第八十九話 決戦 Ⅱ
残念ながら、俺が指揮所らしき場所に投下した樽は不発だった。
地上ではオーク達が着弾地点を遠巻きに囲んで大騒ぎしている。
追い打ちに低空襲撃をしかけようかと思ったが、護衛と思われるオーク兵がこちらに銃を向けてきたので諦めた。
さほど多くないとはいえ、さすがに単騎で強襲できる数じゃない。
さて、他の竜騎士たちの戦果はどうなっただろうか?
敵右翼軍の方に目を向ければ、いくつか火柱の名残りが見て取れた。
その数およそ十。
投下した樽の数は四十発ほどだったのだから、やはり不発率が高い。
まあこんなもんだろう。これは事前に承知していたことだ。
安全性と発火率を天秤にかけた結果である。
なにしろ竜騎士団はこの改良型樽爆弾の試作実験中の事故で貴重な竜と竜騎士を三騎も失っている。
勘と目測で投下するものだから、命中精度もさほど高くはない。
あれは外しようもない大きな的、つまりは歩兵の密集隊形を崩すための兵器なのだ。
その点について、この新兵器は素晴らしい威力を発揮してくれた。
火柱の上がった敵軍右翼には大きな穴がいくつも空いているのが遠目にもわかった。
なにしろ、今回投下したものは以前みたそれとはモノが違う。
樽の中に油と鍛冶屋草を詰めたナパーム弾もどきに、〈黒犬〉経由で調達したオーク軍の榴弾を加えることで殺傷範囲を大幅に広げることに成功したのだ。
ここからの主戦場はあちらになる。
竜騎士団は敵の混乱に乗じて低空襲撃を開始するだろう。
乗り遅れるわけにはいかない。
俺は大急ぎで騎首を巡らすと、あちらに急行した。
予想通り、右翼軍のオーク兵たちは未知の攻撃を受けてすっかり混乱していた。
そこに我らが騎士たちが地響きを立てながら突進していく。
敵兵の中でも勇敢な者たちが、果敢にもこれに発砲して迎撃を試みた。
それがかえってよくなかった。
個別に行われた、テンでバラバラなその射撃は騎士たちを防護する魔法障壁によってことごとくはじき返された。
その様は、射撃が完全無効であると錯覚させるのに十分だった。
敵右翼軍は、人間の騎兵突撃に備えて第一線に七個、第二線に六個、第三線に七個、合計二十の方陣を並べて迎え撃たんとしていたが、その一列目中央の三個方陣は激突と同時に崩壊した。
総崩れになった第一線中央のオーク兵を追いながら、我らが騎士たちが第二線に迫っていく。
第二線のオーク兵たちが一斉に銃を構えるのが見えた。
どうやら奴らは既に冷静さを幾分か取り戻しているらしい。
非情にも敗走してくる味方ごとこちらの騎士を撃つつもりだ。
だがそうはならなかった。
彼らが地を駆ける騎士たちに気を取られている間に、竜騎士たちが低空襲撃を開始したのだ。
斉射を浴びぬように散開した竜騎士たちが、全方位から一斉にオークたちに炎を浴びせる。
俺も急いでその中に加わった。
地上は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した。
火だるまになったオークたちが次々と我らが騎士の蹄に掛けられていく。
逃げる奴、蹲る奴、果敢にも銃を構える奴。
どんな奴も構わず空から焼き払っていく。
第二線を蹂躙する騎士たちの先頭に真っ赤な鎧が見えた。
きっと上機嫌で剣を振るっているのだろう。
彼らは炎の中を突っ切って、砂埃と共に第三陣に向かって突進していく。
同時に竜騎士も再集結し始めた。次なる攻撃目標に向かうためだ。
騎士たちが向かったのとは逆方向、リーゲル殿は第一陣の両翼に残った四個方陣を攻撃する心積もりらしい。
既に樽爆弾で空いた穴もふさがっている。彼らを放置すれば騎士たちの背後が襲われかねない。
危険な相手だ。
彼らは既に混乱から立ち直っており、その銃を空と地上のどちらに向けるか迷う必要もない。
これを攻撃すれば、間違いなく竜騎士にも損害が出るだろう。
だが知ったことか!
