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トイレのミネルヴァは何も知らない  作者: 加瀬優妃
放課後 ~後日談~
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過保護が過ぎる。※重複表現(後編)

「それにしても、莉子さん。以前お会いした時より顔色が良くなりましたね」


 松岡さんがシャンパングラスを片手に穏やかに微笑む。

 私はビシソワーズというお芋のスープを

(これって手前から奥だったよな)

とか考えながらスプーンで掬っているところだった。


「あ、はい。玲香さんがとても料理上手なので」

「結局ずっとお仕事を続けていると聞いていたので、心配していました。元気そうで本当に良かった」


 うんうんと頷く松岡さんの横で、小坂さんがほぼ無表情のままナプキンで口元を拭っている。目の前のスープはすでに空だ。

 優秀な秘書は食べるのも早いな、と変なことに感心する。

 私の隣にいる玲香さんは「あら、嬉しい」と言いつつ、優雅な仕草でパンをちぎり、バターを塗っていた。 

 

 

 なぜ四人でフランス料理のフルコースを食べているのか、というとだ。

 涙も収まり落ち着いたところで、私が

「松岡さんや小坂さんにもお礼を言いたいんですけど」

と言い出したからだ。

 玲香さんに電話してもらってせめて一言、と思ったのだけど、そこからの展開は異常に早かった。


 私にマンションに住む意思を確認し、スマホで小坂さんと連絡をとり、この横浜駅の近くのホテルのロビーでしばらく待たされている間に最上階のレストランに個室が用意され、あっという間にこの会食の場となった。


 松岡さん達ってそんなに急に時間が作れるものなのかな、と驚いたのだけど、どうやら玲香さんはもともと二人に会う予定だったらしい。

 つまり、ハナから今日の夜に帰る気はなかったのだ。


「ごめんね、莉子ちゃん。透くんを出し抜くにはこの方法しか思いつかなくて。莉子ちゃんに嘘をつかせたくなかったし、黙ってたの」


 ……という訳で、どうやら私の知らないところでまだ保護者バトルが続いていたようだ。

 新川透はあのマンションに私を住まわせる件については

「莉子がうんと言えば仕方ない」

と渋々了承したものの、今日私をマンションに連れていったことまでは知らないらしい。

 電話も止められたし、よく分からないが玲香さん的にはここが正念場のようだ。


 私としては、松岡さんと小坂さんの二人にちゃんと直接お礼を言うことができたし……まぁ、良かったと言えば良かったんだけど。

 松岡さんは本当に嬉しそうにしていたし、小坂さんも心なしか表情が緩んでいた気がする。

 私がお世話になるのに私が良いことをした気分になるなんて、身の程知らずなトンデモナイことなんだけど。

 それでもまあ、この場を用意してもらって良かった、とホッと一息ついたのだった。



「あのマンションでは住人用に食事も用意されてますからね。安心してください」

「ええ、献立も確認させていただきましたけど、非常によく考えられたメニューですね」

「新川さんにそう言っていただけて良かったです。だから莉子さんも、積極的に利用してくださいね」

「え……あ……」


 朝食400円、夕食600円。お昼を抜いても、一日1000円。

 きっと破格の値段なんだろうけど、私としては食事にそんなにお金をかけてられないな。

 そう思い返事に困っていると、ずっと黙っていた小坂さんがおもむろに口を開いた。


「私どもでは、あのマンションのサービスを直接確認することができません」

「そうね、女性専用ですもの」


 玲香さんが困りましたわね、というように首を傾げる。


 そうか……? カフェは男性も入れるのにな。まぁ、日替わりメニューを全部網羅するのは、確かに大変だろうけども。


「莉子様には気づいたことを忌憚なく言って頂けると、とても助かります」

「え、私?」

「ああ、それはいいな。莉子さん、月に1回程度でいいからレポートで報告してくれませんか?」

「レポート……」

「本当はそれを口実に会いたいけれど、さすがに新川さんに睨まれそうだから」


 松岡さんが肩をすくめてちらりと玲香さんを見る。

 玲香さんはフッと微笑むと

「私はともかく、義弟が黙っていないかもしれませんね」

と言って、スープを一口飲んだ。


 そうか、サービスか……。確かに、顧客の声を直接聞くっていうのは大事だよね。

 それに私も、設備だとか空間造形について考えるいい勉強になるかも。建物というのは、単なる入れ物じゃない。その中で生活する人のための大事な場所だもの。

 レポートを書くことが少しでも恩返しになるのなら、やってみようかな。


「分かりました。気づいたことがあれば。……えーと、でも、どこに出せば?」

「小坂の個人アドレスにメールで。いいよな、小坂」

「ええ。私から浩司様の方に回します。ですから莉子様、館内の設備やサービスは積極的に利用してくださいね」

「え?」

「お食事だけでなく、二階には様々な設備がございます。ラウンジ、大浴場、サウナ、トレーニングルーム、マッサージルーム。サービスとしてはお洋服のクリーニングサービスやルームクリーニングサービスがございますね」

