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第九話 竜の帰還

 〈黒犬〉は野営地に積み上げられた兜の山を見上げていた。

 先の会戦及び、その後の掃討戦で得た戦利品だ。

 中には鍋に紐を通したような粗悪品も混じっているが、ともかくその総数は一万近い。

 これらはもうじき伯都に輸送され、今回の戦果を目に見える形でアピールするためのモニュメントになる予定だ。


 彼の先祖達は手柄を誇るため敵の首を切り落として持ち帰ったというが、そのような蛮習は廃れて久しい。

 もし今同じことをすれば、尊敬されるどころか気味悪がられるだけだろう。

 ただでさえ彼の部族に対する偏見はいまだに根強い。下手をすればこちらが怪物扱いだ。

 たとえそれが人間相手だとしてもだ。


 その山から転がり落ちた兜を、〈黒犬〉はいらだたしげに蹴り飛ばした。

 脇腹の傷が疼く。蹴られた兜は勢いよく山にぶつかり、派手な音を立てて跳ね返ると、また〈黒犬〉の足元に転がってきた。

 牙をむき出しにした猪の頭立てが、ニヤニヤ笑いながら彼を見つめていた。

 辺境伯のドラ息子そっくりだった。辺境伯軍のお飾りの司令官だ。


 まったくの無能で、怠惰だけが唯一の美点という男だ。

 あの怠け者が、軍の指揮を〈黒犬〉たちに事実上丸投げしていればこその大勝利だった。

 あれが口を挟んできていたら、恐らくロクでもないことになっていたはずだ。

 これで気前が良ければ、それはそれで上に立つ者の一つの資質となり得た。


 だが、それができるならドラ息子などとは呼ばれはしない。

 彼は〈黒犬〉の手柄を殆どかっさらっていった。

 そんな時だけアイツは機敏に動き回るのだ。

 結局、公式の場での辺境伯からお褒めの言葉も、帝国議会からの勲章も、あのドラ息子に授けられることになっていた。


 もちろん、あの勝利が本当は誰の物であるか、知る者は知っている。

 辺境伯軍の将兵はもちろん、辺境伯もそのことは知っている。

 辺境伯は本来南方部族の傭兵隊長にすぎない彼を、辺境伯軍の幹部に引き上げた後援者でもあった。

 以前には娘の婿にという話まであったのだ。


 そんな辺境伯からは、内々にではあるがお褒めの言葉や報奨金とともに謝罪の言葉までいただいている。

 同時に追撃の最中に受けた怪我について叱られもしたが、それも〈黒犬〉の身を案じてのことだ。

 それでも〈黒犬〉の気は晴れない。


 もう一度、兜を蹴っ飛ばす。

 山とは別方向に蹴りだされたそれは、今度は戻ってこなかった。


 まぁいい。

 〈黒犬〉は胸の内で呟いた。手柄を立てる機会はまだあるだろう。

 辺境伯軍の実質的な指揮権はまだ俺が握っているのだ。

 もっとも、時間はあまりない。

 あの老人はそう長くはないだろう。辺境伯亡き後、あのドラ息子の下では栄達は望めまい。

 そうなる前にできるだけ名を上げておく必要がある。


 彼の部下が、準備が整ったことを告げに来た。

 〈黒犬〉が振り返って合図を出すと、牛に曳かれた大きな荷車の列が動き出した。

 辺境伯に頼み込んで、どうにか帝国本軍から借り受けた荷物だった。

 昨日になってようやく彼の元に届いたのだ。

 機動力を重視する〈黒犬〉の好みには反するが、現状を打開するにはこいつが一番効果的だろう。


 彼の視線の先では、谷を塞ぐ巨大な城壁に彫り込まれた、巨大な水龍の頭像が彼と彼の軍勢を谷の奥から睨み下ろしていた。


 *


「勇者様!勇者様!」


 どこからともなく声が響いてくる。ここはどこだ?


 そう、十三番目の異世界だ。


 気力を振り絞って、遠ざかりつつあった意識を引き戻そうと努力する。

 ぼんやりとした視界にローブに似た白い神官服が映る。

 あの娘が着ていたものに似ている。


「力尽きるにはまだ早うございますぞ!」


 だが、彼女の声は聞こえてこない。聞こえるのはおっさんの声だけだ。再び意識が遠ざかる。


 ガン!


