波乱のGW(2)
私と恵と美沙緒ちゃんの三人は翌日2日、11時過ぎに横浜を出発した。東京在住のコバさんこと小林梨花と高尾駅で合流し、列車に乗って四人で山梨方面へ。途中で一回乗り換えをし、14時ちょっと前に河口湖駅に着いた。
駅では美沙緒ちゃんの実家の旅館の人が迎えに来てくれて、何かVIP客になったみたい。
道中では新川透とケンカになったことがバレて、
「ええっ!? 莉子ちゃん、放っておいていいの!?」
とコバさんに咎められ、
「莉子さん、大丈夫ですか?」
と美沙緒ちゃんに心配された。
「大丈夫。ちょっと離れたいだけだから」
「うーん、その気持ちは分からないでもないんだけどぉ……」
「だから予定通り4日の朝には帰るね、美沙緒ちゃん」
「それはいいんですけど、でも……」
「ああ、美沙緒ちゃん。莉子ってこうなったらテコでも動かないから、気にしないで?」
「そうなんですか、恵さん」
「莉子ちゃんって本当に頑固だもんねぇ」
とまぁそんなやりとりがあったものの、概ね順調だった。
コバさんとは色々あった分、私のことはよく理解してくれているし、美沙緒ちゃんも謙虚というか余計なことに首を突っ込むタイプじゃなくて助かる。
とにかく、今まではどうも雁字搦めすぎたのよ。たまには監視の目を逃れてのんびりしたい!
美沙緒ちゃんの実家の旅館は『珠鳳館』という、とても大きな老舗の旅館だった。木造の二階建ての奥に広い感じで、表玄関には白いのれんが掛けられていて毛筆で『珠鳳館』と書いてある。左手にある木の塔みたいなところから温泉の湯気がぼうっと空に舞い上がっていて、何だか幻想的。
私たちがお邪魔するのは、旅館内じゃなくて、奥にある根本家の母屋と離れ。この時期は当然客室は満杯だし、私達はお金を払う訳ではないから。
美沙緒ちゃんの家はとても美沙緒ちゃんを心配していて、新しいお友達である私たちのことも気になるらしい。だからゴールデンウィークに帰省するときに皆さんをご招待しなさい、と言われていたらしい。
だけどゴールデンウィークなんてみんな予定があるだろうし、と美沙緒ちゃんがなかなか言い出せなかったところ、前から美沙緒ちゃんのお兄さんが気になっていたコバさんが
「美沙緒ちゃんの家に行ってみたいなー」
と言い出したことで、急にこの話がまとまった。
恵はもともと1日と2日は私のところ、3日以降はコバさんのところに泊る予定だったし。
美容の師匠たるコバさんの意気込みがハンパなかったな。でも実際、美沙緒ちゃんは見違えるぐらい綺麗になったと思う。派手じゃないけどどこか洗練された、使い古された表現だけどまるで百合の花のような。
「ようこそ、いらっしゃいました」
そう言って出迎えてくれたのは、旅館の女将である美沙緒ちゃんのお母さんだった。ピシッと薄紫色の着物を着こなしていて、品がいい。
少し緊張しながら自己紹介をし、「初めまして」「お世話になります」と口々に挨拶とお礼を言う。
女将さんはにっこりと微笑みながら私達を見回すと、
「どうぞ、こちらへ」
とロビーの一角まで案内して下さった。ただ忙しいのか、
「私はこれで。息子も挨拶したいと言っていたので、しばらくこちらでお待ちください」
と言って、早々に廊下の奥へと消えていっちゃったけど。
そのきびきびとした後ろ姿を見送り、ふうう、と息をつきながらソファに腰を下ろす。
「だ……大丈夫だったかな?」
いつもより露出控え目の花柄ワンピースを着たコバさんが、緊張気味に呟いた。
多分、お兄さんの向こうのお母さんも照準に合わせてるんだろうな、きっと。
でもまぁ、コバさんは本当に可愛らしいので初対面で悪い印象を抱く人はいないと思う。
「はい。コバさんにはアドバイスを頂いてとてもお世話になっている、と伝えてありましたし。新しい洋服を着た私の写真も送ったんですけど、『いいわね』と褒めてましたから」
どうやら「友人として大丈夫かな」と捉えたらしい美沙緒ちゃんが、生真面目に返事をする。
そのすれ違いぶりを察した恵が「くくく」と声を漏らした。
「コバ、意気込みが凄すぎてちょっと引く」
「何よぉ、大事なことでしょ?」
「莉子にもちょっと分けてあげてほしいよ、その精神」
「何よ、それ?」
「莉子って気に入られたい願望が無さ過ぎるんだよね。自分が気に入ってるかどうかだもんね」
「……」
それって、新川透に気に入られようとしなさすぎ、って言いたいのかな。
いや、だって、気に入るも気に入られるもなくない? あの人。
「お待たせしました」
涼やかな声が聞こえ、ロビーに紺色の和服姿の男の人が現れた。私たち全員、パッとソファから立ち上がる。
「兄の肇です。初めまして。美沙緒がお世話になっています」
そう言って会釈をしたのは、背の高い、わりとガッシリ目の体格の男の人。美沙緒ちゃんと似て目鼻立ちがはっきりとした顔つき。
何だろう、昔の昭和スターのような迫力がある。確か八歳年上だから二十六歳だと思うんだけど、妙に貫禄があるな。旅館の若旦那だから?
