エピローグ
あの大戦から数十年の月日が流れた。
〈北の王国〉はまだ生きながらえており、〈黒犬〉はその大宰相という地位に納まっていた。
あの戦の後は、概ね彼の大叔父の予想通りに転がった。
帝国本軍敗戦の報が伝えられるや否や西方辺境伯が兵を挙げ、帝国は瞬く間に四分五裂、群雄割拠の態を見せた。
帝国の再統一はいまだ遠く、それどころか混乱は周辺諸国にまで波及している。
まさに戦乱の時代であった。
その元凶となった〈北の王国〉も例外ではない。
北部が戦場になることは稀であったが、彼の王国は毎年どこかしらの戦に兵を出していた。
〈北の王国〉に中原を支配するほどの力はなく、かといって他勢力による中原の統一を許せば王国の安全が脅かされることになる。
それを防ぐための戦である。
常に劣勢の側に与して戦うのだから、勢いそのどれもが厳しい戦いとなった。
かくして〈北の王国〉は〈黒犬〉の武力に拠って建つ国となり、おかげでこの年になっても〈黒犬〉は鞍を降りることを許されていない。
彼とて疲れを感じぬではなかったが、中原に介入し、戦を続ける以外の道はなかった。
人間との同盟はいまだに続いている。
彼らの助力なくして、〈北の王国〉の存続は成しえなかっただろう。
かの〈魔王〉は白竜に跨り、嬉々として戦場を飛び回っている。
開拓地が人間に襲われる事はもはやなく、豊かとまでは言えないまでも広大な穀倉地帯と変わった。
そして人間どもを従えた北部の軍勢は、恐怖の象徴として中原の民に憎悪と畏怖の目を向けられている。
そんなある年の、冬も終わりかけていた頃のことだった。
大宰相としての書類仕事を片付けていた〈黒犬〉の下に一通の訃報が届いた。
そこにはあの〈魔王〉が永遠の旅路についたと書かれていた。
今年の戦で受けた弾傷の経過が思わしくなく、雪の降り始めた頃には寝床から起き上がることすらできなくなっていたのだという。
〈黒犬〉は大きなため息をついた。
秋に別れた時には大した傷には見えなかったものだが。
しかし、些細な傷が元で死ぬ者は珍しくない。
老いていればなおさらである。
あの人間も、それだけ年を取っていたということなのだろう。
〈黒犬〉は振り返り、背後に掲げられた巨大な絵画を見上げた。
何年か前に、人類とオークの友好の証にと贈られたものだった。
剣を掲げて白い竜に跨る〈魔王〉と、その下を狼鷲と共に駆ける〈黒犬〉の姿が描かれている。
ご丁寧にも〈魔王〉の背後には光輪が輝き、まるで神の御使いのようだ。
人族随一の画家が描いたというだけあって見事な出来栄えだったが、この構図はいかにもまずかった。
人間が〈北の王〉に服従している、というのがここでの建前である。
実際に人間と関わってい者でこの建前を信じている者はもはやあるまいが、それでも建前は建前だ。
公然と掲示するわけにもいかず、さりとてしまい込むにはあまりにも惜しく、こうして〈黒犬〉の執務室に飾られている。
〈黒犬〉は訃報をもたらしたオークの外交官――普段は〈壁〉に常駐している人間担当官の一人――に向き直って訊ねた。
『……ご遺体は無事か?』
『ご遺体、ですか?』
『そうだ。
まだこの世界に存在しているか?
消えたりはしなかったか?』
外交官は質問の意図をつかみかねている様子だったが、すぐに思い当たる節を見つけたらしかった。
そして彼はそれを冗談の一種と解釈し、少しだけ表情を崩した。
『閣下、まさか。
あの人間が神の使いだという話を信じておいでなのですか?』
『そうだ。文句があるか?』
〈黒犬〉は不機嫌に答えた。
いくつもの戦傷をその顔に刻んだ大宰相に睨まれ、外交官は鼻をひくつかせた。
『い、いえ。しかし意外に思いましたので。
閣下はそのような話は信じないお方だと思っておりました』
〈黒犬〉はその言い訳に取り合わずに促した。
『それでご遺体は』
『は、はい。
ご遺体は消えもせず、輝きに包まれることもなかったようです。
ご当人の生前からの意向を尊重し荼毘に付されたとのことです』
『そうか。それはよかった』
〈黒犬〉は外交官に退出するよう手ぶりで促し、その背を見送る。
そして扉が閉まるのを見届けた後、再び絵に向き直り呟いた。
『本当に、良かった……』
〈魔王〉には、あの宝珠はまだ持っているかと幾度も尋ねられたものだった。
あの男はいつか自分がこの世界から消えてしまうのではないかと、いつも気にしていた。
だが死してなお死体がそこにあるというのなら、彼はきっとこの世界にとどまることを許されたのだろう。
〈黒犬〉は神々しく描かれた〈魔王〉の姿を仰ぎながら、誰にともなく祈った。
我が友の魂に安らぎあれ、と。
これにて完結です。
長い間お付き合いいただきありがとうございました。
好きなキャラ、印象に残った場面など感想欄にて教えていただければ幸いです。
励みになると同時に、次回作の参考にさせていただきます。
なお、次回作は「白百合姫と七人の屈強なドワーフ達」というタイトルを予定しています。
義姉との関係悪化で城を追放されたお姫様が七人のイケオジドワーフ達とキャッキャウフフするお話です。多分。




