判明した敵
「聞こえない?」
突然、紫が言う。彼女は五感が異様に鋭い。だから私には聞こえない音も拾う。
桃山が目を閉じ、耳の後ろに掌を広げて集音していた。
「悲鳴ですね」
寒気がしたのか、紫が身をすくめて両手をこすり合わせる。
「おお……やだやだ! ねぇ金! 何か音楽のCDないの?」
このクルーザーの一番大きなキャビンであるリビングには、まぁまぁのステレオがあり、使える状態にあるのを金が見つけたところだった。
「リチャード・クレイダーマンしかないです」
金がCDを収納してある棚を見ながら答える。
「だっさ……でも、いいわ、それかけて。悲鳴よりマシ。桃山はコーヒー淹れてちょうだい」
紫は女王のように華やかで女王のように傲慢に振舞う。金と桃山はいそいそとそれに仕える。
やがて私と灰谷がいるデッキにも、聞いたことのあるピアノの旋律が流れ聞こえてきた。
紫はダサいと言っていたけど、聞けばそれほど悪くないと、私は思った。
病室に改装したキャビンに灰谷を移す。
金は、組み立てた狙撃銃を持ち出して、海に流した空き瓶を撃ち、スコープの照準の調整をしていた。
金の話では、同じ規格で作られた工業品であるスコープや銃も、微妙な癖のようなものがあり、精密な狙撃にはその癖を理解する必要があるそうだ。
私は『長いの』が得意じゃないし、金の様に次々と銃を変えないので、その話理解できるけど実感はない。
船上で何も役立つスキルを持っていない私は、分解された三丁のトカレフを組み立てていた。
頑丈さと構造の単純さからくる作動の信頼性で有名なこの銃は、なんと安全装置がない。
弾を入れなければ発射しないのだからそんなものなど不要……という乱暴な理屈で設計から削除されたという噂だが、本当だろうか?
だから、マガジンを抜いたまま携行する。
弾込めの作業は嫌いではないので、銃本体の組み立てが終わると私は一人でそれを黙々とやった。
赤崎と紫と金にそれらを渡す。
マガジンは、各人に四本作ったので、それらも渡した。
ギャレーからは、ベーコンの焼ける良い匂いがした。
わずか五十メートル程の距離で、黄が暗い楽しみに没頭していることは、あえて頭の中から排除する。食欲がなくなってしまうから。
ワインの栓が抜かれ、桃山と紫と金がグリルされたベーコンとチーズをつまみにしていている。
白井さんは酒を飲まないので、いつものように将棋雑誌に目を落としながら、食事をしていた。
赤崎は操舵室で私がもっていったベーコンのサンドイッチをポットのコーヒーで流し込んでいるはずだ。
私はワインが苦手なので、黒澤と一緒にアイリッシュウイスキーを飲んでいた。
「こいつは、マッド・スカダーの友人のミック・バルーが好んで飲んでいるウイスキーなのだぜ」
また黒澤は、私が知らない人物の名前を持ち出して、講釈を垂れる。
反応するのが面倒臭いので、私はそれを無視するだけなのだけど、黒澤は懲りない。
昨日もレオンだのボンドだのと言っていたような気がする。
誰なのかよくわからないし、調べる気もないけど。
「へぇ、意外ですね。ブロック御大の本を読みますか?」
ワインを片手に桃山が耳敏く黒澤の声を聞きつけて言う。
「小説も映画もコミックスだって、俺は好きだぜ」
金と紫も会話に加わって、どの物語が面白いのかという談義になった。
私は苦笑して、その輪から外れる。
今ここにある現実だけしかない私には、全ての物語が虚しいものとしか思えない。
だから、黒澤のように虚構の世界に没入できない。
そっと、ヒップホルスターのワルサーPPKの冷たいグリップに指を這わす。
これだけが、私のリアル。
受信を示すビープ音がトランシーバーからした。黄からの通信だ。
「全部聞き出した」
ノイズの多いトランシーバーの音声が、そう告げる。
黄がお楽しみに没頭してから約二十四時間が経過していた。
「依頼主は篠組。実行犯は中国系傭兵集団。集合場所も吐いたよ。間違いない」
黄は尋問のプロだ。黄が間違いないと太鼓判を押せば、それは真実ということ。
「最高の玩具をありがとう。感謝する」
爬虫類が悪魔の英知を持っていて、獲物を前に舌なめずりしたら、こんな声になるだろう。
黄は長く楽しめる屈強な精神を持つ相手が大好きだ。
特殊部隊出身の兵士や、情報部の工作員などの尋問に対抗する訓練を受けている者は大好物の部類に入る。
桃山が倉庫から見つけてきたトランプやダーツなどで、賑やかに遊んでいた船内が急に静かになった。
「傭兵は川崎に潜伏か。こいつは、金と紫に任せる。一人ずつ確実にやれよ」
傭兵の行動パターンを読み、遠距離から狙撃する。
そういった仕事は、金と紫が最も得意とするところだ。
「俺と翠で、篠組に当たろう」
桃山が渋い顔をする。
「赤崎さんと灰谷さんの古巣じゃないですか。いいんですか?」
