第七十九話 叛逆
〈ドラ息子〉は寝巻のままベッドに腰を掛けて続きを促すと、〈赤鷲〉の伝令は誇らしげに報告を始めた。
『追跡開始から三日目、古代街道を南下中の賊徒どもと遭遇。これと交戦しました。
賊どもは極めて激しく抵抗いたしましたが、我々はついにこれを撃破。
百騎余りを討ち取り、賊の頭目を捕縛することに成功しました』
『よくやった!』
〈ドラ息子〉は上機嫌で叫んだ。
『それで、捕まえたのはそいつだけか?
一味に姉――女が加わってはいなかったか?
あるいは人間の捕虜は?
常備連隊長はどうだ?
行動を共にはしていなかったか?』
『い、いえ。そのような者たちはおりませんでしたが……』
矢継ぎ早に繰り出される質問に伝令は困惑しながら答えた。
〈ドラ息子〉は不快気に鼻を鳴らす。
一番肝心な者がまだ捕らえられていなかった。
姉とそれを担ぐ常備連隊長こそが彼の地位を脅かす最も危険な存在なのだ。
〈黒犬〉も危険には違いないにせよ、所詮は彼らの鋭利な剣に過ぎない。
『……そうか。
おい、賊の頭目に確認したいことがある。
早急にここに連れてくるよう、隊長に伝えろ』
『了解いたしました。
しかし、その件について隊長より相談を預かっております。
よろしいでしょうか?』
『さっさと言え』
『はっ! 今回捕縛いたしました賊の頭目は、
極めて危険な捕虜でありますから厳重な警備が必要です。
我が隊長は、護送のため武装したまま市内に入城する許可を求めています』
『ああ、よい良い。
許可する。すぐに連れてくるのだ。
おい許可状を発行してやれ。いや、時間がかかるな。
手書きしてやろう。そのほうが早い』
〈ドラ息子〉はすぐにナイトテーブルの引き出しから書道具一式を取り出した。
そして大急ぎでその旨を書き付けると、件の伝令に紙を押し付けた。
『いいか、一刻も早く賊の顔が見たいと、確かにそう伝えるのだぞ』
改めて言い含めてから、伝令を送り返す。
〈赤鷲〉の隊長が〈黒犬〉を連れて姿を現すまでにそう時間はかからなかった。
〈ドラ息子〉は手早く着替えを済ませ、執務室で彼らを迎えた。
〈黒犬〉は二十人近い傭兵達に囲まれて、〈赤鷲〉の隊長に小突かれながら入ってきた。
よほど激しく抵抗したものらしく、大きな怪我こそなかったものの服は泥まみれ、顔はアザだらけになっていた。
その上、両手と腰に縄をうたれて大変にみじめな有様であった。
その姿に〈ドラ息子〉は大いに満足した。
『人間殺しの英雄様が、実にいい様だな? ん?』
〈黒犬〉はそんな嘲りに何も言い返さず、ただ〈ドラ息子〉を睨みつけるばかりだった。
その眼光の鋭さに〈ドラ息子〉はひるみかけたが、周囲に大勢の傭兵達がいることを思い出して持ち直す。
この男を殺す前に、どうしても確かめておかねばならぬことがある。
『おい、貴様。姉上をどこに隠した』
しかし、〈黒犬〉は何も答えず、短く唸った。
どういうわけか、その口元が微かに吊り上がったように見えた。
『隠しても無駄だぞ。
お前が人間の捕虜を奪ったのはわかっているのだ。
人間どものところに行って、姉上と交換してきたのだろう!
