表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
トイレのミネルヴァは何も知らない  作者: 加瀬優妃
放課後 ~後日談~
69/108

初めてのバレンタイン(前編)


ここから4回に渡る『バレンタイン編』、スタート! (* ̄▽ ̄)ノ

(3話+おまけ1話)


 初詣ではエラい目に遭ったけど、センター試験は無事どうにか目標点をクリアした。

 かねてからの第1志望であるY大の建築に前後期とも出願。当然、私立大は一切なし。通えるお金はないからね。


 恵も地元国立大の看護科を狙える点数が取れたし、健彦サンも自己ベストをマークしたそうなので、あの神社はやっぱり効果があるのかもしれないな。私は参拝、グチャグチャだったけど。


 私が志望するY大の建築は、前後期ともに二次試験の配点が高め。センター試験が上手くいったからといって安心はできない。ここからは最後の追い込みとなる。

 やってもやっても足りない気がして、不安になる。



「前も言ったけど、『これができれば大丈夫』なんてものは受験には存在しない」


 2月10日、月曜日。国公立前期試験まで、あと2週間。

 もうとっくに出願は終えてしまった。後は頑張るだけ……なんだけど、やっぱりどこか落ち着かないというか、私たちの顔には焦りの色が見えていたようだ。

 本日の個別補習を終えたところで、新川透が私達三人の顔を一通り見回して真面目な顔で言った。


「結局のところ、本番までにどれだけ穴を無くすか、に他ならない」

「うん」

「まぁ、三人とも慢心になる心配はなさそうだけど……」

「むしろ、逆。やっぱりこう、独りで勉強してると急に不安が襲って来たりするんだよね」


 恵が珍しく大きな溜息をついた。恵の場合、二次試験でよっぽど変なことをしない限りは大丈夫だと思うけど……そうか、『大丈夫』は無いからね。


 ちなみに小林梨花はやや点数が伸びず、国公立は諦めて東京の私立の看護学部に絞ったそうだ。どっちみち両親の離婚の関係で卒業後は一人暮らしする予定だったので、

「それなら地元じゃなくてもいいでしょ」

と我儘を言わせてもらったらしい。すでに受験は終わり、結果を待つだけになっているそう。


 それ自体は小林梨花も納得の上みたいだし、恵も気にしている訳じゃないけど、今まで一緒に勉強していた子がいなくなって心細くなっているのかもしれない。


「だから週に1回ここに来ると、ちょっと安心する」

「そうだね。私も恵の顔を見るとホッとする」


 月曜から金曜までは午前中に予備校で掃除婦の仕事をし、終わった後は玲香さんの家に戻ってひたすら勉強。

 気分を変えるために図書館に行くこともあるけど、とにかく一人だ。


 この時期になると、新しい知識を入れるのではなくひたすら演習を繰り返し、取りこぼしが無いように徹底して確認することが重要になる。

 それで正しいはずなんだけど、作業になってしまっている気がして「本当にこんな感じでいいのかな」という漠然とした不安に襲われることもある。


「俺は逆に、周りがソワソワ、イライラしてるから困るけどね」


 予備校で他の受験生と共にみっちりとしごかれている健彦サンがうんざりしたような顔をした。


 初詣以来、少し打ち解けたというか私に対して嫌な顔をすることが減ったような気がする。相変わらず私に話しかけることは殆ど無いけど、恵とは勉強以外の話もするようになった。


 さすがに目の前に受験が押し迫ってくると、新川透もおかしなことを言い出すことはない。できることはもう限られているから、と勉強を教えるだけではなく今みたいに熱心にアドバイスをしてくれる。


