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トイレのミネルヴァは何も知らない  作者: 加瀬優妃
放課後 ~後日談~
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初めてのバレンタイン(中編)

「んーと、誕生日っていつ?」

「5月5日」

「こどもの日なんだ。血液型は?」

「AB型」

「うわ、それっぽいね」

「莉子はB型でしょ」

「うん、そう。……やっぱり押さえてたか」

「ん? 何?」

「ううん、こっちの話。えーと、身長と体重は?」

「最後に測った時で187cmの73kgかな」

「へえ。じゃ、足の大きさは?」

「28.5cm。……ところで莉子、何を始めたの?」


 用意した質問リストに答えを書き込んでいると、新川透がたまりかねたように声を上げた。

 ダイニングテーブルに飲み干したコーヒーカップをトンと置き、かなり訝し気な様子の新川透と目が合う。

 私はひとまずペンを置き、飲みかけのコーヒーをごくりと一口飲んだ。


「基本情報調査」

「俺の?」

「うん」

「何でまた?」

「えーと……」


 小林梨花に、かっ……いやいや、相手の基本的なデータは知っておけ、とアドバイスされた。これは、その後ガラケーに送られてきた「知っておくべき項目」とやらを紙に書き出したもの。

 そして今日、木曜日。個別補習が終わったところで聞き込み調査を実施することにした。


 ……とまぁ、こういった経緯なんだけど、あんまり言いたくない。


「よく考えたら、し……と、透クンのこと何も知らないな、と思って」

「知りたくなったの?」

「うん、まぁ」


 小林梨花センセーに叱られたから、とは言わないでおこう。

 あ、呼び名ですが、あのフザけた愛称は懇願してどうにか変更してもらいました。で、一か月経って何とか赤面せずに言えるように……。

 ただやっぱり、まだまだ言い慣れないけれど。


 新川透は私の顔とテーブルの上の紙をまじまじと見比べた後、右手で顎をさすりながら「うーん」と唸り、首を捻った。


「言ってることは可愛いんだけど、何か作業が事務的だよね」

「え?」

「気持ちが入ってないというか」


 どういう意味だろう。

 だいたい、聞き取り調査に感情を込める必要があるのかな?


「だから、今日はここまでね」

「えーっ! 好きな色とか好きな食べ物とか、まだまだあるんだけど?」

「もうその辺は、普段の言動から適当に探って」

「えー……」

「そういうのはね、一問一答でやるもんじゃないの。ちゃんと観察してれば自然にわかるから」

「そうかなあ……」

「俺は莉子に聞いたことないでしょ」

「……まぁ」


 それはあなたが裏で何かイロイロとやっているからでは?

 ……と思ったけど、おとなしく引き下がることにした。


 うーん、いわゆる無粋ってやつなのかな。聞けばいいってもんじゃないのかも。

 そういえば小林さんも言ってたな。「興味を持ってもらえないのが可哀想」って。でも、興味はちゃんとあるつもりなんだけどな……。


 ただ確かに、情報は与えられるものではなく引き出すもの。聞き出すことに熱心になるんじゃなくて、調査対象にちゃんと関心を持つことが肝心だよね。

 気持ちを入れるというのは、きっとそういうことなんだろう。

 ようし、私もこれからは新川透をちゃんと観察して……。


 ……って、あら?


 顔を上げると、いつの間にか向かいの椅子から新川透の姿が消えていた。

 あれ? どこ行った?


 椅子から立ち上がって振り返ると、目の前にバサッと何かが差し出された。

 一瞬何かわからなくて、目をパチパチする。


 それは、赤とピンクのチューリップの花束だった。外側には白いカスミソウが散らされていて、チューリップの葉っぱの緑、チューリップの花の赤とピンクを引き立てている。

 花束の真ん中にきゅっと集まっているチューリップは、丸くてモコモコしていて、とっても可愛い。


「これ……」

「明日、バレンタインだから。俺から、莉子に」

「え……」


 差し出された花束を、おずおずと受け取る。チューリップの甘い花の香りが私の鼻腔をくすぐる。

 驚いて新川透の顔を見上げる。からかうような風ではなく、本当にただただ優しく穏やかに微笑んでいる。


「バレンタイン……えっ?」

「アメリカでは、男が恋人に送るものなんだよ」

「こいっ……」


 思わず『恋人』というワードに反応してしまい、言葉に詰まる。かあっと身体が熱くなるのを感じた。

 チューリップの花束で、思わず顔を隠してしまう。


 やだ、どんな顔をすればいいんだろう?

