「冬祭りの夜、二人でこっそり街に抜け出そう」下
周りに私たちの正体がバレないか、危ないことが起きないか心配だったけれど、案外バレなかった。いつの間にか私は不安も忘れて祭りを楽しむことができた。
吟遊詩人の歌に拍手したり、露店でリチャードにカチューシャを買ってもらったり。飴細工の屋台は、繊細で綺麗な鳥の姿の飴を目の前で作ってもらったりもした。
ときどき気配を感じてはっと振り返れば、顔馴染みの騎士さんが黙礼してくれる。人混みの中でもちゃんと警備してもらっていてありがたい。
騎士さんに小さく笑顔を返したところで、リチャードが私に話しかけた。
「モニカさん、歩き疲れた?」
「うん、少し」
「じゃあそこの広場で少し休もうか。ベンチがあるから」
少し開けた噴水広場では、あちこちで人が座って休んでいる。甘く香草を煮込んだワインの香りが漂ってきて、リチャードが声を弾ませた。
「グリューワインだ。寒いでしょ? 飲む?」
「そうね。いただこうかしら」
私をベンチに座らせて買いに行ったリチャードは、両手に小さな木彫りのマグカップを持って戻ってきた。
「ありがとう。皇弟殿下をパシらせるなんて、バレたら国追い出されちゃいそうね」
苦笑いする私に、彼はウインクで返す。
「モニカさんを独り占めできるのは、皇弟の特権だよ」
リチャードと一緒に並んでいただくグリューワインはあったかくて、優しい味がした。
「温まるわ……」
リチャードは口をつける私を見て、満足げに目を細めていた。
「このワイン、モニカさんの目の色みたいだ。綺麗なピンクレッドで」
「……今日は随分褒めるわね?」
あまりに上機嫌な彼に、訝しむ私を、リチャードはにっこりと笑った。
「浮かれてるんだ。モニカさんとこうして二人で過ごすの久しぶりだし」
「そっか。皇弟殿下として貴族の集まりに出ずっぱりだものね」
言われて気づく。
確かに、私たちがこうしてじっくり落ち着いて二人きりになるのは久しぶりだった。
「だからセララスから話を聞いて、仕事なんてしてる場合じゃないって思ってさ」
「場合じゃない、って……」
不意に、リチャードは真面目な眼差しを向けてきた。はっとして、私は言葉につまる。
「モニカさんとこうして、ただのリチャードとして過ごす時間のためなら、僕はなんだってできるよ」
「……そう」
真っ直ぐな瞳の熱に当てられて、耳が熱い。
基本的に貴族の男性は褒め言葉が上手だ。あれこれと歯が浮きそうな美辞麗句を並べ立てて、どんな貴婦人相手でもこれでもかと褒めそやす。きっとリチャードも嗜みとして褒め慣れているのだろうけど、平民で聖女の私には刺激が強い。
というよりもーー他の貴族の男性にあれこれ褒められるより、リチャードの燃えるような瞳で「モニカさん」って呼ばれるのが、一番シンプルに強烈で、私の心の奥に刺さる。
ウィンプルを被っているときは、顔が隠しやすいのに。まともに受け止めて照れてる自分が恥ずかしくなる。
「……だ、だいぶん夜も更けてきたのに、全然人の数が減らないのね」
リチャードの視線がむず痒くて、私は広場へと目を向けた。
周りではたくさんの人たちが、幸せそうな様子でグリューワインを傾けている。生活に余裕がありそうな平民の人がほとんどだけど、夜なのに子供や若い女の子も多く出歩いていた。ときどきお忍びっぽい、明らかに身なりがよい人とその付き人も歩いている。
一方では、衛兵らしい人たちや自警団らしい人たちが、互いに連絡を取り合いながら見回っている。魔術師の騎士もいて、彼らは水晶を板状に加工した魔術板を見ながら、遠隔でいろいろチェックしてるようだった。
「治安もいいし……みんな幸せそうでいいな」
「この幸せはモニカさんが作ったんだよ」
「それは言い過ぎよ」
「言い過ぎじゃないよ。安心して騎士や自警団が働けるのも、魔物に怯えずにこれだけの人たちが帝都に集まって、こうして平和に祭りを開けるのもモニカさんのおかげだ」
リチャードが言うと、どんな言葉だって説得力がある。
「……ありがとう」
私だけの力じゃないわよ、みんなのおかげよ、なんて言いたくっても、なぜだか反論しにくい。グリューワインで頭がぼーっとしてしまったのだろうか。アルコール分なんて、すっかり抜けきった温かい甘い飲み物に酔わされているのか、それとも。
「さあ、次はどこに行きたい? 劇場も開放されてるし、ダンス会場だってあるよ」
「もう、元気なんだから」
立ち上がって手を差し伸べるリチャードに手を重ねる。
「あなたが連れてってくれるなら、どこでもいいわ。だって一緒ならどこだって楽しいもの」
「嬉しいね」
リチャードは目を眇めていたずらっこみたいに笑う。私は手をきゅっと握った。
そう。どこだっていい。もう少しだけあなたと一緒の夜を過ごせるのなら。
祭りの夜だからちょっとだけ、ただのモニカとリチャードで、あなたと一緒にいたい。
【終】