何処へ逃がした。吐け!』
〈黒犬〉の口元が、今度はあからさまに吊り上がる。
『何がおかしい!』
〈ドラ息子〉は机に手をドンと叩きつけた。
その勢いのまま立ち上がり、〈黒犬〉の前に立つ。
そしてその襟首を掴もうと手を伸ばしたその刹那、彼は〈黒犬〉の手を縛っていた縄がハラリとほどけるのを見た。
次の瞬間には伸ばしていたその手を取られ、声を上げる間もなくその場に引き倒された。
悲鳴。
視界の隅で、室内にいた護衛隊士たちが次々と傭兵どもに斬り殺されていく。
『何事です――』
入口が開く気配と同時に銃声が響く。
『急げ! 扉を封鎖しろ!』
〈赤鷲〉の隊長が怒鳴っている。
四、五人の傭兵達がエイやと〈ドラ息子〉の執務机を持ち上げて入口へ駆けていく。
複数の銃声が聞こえる。
この室内ではない。しかしそう遠くない場所、館の内部で銃撃戦が起きている。
『常備連隊が突入を開始したようだな』
『ああ』
〈赤鷲〉の隊長が声をかけ、〈黒犬〉が短く応える。
そのやり取りを聞いて、〈ドラ息子〉はようやく状況を理解した。
『き、貴様ら! ハメおったな!
この裏切り者め!』
彼は〈黒犬〉から逃れようと激しく身をよじった。
しかし〈黒犬〉の縛めは固く、わずかたりとも緩まない。
それどころかますます圧迫が強くなり、とうとう息が詰まり始めた。
それを見て〈赤鷲〉の隊長が言う。
『おい、喉が絞まってるぞ。
生かしておけって話だったろう。
なにより、館内が制圧されるまでは人質がいる』
〈黒犬〉がフンと鼻を鳴らして僅かばかり腕を緩めた。
途端に肺に空気が流れ込み、〈ドラ息子〉は咽ながらも胸いっぱいに息を吸い込んだ。
『帝都からの派遣部隊もいるのだぞ!
その面前でこのような騒ぎを起こしてタダで済むと思うのか!』
ゼイゼイと荒い息を吐きながら〈ドラ息子〉が叫ぶ。
しかし、〈黒犬〉は顔色一つ変えない。
〈赤鷲〉の隊長も馬鹿にするように口の端を歪ませるばかりだ。
『しっかし、もう終わりとは。護衛隊の奴らも情けない』
〈赤鷲〉の隊長がつぶやく。
いつの間にか館内の銃声がやんでいた。
それきり室内が静まり返る。
程なくして、執務室の扉が叩かれた。
『わしだ。開けろ』
常備連隊長の声だった。
〈赤鷲〉の隊長が目で合図すると、傭兵達がいつの間にか扉の前に積まれていた家具をのけ始めた。
全ての家具が撤去され、扉が開かれる。
『お疲れさまです。随分と早かったですな』
〈赤鷲〉の隊長が兵士たちを従えた常備連隊長に声をかける。
『わしの手柄ではない。
連中、ろくに戦いもせずに逃げ出しおった。
まったく話にならん』
常備連隊長はフンと鼻を鳴らした。
『仕方ないでしょう。
誰だってこんな奴のために命を懸ける気にはならんですからな』
そう言いながら、〈赤鷲〉の隊長はつま先で〈ドラ息子〉の頭を小突いた。
『貴様ら! 北方辺境伯たるこの俺に――』
抗議の声を上げようとする〈ドラ息子〉に、常備連隊長が大声をかぶせる。
『黙れ! お前は北方辺境伯ではない!』
『何を言っている! 俺は確かに――』
『父殺しの大罪を犯した者はすべての相続権を失う。
法はそう定めておる』
常備連隊長の言葉に、〈ドラ息子〉は絶句する。
『貴様を北方辺境伯殺害の容疑で逮捕する。
大人しく縛につき、裁判を待て』
*
〈黒犬〉は常備連隊長と共に近衛狼鷲兵連隊の駐屯地へと向かった。
伯都で起きた騒乱について”釈明”をするためである。
表向き、近衛狼鷲兵連隊長はこのクーデターに関わってはいないことになっている。
なってはいるが、今回の計画は事実上この大叔父が立てたようなものだった。
〈赤鷲〉を始めとする傭兵隊の寝返りも、彼の根回しによるものだ。
大叔父は〈黒犬〉らを上機嫌で迎えてくれた。
『又甥よ、随分と派手にやられたではないか』
彼は〈黒犬〉のアザだらけの顔を見て盛大に笑った。