 男性が女性に花を贈る、まぁ世間的にはそういうこともあるとは知ってたけど……まさか、自分の身に起こるとは!

 それって嬉しいのかなー、と半信半疑だったけど……まさか、こんなにトキめくものだったとは! 


「あ……ありがとう……」


 花束の陰で俯いたまま、どうにかお礼を言う。

 すると、新川透は

「どうせなら目を見て言ってくれる?」

と言って私の手を両手で握り、花束を下ろさせてしまった。顔を見られたくなくて、思わずそっぽを向いてしまう。


「や、見ないでよ……」

「……莉子、真っ赤」

「だ、だって、驚いたし、嬉しかったし、あの、何か恥ずかしいというか……」

「そんな顔を見れるなら、やってよかった」


 ちらりと横目で盗み見ると、新川透はそう言ってさっきと同じ表情で微笑んでいた。

 だけど、いつもより口元が緩んでいるというか……珍しく照れ臭そうだ。 

 私だけじゃないんだ、と思ったら少し安心した。


「あの、ありがとう」

「どういたしまして。莉子が喜んでくれたなら、それが一番嬉しい」

「う、うん……素直に嬉しい。まさか自分が……」


 私はもう一度、自分の手元の花束を見た。


 すごく可愛い。そういえば、花言葉ってあるんだっけ。

 チューリップには色々な色があるけど、赤とピンクには何か特別な意味があるのかな。

 新川透のことだから、きっと意味はあるんだろう。でも聞いたらますます照れてしまう事態になるだろうから、後でこっそり調べようっと。


「2月にチューリップ、あるんだ……」

「チューリップは2月の誕生花だし、バレンタインに送る花としては定番。……とまぁ、これはアメリカの友人からの受け売りだけどね」

「友達、いるんだ……」

「いるよ、そりゃ。莉子、俺のこと何だと思ってたの?」


 伊知郎さんや玲香さんお話から、基本的に他人を必要としない人間だと思ってました。

 ……とは、言わないでおこう。


「でも、どうしてアメリカ式? 友達のアドバイス?」

「それもあるけど……莉子は多分、バレンタインなんて気にも留めないだろうと思って」

「え?」

「下手したら忘れてるだろうな、と。それはちょっと寂しいからね」

「わ、忘れてないよ!」

「え?」


 私は花束をいったんダイニングテーブルの上に置くと、リビングに行ってペタンとカーペットの上に座った。自分の体を盾にして見られないように、そっと鞄からチョコレートの包みを取り出す。

 背後から新川透が

「何? 何?」

とやや上ずった声で追いかけてくる気配がした。


 しかし失礼だな、そこまで女子力が低いと思われていたとは。日本人女子にとっては一大イベントだというのに。

 だいたい、私がどんな思いでこれを買いに行ったと……。


 そこまで考えて、私はハタと我に返った。


 これは、小林梨花が一生懸命考えて()()()()()()()()()()()()もの。

 新川透が喜んでくれるだろうか――そう考えて()()()()()()()()()()


 それって、何か違う気がする。


 私の隣に座った新川透が、身を乗り出して覗こうとしている。見られちゃいかん、と私は慌てて包みを持った手を後ろに回し、背中に隠した。


「ごめん、やっぱりあげられない」

「え、何で!?」


 心底驚いたように声を上げる。その表情はと言うと、ガッカリを通り越して

「オーマイガー!」

と叫び出しそうな、悲痛な面持ちになっている。私の想像をはるかに超えるリアクションだ。


 慌てて

「えっと、気持ちが無いとかじゃなくてね!」

と早口に言ったけど、新川透の表情は変わらない。


 しまった、そこまでショックを受けさせるつもりはなかったんだけど。

 ヤバい、目が泳ぐ。この後ろめたさをどうすればいいんだろう。


 誤解されたくない。

 珍しく素直な気持ちでチューリップの花束をくれた新川透に、ちゃんと応えられてないと思っただけで。

 えーと……どうしよう?


 後ろ手でチョコの包みを弄びながら、どうやってこの場を切り抜けるかを考えるべく、頭の中をフル回転させた。

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加瀬優妃はかつて「リサイクル活動」というものをやっておりました。
よろしければ活動報告を読んでみてくださいね。作品の紹介をしております。
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