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第八十一話 謀略

『ご苦労』


 近衛の隊長は小舟から降りると、脱獄を手引きしてきた男にそう声をかけた。

 男は背筋を伸ばし、己が主人に敬礼した。


『あ、貴方の手引きだったのか……!』


 〈ドラ息子〉は驚きに目を見張った。

 まさかこの男に救われることになろうとは!

 なにしろ初対面でのやり取りが最悪であった。

 こちらに良い印象を持って居ようはずもなく、当然のように見捨てられるものと思っていたのだ。

 そうして、反逆者どもの言い分を呑んでしまえばそれでひとまず騒ぎは収まる。

 その程度のことは〈ドラ息子〉にも分っていた。


 だが、そうではなかったのだ。

 腐っても先代皇帝の股肱の臣。

 どれほど態度が悪く見えようが、課された任務には忠実であったらしい。

 〈ドラ息子〉は近衛の隊長の前に片膝をつき、頭を垂れた。


『我が身の救出に尽力していただいた事、感謝の言葉もございません。

 貴方の人となりについて誤解をしておりました。

 初対面の折、私がとった無礼な態度についてもどうか謝罪させてください』


『謝罪を受け入れよう』


 近衛の隊長は鷹揚に答えた。

 その声にはどこか面白がっているような気配が漂っていた。

 〈ドラ息子〉はそのことに若干の不気味さを感じつつも言葉を続ける。


『その上でどうか、今一つ我が頼みをお聞き入れください。

 叛徒どもから辺境伯府を取り戻すため、お力を貸していただきたい。

 厚かましい願いであることは承知しております。

 しかしながら、不肖の我が身には貴方以外に頼れる者がおらぬのです。

 叛徒どもも今ならまだ足元を固めきってはいないはずです。

 貴方の近衛狼鷲兵連隊の力があれば、奴らを粉砕することができます。

 どうか、どうか??』


 〈ドラ息子〉の頭上でカチリという音がした。

 不審に思い顔を上げようとした途端。


 銃声。


 近衛の隊長の手にはいつの間にか騎兵用の短銃が握られていた。

 その銃口から硝煙が細く漂っている。

 ドサリと背後で何かが崩れ落ちる気配がした。


『小僧、何か勘違いをしとりゃせんか?』


 その言葉の意味を理解するよりも先に、彼の背に怖気が走った。

 彼の後ろには誰がいたか。一人しかいない。

 〈ドラ息子〉はその恐るべき予感に、振り返るのを躊躇った。


『な、何をした……!』


 彼の問いに、近衛の隊長は銃先(つつさき)で〈ドラ息子〉の背後を指して答える。


『見れば分かろう』


 〈ドラ息子〉は強張る体を無理やりに動かして背後を確認した。

 目にしたのは、無残に変わり果てた親友の姿だった。

 人生の最も辛い時期を共有し、共に歩んできた男が脳漿をまき散らして倒れていた。


『なぜ』


 とっさに言葉に出来たのはそれだけだった。

 自分たちを助けに来てくれたのではなかったのか。

 なぜ親友が殺されねばならなかったのか。

 なぜ自分ではないのか。

 なぜこのタイミングで。

 なぜ――


『少しばかり発破をかけてやろうと思ってな』


 近衛の隊長は短銃をホルスターに収めながら答えた。

 それから、〈ドラ息子〉にその顔をぐっと近づけて続ける。


『よーく見て覚えておけ、小僧。

 これが貴様からすべてを奪った男の顔だ。

 命だけは残しておいてやる。うまく使え。

 無駄にしなければ、奪われたものを取り返すこともできるだろう』


『き、貴様ぁぁぁ!』


 〈ドラ息子〉が殴り掛かるが、近衛の隊長はヒョイと身を引いてかわした。


『そう、その意気だ。

 だが次はもう少し頭を使うことだな。

 この場で俺を殴ってみたところで何も変わらんぞ』



 近衛の隊長がそう言いながら案内の男に目で合図をすると、男は音もたてずにヌラリと動き、〈ドラ息子〉の鳩尾に一発くらわした。

