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第八十七話 北部侵攻

 険しい山、痩せた盆地、貧しい民、そして最果てに広がる荒野。

 北部の地はそういったもので成り立っている。

 すくなくとも、南に住む者たちの目に映る北部はそのような存在であった。


 オークの帝国を統べる現皇帝の認識も同じだ。

 そんな荒漠たる景色を輿の上から眺め、ため息をつく。

 いったいどうして祖先たちはこのような不毛の地をわざわざ帝国に組み込んだのか。

 木を崇める異教徒どもなんぞ放置しておけばよかったのだ。


 考えてみたところで仕方のないことだった。

 全ては数百年も前に起きたこと。

 彼自身の考えがどうであれ、一度帝国の版図に組み入れてしまった以上、もはや手放すことはできない。

 どれほどこの地が魅力に乏しかろうが、独立という前例自体が将来への禍根となる。

 そうでなくともあの内戦からこっち、帝国内は危険な火種に事欠かないのだ。

 早急に叩き潰す必要がある。


 なにより。

 あのふざけた伝言を寄こした男を、彼は許すわけにはいかなかった。

 あれはただの意趣返しなどではない。

 あの男は、彼が皇帝として相応しくないと、そう突き付けてきたのだ。

 確かに叔父ほどの器量はないという自覚はある。

 だが、それでも彼は皇帝としてその座を受け継いだ。

 であれば、剣をもって挑戦された以上、受けて立たねばならない。

 あの老将を打ち破り、叔父の後継者として相応しい存在であると認めさせなければならなかった。


 進軍は至って順調である。

 かつて彼の祖先がこの地に侵攻した折には、国境山岳地帯の隘路で熾烈な抵抗を受けたという。

 帝国の支配下に置かれてからは、それらの南に向けた防衛施設はことごとく破却された。

 今では税金をとりたてる目的の簡易な関所の他には、盗賊や密輸を取り締まるための哨所が点在する程度である。

 叛徒どもは所々に障害物を設置し、形ばかりの抵抗をして見せるものの、それらは足止め以上の効果は発揮していない。

 敵の意図は明白である。こちらを奥地へ引き込み少しでも消耗させようとしているのだ。

 その証拠に、これまで発見した村々には人影一つなく、それどころかすべての家屋が焼け落ちていた。

 無論、徴発できるような物資も何一つ残されていなかった。


 皇帝はそれらの焼け跡を目にするたびに忌々しげに眉をひそめた。

 彼にとって、焼け跡は戦がもたらす悲劇の象徴だった。

 例えそれが乱暴狼藉の痕跡ではないにせよ、住む家を失った民がいることに変わりはなかった。

 やはり戦は未然に防がねばならない。

 彼はこの光景を前にその思いを一層強くした。


『なんだあれは?』


 近衛兵の一人が空を指して言った。

 皇帝は思考を中断して、彼が示す先を見上げる。

 一羽の鳥が、優雅に頭上を旋回していた。

 いや、それにしては大きい。

 本当にあれは何だろうか?

 あの男なら恐らく答えを知っているだろう。


『おい、北の――』


 そう思い呼びつけようとしたところで、まさに今呼ぼうとしていた男、北方辺境伯がやって来るのが見えた。

 彼はこの遠征軍に、北方辺境伯軍――と呼ぶにはあまりにも少ない申し訳程度の一隊――を率いて参陣していた。

 近衛兵をかき分けながらこちらへ向かってくるその顔面は蒼白で、ひどく焦っていように見えた。


『何事か。陛下の御前であるぞ』


 近衛隊長が北方辺境伯を押しとどめて用件を問う。

 北方辺境伯は近衛隊長の肩越しに皇帝を認めると、必死の形相で訴えてきた。

 

『陛下! 危のうございます!

 あれは竜です!』


『竜? あれが?』


 確かに話には聞いたことがあった。

 が、実物を目にするのはこれが初めてだった。

 彼は改めて空を見上げる。

 なんという生き物であろうか。翼を広げて悠然と空を舞うその姿は、大きく、そして美しい。


『何をのんきな! あれは炎を吐きます!

