約束の日(2)
平日ということもあり、サービスエリアはかなり空いていた。
だけどここ、本当に普通のサービスエリアだ。トイレと売店、レストランとガソリンスタンドがあるだけ。前に行ったハイウェイオアシスにあったような洋服屋や雑貨屋なんて、全くない。
着替えろって言うからてっきり必要なものを買うのかと思ってたんだけど?
「えーっと……」
新川透が後ろのトランクルームを開け、赤色のナイロン生地のボストンバッグを取り出した。どう見ても女物だよね、と思っていると、ズイッと目の前に突き出される。
「これに必要な物が入ってるはずだから、トイレで着替えてきて」
「わかった……けど、これどうしたの?」
「玲香さんが用意してくれた」
「へえ……えっ!?」
何で玲香さんが? ん? どういうことだ?
意味がよくわからずバッグをまじまじと見てしまう。「いいから、早く」と急き立てられて仕方なく、首を捻りながらもトイレに向かった。
サービスエリアのトイレは広くて綺麗で、パウダールームが併設してあるタイプだった。
とりあえずその一角に陣取り、まずは中身を確認しないと、とバッグを開けてみる。
中に入っていたのは……レモンイエローのキャミソールとオフホワイトのデニムジャケット、それと横浜で買ってもらったピンクの花柄の膝丈ワンピース。
そしてビニールで包まれた真っ白な新品のスニーカー。さらに奥の方には、真新しいメイク道具一式とブラシにバレッタやリボン、最近買ったコンタクトレンズまで入っている。
どう考えてもこれは、いわゆる変身セットだよね。玲香さんがこれを新川透に託したということは……。
ちょっと待て! おい!
玲香さんもグルか――!!
さっきの電話は何だったの!?
そういやヤケに飲み込みが早かったし、今にして思えば芝居くさかったような気も……。
何てことだ! 保護者に裏切られた! 人間不信になりそう!
一体いつからなのか……顎に手をやり考えようとして、ふと新川透の今日の服装を思い出す。
白いカットソーに黒のスキニーパンツ、その上には玲香さんがお詫びの品と言って渡していた紺のジャケットを着てたよな。
そして変身セットには同じ日に買ったワンピースがありますよ、と。
――透くんが心配するようなことは何もないわ。はい、これ。ちょっとしたお詫び。莉子ちゃんにもよく似合うワンピースを買ったの。今度、着てみて。
そういやあのとき、そんなことを言っていたような。予定通り、とも。
旅行のことはバレてないから心配するな。今度……つまり、旅行に行くときに着てみて、と伝えていたんじゃない?
だからあの時、新川透は洋服を受け取っておとなしく引き下がったのかも。
何てことだ……あの日にはもう、玲香さんは旅行のことを知っていた。だから餞別として、このワンピースとあのジャケットを買ったんだ。
* * *
「どういうことですか、玲香さん! 新川透に加担するなんて!」
真意を確かめなきゃ、といつもの黒のリュックからガラケーを取り出し、玲香さんに電話する。
開口一番に文句を言うと、玲香さんは
“ごめんね”
とは言ったものの、「ふふふ」と楽し気な声が漏れていた。
「笑い事じゃないです!」
“でも莉子ちゃん、旅行に行きたくない訳じゃなかったでしょ?”
「えっと……」
“透くんに話を持ち掛けられたときはさすがに驚いたわよ。だって莉子ちゃんを誘拐するって言うんだもの”
いやだから、そこで止めてくださいよ……。
何で丸め込まれちゃったの?
“どうしても誕生日に連れていきたいところがある。だけどウチに遠慮したのか行けないって言うからって”
「だからそれは……!」
新川透がおかしなことを言うから! 意識しちゃったら泊まりの旅行とかウキウキとは出かけられませんよ、ってことで!
何か厚顔無恥というか、そんな感じになるじゃない! 別にそのこと自体が嫌な訳じゃないけど……うー、どう説明すればいいんだろう?
あ、そうか、この辺の話、玲香さんは知らないんだ!
そうだよね、私言ってないもん! 言える訳ないし!
“だから莉子ちゃんにも聞いたでしょ? 透くんからの旅行の誘い、どうして断ったの?って”
「ああ、はい……」
あれ、いつだろう……。多分、12月半ばぐらいかな。新川透に断った直後だ。
保護者の許可を取りに来やがった、と思った覚えがある。
あのとき私、何て言ったっけ……?
“そしたら莉子ちゃん、居候がどうとか旅費全部出してもらうのはどうとか、そういう事ばかり言ってたから。透くんと出かけたくない、とは一言も言わなかったのよ”
「そうでしたっけ……?」
“そうよ。で、確かに莉子ちゃん、すぐに遠慮するし。まぁそれぐらい強引にしないと駄目かもね、と思ったの”
「いや、あの、でも……泊まり、だし……」
別に出かけるのが嫌だったわけじゃない。それに、本当に本当のところを言うならば、ちょっと覚悟はしてた。
だから今日はいろいろと準備を……と、それは置いといて!
