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第八十六話 談合

 オークたちの都から北に少し飛ぶとちょっとした森がある。

 その森はきれいな円形をしていて、中央には竜がギリギリ離着陸できるぐらいの空き地がぽっかりと開いていた。

 〈黒犬〉に竜の隠し場兼休憩所として指定されたのがこの森だった。

 森の周囲は〈黒犬〉の息のかかった兵士たちが固めているとのことなので一応安全といえる。

 だがヴェラルゴンはそれが気に入らないらしく、さっきからずっとピリピリしっぱなしだ。

 竜の体に触れると精神が交感して俺までイライラしてしまうので、俺はすぐに手を伸ばせる程度の距離を置いてごろりと横になった。


 さっきまではもっと酷かった。

 なにしろ万を越えるオークのど真ん中に降り立ったのだ。

 オーク嫌いのこいつの機嫌がよくなるわけがない。

 俺も生きた心地がしなかった。


 それでも竜の体に触れているうちはどうにかこちらが制御できる。

 だがそのままではあちらの王様に挨拶ができない。

 手を離す直前は本当に祈るような気持だった。


 万が一こいつが暴れでもしたらえらいことになる。

 これまでやってきたことは全部ご破算。

 俺もヴェラルゴン諸共衛兵に射殺されてしまっただろう。


 だから手を離す前に、奴の頭を抱き寄せてもう一度頼み込んだ。

 こいつは賢い。だから分かってくれるはずだ。

 もっとたくさんのオークを殺すにはこれが一番なのだと、そう言い聞かせて手を離した。


 背後で奴が吠えたときには寿命が縮むかと思ったが、まあともかく最大の危機は乗り切った。

 あとは〈黒犬〉と少し話して帰るだけ。

 こちらからも頼んでおきたいことがある。


 それにしてもこの場所はなかなかに気分が安らぐ。

 冬も近いというのに日差しは暖かで、風も穏やか。

 下草は程よく枯れてふんわりしている。

 そうした環境の良さもあるだろうが、それだけではない何かも感じる。

 思うにここは昔、何かの聖地だったんじゃなかろうか。


 不意にヴェラルゴンの気配が変わった。

 殺気が強くなっている。多分オークが近づいてきているのだ。

 俺は慌ててヴェラルゴンの首筋に触れて彼を抑えながら、その視線の先を確認する。


 予想通り〈黒犬〉だった。

 しかしその顔つきがひどく緊張している。

 何か問題でも起きたのだろうか?