 そんな感じで、この月曜日の個別補習の雰囲気もここにきてだいぶん良くなってきた。むしろ受験勉強のオアシスのような感じになっている。


「ああいうオーラって周りに伝染するからな」

「新川先輩はイライラしないの?」

「まぁね。今は一つでも多く積み上げていくだけだ。生活リズムを崩さないことが一番だよ」

「へえ……」


 そのとき、私の鞄の中に入れてあったガラケーからアップテンポの曲が流れてきた。玲香さんの『迎えに来たよ』連絡だ。

 それを合図に私達はバタバタと帰り支度を始め……新川透は

「じゃあ、また来週な」

と恵と健彦サンに声をかけていた。


   * * *


 翌日、火曜日。私は予備校の掃除を終えたあと、街の中心部にあるデパートに来ていた。

 ここの六階特設会場には、毎年バレンタイン専用売り場が設置されている。


 実は生まれてこの方、この行事に参加したことはない。恋愛沙汰とは無縁だったし、義理チョコを配る金銭的な余裕も無かったからだ。

 だけど、今年は……ね。


 実は、クリスマスをどうするかで一悶着あったんだよね。莉子と一緒に過ごすだけでいいから、と誘われたんだけど、

「嫌だ」

と突っぱねたのだ。


 新川透のことだから、一緒に過ごすだけで済むはずがない。何かいろいろ用意する気マンマンな気がする。

 ただでさえ指輪を貰ったあと何も返せてないのに、これ以上してもらってばかりじゃ申し訳なさすぎるもんね。


「本当に何もしなくていいから」

「でも……」

「それに24日は夜まで仕事でしょ? しかも冬期講習中ですごく忙しいじゃない」

「それはそうだけど」

「とにかく、クリスマスイベントは無しにしようよ」


 ……と、どうにか押し切り、納得してもらったのだ。

 新川透はだいぶん不満そうではあったけど、私の気持ちを汲んでくれたのかあまり強くは言わなかった。


 だけど……淋しそうではあったんだよね。それがちょっと、私の中では引っ掛かっていて。

 だから日頃の感謝の気持ちを込めて、チョコを渡すぐらいはしようと思った訳です。

 ……手作り? いや、それは逆に嫌がらせになっちゃうかもしれないからね。残念ながら。

 市販でもいいのですよ。気持ちが籠っていれば。


「あれっ、仁神谷さん!?」


 急に声を掛けられ、飛び上がる程驚いた。

 今日はいつもの黒縁眼鏡に髪の毛も無造作に縛っただけの埋没スタイル。

 この姿で私だと分かる人間はというと……。


「小林さん?」

「久しぶりだね!」


 小林梨花はぶんぶんと手を振るとタタタッと私の方に駆け寄ってきた。

 そうか、もう高3は自由登校になってるのか。迂闊だったな……。

 私は慌てて辺りをキョロキョロと見回した。高校生らしき人間は小林梨花だけで、どうやら同級生は周りにいないようだ。


「……あっ、そうか、ごめん! えーと……大丈夫かな?」


 私の傍に来た小林梨花が挙動不審な私を見て申し訳なさそうな顔をする。不用意に大声で話しかけちゃって、といったところだろう。

 彼女には私の置かれている状況は一通り説明したけど、ちゃんと覚えてくれていたんだな。


「まぁ、大丈夫そう」

「良かった。仁神谷さんも、チョコを買いに来たの?」

「あ、うん、まあ……」


 何だか秘密作戦決行中の一幕を見られたようで、気恥ずかしい。

 思わず小声になると

「え、どうしてそんなコソコソしてるの?」

と小林梨花が不思議そうな顔をして小首を傾げた。


「こういう所来るの、初めてで……隠密行動というか、何というか」

「そんなオーバーな……。え、まさか、好きな人にチョコレートをあげるの、初めて?」

「うっ……うん」

「うひゃー!」


 小林梨花は両手を自分の両頬にあてると、珍妙な声を上げた。私の照れがうつったのか、口の両端がわなわなと上がり、完璧なニヤケ顔になっている。

 私はというと、小林梨花の『好きな人』の言葉に反応してしまい、ますます赤面してしまった。

 そうズバッと言われると無駄に自覚させられて困ってしまう。


「やん、胸キュン!」

「へ?」

「じゃあ、私が案内してあげる! 色々あるんだよ!」


 胸キュンって何だ、と思っているうちに、小林梨花は私の左腕をぐいぐいと引っ張って会場の中へと連れ出した。やけに張り切っている。


 特設会場の入口には大きな看板が立て掛けられている。赤のバックに「Happy Valentine's DAY」と書かれた茶色いハートのチョコの絵。黄色いリボンで飾られたその絵は、女子達のテンションを否が応でも高めてくれるに違いない。


 中に入るとピンクのバレンタインの幟があちこちにあり、出店しているお店も全体的に赤やピンクの装いばかりだ。平日の昼間だというのに、女子大生ぐらいから年配の人まで、結構な人数が詰めかけている。