 兵士に銃を構えさせてください! そうすれば近寄っては来ません!』


 皇帝が答えるよりも早く近衛の隊長が指示を出していた。

 周囲にいた近衛兵たちは慣れた手つきで弾を込め、銃先を空に向ける。

 竜はしばらくの間、彼らの頭上をゆったりと回り続けていたが、やがてそれにも飽きたのか北へ飛び去って行った。


 近衛の隊長が警戒態勢の解除を指示した。

 場の空気が弛緩し、周囲の者は今見た巨大な獣について興奮気味に語り合い始めた。

 そんな中にあってただ一人、北方辺境伯だけが青い顔をして北の空を見つめていた。


『あの噂は、本当だったのか……』


 呆然とした様子でそうつぶやいた辺境伯に対し、皇帝は問いただした。

 

『なんだ、その噂というのは』


『叛徒どもが、〈毛なし猿〉どもを従えたという噂です』


『〈毛なし猿〉?』


 皇帝は首をかしげて記憶を漁った。

 そしてすぐに思い至る。


『ああ、北の最果てに棲んでいて、たまに山を下りてきては農民を攫うという獣か。

 それがどうしたというのだ』


 時々北から送られてくる貢物の中に、奴らから奪ったというガラクタが含まれていることがあった。

 人間、あるいは蔑みをこめて〈毛なし猿〉と呼ばれるその生き物は、中原においては竜と同様お伽話に登場する妖怪と大して変わりのない存在だった。

 そうした癖地に住む珍獣たちも、実物を目にしてしまえば大抵はがっかりさせられてしまうものだ。

 しかし先ほどの竜は例外だった。

 何と大きく美しい姿であったことか! 叶うならばもっと近くで見てみたかった。

 さて、人間とやらはどうであろうか?


『〈毛なし猿〉どもは竜を使役します。

 あれはおそらく野生のものではなく、人間が使役する竜でしょう。

 本来ならここよりはるか北にしか姿を見せぬはずの竜がこうも南にいるということが

 噂が真実であったという証左です。

 警戒なさるべきかと』


『フム……』


 北方辺境伯の言葉に、皇帝はしばし思案した。

 そして近衛隊長に命じる。


『参謀長を呼べ』


 参謀長はすぐにやってきた。

 この男もまた、叔父の代から仕える古参軍人である。

 先の内戦で功績を上げて今の地位を得た。

 現在賊軍に与しているあの男とは違い、現皇帝にも誠実に仕えてその信頼は篤い。


『お呼びでしょうか、陛下』


『北方辺境伯が、叛徒どもが〈毛なし猿〉とやらを味方につけたのではないかと言っている。

 影響を検討しろ』


『〈毛なし猿〉……ああ、人間のことですな。了解しました』


 彼は北方辺境伯に向き直った。


『それでは辺境伯殿、いくつか質問を。

 まず、人間と呼ばれる獣について。

 北方兵要地誌によれば、銃を用いず巨獣に跨り刀槍の類を以て戦う、とあります。

 これについて認識に間違いは?』


『はい閣下、間違いはありません。

 ただ付け加えるならば、奴らは魔法を用いてこちらの銃弾を弾きます』


 魔法、と聞いて参謀長は胡散臭げに鼻を鳴らした。


『それで、北方辺境伯軍はその魔法にどのように対処していたのですかな?』


『魔法は複数の弾をほぼ同時に着弾させることで撃ち破れます。

 戦列からの一斉射が効果的です。

 反面、散兵からの各個射撃はほとんど効果がありません。

 また、魔法が弾くのは弾丸だけであるため、長槍兵による槍衾を用いていました』


『なるほど。

 では、数については?

 どれほどの数が戦場に出てくるか予想は付きますかな?』


『これまでで最大の会戦で六千程。

 そのうち、脅威になりうる重装騎兵は三千程だったはずです』


 参謀長はそれを聞いてゆっくりと鼻から息を吐いた。

 どうやら、彼はこの件に対しての興味を失ったらしかった。


『その程度であれば、大勢に影響はないでしょうな。

 まあ、念のため幕僚たちにも検討させましょう。

 それでは辺境伯殿、情報提供に感謝したします』


『待て、まだある!』


 北方辺境伯は立ち去ろうとする参謀長を慌てて引き留めた。


『先ほどの竜は人間が使役しているものとみて間違いありません。

 こちらの位置や陣容はすでに敵に把握されていると考えた方がよいでしょう』


 参謀長が空を見上げた。

 既に竜の姿はなく、春の長閑な青空が見えるばかりだった。


『……それは少々厄介ですな。

 なるほど、竜についても検討させておきます』


 彼はそういって表情を引き締めると、今度こそ足早に立ち去っていった。



 竜の出現頻度は奥地に進むにつれ上がっていった。

 当初は一日に一度現れるか現れないかといった程度だったものが、今では殆ど一日中竜にまとわりつかれるようになっていた。

 それも一頭や二頭ではない。把握されている限りでも十を超える竜が入れ代わり立ち代わり現れては、北や東西、時には南へと飛び去って行くのだった。

 竜たちがどこかへ情報を運んでいるのは間違いなかった。


 それに伴っての動きだろう。

 狼鷲兵による襲撃が日を追うごとに活発になっていった。

 

