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第九十話 決戦 Ⅲ

 ヴェラルゴンは数十メートルにわたって腹を地面に激しく擦り付け、ようやく止まった。

 その激しい痛みがダイレクトに俺にも伝わってくる。

 ともあれ、頭から落ちなかったのは僥倖だった。

 俺もヴェラルゴンもまだ生きている。


 青と白の軍装に身を包んだオークたちが遠巻きにこちらを取り囲んでいた。

 突如として目と鼻の距離に出現した恐ろしい竜に戸惑い、手を出しかねているといった様子だ。

 逃げるなら今の内だ。

 だが、ヴェラルゴンはとうてい飛び立てそうにない。


 俺は鞍を飛び降りると、光の槍と盾を出現させた。


 一人で逃げるという選択肢はなかった。

 一度でも心体を一つにすればそうもなる。

 少なくともヴェラルゴンが死ぬまではここから立ち去る気にはなれない。

 そもそも逃げ場もない。


 今撃たれれば終わりだ。

 幸いにも、敵勢は空に向かって弾を放ったばかりだったらしい。

 銃剣の槍衾の背後で装填動作をしているのが見える。

 敵が秩序と統制を取り戻す前にかき回してやる必要がある。

 乱戦に持ち込めば敵も射撃をしづらくなるはずだ。

 ヴェラルゴンが立ち上がり、吠えた。

 俺は敵が怯んだその隙に突撃を敢行。

 ヴェラルゴンもドスドスと俺の後に続く。


 恐ろしい竜が突進してくる光景に恐れをなして、正面の敵がまるで海を割るように俺たちに道を譲る。

 少し進んだところで統制のとれた一団が俺たちの前に立ちはだかった。

 彼らは銃剣の切っ先を揃えて一斉に突きかかってきた。

 その勇壮な姿に勇気を得てか、左右に分かれて俺たちを見送っていた敵も反撃に転じた。

 ヴェラルゴンのしなやかな尾が背後のオーク兵を一薙ぎに打ち払う。

 背中を気にしなくていいというのが最高に心地よい。

 俺は正面の一団に切り込み、光の槍を振るう。

 白兵戦に関する限り俺は無敵だ。小柄なオークなんかに負ける気はしない。

 この調子でいけば突破はできるだろうが、その後が問題だ。

 敵の群れから抜け出てしまえば射撃の的だ。

 このまま敵中で暴れ続けるしかない。その先のことは知らない。


 指揮官らしきオークが何か叫んでいる。

 俺だったらなんというだろうか。

 多分、「装填急げ! 同士討ちを恐れず仕留めろ!」そんなところだろう。

 邪魔なそいつに槍を投げつけ黙らせる。

 敵の混乱に拍車がかかった。


 背後で角笛の音が聞こえた。メグの従士団の角笛だ。

 退却の合図ではなかった。なぜか突撃の合図である。

 おかしい。今頃彼らはいったん退却して体勢を立て直しているはずだ。

 少なくとも、墜落直前に見た限りではそのように動いていた。

 こんな短時間で乱れ切った陣形を立て直せるはずがない。


 音のした方を見やれば、メグたちがこちらに向かって進んでくるのが見えた。

 赤い鎧が目立つからすぐわかる。思わず舌打ちが出た。何考えてやがるんだ。

 そりゃあ、馬の体重にあかせて強引に押し込めば進むことはできるだろうが、そんなのはわざわざ自分から包囲の深みにはまりに来るのと同じだ。

 戦術的には、一時離脱しかる後に再突撃が最善だろうに、あの女がそれをわかっていないはずがない。


「ヴェラルゴン、行くぞ」


 背後の相棒に一声かけて進路を変更。

 メグたちの下に向かう。


 程なくして合流に成功。

 メグたちはだいぶその数を減らしていた。当然だ。

 戦闘前には三百騎いたはずの従士団が今は百と少しかいない。


「何やってやがる!」


 俺は怒鳴りつけた。


「お叱りは受けます。

 でも、スレット様の命令でしたので」


 騎士達の総指揮はスレット、先駆けがメグ。そういう役割分担になっている。


「オークとの結びつきは今のところ勇者様の個人的な友誼で成り立っている。

