第11話 いつまで囚われの身なんだろう
新川透の
「じゃあまた明日な、古手川」
というのが、古手川さんに対する最後の言葉だった。
私はふううぅぅ……と深い溜息をついた。
左手がブランとしたまま喚き、叫び、はぐはぐ言っていて……本当に疲れてしまったのだ。
どうやら新川弟とも、この緑地公園で別れたようだ。そしてしばらく無音が続いた後、
“終わったよー♪”
という、異常に機嫌のいい声が耳に飛び込んできた。
「そ、そう……。ところでいつから古手川さんに目をつけてたの?」
“その8月だよ。あの子、その時点でタケに「あの追いかけてた女の子、誰?」って一度聞いてるんだ。そのときからマークはしてた”
「はぁ……」
「“まぁ、そんなつまらない話はいいとして”」
「ふあっ!」
いつの間にか、新川透が車に戻ってきていた。
辺りは日も沈んですっかり暗くなっていたので……駐車場の外灯の下、比較的車内がよく見える明るい場所まで車を移動させた。
そしてスマホを消し、タブレットを消し、ヘッドセットを取り外し、と一通りの作業を終えると……。
……いや、終えてないですね。左手の手錠がまだなんですけど?
私の恨みがましい視線にはお構いなしな様子で、運転席側のシートも倒して私と横並びになる。
「あの、手錠……」
「もうちょっと待ってね。はい、右手」
「は?」
左手は相変わらず手錠で上から吊り下げられている。そして右手は新川透の左手に掴まれてしまった。
はぁっ! 完全に身動きができない!!
「うーん、添い寝とはいかないね。微妙に距離が……」
「いや、そういう問題ではなくっ……」
「あー、一つだけ失敗した……」
不意に、新川透が心底残念そうにガックリ肩を落とした。
何だ、作戦は上手くいったんじゃなかったの? すごく軽快にやり込めてた気がするけど。
不思議に思って「何を?」と聞くと、新川透は「ああぁ……」と本当に悔しそうな呻き声を上げた。
「何で今の莉子の声、録音しとかなかったんだろう……」
「……ああ、聞こえなかったから?」
「違う。くふっとか、はぁっ、とか、吐息がエロかった」
「だっ、だから、エロいはやめろって言ってるのに……!」
右手をぶんぶん振り回すが、当然新川透の左手に絡め捕られてしまっているのでどうにもならない。
むきーっ、これがお仕置きか!
足は自由だけど、さすがにそこまで上がらないし、スカートだし!!
……ん? あれ?
待てよ、おかしいな?
「今の、私の声……?」
「ん? 聞いてたよ。壮絶な叫びとか」
「な、どうやって……!」
「コレコレ」
そう言って右手でポケットから取り出したのは、ワイヤレスイヤホンみたいな本当に小さいサイズの、丸っこい器具。
……まさか、これもヘッドセット!? 私が借りてる、あんな大きいやつじゃなくて!?
「莉子をしばらく放置するわけだからね。万が一何かあったら困るから……そこは抜かりはないよ」
「が……はぐっ……」
「でさあ、莉子」
駐車場の外灯の明かりが、私たちの顔が並んでいる後部座席に差し込む。
新川透の顔は、そりゃ綺麗で……フェロモンがスゴくてですね!
いやあ――!! 全く逃げられない!
「莉子、陰で俺の事『新川透』ってフルネームで言ってるんだね。初めて知った」
「がふうっ……!!」
やっぱり叫んじゃってたか……。ああ、誰か私の頭を殴って!
ここ何十分かの私の記憶、きれいさっぱり、全部失くしてしまいたい!!
「ねぇ、普段は新川センセーとしか言わないだろ。ねぇ、何で、何で?」
だーっ、お前はコイバナ好きの女子かよ!! 目をキラキラさせるな!
人には何で何でと子供みたいに、とか言ってませんでした? 自分はいいのかよ!
