーツが床を蹴る。警備員室とは反対方向……つまり後ろへ。
三歩大きく後ろに飛ぶと、サイドステップするようにして最初の部屋に飛び込む。
私の頭の中には建物の立体地図が出来ているから、目をつぶっていても後ろ向きでも、距離を見謝ることはない。
その一瞬後に爆発音。間一髪だった。いきなり、手榴弾を投げてくるとは意外だった。ここ、日本だよね? 平和すぎて反吐が出そうな国。
いきなり手榴弾とは、あの若禿は毀れている。毀れている者特有の危険な匂いがする。
最初に腹を撃った族あがりのチンピラを床から引きずり起こす。喉をナイフで抉った男は大柄で私の手には余るから。
チンピラは、昔トルエンでもやっていたのか、枯れ木のように痩せているので、私でも楽に扱えた。
そいつを盾のように掲げて、廊下に突進する。
手榴弾の硝煙が晴れる前が勝負だった。
銃声。9ミリパラべラム弾らしき音。おそらくマカロフだ。多く流通している9ミリパラベレム弾を撃てるように改造された輸出モデルのマカロフがある。
この前の仕事で、用心棒が使っていたのも、同じタイプのマカロフだったっけ。
銃火が見える。死体の盾にビスビスと着弾の衝撃。幸いなことに、貫通する銃弾はなかった。
私はチンピラの死体を蹴り飛ばして、横に飛ぶ。
そして銃火が見えた場所を撃つ。私はどんな姿勢でも十メートル以内なら直径五センチの的に集弾出来る。
これは、私も、私を拾った黒澤も知らなかった私の才能。
「ぐっ」
押し殺した呻きが聞こえる。盲撃ちだったが、相手のどこかに命中したのだろう。
硝煙が晴れてくる。私は身を低くしたまま駆けた。
再び銃声がして、私の頭上に怒ったスズメバチの羽音を残し銃弾が通過する。
また、見えた銃火に向って応射する。
再び苦悶の呻きがあがった。
「化け物め……」
壁に寄り掛かるようにして立っている若禿の男の姿が見えた。利き手であるはずの右手ではなく、マカロフを左手で持っている。
右手は、血まみれになっていて、砕けた指から指骨を見えていた。
銃火を目印に撃った弾丸が若禿の手指を砕いたのだろう。
「どんなゴツい兵隊かと思ったら、チビなメスガキとはね」
男は床にマカロフを落とし、砕けていない左手で腹を抱える。
左手の指の間から、どす黒い血があふれ、流れていた。腹に空いた銃創からの血だ。
「あんた、草戸って人でしょ?」
若禿の男の名前は草戸といった。 画像データと名簿だけの情報で、家族構成から経歴まで『魔法使い』が調べ上げ、私たちに報告してきていたのだった。
その事前の『魔法使い』の資料の人相と一致していたけど、念のため確認する。
「そんな事まで調べていたのか。いかにも俺は草戸だよ」
私はそこまで聞くと、草戸の顔をダブルタップで撃った。確実に手強いであろう若禿を仕留めたのを確認できたから。