 頭部に衝撃が走った。痛みとともに急激に意識が回復する。

 目の前には不機嫌な顔をした禿頭の神官。

 手には大ぶりのすりこ木のような棒を持っている。

 聞けば、王の頭であっても殴ることが許される、それは由緒正しい棒なのだという。


「私とて暇ではないのですぞ。勇者様たっての希望と聞けばこそ、こうして時間を割いてまいりましたのに」


「す、すみません。もう眠気も覚めたので続きをお願いします」


 彼は大きなため息をつくと書見台に視線を戻し、あの平板な声で朗読を再開した。

 書見台の上には、見事な装飾が施された、巨大な羊皮紙の本が乗っていた。


「―― そしてその年、エラルロンはその三番目の妻との間に五人目となる男児をもうけた。その子供はワーガンと名付けられ、長じてガウルスの娘を娶り四人の男児をもうけたが、やがて二人の兄がベルオンとの戦で命を落とすと三の兄、四の兄を退けて一族の守護者となった。さらに、自身で一の兄の娘らを娶ると、息子たちにも下の兄の娘たちを娶らせた。こうして一族をまとめ上げたワーガンは、火月の年の最初の月に兵を挙げた。これに対しベルオンはガウルスの子ベルデモスと手を結びモルラヌの平野で決戦に及んだ。両軍は激しく衝突した。戦いは三日三晩続き、平野は血と死体で覆いつくされた。モルラヌとは当時の言葉で〈血の沼〉を意味する。戦いに勝利したワーガンは、ベルオンの四肢を切り離すと、それぞれを別の場所に葬った。胴はその場に埋めた上で重石が乗せられ、首はワーガンの館に晒された。ベルデモスは虜囚となり、客人としてもてなされた。ベルデモスは翌年ワーガンの館で病に倒れ――」