「新川先生、どんなチョコが好きかな?」

「うーん、どうだろう」

「大人向けならウイスキー入りのもあるよ。お酒は大丈夫?」

「わからない……日本酒なら年末に飲んでるの見たけど」

「じゃあ、甘いのは苦手かな」

「どうかなあ……」


 矢継ぎ早の質問にぼんやりと答えていると、私の前を歩いていた小林梨花がぴたりと足を止めた。

 おや?と思っていると、くるりと振り返り、私の顔をじーっと見つめてくる。その眉間には、二本ほどの皺が。


「仁神谷さん……新川先生のこと、何にも知らないんだね」

「え……」


 そう言われればそうだ。何が好きで何が嫌いとか全く知らない。

 だいたいそんなことを考える余裕はなく……。


「念のため聞くけど、新川先生の誕生日は知ってる?」

「知らない、けど……」

「やっぱり。……新川先生、可哀想」

「え、可哀想?」

「そうでしょ。だって好きな子に興味を持ってもらえてないんだから」

「えっ……」


 小林梨花の言葉がグサッと胸に突き刺さった。

 ハッとして左手で自分の胸を押さえる。本当に透明な槍でも刺さったと思うぐらい、ズキリと来た。


 まったくもって、その通り。そして、私の一番直さないといけないところだ。他人に関心が無さ過ぎるところ。

 いや、新川透には勿論、関心はあるんだけど……何というか、あまりにも突飛な行動が多いので

「この人、何を考えてるんだろう」

とか

「過去にどういう経験してきたんだろう」

とかそういう事にばかり思いを巡らせてたから、「誕生日」だの「血液型」だの、いわゆるフツーのデータ的な物には全く考えが及ばなかった。


「彼女なら! 彼氏の誕生日、血液型、身長、体重、足の大きさ、好きな色、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな映画、好きな曲、好きな本、好きな服装、好きな髪型ぐらいは押さえておかないと駄目だよ!」

「え、そんなに!?」

「常識だよ!」

「だって誕生日はともかく……足の大きさって必要?」

「靴下とか靴をプレゼントするときに必要じゃん!」

「そ、そうか!」


 さすが小林梨花、あなどれない!

 そう言えば、靴を買ってもらったことがあったっけ。


 ……あれ、私は自分の足の大きさなんて教えた覚えはないけど? いつの間に調べたんだろう。

 それに、それを言うなら指輪のサイズなんて私自身が知りませんが?


 でも確かに……言われてみれば、新川透の方は私について、小林梨花の言う『データ』は既に押さえてそうだ。

 確かに私は、基本の情報収集ができてない!


「そ、そうだね。迂闊だった。敵を知らないと作戦が練れないもんね」

「え、何で敵なの? 彼氏だよね?」

「彼氏というとちょっと何か……。とにかく、傾向と対策が必要な相手というか」

「受験勉強じゃないんだから……」


 こういうところ、私には絶対的に足りない。私は素直に、小林梨花にご教授賜ることにした。

 小林梨花は呆れたような溜息をつきながらも、どんな情報を入手すべきか説明してくれた。そしてバレンタインのチョコについても、私がどうにか絞り出した情報と予算から

「まぁ、これが無難かなあ……」

と超有名ブランドのハート形の缶にチョコが5個入ったものを選んでくれた。


 これじゃ物足りない、もっと安い店に変えて量を増やした方がいいんじゃ、と言ってみたけど

「ううん、この特別感がいいの!」

と頑として譲らなかった。


 特別感か。いつもと違う、非・日常ってこと?

 いや、新川透の場合は日常からかっ飛んでるから、どうもよく分からない。


「これぐらいになると、自分のためには絶対に買えないもの!」

「そうだけど……食べ足りないんじゃないかな」

「あのね、普段食べるおやつを買ってあげるのと訳が違うんだからね」

「そうか……」

「足りない分は愛情で補えばいいんだよ!」

「あっ……愛情って!」


 思わず叫ぶと、小林梨花はきゃらきゃらっと笑い 

「もう、面白ーい! ね、どんな感じだったか後で教えてね!」

と言って強引に私のガラケーの番号を奪っていった。


 協力してもらった手前、逆らえませんでした……。でも、本当に助かったしね。

 小林梨花センセー、大変お世話になりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
加瀬優妃はかつて「リサイクル活動」というものをやっておりました。
よろしければ活動報告を読んでみてくださいね。作品の紹介をしております。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