「へぇ……」

「別途料金が発生するものについては、必要経費としてこちらで対応いたします。当方から依頼したものですので」

「え」

「他には、不定期のサービスになりますが出張ネイルやエステなどの美容系、英会話やマナースクール、パソコンなどのスクール系もございますね」

「は」

「これらも体験していただきたいですが……やはりお食事でしょうか。毎日と言いたいところですが、莉子様にもご都合がおありでしょうから、少なくとも週の半分程度はご利用いただきたいです」

「……」


 小坂さんの流れるようなプレゼンに圧倒される。隣の松岡さんが「それはいい」と満足そうに何度も頷いていた。

 玲香さんをちらりと見ると、

「良かったわね、莉子ちゃん」

と花がほころんだような美しい笑みを浮かべていた。


 ちょ、ちょっと待て……。

 それって、モニターだから無料で館内サービスを使い倒してね、遠慮せずにご飯もたくさん食べてね、ということだよね。


 何てことだ! この人たち、全力で私を甘やかそうとしている!

 いやいや、やり過ぎだろ!


 きっとスルーしようとしても

「それでは莉子様のご都合がいいときにスタッフを派遣して……」

とか小坂さんが隙なく詰めてきそうだ。だって利用状況なんて簡単に把握できるはずだもん!


 お、お、恐ろしい……! 私、ちゃんと庶民の価値観を保てるだろうか!?

 絶対に慣れないようにしなきゃ!


 スプーンを持つ手が震えそうになるのを必死に堪えながら、私は引きつった笑みを浮かべ、強く心に刻んだのだった。


   * * *


「しかしあの時、お前の言うようにしておいて本当に良かったよ、小坂」


 食事も進み、いい感じに酔ってきたらしい松岡さんが小坂さんの肩をポンポンと叩く。


()()()……?」


 玲香さんのナイフとフォークを持つ手がぴたりと止まった。小坂さんは

「浩司様、ワインはそれぐらいにしておきましょうか」

と近くにいた給仕に下げさせるように指示を出している。


「今から……半年前か。亡くなった妻が手掛けた物件をいくつか松岡建設で押さえる話が持ち上がって」

「へぇ……」


 奥さんプロデュースの物件、1つだけじゃなかったんだ。

 あ、そう言えば玲香さんは「最後の物件」って言ってたっけ。


「あの女性専用マンション『ビタ・フローレン』は個人で押さえたらどうか、と。奥様の想いが一番遺されている物件だから、と。そう小坂が助言してくれたんだ」

「……」

「確かにそうだからね。会社の物件になってしまうと私の一存では動かせなくなるし、転売などしてしまってはすっかり変わってしまうだろう。やはりそれは寂しいからね」

「喋り過ぎですよ、浩司様」


 小坂さんが松岡さんをたしなめるように口を挟む。

 ……照れてるのかな。いや、どちらかというと言ってほしくなかった、という感じかな。

 そうか……小坂さんが助言したのか。玲香さんから聞いた話とはちょっとニュアンスが違う気もするけど、まぁ大差ないかな?


「まぁ、いいじゃないか。会社の物件だと莉子さんを預かることはできなかっただろうしね。本当に良かったよ」


 そう言うと松岡さんは赤ワインを飲み干し「はっはっはっ」と機嫌よく笑った。


「――なるほど」


 玲香さんがカチャリとナイフとフォークを皿に置き、小坂さんを真っすぐに見据える。

 あれ、おかしいな? 何かちょっと冷ッとした空気が漂ってるんですけど?