 〈ドラ息子〉はうめき声を一つ上げてその場にうずくまった。


『陛下によろしく伝えておいてくれ』


 近衛の隊長の嘲るような声が聞こえる。

 直後、後頭部に追加の打撃を受けて彼の意識は途切れた。


 *


『懸命に捜索を続けてはおりますが、いまだ痕跡すら発見できておりません』


 〈ドラ息子〉の脱獄から既にひと月余りが過ぎようとしていた。

 辺境伯軍臨時総司令官という肩書を与えられた〈黒犬〉は、辺境伯の執務室でそのように現状を報告した。

 〈黒犬〉たちの必死の捜索にも関わらず、あの男の行方はいまだに杳として知れない。

 成果らしきものといえば、〈腰巾着〉が死体となって見つかった程度である。

 〈ドラ息子〉とともに脱走したはずの、あの男の唯一の忠臣がどうして殺されたのか。

 背景を推測しようにも彼らの脱走を手引きした何者かは、その正体に繋がる物を何一つ残していかなかった。

 死体は何も語らず、真相を知るすべはない。


『まずいな』


 報告を受け、常備連隊長??現在は〈北方辺境伯代行〉という地位も兼任している??が呻いた。

 時間は逃げる側の味方だ。

 時が経てばそれだけ捜索すべき範囲は広がり、追う側はますます手薄となっていく。


『絶対に奴を逃すわけにはいかん』


 常備連隊長が低い声で言う。

 その言葉は〈黒犬〉に向けてというよりは、むしろ自身に言い聞かせているように聞こえた。

 だが、彼の言う通りであった。

 北方辺境伯位第一継承者の処刑という不可逆的な結果があってこそ、初めてこちらの強引な理屈が通るようになるのだ。


 もしあの男が生きて本国までたどり着けば計画の全てが破綻する。

 あの男は帝都にたどり着き次第、皇帝に対し自身の正統性を訴え、救援を要請するだろう。

 そして皇帝はその要請を断ることができない。

 それは自身の権威をも否定することになるからだ。

 討伐軍が編成され、ここ伯都に向けて進軍が開始される。

 攻守は逆転し、今度は〈黒犬〉たちが反逆者として討伐される側にまわるのだ。


『しかし閣下、既に奴に協力しそうなものはおおむね逮捕しております。

 隠れ家となりうる場所も殆ど探しつくしました。

 本国との境界について主要な街道は厳重に封鎖しておりますが、山間の抜け道などは塞ぎきれるものではありません』


『う、うむ……』


 〈黒犬〉の指摘に、常備連隊長が歯切れも悪く頷いた。


『であれば、万が一に備え辺境伯軍の再編成に取り掛かるべきです。

 開拓民兵を復活させるのです。

 常備連隊と我々だけでは勝てません』


『いったい何を……まさか帝国本軍と戦おうというのか!』


『はい。降りかかる火の粉は払わねばなりません』


『馬鹿な。この北の大地を戦場にするわけにはいかん。

 いざとなればこの老骨の首を差し出して終わらせる』


『しかしそれでは……』


『わかっておる。

 お前の娘(・・・・)を死なせはせん』


 今、第二令嬢の娘は正式に〈黒犬〉の養女となっていた。

 実子ではなく養子としたのは、『仄めかす程度にとどめ、勝手に想像させた方が真実味が出る』との大叔父の助言に従ったためだ。

 実際、伯都では『表向きは養子としているが、あの娘の実父は〈黒犬〉であるに違いない』との噂がどこからともなく囁かれ始めていた。


『その時になったらば、お前は娘を連れて亡命しろ。

 損な役回りを押し付けてすまないとは思うがな。

 それが一番良い』


 〈黒犬〉とてリスクは最初から承知で参加している。

 そのような結末も覚悟の上だ。

 そして常備連隊長の、この地と民を思う気持ちも理解できなくはない。

 だがそうであっても。

 根っからの戦士である〈黒犬〉にとって、戦いもせずに敗北を受け入れろと言われれば不完全燃焼じみた思いを抱かずにはいられなかった。