 *


 〈黒犬〉は聖なる森の入り口で狼鷲から下りると、ひとり森の奥へと向かった。

 かつてこの森の中心には、〈北の民〉が信仰の対象としていた聖樹が聳えていたという。

 広場に植えられた聖樹の若木もこの森から採取されたものだ。

 古式に則るのであれば戴冠式はこの森でとの意見もあったが、それでは〈北〉の色が強くなりすぎる。

 開拓民の多くは南から来た移民たちである。

 彼らを無視するのは得策ではない。

 なにより、より多くの者に人間が新王に恭順する姿を見せる必要があった。


 あのショーの効果は抜群だった。

 戴冠式が始まった時には反発の色さえ浮かべていた民衆の目が、今では新王――正確にはその背後の〈黒犬〉たちへの――支持一色に染まっていた。

 〈黒犬〉とて、なにも知らずあちら側にいたならばどうか。

 あるいは彼らのように無邪気に熱狂できたかもしれない。

 だが、その内幕を知る身としてはとてもそんな気にはなれなかった。


 なにより、〈魔王〉がひどく不機嫌だったのが気にかかる。

 あの人間とは幾度も顔を合わせてきたが、あれ程の殺気と邪気を放っていたことはかつてなかった。


 まさか新王に頭を下げるのが気に入らなかったわけではあるまい。

 この話を持ち掛けたときには楽しげな表情を浮かべたようにさえ見えた。

 とすれば、考えられる可能性は一つ。

 部下の誰かが無作法を働いたのだ。

 人間たちの文化について、〈黒犬〉たちはほとんど何も知らない。

 そうとは知らずに彼の誇りを傷つけてしまった可能性は十分にある。


 森の一番奥深く、かつて聖樹が聳えていた小さな空き地で〈魔王〉が彼を待っていた。

 彼は竜と共に、敵意に満ちた目で〈黒犬〉を見据えている。

 〈壁〉の奥深くで敵として向かいあった時ですらここまでの敵意は感じなかった。

 恐ろしさに足が竦みそうになるのをぐっとこらえ、〈魔王〉の前に進み出る。

 そして跪き、首を垂れた。

 まずは謝罪の意思を見せなくてはならない。

 今回の『同盟(・・)』は、事実上この〈魔王〉との個人的な誼で成り立っているといって差し支えない。

 それを失えば、新王国は瓦解する。


 頭上でカツカツという音が聞こえ、文字の書かれた石板が彼の眼前に差し出された。

 今回はあの元侍女が同行していない。

 意思の疎通は文字のみで行う必要がある。


『何か問題があったのか?』


 石板にはそう書かれていた。

 それはこちらが訊きたいところだった。

 怪訝に思い顔を挙げてみれば、先ほどのまでの剣呑な雰囲気がすっかり消え失せた、いつものつかみどころのない人間の顔があった。

 〈黒犬〉は差し出された石板を受け取って言葉を書き足した。


『ひどくご機嫌を損ねた様子でしたので、部下がそうとは知らず失礼な振る舞いをしてしまったのではないかと思い気を揉んでおりました』


 それに対する回答は至ってシンプル。


『貴殿らの対応には満足している。問題はない』


 ならば先ほどまでのあの殺気に満ちた禍々しい雰囲気は何だったのか。

 現在の態度の急変も気にかかる。

 では相手はどうかと言えば、彼も彼で何やら首をひねっている様子である。

 だが、しばらくして〈魔王〉はその答えを見つけたようだった。


『我々は竜と精神を交わらせることによってこれを制御している。

 貴殿らが感じた不機嫌さはそのためのものだろう。

 この竜はオークを大変嫌っている』


 〈黒犬〉が石板から顔を上げるの待ってから、〈魔王〉は竜の首筋に触れて見せた。

 その途端、先ほど同じ禍々しいまでの殺気と敵意が〈魔王〉の全身からブワリと立ち上った。

 〈魔王〉が手を離せばそれがすっと消える。

 その背後では、白竜だけが敵意のこもった目で〈黒犬〉を睨み続けていた。


 〈魔王〉は再び笑顔を浮かべて石板に書き込んだ。


『では、こちらからも頼みたいことがある』


 内容は既に予想がついている。

 恐らくあちら側も同じような事情を抱えているに違いないのだ。

 そこは問題ない。

 

 だが、と〈黒犬〉は思う。

 先ほどまでこの人間が発していたあの禍々しい気配。

 それがもたらす圧力は、今も唸り声を上げ続ける白竜と比べても段違いだ。

 もしこの人間自身を怒らせた時、果たして自分はその怒りを正面から受け止めることはできるのだろうか?


 *


 〈黒犬〉が〈竜の顎門〉にやってきた。

 前回とは違い正面から堂々と。


 目的は言わずと知れている。

 我らが国王陛下に服従し、忠誠を誓うためだ。


 〈顎門〉の門前で〈黒犬〉が陛下の前に跪き、忠誠を誓い、黄金を差し出して、引き換えに助けを乞う。

 それを壁上から諸侯が見守り、陛下の呼びかけに応じて援兵を出すことを約束する。

 そういう筋書きである。


 陛下はもちろん全てをご存じだ。

 メグやスレットといった気の知れた有力者にも話を通してある。

 彼女たちは陛下の呼びかけに対して真っ先に賛同の声を上げてくれる手はずになっている。

 リアナ姫と共に常にオーク討伐の先陣を切っていた両家の支持は、一種の呼び水としての役割を果たしてくれるはずだ。

 彼ら自身の兵力も含め、三千五百騎は集まるだろうというのが陛下の見立てだった。


 果たしてそうなった。

 俺や陛下の人徳というよりは黄金の魅力のおかげだろう。

 元々が経済的な利得が目的で遠征していたのだから、名目と利益さえ用意すればそれで十分ということらしい。


 茶番を終えて、いつもの丘の上で〈黒犬〉と待ち合わせた。


「感謝する。おかげでこちらの方も話がスムーズにまとまった」


 今日は花子が一緒だから会話が少し楽である。


『お互い様だ。

 しかしあれはどうするつもりだ?

 砲がなければどうにもならんだろう』


 〈黒犬〉の言うあれとは砲弾のことである。

 あちら側で会った際に、いわゆる榴弾タイプの物があったら分けてほしいと頼んでおいたのを、今日貢物の黄金と一緒に持ってきてもらったのだ。

 ちなみに、その分の代金は黄金から差っ引いてもらってある。

 公正な取引だ。


「竜を使って投下する」


 俺がそういうと、〈黒犬〉は何か考え込んでいるようなそぶりを見せた。


『……効果はあるのか?

 砲から発射したほうが効率的に思えるが』


 もっともな疑問である。


「それを今から試すんだ」


 まずは試してみようじゃないか。

 話はそれからだ。


次回は4/7を予定しています

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― 新着の感想 ―
[良い点] 実は、連載の最初、竜が出て来た辺りからずっと思ってたんですよ コレって人間側が火薬を手に入れたら竜に乗って上空から爆撃出来るので、一方的な戦いになるんじゃないかって。 三年越しに、いよい…
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