俺たちは空中で円陣を組むと、一斉に襲撃を開始した。
*
参謀長は信じられない思いでその光景を見ていた。
右翼に配置した二万の軍勢が瞬く間に撃破されようとしている。
彼は、自身の人間に対する評価が間違っていたことを認めざるを得なかった。
それにしてもなんという威力!
これがあの男の切り札か。
『おい、参謀長! どうした!』
皇帝の怒鳴り声で我に返った。
『は、はい! 陛下』
『何を呆けておる!
近衛を出すぞ。あとは任せた』
近衛軍二万は、あの男に対抗するために残しておいた最後の予備戦力だ。
しかしやむをえない。
あれを放置すれば戦線全体が崩壊する。
『了解しました。しかし、あとを任せたとは?』
『近衛は余が直卒する!』
馬鹿な! と言いかけて思い直した。
今こそ正念場である。近衛軍が敗北すればどの道この戦は終わりだ。
皇帝自ら最前線へ向かうとあらば近衛兵たちの士気は上がる。
近衛軍が人間どもに後れを取るとも思えないが、勝率が高まるのであればそれは良いことだ。
陛下につきまとう柔弱の評判を覆すにもいい機会だろう。
『……承りました。ご武運をお祈りいたします』
『うむ、そなたもな』
近衛軍の頭上に、白い虎をかたどった金地の軍旗が翻った。
皇帝が陣中にあることを示す親征旗だ。
その巨大な軍旗を近衛旗手が三人がかりで振り回して存在を顕示する。
『近衛軍、前進!』
皇帝の号令に、近衛兵が歓声で応じた。
楽隊の奏手たちが手にした管楽器に一斉に息を吹き込んだ。
金属管がけたたましく震え、甲高くも勇壮な雄たけびを上げる。
参謀長が右翼軍に目を向ければ、既に右翼軍第三線が崩壊しつつあった。
第一線残余は竜の襲撃を受け炎上している。
『参謀長! 北方辺境伯より使者が』
『なんだ、この忙しい時に!』
北方辺境伯は一千ばかりの兵を率いてこの遠征に参陣していた。
兵と言っても、亡命者や帝都勤めの役人、果ては商売や出稼ぎで帝都に出ていた北部民たちまで寄せ集め、形だけ整えた代物だ。
ろくに統率も取れておらず、陣形の維持すらぼつかない有様である。
当然のことながら戦力としては数えてなどいない。
『我らも戦いたいとのこと。
近衛と共に前進する許可を求めています』
『勝手にしろ!』
参謀長はそう怒鳴り返すと、幕僚たちを集めて主戦線各隊への新たな指示を検討し始めた。
どうにかして予備隊を新たに抽出し、戦局を打開せねばならない。
『そういえば、狼鷲兵はどうなっとる』
『不明です。
恐らくまだ追撃を継続中かと』
参謀長は鼻を鳴らした。
中途半端なことをするべきではないと全力投入を指示したが、完全に裏目に出た。
今手元に狼鷲兵が千騎もいれば打てる手はいくらでもあったのだが。
『伝令を送れ。
決着がついていないということであれば半分だけでもよい。
急ぎ呼び戻せ』
『はっ!』
竜どもに焼かれて第三列の最後の方陣が崩壊した。生き残りが雪崩を打って敗走を始める。
そこからそう遠くないところを、近衛軍が皇帝を讃える歌声と共に戦列を組んで前進してゆく。
どうやらぎりぎり間に合ったようだ。
ボエェェェェ!
