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第八十八話 決戦 Ⅰ

 叛徒の軍勢は丘の上に陣取っていた。

 横に長く伸びる稜線に沿って長槍が林立し、その穂先をきらめかせている。


 対する帝国本軍は、低地への展開を余儀なくされていた。

 それでもどうにか戦場を見渡せる小丘を確保し指揮所を構えてみたものの、そこからですら賊軍の戦列は目線より幾分か高い位置にある。


『本当に大丈夫なのだろうな』


 皇帝が自勢と敵勢を交互に見やりながら、傍らで望遠鏡を覗き込む参謀長に不安げに訊ねた。

 参謀長は望遠鏡から目も離さずにそれ答える。


『戦場選択は完全に奴らにしてやられましたな。

 しかし問題ありません、陛下。

 あの長槍をご覧ください。

 まるで内乱前の旧式軍です。

 北の連中はいまだに装備の更新ができておらんのですよ。

 兵力差、わけても火力の差はこちらが圧倒的に上です。

 この程度の地形の不利など、どうということはありません』


 それは全くの事実であった。

 見たところ、敵勢はそのおおよそ三分の一を長槍兵が占めている。

 稜線の向こうに隠されているであろう予備兵力についても、恐らく同等か、あるいは長槍兵の割合はより高いはずだ。

 この推測は旧北方辺境伯軍の事前情報とも符合する。

 対するこちらの軍勢は、全歩兵が剣付き銃兵であり、一部の散兵にいたっては新式の施条銃すら備えている。

 元より倍近い兵力差があることを考えれば、それだけでこちらの火力は敵の三倍以上になる。

 砲も考慮に加えればその差はさらに圧倒的だ。

 なにしろ、敵が軽砲を含めてニ十門程度しか持たぬのに対して、こちらは六十門もの野砲をそろえているのだ。

 しかし、と参謀長は考える。


(あの男のことだ、勝算もなしに仕掛けてくるはずがない。

 これは何か秘策があるな……)