 だからまだ、勇者様を失うわけにはいかないって。

 私も同意見です。だから手勢を率いて押し込んでまいりました。

 大体ですね、勇者様が墜落したりするからいけないんですよ。

 自重してください」


 一理ある。俺は反論できずに口をもごもごさせるしかなかった。

 くだらないやり取りをしている間にも、メグは迅速に指示を出していた。

 生き残りの騎士たちがヴェラルゴンを取り巻いて円陣を組む。


「で、どうするんだ」


 ヴェラルゴンを円陣の中に伏せさせながらメグに聞く。

 矢傷か刀傷かはわからないが、いつの間にかヴェラルゴンに怪我が増えていた。


「主力が突撃を再開するまで持ちこたえます。

 盾だけは生きているのをかき集めてきました。

 少しの間は持つはずです」


 主力はスレットが率いて立て直し中だという。

 事実上のノープランだ。

 だというのに、騎士たちの士気は高い。

 彼らは、ここで戦うことに価値があると信じ切っている。

 悪い気はしなかった。


「おい! 場所を空けろ!」


 俺は円陣を組む騎士たちの間に身を割り込ませ、最前列に収まった。


「光栄であります、勇者様」


 右隣の騎士が嬉しそうに声をかけてきた。


「ああ、よろしく頼む」


 俺は愛想よく応えた。

 ついでに左隣の奴とも視線を合わせ、頷きあった。

 数々の異世界を渡って様々な戦い方を経験してきたが、俺はこの「盾の壁」というやつが一番好きだ。

 盾を連ねた戦友とは命を共有することになる。 

 盾の壁の中にいる間は孤独を感じることはない。


 *


 皇帝は勝利を確信していた。

 あの厄介な竜もいつの間にやら姿を消している。

 後は数匹が戦場の上空を旋回し続けるばかりである。


 右翼軍を脅かしていた人間どもの軍勢も、今やその数を大きく減らして後退しつつある。

 戦場に残っているのは、近衛軍のただなかに孤立した竜とその取り巻きのみ。

 彼らとて、その命はもはや風前の灯火と言ってよい。

 だが、皇帝はその光景に不思議な感動を覚えていた。


 あの者たちは敵に背を向けるを潔しとせず、それどころか仲間を救うため自ら進んで死地へと足を踏み入れたのだ。

 なんという気高さであろうか!

 皇帝は近衛の指揮官を呼び寄せて命じた。


『近衛軍は包囲部隊を残して追撃に移れ。

 人間どもにたてなおす猶予を与えるな』


『はっ!』


『それから』


 その言葉に、近衛の隊長はまだ何かとあるのかと怪訝そうな顔をした。


『あの者らを殺してはならぬ。降伏を勧告せよ。

 この戦が落ち着いた後、必ず解放すると伝えるのだ』


『あの者らとは』


『竜と、竜を守護する人間の勇士たちだ。

 殺すには惜しい』


『お気持ちは理解できます。

 しかし、とてもではありませんが我らの言葉を解するとは思えませぬ』


『現に賊徒どもは人間を従えておるではないか。

 何らかの意思疎通の手段があるはずだ。まずは試せ』


『はっ』


 使者と伝令が送り出され、近衛軍が前進を再開する。

 使者も程なくして戻ってきた。


『言葉は通じたか』


『はっ。声は通じませなんだが、文字を解する者が一人おりました』


『うむ、それで回答は』


 促されて使者は言いよどんだ。


『構わん、ありのまま伝えよ』


『はっ、では憚りながら申し上げます……ただ一言、「糞ったれ!」と』


 皇帝は小さくため息を漏らした。

 しかし、あれほどの勇士たちであれば仕方のないことだろう。

 そもそも命を惜しむような者ならば、とうに逃げ出していたはずだ。

 惜しいことだと思う。叶うならば、あの白い竜を生きたまま近くで見てみたかった。


『残念だな。しかしやむを得ん――』


 殲滅せよ、と言いかけたところで甲高い呼子の音が響いた。

 続いてあらぬ方向からの砲声。

 何事かと問う前に報告が上がった。


『あ、赤服の狼鷲兵です!

