第10話 お嬢様に、変身!
「……マジか……」
日曜日、恵の高校の文化祭。お昼過ぎに正門の外で、私と玲香さんは恵と待ち合わせをしていた。
奥からたったったっと走ってきた恵が、私の姿を見るなりピタリと足を止めた。
隣にいる玲香さんを見て、次にもう一度私の顔を見る。あんぐりと口を開けた。……ようやく、莉子だと認識したらしい。
そして、冒頭の台詞と共に溜息をついた。
「えーと……莉子?」
「そうだよ」
近寄ってきて小声で囁くので、しっかりと頷く。
今日の私は、グレーのボレロに白いブラウス、エンジのリボン。黒いジャンパースカートは膝丈ぐらいで、同じく黒のソックスは足首でクシュっとさせて。都会のお嬢さん学校の制服をイメージ。
重苦しかった真っ黒な髪は「染めちゃおうよ」と玲香さんが言うのをどうにか押しとどめ、梳けるだけ梳いて耳辺りからシャギーを入れて垂らした。小顔効果も抜群。土曜日に玲香さんが美容室に連れて行ってくれたのだ。
小林梨花はどっちかというと、ちょっと遊んでいる小悪魔ギャル風だった。だから私はあくまで清楚系でいきたかったし、受験のことを考えると黒髪じゃないと落ち着かないしね。こんなことのためにわざわざ染めるわけにはいかない。
という訳で、メイクも厚塗りはせず、メザイク・アイライナー・カラコンを駆使してパッチリ二重のクリクリおめめに。
それだけでも人相はだいぶん変わるよね。後はひたすら微笑をキープ。
「うん、これなら誰もわからないね。じゃあ……私の従姉妹たちが都会から遊びに来た、ということにしようか」
「うん。今日はミヤコって呼んでね」
「ミヤコね。ミヤコ……。玲香さん、こんにちは」
「こんにちは」
玲香さんはパープルのカットソーに細身のホワイトパンツ、ブーツ。小ぶりの肩掛けバッグに、左腕にはベージュのコート。
背が高くてスラっとしてるからこそ着こなせる、カッコいいお姉さん風(実際にカッコいいけど)。
念のため眼鏡をかけて、少し変装しているけどね。
「それで、恵ちゃん。彼女はどう?」
「今のところ動きはないですね。でも、本当に今日、何かあるの?」
「うん。新川センセーは……」
「まだ見てないね」
三人で話しながら歩く。ドーンとお城の城壁のようなもので飾られた正門を通り過ぎ、中に入る。在校生と客が入り混じっていて、結構な人出だ。
中では「メイド喫茶やってるよー!」「お化け屋敷どうぞー!」など、高校生たちの客引きが凄まじい。配られているビラを受け取りながら、軽く会釈をする。
恵が時々見知った顔に手を上げている。中には中学校の同級生もいたけど、私が仁神谷莉子だとは気づいていない様子だ。……ただ、妙にジロジロと見られたけど。
何でだろう、無難にまとめたはずなのに……と隣の玲香さんを見ると、「あらぁ、素敵!」「わぁ、どうもありがとう!」とチラシを受け取るたびにはしゃいでいた。
こ、この方が目立ちすぎるんですね、きっと……。
「ちょっと玲香さん」
「やっぱりこういう雰囲気っていいわね! 若返りそう!」
「あまり目立つとですねぇ……」
「言っとくけど、目立つのはり……ミヤコもだからね」
「えっ!?」
しまった、清楚系お嬢様風に仕上げ過ぎたか。学園祭の賑やかな雰囲気から浮いてるのかもしれない。
メイクしてないように見せるメイクって結構大変で、ここまで仕上げるのにかなり時間がかかったからなあ……。
まぁ、自分とバレなければいい訳だからここまで完璧にする必要はなかったんだけど、どうせやるならね、ちゃんとやりたかったからさ!
