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トイレのミネルヴァは何も知らない  作者: 加瀬優妃
放課後 ~後日談~
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約束の日(4)

 山道をくねくねと走っていく送迎バス。そうこうしているうちに日は傾いてゆき……夕焼けで辺りがオレンジ色に染まる頃、鬱蒼とした森の中からいきなり瓦屋根の門が現れた。奥に建物らしきものが見えるけど、平屋造りらしくわずかに門と同じ紺色の瓦屋根が見えるだけ。


 結局、私は新川透に『初めての出会い』のことは何も聞かなかった。

 前に聞いた時も「結婚したら教えてあげる」とはぐらかされてしまった。あの場で聞いたところで、同じようにあしらわれて終わりだろう。そろそろ戻らないと、とか急かされたりして。

 

 旅館に着いて、膝を突き合わせてからかな。そうすれば逃げ場もないだろうし。

 だけど、逃げ場がないのはこっちも同じなんだよなあ。そう思うと、なかなか勇気が……。


 そんなことを考えながらバスを降り、荷物を持って石畳の道を歩く。やがて、和風の邸宅のような平屋の建物が見えた。

 玄関はガラスの引き戸で、脇には小さな灯篭と一畳ほどの小さな庭がある。

 中に入ると、本当に普通の家の玄関ぐらいしかなかった。


 ずいぶんちっちゃいな、客室なんてあるんだろうかと思っていると、どうやらここはフロントと調理場、トイレ、売店があるのみで、客室はすべて離れ。全室露天風呂付きの一つ一つが独立した小さな家のようになっているのだそうだ。

 

 キャンプ場のログハウスみたいな感じ?とか思いながら仲居さんに付いていったら、想像とは全く違っていた。


 本館の裏手からいったん外に出ると、そこは完全に森の中。左側の崖下には小川が流れているのだろう、さらさらという水の音が聞こえる。車1台ぐらいの幅しかない舗装された細い道が正面と右側に分かれており、ずっと奥まで伸びている。


 仲居さんはその正面の道を歩いて行った。明かりと言えば、道のところどころに置かれている石灯篭だけ。外灯の白い光とは違い、オレンジ色の淡い光が何とも言えない雰囲気を醸し出している。

 その道沿いに、紺色の瓦屋根のこじんまりとした――とは言っても、ちゃんとした平屋の一軒家がポツンポツンと一定の間隔ごとに建っていた。


 しかし……何だここは! 敷地どれぐらいなんだろう? ものすごく贅沢な使い方をしているぞ!

 これ、完全に密閉空間だよね。だって、隣室というものが存在しない。これだけ離れてたら、多少暴れても声なんて絶対に聞こえないし。

 うわ、急に拉致監禁臭が漂ってきた!


 ……とまぁ毒づいてみたけど、すぐに周りとかいろいろ気にする私のことを思ってのことなんだろう。

 確か、のんびりしたいって言ったもんね、私。日常を忘れて何も気にせずゆっくりとくつろげる空間を、と考えたに違いない。


「何か、すごい……」

「そうだね。誰にも邪魔されない空間を、と思ったんだけど、予想以上だった」

「ふうん……」


 微妙にニュアンスが違っていた気もするけど、気にしないことにした。

 何しろ私はこの場所にすっかり魅入られてしまっていたし、幻想の中にいるみたいでボケーッとしていて、あんまり頭が回らなかったのだ。


   * * *


 仲居さんに案内されて玄関から中に入る。2メートルほどの廊下から左手に入ると、正面は六畳ほどの和室スペースと、同じぐらいの広さの板張りのスペースには応接セットが。その奥は大きな窓と、奥にバルコニーが見える。バルコニーの奥、ここからは見えない位置には露天風呂があるようだ。

 左側は引き戸と壁を挟んで寝室がある。同じく板張りで、セミダブルのベッドが二つ並んでいた。


 あ、あ、あ、良かった……。

 旅館と言えば、和室でお布団だと思い込んでた。夕食から戻ると中央のどでかい机が端っこにどかされて、バーンと2組並んで敷かれてるやつ。

 そんな「いかにも」みたいな状態だったらどうしよう、いたたまれないんですけど!