 近衛狼鷲兵連隊です!』


 あの男の一隊はもはや近衛ではないし、決して近衛と呼んではならない。

 そんなことすら忘れてしまう程に慌てていた。


 皇帝の周囲にいたのは、わずか一個大隊の近衛兵と、五千に満たぬ右翼軍の敗残兵だけだった。

 敗残兵は皇帝の威光でかろうじて陣形を維持しているだけの烏合の衆だ。

 半分以上は武器すら持たず、ただ足元にあった石を握りしめているに過ぎない。

 頼みの綱は近衛兵だが、狼鷲兵の突進を食い止めるにはあまりにも数が少ない。


 近衛軍主力は既に前進を開始しており、引き返してきたところで到底間に合わない。

 人間どもを包囲している部隊は身動きが取れない。


 敵は皇帝に考える時間すら与えようとしなかった。

 ほとんど全力疾走と言っていい速度で狼鷲を疾駆させながら、隊列には一分の乱れも見られない。

 再び呼子が鳴って、斉射。戦列にばらばらと穴が開き兵士たちが怯んだ。

 狼鷲兵は広く散開したまま抜刀し、右翼軍の隊列に激突する。


 皇帝は、勝ち戦が負け戦に転じる瞬間を、輿の上から呆然と見つめていた。

 眼下では、右翼軍残余の隊列が狼鷲に文字通り食い破られていた。


 *


 北方辺境伯軍は、軍とは名ばかりの寄せ集めの小部隊である。

 隊列を組んでの前進すらままならない彼らは、当然のことながら戦力としてはあてにされていない。

 北部救援の軍勢に、肝心の北方辺境伯が参陣せねば格好がつかぬという、ただそれだけの理由でこの戦に従軍していた。

 彼らは、近衛軍と同時に移動を開始していながら、近衛軍が交戦を開始してもなお、その後方をモタモタと進んでいた。

 北方辺境伯はその遅れを取り戻し、近衛軍右翼に展開するべく林の中を突っ切ることを選択。

 結果さらに前進が遅れた。

 そのことが帝国軍に幸運をもたらした。


 もっとも、それが彼ら自身にとっての幸運であったかは判断の分かれるところではある。


 *


 〈黒犬〉の大叔父は部隊の先頭を突き進んでいた。

 若い頃からずっとそうしてきたのだった。

 老いたりとはいえ、この位置を誰かに譲るつもりは毛頭なかった。


 高速で流れ去っていく景色の中に、生と死が渦巻いていた。

 彼が率いる軍勢は死の化身となって生者を切り裂いていく。

 無手の兵士が破れかぶれに石を投げつけてきた。

 身を低くしてその石礫を兜で受ける。

 剣を振るうまでもなく老将の愛鷲がその兵士を噛み殺した。

 再び身を起こすと、真正面に白い虎をかたどった金地の軍旗が見えた。

 皇帝の所在を示す親征旗だ。

 護衛大隊による方陣の中心にそれは翻っていた。


 この老練な傭兵隊長は、素早く自軍の状況を確認し態勢を立て直す必要を認めた。

 彼の傭兵隊は打ち崩した敵勢を追って散り散りになりつつある。

 一方の主戦線に目を向ければ、人間どもを追っていた近衛主力が大慌てで引き返してくるのが見える。

 老将は口角を上げて牙をむき出しにした。

 まだ大丈夫だ。

 奴らが戻ってくるまで十分な時間がある。

 獲物は逃げようもない。


 彼は呼子に息を吹き込んだ。

 敵から一度距離を取り、再び部隊をまとめるためだった。

 呼子の音が連鎖し、彼を中心に再び突撃隊形を組み上げ始めた。

 隊形の再編はすぐに終わるはずだ。


 もし彼が、まだ戦に明け暮れていた頃の若さを保っていたならば決して警戒を怠りはしなかっただろう。 

 だが、彼は老いていた。

 そして、久方ぶりの戦場の熱気に中てられて、いささか頭に血が上っていた。

 勝利を確信して獲物の所在を示す大軍旗を睨みつけており、森の中を進む小勢の存在に気付くのが遅れた。


 配下の者が、森から飛び出てきた小勢を発見し、警告の声を上げた時にはすでに手遅れであった。

 振り返った老将が目にしたのは、指揮杖を振り下ろして斉射の号令を発する〈ドラ息子〉の姿だった。

 それが彼の見た最期の光景になった。


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