またしても私たちは口々に挨拶とお礼を言い、頭を下げた。肇さんは無表情のままだったけど、多分怒っている訳ではなくてこういう顔の人なんだと思う。
「美沙緒、母屋に案内した後は館内も案内してあげなさい」
「いいんですか、兄さん?」
「お客様がまだ来る時間帯じゃないからいいよ」
「はい」
美沙緒ちゃんが微笑むと、肇さんはうむ、と頷いて私達にも会釈をし、悠然と去っていった。
うはー、素敵だとは思うけど迫力がすごいーと思いながらコバさんを見ると、目が完全にハート型になっている。
「ちょっと……コバ?」
「メグ、どうしよう! これはもう、運命だと思う!」
「ちょっと、コバさん? 早くない?」
新川透と全然タイプが違うけどな、と思いながらツッコむと、
「莉子ちゃん! 恋は一瞬だよ!」
と訳の分からない返しをされた。
そう言えば、優しいというよりちゃんと叱ってくれるような大人なタイプが良い、と言ってたんだっけ。つまり、肇さんはコバさんのドストライクだった訳だ。
「あの……コバさんは兄を気に入ったのですか?」
美沙緒ちゃんが小首を傾げ、急にテンションが上がったコバさんを不思議そうに見つめる。
「うん! でも、女将さんって大変だよね。できるかな、私……」
「だからコバさん、早いって」
「あはは、はは、面白ーい!」
恵はというと、私達の横で腹を抱えて笑っていた。もろもろに無関係なもんだから、かなり呑気だ。
美沙緒ちゃんはというと、至って真面目に考え込み、やがてふむ、と頷いた。
「では、館内を案内するついでに女将の仕事なども説明しましょうか」
「本当!?」
「兄に良い人を、とは私も思いますし、コバさんなら素敵な女将になれると思いますし」
「うん、頑張る!」
いや、肇さんの意思を無視してない?
とは思うものの、コバさんのこういう真っすぐさは、ちょっと羨ましい。
思わず肩をすくめると、恵が
「本当に似てるようで真反対だよね」
と面白そうにコバさんを眺めていた。
* * *
館内は旅館の建物の他、本格的な日本庭園や茶室がある。少し高い位置にあって、河口湖を見下ろすような立地。『富士山を眺め、森に身を預け、湖の鼓動を感じる』がコンセプトらしく、前に新川透が連れて行ってくれた秘境の温泉ほどではないけれど、現実世界から完全に遮断された空間。
美沙緒ちゃんが館内を巡りながら説明してくれた女将の仕事はというと、表より裏の仕事が圧倒的に多かった。板前さんとの打ち合わせや旅館内のスケジュール管理は勿論、食前酒に出す果実酒を仕込んだり、ロビーでおもてなしをするためのお茶を用意したり、御膳につける箸置きを一つ一つ折り紙で折ったり、部屋に飾る花を生けたり。
予約をすると茶室でお茶を振舞うこともあるそうで、何というか、まさに大和撫子というか、いろいろなスキルが要りそうだな、と思った。
私が唯一出来そうなのは、トイレ掃除ぐらいだったな。何でも、館内の清掃は勿論専門の人がやっているけれど、ロビー横のトイレ掃除と宴会場のトイレ掃除だけは女将が欠かさずチェックしているらしい。人目に付きやすいのと、汚れることが多いから、という理由で。
コバさんはというと、お花やお茶は元々興味があるらしく、
「やってみたーい」
と目を輝かせたので、明日は少しだけ体験させてもらうことになった。
勿論女将さんは忙しいので、女将さんに仕込まれている美沙緒ちゃんが教えてくれるんだけど。
温泉に入って母屋に戻ると、びっくりするぐらい豪勢な料理が並んでいた。お客さんに出すやつじゃないのかしら、と驚いて聞いてみると、
「はい、母がちょっと張り切ったみたいです」
と美沙緒ちゃんが照れ臭そうに笑っていた。
だけどまぁ、歓迎してくださってるのよね。ありがたいなあ、と思いつつ美味しく頂く。
私たちが泊まらせてもらうのは、母屋と繋がった離れ。
布団の上でごろごろしながらテレビを見て笑ったり、美沙緒ちゃんの小さい頃のアルバムを見て喋ったりしていると、あっという間に夜も更けて寝る時間になった。
布団に入る前、充電をしつつガラケーを開いてみたけど、着信は無かった。
もともと新川透は、連絡するとしたらタブパソのメッセージを使う。ガラケーにかけてくる時というのは、どうしても直接話したい時だけ。
ま、そうだよね。放っておいてくれって言ったのは、私だし。そのタブパソを置いてきたのも、私だし。
そう思いつつも……少し心の奥に穴が開いているのを感じながら、その日は眠りについた。