「うぅ……」
「言わないと、いつまでも手錠外さないよ」
「……」
「そんな顔をしても駄目」
駄目だ、どうしても聞かないと収まらないみたいです。
はぁ、言うのか……。
でも、上手く言えるかな? 自分でもあんまりよくわかってないんだけどなあ。
右手を拘束されているので、身をよじって視線から逃れたくても、全く逃れられない。
あう、そんな真っすぐに見下ろすの、やめてもらえませんか?
これ、床ドンに近くない? あるいはそれ以上?
仕方なく顔だけ僅かに左に向け、視線を逸らす。話さないと、このお仕置きは永久に終わらないのだ。
はあ、と息を吐き、腹をくくった。
「……あのね」
「うん?」
「新川センセーは、みんなが呼んでるし……みんなが知ってる、センセーでしょ」
「まあね。……で?」
「で……」
そこまで言って、一瞬口ごもった。
あやふやな今の気持ちをちゃんと伝えないと、とは思っている。だけど、どう言葉を選べばいいのか。
思い浮かんだ台詞を、何回か頭の中で繰り返す。多分……足りなくもオーバーでもない、私の中では一番ピタリとくる表現。
「――私が知ってるのは、他の人と、違うから。新川センセーじゃなくて、新川透、だから」
やっとの思いで言う。
すると、ドサッという音が聞こえたので慌てて振り向いた。新川透は、ガクーッと突っ伏している。
な……何だよ! 何が不満なんだよ!
あのねぇ、これが精一杯なんだよ! わかりづらいかもしれないけど、しょうがないじゃんか!
こちらからは、新川透の頭しか見えない。そうか、つむじ2個あるんだー……じゃなくてですね。
何でそんなに凹むの? 私、結構ちゃんと頑張ったと思うんだけど。何か悪いこと言ったかなあ。
「あの……正直に言ったよ? これ以上は……」
「……ヤバい」
「はい?」
囚われた右手に、ぎゅっと力が籠められる。何だ!?と思っていると、新川透が再びガバッと顔を上げた。至近距離で、バシッと目が合う。
「莉子、それはヤバい」
何がでしょう?……という言葉が、ひゅっと喉の奥に引っ込んだ。
新川透の顔の方が、それこそもうヤバかったです。聞いちゃ駄目なやつ、コレ。
お泊りの時とは顔が違います。何か、ギラギラしてます。今回は、確実に、貞操の危機です。
バッと目を逸らし、気持ち左側へとにじり寄るけど、当然離してなんてくれません。
何だったら身を乗り出して……もっと顔を近づけて。
い、い、いや――!! 怖くてそっちの方なんて見れない! 漂ってくる熱気が凄いー!!
「無自覚? 多分、無自覚だよね?」
「う……ん?」
「莉子」
「……はい?」
ガチャンと音がして、左手の手錠が外れた。
あ、やっと自由に……と思った瞬間、右手を思いっきり引っ張られて目の前が真っ暗になった。新川透が寝そべる私の上に覆いかぶさってきたのだ。
そして、ぎゅううう、という音がするんじゃないかってくらい、力強く抱きしめられる。
はうあ、この体勢、ヤバいー!
「ぎっ……」
「ちょっとだけ大人しくしててね」
「はぁ……はぐっ……!」
ま、マズいってー! しかも今日はちょっと違うんだよ! 違うんです! わかるもん!
いやぁぁぁ――!!
「莉子が……莉子にだけ知っていてほしいことはいっぱいあるよ」
「ふっ」
「あと、莉子にだけは知られたくないこともいっぱいあるかな……」
「……んぐっ」
そんな謎かけみたいなこと言われても、知らん、知らん!
でも、ものすごく本心を言われている気がして、私は固まったまま身動きができなかった。
いやそもそも、ガッチリ固められてるんで離れられないんですけどね。
いや、まだそんないっぱいは知りたくないです。
ちょっとずつ……。お願いだから、ちょっとずつ!
とりあえず、今回はここまで――!
早いって!? いや、本当にもう無理なんで!! ごめんね!