間の抜けた角笛の音が響き、追撃もそこそこに人間どもの騎兵が集合し、隊列を整え始めた。
主戦線に視線を移す。
圧倒的な火力差にも拘わらず、いまだ丘の上の賊軍は持ちこたえていた。
恐るべき粘り強さだ。
その側面を脅かすはずであった左翼軍も敵予備兵力に阻まれ、はかばかしい戦果を挙げられずにいる。
おそらく、敵は人間どもに右翼軍への対応を任せ、全予備兵力をこちらに投入したのだろう。
それにしても、と参謀長は焦りと共に考える。
(あの男は、どこで何をしておるのだ……!)
*
皇帝は一個大隊の護衛と共に、近衛軍二万のやや後方にいた。
彼は戦争を憎んでいる。
それでもなお、勇壮な音楽と共に一糸乱れぬ隊列を組んで進む自身の軍勢を前に、心が高揚するのを抑えられなかった。
だが何を憚ることがあろうか。
敵は〈北の王〉を僭称し、民を害する恐るべき獣と手を組む反逆者。
この邪悪な敵を討ち滅ぼすは、帝国の守護者たる皇帝の義務である。
彼は輿の上から近衛軍に向かって駆けてくる一団を見た。
右翼軍の敗残兵であった。
彼らは前進する近衛軍横隊に激突し、そのまま隙間を駆け抜けようと隊列に体を割り込ませてきた。
あちこちで衝突が起こり、近衛軍の足並みが乱れた。
(愚か者どもめ! 役に立たぬばかりか余の邪魔までするか!)
そう叫びたいのをぐっとこらえ、近衛隊長に指示を出す。
『一時停止。敗軍を収容しろ』
『はっ! 前進を一時停止。
敗軍を収容します』
近衛軍が停止し、第一陣の生き残りが通れるよう隊列に隙間を空ける。
隊列を通り抜けた生き残りたちは近衛軍の背後にきてようやく人心地が付いたらしく、皆ぐったりと座り込んでいた。
『あの者らを一か所に集めろ』
皇帝はそう命じると、輿を降りて彼らの下に向かう。
今は一兵であっても貴重である。
彼らを怯えた群衆から秩序ある兵士に戻してやらねばならない。
『皆立てい!』
皇帝の大喝が戦場の騒音を押しのけて一帯に響き渡った。
常の振る舞いこそ穏やかで、声を荒げることも滅多にない男ではあったが、それでも上に立つ者の嗜みとして発声の訓練は人並み以上に積んでいた。
『おい、将校はどこだ! 前へ出ろ!』
呼ばれて、将校の生き残りたちが駆け寄ってくる。
『よし、咎めはせぬ!
急ぎ部隊をまとめろ』
将校らに短く命じると、今度は兵士たちに向かって呼びかける。
『諸君らはあの恐ろしき獣を見たであろう!
北の蛮族どもは、あの獣を使役して我らが中原へと攻め入らんとしておる!
ここで食い止めるぞ!
立ち上がれ! 隊伍を組め!』
最も近くにいた兵士の一人が、おずおずと声をかけた。
『し、しかし陛下……もう武器が……』
兵士に言われてあたりを見渡してみれば、まさにその通りだった。
多くの者が逃げだす際に武器を捨てていた。
敵に背を向けて逃げるのなら、銃など足を鈍らせる重しでしかない。
いまだ銃を手にしている者は半分もいなかった。
その有様に皇帝は激昂した。
そして腰に差した剣を引き抜く。
兵士はヒィと悲鳴を上げて後ずさった。
『武器がないならこれを使うがよい!』
皇帝はそう叫んでその兵士の足元に自らの剣を投げつけた。
そして自身は手近な石を一つ掴んでそれを頭上に掲げる。
『剣もないというなら石を拾え!
余はこれで戦うぞ!
諸君らはどうだ!
逃げたければ逃げるがいい!
だが、その身に一切の名誉はないと知れ!