 歴史の勉強をしたいと言い出したのは俺だ。

 元帥就任の儀はつつがなく終えたものの、いまだに竜は戻ってこない。

 空いた時間にこの世界のことを学んでおこうと思ったのだ。

 歴史は重要だ。

 その世界の成り立ちや、各勢力の立ち位置、地方の特色、伝統的倫理観等、様々なことを知ることができる。


 知ることはできるが、それは俺の頭が追いつけばの話だ。

 毎度のことだが、こういうことになると自分の頭の悪さを思い知らされる。

 俺を異世界に送り込んだ奴らは、頭の中身までは強化してくれない。


 講義をしてくれているのは、王の教育係だという学僧だ。

 こちらから頼んでおいて文句を言うのもあれだが、彼の教え方にも問題があるんじゃなかろうか。

 何しろ、彼の授業というのはこうしてひたすら歴史書を朗読し続けるというものなのだ。

 質疑応答なんてものもない。


 せめて自分で読めればマシになるかも知れないと思い、その本を貸してくれるよう頼んだが、「規則により禁じられています」と素気無く断られた。

 学僧として資格を得た者以外、神殿書庫の本には王であっても触れてはならない決まりなのだそうだ。

 まあ、こういう世界じゃ本は貴重品だろうしな。

 吟遊詩人でも雇うべきだったかもしれない。

 あれで歴史を学ぶのは問題もあるだろうが、少なくとも聞き手が退屈しないよう工夫してくれる。


 突然、派手な音を立てて扉が開いた。

 リーゲル殿が部屋に入ってくる。かなり浮かれていた。

 あの真面目な老人にしては珍しい、というより初めて見た。


「何かいい知らせがありましたか?」


「竜が帰ってきましたぞ!」


 お、それはいい知らせだ。


「早速お見せしましょう!馬の用意はできております!」


 彼は返事も聞かずに俺を部屋から引っ張りだそうとする。

 半ば引きずられながら振り返ると、あとに残された学僧が何の表情も浮かべずに帰り支度を始めているのが見えた。


 竜騎士団の本拠へは前回の半分以下の時間でついた。

 リーゲル殿がほとんど全力で馬を飛ばしたせいだ。

 崖下の厩舎に馬を預けていると、巨大な影がさっと頭上を通り過ぎて行った。

 見上げるとちょうど一頭の竜が崖の上に降りようとしていた。

 おや……これは珍しい。


 俺達が崖上にたどり着くと、先程の竜が飼育係――竜飼いというらしい――たちに囲まれていた。

 一人の竜飼いが長い棒に刺した生肉で竜の注意をひきつけ、その隙に他の竜飼い達が羽毛をかき分けて何かを調べている。


「ここの竜は羽毛が生えてるんですね」

「他の世界では違うのですか?」


 俺の言葉に、リーゲル殿が不思議そうな顔をする。


「えぇ、そうですね。私はここも合わせて十四の世界を見ていますが、そのうち竜がいたのが七つ。

 羽毛が生えた竜がいたのはここ以外では一か所だけです」


 その竜は北方の山岳地帯にだけ生息する特殊な種で、他の竜は羽毛ではなく鱗で覆われていた。

 あ、ここも条件は同じか。

 南には他と同じ裸の竜がいるのかもしれない。


 竜の体長は五、六メートルぐらいだろうか。

 シルエットはティラノサウルスに良く似ているが、全身が極彩色の羽毛に覆われ、前肢の代わりに巨大な一対の翼を生やしている。

 よく見ると、極彩色なのは上側だけで、下側は灰色だった。

 羽毛を調べていた竜飼いが、棒を持って待機していた同僚に声をかけた。

 待機していた竜飼いは棒の先端にグルグルと何重にも布を巻き付けると、それを樽の中に突っ込んだ。

 それから、ねっとりとした液体をたっぷり含んだ先端を、先ほどの竜飼いが指している場所に近づけていく。

 よく見ると、そこは微かに赤く染まっていた。傷ついたところに何か軟膏のようなものを塗ろうとしているらしい。


 棒の先端が怪我に触れた途端、竜が暴れ出した。

 長い尻尾を振って先程の竜飼いを薙いだが、彼は慣れた調子でひらりとかわした。

 竜飼い達は警告の声を上げながら竜から距離を取ると、腰に下げていた縄を取り出してブンブン振り回し始めた。

 先端は輪になっており、まるでカウボーイだ。

 彼らはタイミングを合わせてそれを竜に投げつけたが、全て振り払われた。


「恐らく、山にいる間に雌を奪い合っているんでしょうな。

 繁殖から戻った竜は大抵は怪我をしております。

 治療してやらねばならんのですが、戻ってしばらくはあのように気性が荒くなっておりまして。

 竜飼い達もこの時期は苦労するようです」


 説明するリーゲル殿の声はいつも通りだ。よくある事らしい。

 竜は咆哮を上げ、鋭い牙を見せ付けながら竜飼い達を威嚇する。

 彼らはもう一度縄を投げ、今度は若い竜飼いの一人が竜の首に縄をかけることに成功した。


 周囲の竜飼いが彼に助力しようと駆け寄るが、それよりも早く竜が大きく首を振る。

 若い竜飼いの体が浮き上がり、隣にいた竜飼いにぶつかる。

 それを見た竜飼い達の連携が乱れた。

 ぶつかられたのはこの場のまとめ役だったらしい。


 まとめ役の男が転がったまま指示を怒鳴るが、皆は及び腰になっている。

 そこへ竜が再び尻尾による一撃を放ち、竜飼いがまた一人吹っ飛ばされた。


「あぁ、いかん!」


 それを見たリーゲル殿が慌てて駆け寄っていく。

 洞窟の方からも何人か竜騎士たちが走ってくるのが見えた。

 俺も何か手伝おうかと思ったが、思いとどまった。