「その頃から下準備をされていた訳ですか」

「あらゆる可能性を考え、主のために奔走するのが秘書の務めです」

「上手く乗せられた感はありますが……あのマンションは、確かに亡き奥様の配慮が行き届いた素晴らしいものですし」


 玲香さんは再びナイフとフォークを手に取ると、目の前のステーキを切り始めた。力が入っているのか、右手の甲に結構な筋が浮き上がってますけど。


「念書もありますし、ここは信用してお任せするよりないですね」

「私どもができるのはこれぐらいですから。表立っては動けません」


 小坂さんの答えに、玲香さんは肉を口に含みゆっくりと噛みながら「フッ」と微笑んだ。

 それを見た小坂さんが、わずかに目尻を下げる。


 ……何だろうな。

 微笑み合っているのに火花が散っているように見えるのは、気のせいだろうか。


 半年前か……ちょうど8月頃かな。新川透に出会った頃。

 あの時はまさか、自分にこんなことが起こるとは思っていなかったなー。


 だけど、初心忘るるべからず。

 私自身は受験という一つの区切りを迎えただけで、ステージが上がった訳ではない。環境が私を持ち上げようとしているだけ。

 そのことを、ちゃんと肝に銘じなくては。


   * * *


 その日の夜はホテルでも取ってあるのかと思ったら、その『ビタ・フローレン』に泊まることになった。

 いや、内見しただけだよね?と思ったけど、すでに契約書は交わしたらしい。ホテルのロビーで私が一人待たされていた間に。


「だからここは、名実ともに莉子ちゃんのお城よ!」

と嬉しそうに笑い、玲香さんが契約書をバーンと突きつけてきた。


 ああ……本当に新川病院の契約だ。新川家のお父さんの直筆サインとハンコがバッチリ。保証人には伊知郎さんの名前がある。そして入居者には私の名前が。

 はあ、伊知郎さんは本当に全部の事情を把握してたんだなあ。当然新川家のお父さんとお母さんだってね。じゃないと法人契約なんてできる訳ないし。


「でも、玲香さん。泊まるにしても準備が……」

「大丈夫!」


 玲香さんがスキップしそうな勢いで私の手を引き寝室に連れていく。

 一番左のクローゼットの扉をバーンと開けると……そこにはすでに色とりどりの洋服がハンガーにかけられて美しいグラデーションを作っていた。下に置かれた半透明のファンシーケースにも、すでに何かが入っている。そのうちの1つを開けてみると、パステルカラーの下着のセットが10組ほど、綺麗に並べられていた。


「あの、これ……?」

「全部莉子ちゃんのよ。サイズも問題ないと思うわ」

「いや、そうではなく」

「だって莉子ちゃん、なかなかお洋服を買わせてくれないんだもの。だから気に入ったものを見つけては集めておいたんだけど……それをここに運び込んだの。今日の昼間にね」

「はい……?」


 まさか、物凄いブランド物なんじゃ……と思って慌ててタグを見たけど、私の好きなカジュアルブランドの物だった。時折ちょっとお高そうな物も混ざっていたけど、私の好みを熟知したナイスなチョイスだ。

 ただ、数が……いくら高くはないからって、これだけあったら結構するよ!?

 しかも今日の昼って……契約前! 超・見切り発車だ!


 そうか、つまり今日は何としても契約に漕ぎつけるつもりだったんだ。だから最初から松岡さん達と会うことになってたんだ!

 玲香さんったら、意外に剛腕!


 事の次第が見えてきて恐れおののいていると、玲香さんはクローゼットを見回しながら「うーん」と唸り、溜息をついた。


「でも、まだ色々と足りないわね。来月までには困らない程度に用意するから」

「結構です! 後は自分でどうにかしますから!」

「駄目よ。まんまとアッチに乗せられたんだもの。このままにはしておけないわ」


 アッチって……松岡さん達のこと?


「いや、玲香さんも加担していたのでは?」

「してたけど、良いようにやられた感があって悔しいのよ!」


 玲香さんが歯ぎしりせんばかりの勢いで叫ぶ。

 あの、良いようにやられたのは私のような気がするんですけど?


「よく、分かりませんが……」

「半年前に押さえたって言ってたでしょ? 多分、小坂さんはもともとここに莉子ちゃんを住まわせることを考えていたのよ。恐らく、内々にね」

「はぁ」

「で、言葉巧みに私を誘導したの。結果として、新川病院という外部の顧客を獲得して堂々と住まわせることができるようになったわけ。オーナーの松岡さんが住人の莉子ちゃんと会っても不自然ではない、という状況を作り上げたのよ!」

「えーと……」


 何となくはわかったけど、いまいちその熱意の出所が理解できない。

 そんなしゃかりきに保護しようとしなくても……。私、もうすぐ18歳になるんだよ? 自立しなきゃいけない年だと思うんだけど。


「勿論、新川家としては介入しない訳にはいかないから、仕方ないと言えば仕方ないんだけどね」

「はぁ」

「だけど、これ以上は踏み込ませない。衣食住の『食住』をあっちにまんまと取られたんだもの、『衣』だけは譲れないわ、決して!」

「それ、何の戦いなんですか?」

「絶対に負けられない戦いよ!」

「全く分かりません!」


 『まんまと』ってどういうことー。玲香さんも「良かったわね」って言ってたじゃない。

 あれかな、裏が分かって主導権を握られていたことに気づいて、腹を立ててるのかな。

 でもだからって、援助合戦は困る! 私は庶民! 平凡な一庶民だからね!

 地味で堅実な暮らしをしていきたいの!


 ああ……まさか、玲香さんがこんなに熱い人だったとは。

 いや、そうだった。この人は「ここだ」と思ったら絶対に引かないんだったわ……。

 


 その日の夜は、ちょっと恥ずかしいなと思いつつも玲香さんと二人で大浴場に行き大きな浴槽に浸かり、サウナで汗を流し、マッサージチェアで存分に体をほぐしてもらい……。

 そうして色々と疲れていた私は、泥のように眠りについたのだった。


   * * *


 皆さん。私の報告は、以上です。

 さあ、これを『過保護』と言わずして何を言うと思います?


 過保護が過ぎるでしょう。

 重複表現は重々承知、でもこれ以外の言葉が思い浮かばない……。

 勿論、感謝の気持ちはいっぱいありますけどね!

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加瀬優妃はかつて「リサイクル活動」というものをやっておりました。
よろしければ活動報告を読んでみてくださいね。作品の紹介をしております。
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