つまりね、あからさまな外泊が嫌だった訳ですよ! だってバレバレじゃん!
“大丈夫よ、莉子ちゃん”
「大丈夫って、何がですか?」
“本当に嫌なら、透くんは止めてくれるわよ”
「ええ~~!?」
そこは大いに疑問だな。力では全然敵わないんだよ?
しかも、ものすごーく序盤からずっとずーっと主張してるんですけど?
男の人って本当に止まります? どうなの? それってピュア乙女の妄想世界の話じゃない?
“バレンタインのときも、止めてくれたじゃない”
「あ、あれは……まあ、そうですけども……」
でも、あの時だって結構ヤバかった気がするんだよなあ。何がスイッチかさっぱりわからないし。
しかもあの時とは違って、受験という最大の防御壁が無くなっちゃったし。
そりゃ、こっちもあの時とは状況が違うので、やや心境の変化はあるよ?
あるけども、いざとなったらやっぱりどうしても無理、と思うかもしれない。
“まぁとにかく、こっちのことは心配しないで。お義父さんとお義母さんには上手いこと言っておくから”
「上手いことって……」
“透くんがどうしても行きたかった、というのは本当のところだから”
それはよく解ってるけど……。ただ、さあ……。
どうにも割り切れないものを感じて唸っていると、電話の向こうで玲香さんが「ふう」と溜息をつくのが聞こえた。
“――わかった。今から迎えに行くわ”
「えっ」
“今、どこ? こっそり電話してるんでしょ?”
「えっと、でも……」
“莉子ちゃんが楽しめないのなら、やっぱり駄目よ”
「あ、いえ、そういう訳じゃ!」
そう言われてしまうと、逆に申し訳なくなってしまう。
うーん……何だかよく分からなくなってきた。自分はどうしたいんだ、結局。
……そうだね。
玲香さんも私を騙したんだ、と思ったらカーッとなって電話したけど、でも私は帰りたかった訳じゃない。
ただ、何だか口惜しくて、恥ずかしくて……ちょっと文句を言いたかっただけなのだ。
ましてや時間とお金を使ってわざわざ高速のサービスエリアまで迎えに来てもらうなんて、そんなことを玲香さんにさせる訳にはいかない。
「あの、さすがにそこまでは……」
“いいえ、これは私の落ち度でもあるから。莉子ちゃんに無理強いさせたい訳じゃないのよ”
「いや、あの、大丈夫です。もう怒ってないですし」
“……本当?”
責任を感じているのか、玲香さんの声はひどく心配そうだった。
私が無理をしている、と思っているのかもしれない。
「はい、本当に。あの……洋服とか色々、ありがとうございました」
この旅行を前向きに受け止めることにしよう。
だけど、何が前向きか横向きか後ろ向きかもよくわかんなくなってきたけどさ。
ぐるぐる回りすぎて、酔いそうです。
そう思いながらもお礼を言うと、
“あ、もう見たのね!”
と、玲香さんの声が1オクターブ上がった。
“二人並んだらきっと素敵だと思って買ったの! 着たら写メを送ってね”
「え、あ、はい」
“これから向かう場所にも似合うわよ、きっと!”
玲香さん、急に嬉々としだしたな。洋服を買うのも見るのも好きなんだなあ。
うーん、玲香さんとしては良かれと思ってした、ということなんだよね、きっと……まぁ、いいか。
……いいのかな?
でもどの道、もう引き返せないんだから。
「これからどこに行くか、知ってるんですか?」
“勿論よ。ちゃんと計画を聞いた上でOKを出したんだもの。それに保護者としては行き先を把握しておかないと”
「……」
やっぱりガッツリこの誘拐計画に加担してますね、玲香さん。
この二人が組むと怖いものがあるなあ……。
“山奥の秘湯ですって”
「は? 温泉ですか?」
“そうよ。でも旅館の一室とかじゃなくて、離れの独立した部屋って言ってたわね”
「離れ……」
“よっぽど邪魔されたくないのね。うふふ”
いや、うふふじゃないです。
急に不穏な空気が漂ってきましたけど! それって拉致監禁じゃないよね!?
“莉子ちゃん、いい機会だから、聞きたいことは聞いたら?”
「聞きたいこと?」
“ええ。時間はたっぷりあるんですもの。で、言いたいことはちゃんと言うの”
「……」
“一度、透くんと向き合ってあげて。多分……不安なのよ”
不安? 新川透が?
あの、いつも自信満々な、あの人が?
どうもしっくり来ない。
だけど……確かに私は、すぐに照れて逃げてしまっていたから。いつも時間に追われていたし。
これまで一度だって、新川透を優先したことはない。
それってつまり、私はずっと自分の我儘だけを通してきたことになる。
一緒にいられるのは、もう一か月もないのだ。
いつまでも意地を張ってないで、ちゃんと真っ向からぶつかってみるのもいいかもしれない。
「解りました。がっぷり四つに組むということですね!」
腹が決まり、拳を握りながら力強くそう言うと、玲香さんは
“え、ええ……まぁ、そうね”
と、なぜか当惑したように相槌を打った。