 何をすればいいかもわからないし、下手に手を出して逆鱗にでも触れたら厄介だ。

 おとなしく見守っておこう。

 この世界の竜に逆鱗があるかは知らないけど。


「見苦しい所をお見せしました」


 竜飼い達には手が付けられなくなっていた暴れ竜も、リーゲル殿が跨って宥めると、たちまちおとなしくなった。

 その後、竜は竜飼いによって洞窟内の竜房へ曳かれていった。

 もっとも、跨るまでが大変だったのだ。

 三人の竜飼いが追加で骨を折り、リーゲル殿も何ヶ所かの打ち身に加えて軽い火傷と噛み傷を負った。


 既に竜房の三分の一に竜が入っていた。

 もう残りももう二、三日あれば戻ってくるらしい。

 洞窟の中では竜飼い達が忙しく走り回り、前回と違って活気に満ち溢れている。


「これが我が愛竜、グレルゴンです」


 そういって、リーゲル殿は鮮やかなエメラルドグリーンの竜を俺に紹介してくれた。

 風切り羽は鮮やかな赤。下面は先程の竜と同じく明るい灰色。

 見るからにモフモフとしており、いかにも気持ちよさそうだ。


「……触ってみてもいいですか?」


「もう落ち着いておりますので、大丈夫でしょう」


 やった。


 モフモフ。


 あぁ……フカフカで暖かくて……気持ちいい。


「やはり、勇者殿には素質があるようですな」


「素質?」


「はい。竜と意思を通じるための素質です。これがないものは竜には乗れません」


「簡単にわかるものなんですか?」


「竜は素質の無いものに触れられるのを嫌いますからな。素質がなければ、近づくだけで噛み殺されることもあります」


 そういうことは先に言ってくれ。


「じゃあ、私も竜に乗れるでしょうか?」


「素質を持つもの自体はそう珍しくはありません。

 まぁ、十人いれば一人ぐらいは竜に触れることができるでしょう。

 竜飼い達も皆、素質の持ち主から選ばれます。

 しかしながら、竜騎士として自在に乗りこなせる程の者となると非常に限られます。

 これには竜との相性も影響しますが」


 なるほど。


「勇者殿も一度試してみてはいかがでしょう」


 そういって、リーゲル殿は俺を別な竜房に案内してくれた。

 そこには、素人目にも判るほどに年老いた鳶色の竜が寝そべっていた。

 心なしか他より穏やかな目をしている気がする。

 リーゲル殿は老竜の翼の付け根を指していった。


「ここに触れてみてください」


 もしかして、逆鱗的な何かだろうか?


「……素質がない人間が触れるとどうなるんですか?」

「噛み殺されます」


 一応聞いてみてよかった。


「ご安心ください。ある程度素質があることは分かっておりますし、元々穏やかな気性の竜ですから、そうひどいことにはならんでしょう」


 覚悟を決めて、手を伸ばす。

 触れても竜にはまるで反応がない。本当にここでいいのか?


「問題はないようですな。さすがは勇者殿。あとは相性の問題でしょう」


 ふむ、俺には竜騎士の才能があるらしい。それとも、勇者の力のおかげだろうか?


「相性はどうやって調べるんですか?」

「こればかりは実際に駆けてみないと何とも。

 まずはこのイグルゴンで飛び方を覚えるのが良いかと。

 それがしもこやつに空の駆け方を教わりましてな。

 そういえば、他の世界で竜に乗ったことはございますか?」


「はい、一度だけ。竜以外であれば、大鷲やグリフォンで飛んだことがあります」


 あの竜は、羽毛の代わりにうろこが生えていて、念話で喋って魔法を使いこなす奴だった。

 乗ったというより乗せてもらったというほうが正確だ。


「それであれば、飛ぶことにはすぐ慣れるかもしれませんな。一番肝要なのは、竜と意思を通じさせる方法で――」


 突然、洞窟の外が騒がしくなった。同時に、竜飼いと思われる老人が駆け込んできた。


「団長! 大変です!」


「どうした」


「ヴェラルゴンです! 奴が戻ってきました! 間もなく降りてきます!」


「なに!」


 リーゲル殿の顔が険しくなった。


「若いのはさげておけ。腕利きを揃えろ」


「はっ!」


 指示を受けた老人はすぐに竜房から飛び出し、他の竜飼いも彼に続いていく。


「ハイネルとガドスを呼べ!」


 続けて従者にも指示をだし、自身も駆けだそうとしたところで、ふとこちらを振り返った。


「勇者殿は……」


 彼は少しの間だけ迷い、それから続けた。


「それがしについてきてくだされ」


 洞窟から出ると、一頭の竜が大きく翼をはばたかせながら、ゆっくりと降りてくるところだった。

 他の竜より二回りほど大きな純白の体躯に、目だけがルビーのように紅く爛々と輝いている。

 真っ白な羽毛には血のシミ一つない。

 あれが圧倒的な強者である証だ。

 怪我の有無を調べようとにじり寄る竜飼い達の顔にも緊張が浮かんでいる。


 白竜が吼えた。

 空気が震え、その場にいた全員の動きが止まる。

 硬直する人間たちを白い化け物が睥睨する。


 目が合った。ぞくりとする感覚。

 真っ赤な瞳が俺を捉える。


「リーゲル殿」


 俺は竜から目をそらさずに隣の老騎士に言った。


「あれを俺にください」


次回の投稿はは7/18を予定しています

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