 ……と、密かに心配してたんだよね。


 仲居さんの説明によると、夕飯を食べに行くスタイルではなく部屋出しになる、ということだった。

 確かに本館は小さかったし、本館からここまではちょっと距離があった。ご飯を食べるためにあの道のりを往復するのは変だ。


 お昼は途中で寄ったサービスエリアでうどんを食べただけだったので、かなりお腹がすいていた。

 すぐにでも夕食を出せるということだったので早速お願いすると、仲居さんは

「かしこまりました」

と頭を下げ、テキパキと煎茶の下準備をしたあと部屋を出て行った。


 私たちはとりあえず和室の方で腰を落ち着けた。黒いどっしりとしたテーブルを挟み、向かい合わせに座椅子に座る。

 座椅子に載せられた赤と紺の花柄の座布団もフカフカで、きっとイイものなんだろうな、と思う。


 改めてぐるりと辺りを見回す。

 最初に目に入ったのは、寝室との壁にかけられているテレビ。うわー、でっか! 40インチはあるよね。

 反対側を見ると、紺色のソファが。横から見たら音符みたいな形になっていて、洒落ていて素敵。


 いやもう、何なの、ここ。豪華なんだけどそう広すぎる訳でもなく、妙に落ち着く。

 さっき仲居さん、バルコニーから見える景色もきれいですよって言ってたっけ。もう日が暮れてしまって外は真っ暗……明日にならないと見れないのが残念だ。


「はぁ……すごいねー」

「気に入った?」

「うん」


 私がボケッとしている間に新川透がお茶を淹れてくれたらしく、目の前には湯飲みが置かれていた。煎茶のいい香りが漂う。

 一言「ありがとう」とお礼を言い、はぁ、至福の時ですな~と思いながら一口飲んだところで、ハッと我に返った。


 しまった、さすがにこれは女子としてはマズいような。男の人にお茶を淹れさせるというのはどうなんだろう。


「お茶を淹れるの、忘れてた。ごめん」

と言うと、特に気にも留めていなかったらしい新川透が「全然」と機嫌よく答え、続けて


「ここに2泊する予定だからね」


と何でも無いことのように言った。


「へっ、2泊!?」


 驚きすぎて声がひっくり返る。

 え、何でだろう? てっきり明日には帰るもんだと思ってたのに。


「宿を変えるか悩んだけど、のんびりしたいって言ってたし。同じ宿なら二日目は移動しなくて済むから」


 いや、問題はそこじゃないです。ナゼ2泊なのか、というところなんだけど?


 私がびっくりした理由が分かったのか、新川透はお茶をずずずっと飲みながら

「おはようからおやすみまで」

とどこかで聞いたフレーズを言い、フフッと一人で満足そうに微笑んでいる。


 いや、別に面白くはないです。

 何で笑ってるのか、意味がわからないんですけど?


「ちょっと……」

「二人きりで丸一日一緒にいるっていう日を作りたかったんだ」

「え……」

「一泊じゃ味気ないよ」

「……ふうん……」


 そう真っすぐに言われると、何か気恥ずかしいなあ。

 視線を落とし、私は自分の頬の熱さを誤魔化すように、そう熱くもないお茶をフウフウした。


 まぁ、そうかあ。そう言えば、この辺りはハイキングコースになっているという話だった。

 今日はあまり景色も見れなかったし、明日ゆっくりと回ってみるのもいいかもしれない。

 時間を気にせず丸一日ゆっくりするなんて、これまで経験してこなかったし。

 そういえば誘拐宣言で「今日から三日間」って言ってたっけな。


 色々なことを考え、玲香さんや桜木社長にまで手を回し、この機会を虎視眈々と狙ってたんだな、ということはよくわかった。

 そんなに旅行に行きたかったのか……。


 前に『莉子とやりたいことリスト』があるとか言ってたっけな。一つずつ叶えてもらうから、とも。

 まぁ、自分のやりたいことをただ押し付ける訳ではなく、私のことも一応考えてくれてはいるようだし……ここは様子を見よう。

 何しろ、もう自力で帰るのは無理なんだし。


 あれっ、でもこれって……もしかして、新川透の思う壺なんだろうか?

 そもそも誘拐って、押し付けになるんじゃない?


   * * *


 それからほどなくして。

 さきほどの仲居さんが「失礼します」と言って現れた。和室のテーブルには、前菜、刺身の舟盛、天ぷらと次々と並べられ、あっという間に埋まってしまった。

 ドーンと中央には伊勢海老の頭。それ以外にも鮑の陶板焼き、黒毛和牛のステーキと、とにかく豪華の一言。


 何となく「お造りです」「焼き物です」とか言って仲居さんがちょこちょこ現れて提供するイメージだったけど、どうやらここは一度に全部並べて「終わったらご連絡ください」というスタイルのようだ。

 まぁ、本館からは離れてるし、とにかく「お客さまの邪魔は一切いたしません」という姿勢が垣間見える。


 こんなに食べれるものかな、と思ったけど、かなりお腹が空いていたようで結局完食してしまった。

 いや、もう、食べたことないものばかりだったけど、どれもこれも本当に美味しかった。こんな贅沢をしていいんだろうか、と申し訳ない気持ちになるぐらい。

 あと……こういうきちんとしたコース料理を食べるのって、何だかちょっと大人になった気分になるのが不思議だね。ただ食べただけなのにね。


 新川透に

「せっかく来たんだからお酒もちょっとぐらい飲めば」

と言ってみたけど

「今日はいいや」

と言ってお茶だけで済ませていた。

 年末に伊知郎さんと二人で日本酒を飲んでいるところを見た感じじゃ、そんなに弱い訳ではなさそうだったけど。


 アレかな、

「莉ー子ー」

と抱きついてこようとしたときに

「お酒くさい!」

と容赦なくエルボをかましたのを気にしてるんだろうか。

 アレは酔ったふりをしているのが丸分かりだったのでキッパリと拒絶しただけなんだけど。


 内線を入れると、ほどなく仲居さんがやってきてテキパキとテーブルの上の皿を片付けて行った。

 元の真っ黒な綺麗なテーブルになったあと、

「お酒のご注文はよろしいですか?」

と改めて聞かれたけど、新川透は

「いえ、結構です」

と断っていた。


 仲居さんの表情は特に変わらなかったけど、やはり変わった客だ、とは思ったのだろう。指先が一瞬だけピクッとなっていた。

 秘境の温泉、美味しい料理とくれば、後は地酒を味わうのが一般的なんじゃないかと思うし。


 仲居さんは

「冷蔵庫の飲み物はご自由にお召し上がりください」

とだけ言い、サササッと立ち去って行った。


 せっかく車の運転もないんだし、飲めばいいのにな。大人の旅の醍醐味じゃないのかな?

 何かこだわりでもあるのかなあ……。

 ま、いいか。


 お腹も膨れて頭があまり回らなかったこともあり、私は考えるのをやめた。

 今のこの状況だと、考え過ぎると変な緊張感が出ちゃうだろうしさ。

 気にしない、気にしない……。

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加瀬優妃はかつて「リサイクル活動」というものをやっておりました。
よろしければ活動報告を読んでみてくださいね。作品の紹介をしております。
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