* * *
「……そろそろ戻らないと」
そうしてしばらく私達を案内してくれていた恵が、時計を見て残念そうに呟いた。
「そうだよね、お昼時だし」
「だから、例の件も手が空いてくる2時以降だと思うよ。それまでは自由に楽しんでいって」
「うん、ありがとう」
「動きがあったらメールで知らせるから」
「了解」
じゃね、と言って恵は自分の持ち場に戻っていった。
私が立ち聞きした通りなら、今日、小林梨花は誰かと会うために抜け出すはずで、そこには証人として新川透もやってくる、のだ。
その現場を押さえれば、どういうことなのかわかるはず。
その辺のことは、恵と玲香さんにも話しておいた。準備で忙しい午前中、客で賑わうお昼時はまず無いだろう、というのが私たちの読みだったのだ。
2時以降……まだ、1時間以上ある。それまでは一般の客として出し物を楽しむとするか……。
* * *
『小林梨花が動いた』
そんなメールが届いたのは、それから1時間半ほど経った頃だった。恵はこっそり追いかけているらしく『1階か外だ』『体育館か格技場』という短いメールが次々と送られてくる。
私と玲香さんは最初に配られたチラシの地図を見ながら、恵のメールに従って早足で移動した。ちょっと、胸がドキドキする。
『格技場の裏。私はすぐに戻らないといけないからごめん』
そのメールを受け取ったのと同時に、恵が別の出入り口から校舎に入るのが見えた。
とりあえず『ありがとう』とメールを送ると、私たちは急いで格技場に向かった。
恵の言う『格技場』というのは、剣道や柔道をやるために体育館とは別に建てられている、平屋の建物。第2体育館の隣にあるけど、ライブなどが行われている第1体育館から少し離れているし、そもそも裏手の方にあるので人影は全くない。
「こっちから覗いてみましょ」
「そうですね」
私と玲香さんはそんな会話を交わし、第2体育館の脇にある狭い道に入った。ぐるりと回り込み、格技場の裏手の方へ。そして建物の陰から、こっそり覗き込む。
小林梨花は、こちらには背を向けて立っていた。
格技場の裏は外の道路に面してはいるが、鬱蒼とした樹々と黒い鉄の棒が縦にいっぱい並んだフェンスが立ちはだかっていて視界は悪い。すぐ近くには通用門があり……どうやら小林梨花は、そこをじっと見つめているようだった。
不意に、小林梨花の肩がビクッと震えた。見ると、その通用門から誰か入ってきたようだった。
黒髪にところどころ赤いメッシュが入っている。革ジャンに白いアンダーウェア、ダメージジーンズ、厚底の靴……バンドでもやってるのかな、という感じだ。
あれ、この男の子、どこかで見たような……?
「やっと、会えた」
男の子はホッとしたように声を漏らした。格好は遊んでる風だけど、その表情はどこかはにかんでいるというか、照れ臭そう。
だけど小林梨花は本気で怖がっているらしく、後ろ姿が縮こまっている。不意に振り返ったので、私と玲香さんは慌てて身を隠した。
これは新川透の姿を探してるのかな。付いててくれって言ったのに、男の子の方が先に来ちゃったよ!……って。
「もう、付きまとわないでください!」
小林梨花の震えるような声。再び覗き込む。
男の子の、ギョッとしたような顔が見えた。
「え、ちょっと待ってよ。話をするために呼び出したんじゃないの?」
「そ、そうですけど、話はないです!」
「いや、そうじゃなくてさ。あんた、ものすごく勘違いしてるから。ただ、俺は……」
「だから、もういいじゃないですか! 未遂ですし、見逃してください!」
「……っ」
男の子は困ったように頭を掻きむしっている。ちょっとイラついているようだ。それを感じた小林梨花が、ますますビクついているのがわかる。
何だ、何だ。何がどうなって……。
あ、そうだ! この男の子、記述模試のときに廊下で電話していた男の子かもしれない。髪の毛に見覚えがあるもん。
あのときも何か揉めてるなとは思ったけど……相手は小林梨花だったのか。
彼女……という訳じゃなさそうだよね。何だろう?
「もういいって……だいたい、頼みもしないのに模試の問題をよこしたり……」
「それは、海野先輩が脅すからじゃないですか!」
「俺は脅してねえっての!」
「きゃっ……」
海野先輩、と言われた男の子が小林梨花との距離を詰めようとする。小林梨花が小さく悲鳴を上げたまま動けないでいると――。
「海野、そこまでにしておけ」
いつの間に来たのか、新川透が後ろから海野くんの肩に手をかけた。麻のジャケットにアンダーウェア、ジーパン……。完全にオフの格好だけど、なぜか変な黒縁眼鏡をかけている。
「え、あ……新川先生!?」
「だいたい分かった。海野、もう諦めた方がいい」
「何で新川先生がここに……」
「私が呼んだんです! 怖かったから!」
「怖かった……って……」
海野くんは心底傷ついたような顔をした。
何となくだけど、この海野くんとやらは小林梨花が好きなんじゃないのかな。
単にアプローチをかけたつもりだったのに、なぜか脅したと勘違いされてしまった……ということだろうか。
ん? そんなことってあるかな? まだピースが足りないぞ。
「ほらな。お前がどれだけ一生懸命でも、話を聞く気がない奴には伝わらない」
「でも……」
小林梨花はこの『話を聞く気がない奴』が自分のことだとすら分かっていないようで、ただひたすら震えている。どうやら本当に話が通じないようだ。
見た目はチャラいけど、この海野くんのどこが怖いのか私にはさっぱりわからなかった。新川透もどうやら海野くんに同情してるっぽいし。
「俺の方で、誤解は解いておいてやる。だけど、これ以上は……」
「……」
海野くんは悔しそうに唇を噛むと、小林梨花の方を見た。小林梨花がまたもやビクッと震える。
「俺、脅すつもりはなかったから」
「……」
小林梨花は答えない。海野くんは諦めたように溜息をつくと、新川透にちょっとだけ頭を下げて歩いて行った。
新川透は通用門から彼の姿が見えなくなるまで見送ると、小林梨花の方に向き直った。
「小林、ちゃんと話をしろって……」
「新川先生!」
小林梨花はダダーッと新川透に駆け寄ると――ガバッと新川透の腰辺りに抱きついた。
「えっ」
思わず声が漏れて――私の足元の雑草がガサッと小さな音を立てた。
ヤバい、と思ったときにはもう遅くて――私と新川透の目が、バシッと合う。
「――莉子?」