 彼らは分進する遠征軍各隊の間に巧みに浸透し、護衛の手薄な輜重隊や小規模な徴発隊を的確に攻撃してきた。

 遠征軍は警戒線を強化するとともに、襲撃隊を追撃すべく狼鷲兵の傭兵隊を次々と投入した。

 北方遠征軍が雇用した狼鷲兵は三千騎を優に超える。

 対する北の叛徒どもは、推定で千四百騎程度。

 騎兵戦力では敵を圧倒しているはずであった。


 だが結果は芳しくなかった。

 敵はこちらの追跡を容易にすり抜けたし、それどころか追撃隊が待ち伏せに会うことすら度々であった。

 帰還しなかったいくつかの傭兵隊には、敵に寝返ったとの噂が流れさえした。


 本国との補給線は事実上寸断され、現地での食料調達も極めて困難。

 送り出した斥候のほとんどは戻らず、敵主力の位置すら把握できていない。

 北方遠征軍は敵を凌駕する兵力を持ちながら、敵中で孤立し、身動きが取れなくなりつつある。

 次々と入ってくるそれらの報告を聞きながらも、参謀長は余裕の態度を崩さなかった。


 前哨戦は完敗。

 だがそれは予想の内である。

 なるほど、人間どもの参戦や竜の活用は彼の想定外ではあったが、それとて彼の目論見を打ち崩すほどではない。


 奴らとて、どこまでも後退できるわけではない。

 奴らには失うわけにはいかない都市がある。

 叛徒どもが不遜にも『王都』などと呼称する街がそれだ。

 即位早々に都を失えばもはや国家の体を維持できない。

 そうでなくとも、あの街より後ろにはもはや無人となった荒野が広がるのみ。

 そこまで追いやられてしまえば、国家以前に軍を維持できなくなる。

 そしてその街を占拠する程度には、この遠征軍を維持できる目算であった。


 だからそうなる前に、奴らは必ず決戦を仕掛けてくるはずだ。


 なにより。

 あの男と参謀長は先の内乱を、前半を敵として、後半を味方として共に戦い抜いた間柄であった。

 それだけに彼は、あの男の戦いぶりを敵としても味方としても知り抜いていた。

 だから、常勝無敗を誇るあの男にも、どうしても抜けない悪癖が一つだけある事を彼は知っていた。


 それは『戦狂い』の一語に尽きる。

 あの男は、自らの手で戦の決着をつけねば気が済まないのだ。

 決戦の最中、勝敗を分ける決定的な場所と時機に奴は必ずその姿を現すはず。

 そこを狙って討つ。


 いついかなる時であれ、軍勢の要は常にあの男であった。

 あの男さえ討てば賊軍は瓦解する。

 彼はそう確信していた。


(今は勝利に酔っておくがいい)


 参謀長は内心であの男に向けて言う。


 あの男と彼は、ずっと戦場での勝敗を、あるいは功績を争ってきた。

 戦争が終わってからも、彼はずっとあの男を上回ろうとあがいてきた。

 勝利の女神は参謀長の側に微笑んだと周囲の者たちは思っている。

 栄誉こそあれ所詮は近衛の一隊を率いる身分にとどまったあの男に対し、参謀長は軍の事実上の最上級者にまで上り詰めた。

 あの男が現皇帝から疎んじられたのに引き換え、彼はその信任も厚くいまだ兵事の大権を任され続けている。


 もっとも、それに何の意味もないことは彼自身よくわかっていた。

 結局、先の内戦の間、あの男に勝つことはついに一度もできなかったのだ。

 戦場での勝利。彼が自分自身に勝利を信じさせるにはそれが必要だった。


 そして人生の最後において、神はついに彼にその機会を与えたもうたのだ。

 今に見ていろ、参謀長は地図を睨めつけながら呟いた。

 

『最後に勝利するのはこの俺だ』


次回は4/14を予定しています

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