 そう思い、先ほどからずっと望遠鏡を覗き込んでいるのだが、危険の兆候らしきものは何一つとして見当たらなかった。

 だが、それがかえって彼の不安を掻き立てている。

 予想がつかなければ対策の立てようもない。


『参謀長』


 幕僚の一人が声をかけてきた。

 参謀長は望遠鏡から目を離して応える。


『なんだ』


『全隊、配置完了です』


『うむ』


 報告を聞いた彼は皇帝へと向き直り、居住まいを正した。


『では陛下、始めさせていただきます』


『良きに計らえ』


 参謀長は皇帝に一礼し、それから幕僚に一言伝えた。


『全隊前進』


『復唱。全隊に前進を通達。了解』


 指揮所附きラッパ手が攻撃開始の短い旋律を吹き鳴らした。

 旋律が連鎖し、全軍に命令が伝達されていく。

 それからやや間を空けて遠征軍十二万がゆっくりと動き出した。


 戦闘計画は至ってシンプル。

 第一線は横隊を組んで前進し、丘上に展開する敵主力を拘束。

 第二線は二手に別れ、第一線の両翼やや後方を縦隊のまま前進。

 第一線が接敵後、左右に展開して敵主力の両翼包囲を狙う。


 狼鷲兵と近衛歩兵、それから形ばかりの同盟者であるところの北方辺境伯軍は総予備として待機し、あの男の出現に備える。


 見え透いた手ではある。

 だが、奴らには対処しようがない。

 こちらに対抗して予備隊を展開してきたところで、数で劣る彼らは翼延するにも限界がある。

 最後にはこちらが敵の翼側に回り込んで勝つ。


 賊軍が手なずけたという人間の重騎兵の存在が気にかかる所ではあったが、報告を聞く限りでは対処法は狼鷲兵に対するそれと大きく変わりはない。

 つまり、方陣を組んで斉射を浴びせるだけだ。

 両翼を進む第二線にはそれに対応できるだけの厚みを持たせてある。

 人間どもが出現したとしても大きな問題にはならないはずだ。


 不意に警告の声が上がり、指揮所の護衛兵たちが空に向かって銃を構えた。

 つられて見上げれば、白い大きな竜が頭上をゆっくりと旋回していた。


 恐らく斥候だろうが、いまさら見られて困るものなど何もない。


『参謀長、左翼に新手出現。狼鷲です』


 幕僚の報告を受け、望遠鏡を向ける。


『ひい、ふう、みい……千を少し超えるぐらいか。

 おい、赤服どもはどこだ?』


 どれだけ群れの中を見直しても、あの男が率いているはずの、近衛狼鷲兵連隊の真っ赤な軍服が見当たらなかった。


『姿を見せたという報告はまだ届いておりません。

 どこかに潜んでいるようです』


『ふむ……やはりな。そうだろうとも。

 しかし予想より多い』


 事前情報によれば、赤服を除いた敵狼鷲兵は六百騎前後だったはずである。

 どうやら一部の傭兵隊があちらへ寝返ったという噂は事実であったらしい。

 あの男の、出身部族への影響力は今もって絶大だ。

 さて、どうするべきか。

 手持ちの狼鷲は、行軍の間に大分数を減らしたとはいえまだ二千ほどが手元に残っている。

 半分を割いて、敵狼鷲兵の足止めに留めるべきか。

 あるいは全力を投入して、完全な撃破を狙うべきか。


 前者の場合、手元に狼鷲兵の半分を残すことができる。

 だが、同数の狼鷲兵ではこちらが敗北する可能性もある。

 前哨戦の結果を見る限り、狼鷲兵の質はあちらが上だ。


 だが、全力を投入した場合、残る予備戦力は近衛歩兵のみとなる。

 はたしてあの男の軍勢が突撃を仕掛けてきた場合、近衛歩兵だけで防ぐことができるだろうか?

 数の上で言えば十分だ。近衛歩兵二万に対し、あの男の狼鷲兵はたったの八百である。

 よほどの隙を見せなければ問題はなかろう。


 しばしの黙考の後、参謀長は決断した。


『陛下、狼鷲兵の全力をあちらに向かわせましょう』


『うむ、よきに計らえ』


 すぐに伝令が送り出され、狼鷲兵が敵に向かって前進を開始した。

 手元には伝令用の狼鷲を僅かに残すのみ。

 同時に前線が騒がしくなり始めた。

 第一線のさらに前を行く散兵たちが射撃距離に到達したのだ。


 両翼に目をやれば、第二線部隊が縦隊から横隊に組み替えつつ翼延運動を開始している。


(さあ、奴はどう出る?)


 あの男が、このまま順当に負けてくれるはずがない。


『敵は必ずなにか特別な手を打ってくる。危険の兆候を見逃すな』


 参謀長は周囲の幕僚にそう命じると、自身ももう一度望遠鏡をのぞき込んだ。

 その時。


 頭上からブオオオオオという間の抜けた音が響いてきた。

 見上げれば、先ほどの竜がまだ頭上を飛んでいた。

 恐らく、あれの乗り手が何かしらの合図を送ったのだろう。

 少し間を空けて丘の向こうからも同じような音が響いてきた。


 参謀長はほうとため息を漏らした。

 戦場の騒音を挟んでなお、こうもはっきりと聞こえるとは。

 人間どもが魔法の角笛を持っているという話は本当であったらしい。

 勝利の暁にはぜひとも回収したいものだなどと考える。


 だが次の瞬間、参謀長から勝利後のことを考える余裕が消え去った。

 これまでに感じたことの無い強い地響きが彼の足元を揺らし始めたからだ。


『なんだこれは!』


 その答えはすぐに姿を現した。


『我が軍右翼に敵らしき集団が出現!

 人間の軍勢と思われます!』


『右翼軍上空に竜が多数!

 これまでに見たこともないような数です!』


 報告されるまでもなく数十頭の竜が稜線の向こうから姿を現し、右翼軍の上空に咆哮を上げながら群がっているのが見えた。

 幸いにも、右翼軍の指揮官はこの突然の事態にも冷静さを失わなかったらしい。

 賊軍側面を脅かすべく翼延運動を開始していた右翼軍各隊は、ただちにその動きを止め、人間の騎兵に対抗すべく方陣を組み始めた。


 まだ事態は予想の範囲内。

 右翼軍が人間を食い止めている間に中央軍、あるいは左翼軍が敵を撃破できればこの戦は勝利に終わる。


 新たな報告。


『敵狼鷲兵は後退。我が狼鷲兵はこれを追撃中。

 主戦場から大分引き離されつつあります。

 呼び戻しますか?』


 参謀長はしばし迷った後に断を下した。

 完全に撃破できなければ結局は狼鷲兵を拘束され続けることになる。

 ならば徹底的にやるべきだ。


『追撃を継続するよう伝えろ』


『はっ!』


 別の幕僚が、右翼軍上空の竜を指して言う。


『参謀長、妙です。

 竜が何かを吊り下げています』


 指摘され、参謀長は望遠鏡を竜へと向けた。

 確かにどの竜も樽のようなものを腹に抱えている。


『まさか――』


 そう言葉にしようとしたとき、望遠鏡の丸い視界の中で竜の乗り手がロープを切るような仕草を見せた。

 腹に吊られていた樽が、竜から離れ落下していく。

 右翼軍の各所で次々と巨大な火柱が上がった。


 樽らしきものの落下地点は広範囲が火の海と化し、その中で火だるまになった兵士たちがのたうち回っている。


『なんだあれは!』


 隣で皇帝が叫ぶのが聞こえた。


『分りません。このような兵器は報告に――』


 参謀長はそう答えかけた所ではっと空を見上げた。

 先ほどの白い竜はいまだ彼らの頭上にいた。

 その腹にも樽が――切り離された。


『伏せろ!!』


 叫びながら彼は皇帝をその場に押し倒した。


次回は4/15を予定してます。

最終話まで一日一話で投稿予定です

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