石をもって戦う皇帝を見捨てた者としてその背を指されながら余生を過ごすがよい!』
今この場でなければ滑稽としか見えなかったであろう。
だが、そう叫んだ皇帝の目には狂気が滲んでいた。
狂気は時としてそれにあてられた者の心を打ち、燃え立たせることがある。
剣を投げつけられた兵士が、その華麗な装飾が施された剣を拾い上げて叫んだ。
皇帝の狂気が乗り移ったかのような意味のない叫びだった。
狂気が伝染し、座り込んでいた兵士たちが次々と立ち上がる。
その熱は声が届いていなかったであろう場所にすら伝わり兵士たちは奮い立った。
機を逃さず将校たちが号令を発した。
敗残兵たちが再編され、瞬く間に隊列が組み上げられていく。
前方で角笛が鳴り響いた。
人間どもが攻撃を再開したのだ。
一斉射撃の轟音。それに続く金属音に兵士たちが思わず身をすくめる。
『怯むな!』
皇帝の一喝に、周囲の兵士たちが落ち着きを取り戻す。
その様子を見て彼は大いに満足した。
どうだ、と彼は思う。
自分を見限ったことをあの男に後悔させてやる。
*
第一列の生き残りは大方焼き尽くした。
空中でリーゲル殿を中心に隊列を組みなおし、騎士たちの援護に向かう。
俺たちが彼らの上空に達したときには既に敵陣に食い込み、乱戦状態になっていた。
要するに、突撃は失敗したのだ。
足の止まった騎兵はいい的だ。
こうしている間にも三方から好き放題に銃弾を撃ち込まれている。
やや後方にド派手な軍旗を掲げた一団がいるのが目に入った。
恐らくあれが敵の総大将だろう。
だが、周囲には敵兵が整然と隊列を組んでおり、とてもじゃないが手は出せそうにない。
真下に視線を移し、騎士たちの様子を確認する。
魔法障壁の青い煌めきももはやほとんどない。
周囲の敵が斉射を行うたびに、味方がバタバタと倒れていく。
一刻も早い支援が必要だ。
俺たちは一斉に低空襲撃に移った。
攻撃目標は、乱戦地帯を囲む敵隊列。
奴らは目の前の騎士たちに気を取られており、反撃の危険が少ない。
乱戦地帯を炎の壁で切り離し、騎士たちの撤退を支援する。
このような場合は真上から垂直に接近するのが一番安全だ。
横転からの背面飛行。
騎首をグッと反らして己の真下を視界の正面に据える。
そのまま急降下。
ヴェラルゴンが吠えた。
竜の襲撃に気付いたオーク兵がとっさに上空に銃を構えた。
さすがは最後の予備兵力だ。恐らくは決戦用の精鋭中の精鋭。この程度で慌てたりしないらしい。
発砲。
俺の〈光の盾〉が弾丸をはじく。
騎首を起こしながら隊列に沿って火炎を放射。
炎上。
そのまますぐに上昇に移る。
銃兵の射程内では三秒以上の水平飛行は自殺行為だ。
上昇しながら振り返り、戦果確認。
成果は上々。敵はいい感じに燃えている。
竜が三騎、地上に転がっているのが見えた。
やはり無傷では済まない。
竜騎士の支援を好機として、騎士たちが退却の角笛を鳴らしている。
斜め宙返りをうちながら再度攻撃態勢に入る。
二度目の攻撃に参加するのは二十騎程。
残りは火炎袋が空になってしまったらしい。
ヴェラルゴンとてあと一吹き分といったところだろう。
これが最後の攻撃だ。
目標を見定め、再び急降下。
この混乱の中、いまだ形を保っていた隊列に火炎を放射、上昇。
その瞬間ぞっとするような気配に襲われる。
慌てて騎体を横転させて回避を試みたが手遅れだった。
左の翼に鋭い痛みを感じると同時に、体がこちらの意図を無視して大きく傾く。
左の翼が開かない。錐もみしながら急降下していく。
騎首を下げ、右に重心を移しつつ右翼をすぼめて回復を図る。
回転は止まったが高度がない。
地面が迫る。騎首を上げて上昇を試みるが、翼を閉じているため揚力が足りない。
無理やり翼を広げて落下速度を落とす。
視界が急旋回する。
俺は敵中に墜落した。