篠組といえば、全国第二位の規模を誇る広域暴力団の三次組織に位置する指定暴力団だ。
その広域暴力団の傘下に入ってからは日も浅いが、組の成立自体は古く、昔から池袋に根を張るいわば老舗。
例の広域暴力団が破格の条件で傘下に誘ったのは、東京進出の足掛かりが欲しいのと、池袋とその周辺いう地域限定ではあるが知名度ゆえだと聞いている。
赤崎と灰谷は広域暴力団の傘下に入るのを潔とせず組長に杯を返した。
池袋は外国からのマフィア……特に大陸や半島からの組織の流入が激しく、独立系の暴力団はシノギが厳しい。
『寄らば大樹の陰』は、選択肢としては間違いではないが、赤崎と灰谷には意地のようなものがあったのかもしれない。
「赤崎と灰谷には俺が直接話す。しばらくの間、赤崎と代わってくれるか?」
桃山は、手にしたワインをぐっと飲み干し、
「飲酒運転だし、二級小型船舶しか持っていませんがね」
と、言ってキャビンを出てゆく。
金と紫は、さっそく地図を広げていた。
狙撃は、ポジショニングで決まる。更に、狙撃対象の正確な人数の割り出しや、各人の行動パターンの把握。やることは一杯あるが、彼らはそれを苦にしない。
狙撃手と観測手が天職みたいな二人なのだ。
金の確かな技術を、柔軟な思考の紫がプランニングして最大限の効果を発揮させる。そして、標的になった者は突然飛来した銃弾に貫かれて死ぬ。
対象者が複数いる場合は、特に念入りに行動パターンを調べて一気に叩かないと、対象が散ってしまうので作戦の要諦は九割方が調査ということになる。
疲れた顔をした赤崎がキャビンに降りてきた。
「黄から連絡があった。灰谷とお前に話がある」
赤崎は、何かを察したのか顔を強張らせて頷く。
黒澤が、彼の肩をポンポンと叩いた。
私は、言われてもいないのに、勝手に二人のあとをついて病室に改造された船室に向う。
「大丈夫だって」
黒澤が苦笑混じりに私に言う。
彼は、なぜ私がのこのこついてくるのか理解している。
赤崎は分かっていないようだ。
赤崎はヤクザには珍しく最高学府を出ているだけあってインテリだしお勉強は出来る。
それに、色々と小難しい資格も持っているが、他人の機微というか行動の裏を読もうとしないところがある。
恵まれた家庭で、思い通りに生きてきたからだろう。
その点、底辺からのし上がってきた灰谷の方が敏い。ジャガイモみたいな朴訥な外見に騙される奴は多いのだけど、実は心理の裏を読むのが上手い。
病室に改造した船室の一つにつくと、灰谷はすでに起きていて、ベッドに腰掛けていた。
「そろそろ、黄の野郎が吐かせる頃だと思ったぜ」
灰谷が、ベッドの上で胡坐をかく。さぁ話を聞こうか……という体勢だった。
私は、船室に入らずキャビンの入り口に陣取る。灰谷は、そんな私を見てゴリゴリと頭を掻いた。
「おっかねぇな……大丈夫だよ」
灰谷の言葉を聞いて赤崎は、やっと私が付いてきた意味を悟ったらしい。
怒気を含んだ目で私を振り返って、睨みつけてくる。
私はその目を平然と見返した。
黒澤はこれから赤崎が避けたいと思っていた決定を下すことになる。その際、ひょっとしたら、黒澤の決定に赤崎が反抗するかも知れない。灰谷が反抗するかもしれない。あるいは、両方とも反抗するかもしれない。
そして、そのような事態になった時、旧友である彼らを撃つことを、黒澤が躊躇うかもしれない。
ああ……そんな、私の手で殺される以外の死に方をする黒澤は、想像すらしたくない。
だから、黒澤以外なら誰でも平気で撃てる私がこの場に必要だと思っていたのだ。黒澤と灰谷はそれを一瞬で見抜いた。
赤崎は分からなかった。
いつの日か、赤崎にとってそれが致命的なことになるかもしれない。私たちは殺しの世界に棲んでいるのだから。
『細心』は『臆病』と等しくはないし、『大胆』と『慢心』もイコールではない。
「今回の襲撃の黒幕は、お前らの兄弟分だったよ。黄が裏をとった」
そんな黒澤の言葉に灰谷が、ため息をつく。
「緋村を紹介してきたのは、篠塚だった。俺がそれを受け入れて青木の下につけた。だからもしや……と思っていたんだ」
独立系の暴力団から広域暴力団に路線を切り替えたと同時に篠組の組長は引退した。
その元組長の婿養子が現・組長である篠塚だった。
その篠塚から、昔のよしみで預かったのが緋村。
なんでも上位団体の構成員だったが、他の組の女に手を出してしまったとかで、破門状が出て、それが撤回されるまで預かってほしいという事だった。
今になって考えれば、その破門話も作られた話だったのかもしれない。
赤崎と灰谷は、過去のしがらみからスパイの侵入を許してしまった。
その結果、青木は拷問された挙句、荒川に浮かんだ。
ルーキーの橙次は殺されて焼かれてしまった。