『随分とお困りのようですな』


 不意に彼の背後から豪快な声が響いた。

 〈黒犬〉が振り返ると、いつの間にか大叔父が立っていた。

 真っ黒な箱を捧げ持った兵士が一人付き従っている。


『これは閣下……』


 常備連隊長は立ち上がると、おずおずと大叔父に頭を下げた。

 〈黒犬〉もそれに倣う。

 そんな二人の様子を見て、大叔父はニヤリと笑った。


『ああ、もういいのです。私を閣下と呼ぶ必要はなくなりました』


 大叔父はそう言いながら、常備連隊長に向けて頭を上げるよう促した。


『先ほど、帝都に残していた間諜から連絡が届きましてな。

 あの小僧が帝都にたどり着いたそうです。

 皇帝陛下はカンカンにお怒になり、私から爵位とそれに付随する地位と名誉の一切を剥奪なさった上、

 追討令も出されたそうです。

 ですから、今の私はお尋ね者の傭兵隊長にすぎません。

 無論、貴殿らにも追討令が出たとのことですが』


 それを聞いて常備連隊長は顔を青くした。


『申し訳ありません、閣下。

 私どもがあの男を逃がしてしまったばかりに……。

 かくなる上は、我が首を差し出して??』


『まあ御待ちなさい。諦めるのはまだ早い。

 そもそも私は自ら望んで鼻先を差し入れたのです。

 こうなることも当然承知の上。

 なにより、私はまだ何一つ失ってはおらんのですよ』


 不思議そうな顔をする常備連隊長を見据えながら、大叔父は不敵な笑みを浮かべた。


『爵位も、近衛筆頭の名誉も、先帝陛下に押し付けられたものにすぎんのです。

 私が自らの手で築き上げたのはただ一つ。あの傭兵隊(・・・)だけです。

 そしてそれはいまだ我が手中にある』


『しかし……』


『そんなことより、貴殿に土産を持参していたことを思い出しましてな。

 こちらにきてすぐに渡すつもりがすっかり遅れてしまった』


『私に、ですか?』


 常備連隊長はこの唐突な話題の切り替えに微かな戸惑いを見せた。


『いかにも。

 以前にも言ったでしょう。

 前々から貴殿の武勇はこの耳に届いていたのですよ。

 無論、一族の由緒についても少々調べさせてもらいました。

 この土産はきっと喜んでもらえるものと思いますぞ』


 そういって大叔父が兵士に合図すると、彼は捧げ持っていた箱を常備連隊長の前に置いた。


『さあ、開けてだされ』


 大叔父に促され、常備連隊長が恐る恐る箱の蓋を開く。

 その中身を目にした瞬間、常備連隊長の表情が固まった。

 しかし〈黒犬〉の位置からでは彼が何を目にしたかまでは分からない。

 一体何を贈ったのかと大叔父に目を向ければ、ニンマリと不気味な笑みを浮かべていた。


『お前も見ておけ』


 大叔父にそう言われて、〈黒犬〉は常備連隊長の背後に回り込むと箱の中を覗き込んだ。

 そこには黒錆で覆われた、古びた鉄の冠が一つあるきりだった。

 何やら奇妙な文字のようなものが彫り込まれている他には何の装飾もなく、さほど高価なものにも見えない。

 だが、常備連隊長は目を見開いてそれを凝視し続けている。


『これは一体??』


 何なのか、と訊ねようとした時、常備連隊長がその答えを呟いた。


『鉄の、王冠……』


次回は3/3を予定しています

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― 新着の感想 ―
[一言] 鉄の王冠、相当な権威の象徴なのでしょうね。 そして常備連隊長はその権威に肯綮に相応しい一族に連なると。 前王朝とか、古代人とかそんな感じでしょうか? 壮大な背景が垣間見え、3月3日が待ち…
[一言] いつもいいところで終わりますね! 次回も楽しみにしています。
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