〈赤鷲〉の隊長が偽装のためだといって付けたアザであったが、ここまで手ひどく痛めつける必要はなかったはずだ。
多分に私情が混ざっていたのだろうと〈黒犬〉は考えている。
『やられたのではありません。敵の目をごまかすためです』
『なるほど。それで効果は?』
『ありました』
このアザのおかげかどうかはわからないが、〈ドラ息子〉たちは彼らの嘘を疑いもしなかった。
『うまくやったな。
では殺さずに捕らえることができたのだな?』
室内には数名の近衛兵が待機していたが、大叔父は声も落とさず訊ねてきた。
配下の者たちについて絶対の信頼があるらしかった。
『はい、閣下。
無事、生け捕りに成功しました』
今度は常備連隊長が答えた。
『それは重畳。
逃げられればもちろん、死なれても面倒だからな。
なんであれ、正式な裁判の上で処刑することが肝心。
反乱となればさすがの陛下も討伐の兵を差し向けるだろうが、
形ばかりでも法に従っておれば、それ以上事を荒立てようとはなさらん。
あれはそういうお方だ。
此度のことは、単なるお家騒動だ、北の者たちの問題だ。
とまあ、そういうことになるだろう。
わしからも一言添えておいてやる。あとは貴殿ら次第だ』
大叔父の言葉を信じるのであれば、この件について本国から干渉されることはない。
あとは粛々と辺境伯府を掌握し、不穏分子を片付けていけばいい。
『ご協力感謝いたします。
しかし、閣下には随分とご迷惑をおかけしたように思います。
我々にできることがあれば、何なりとお申し付けください』
常備連隊長が恭しく頭を下げると、大叔父はフフンと軽く鼻を鳴らして応じた。
『まあ、こちらのことは気にするな。
我が任務は辺境伯の身の安全を守ること。
貴殿らの主張によるならば、あの者は最初から辺境伯ではなかったのだ。
だからたいした問題にはならん。わしは任務を果たした。
おい、辺境伯閣下をこちらにお呼びしろ』
大叔父がそういうと同時に、近衛兵に連れられて幼女が姿を現した。
幼女はトテトテと常備連隊長に駆け寄ると、無言でしがみつく。
そんな彼女を、常備連隊長はいかつい相貌を崩して愛おし気に抱き上げた。
彼女を救い出してからしばらく行動を共にしてはいたが、〈黒犬〉は彼女が口を利くところを見たことがない。
元侍女の話の通りであれば、あの娘は目の前で母親が死ぬところを見たということになる。
常備連隊長は、口が利けぬのはそのショックによるものだろうと言うが、さて。
一時的なものであればいい。
しかし、今後は彼女を主人として担ぐであろうことを考えると、さすがの〈黒犬〉も一抹の不安を感じざるを得なかった。
『おい、又甥よ』
大叔父が声を落として〈黒犬〉を呼ぶ。
『あれの父親はわからぬのだろう』
『……はい、大叔父上』
父親どころか、第二令嬢が彼女につけていたであろう名前すら分かっていない。
全ては彼女の母親と共に人間どもの地に葬られてしまった。
『だったら、お前との間にできた子と言うことにしておくがいい。
多少時期がずれるが、ごまかしが利かないほどではない』
『は?』
思わず妙な声が漏れてしまった。
『大叔父上! 私は第二令嬢とそのような関係になったことは一度もありません!』
『だが、婚約者ではあったのだろう』
『確かに内々に意向を確認されてはいましたが……。
こちらにしてみれば寝耳に水の話であり、回答を保留していたところでした。
ですから、まだ婚約者ではありません。
そうであったとしても、未婚のうちに子をなしたなど、彼女の名誉を――』
『経緯は知らぬが現に子供がいるのだから醜聞も糞もなかろうに。
考えてもみろ。
蛮地で父親もわからぬ子をこさえるのと、婚約者であり英雄でもある男と子をこさえるのと、どちらがましか。
民衆どもに支持されるのはどちらだ?
あの子にとってどちらがより安全だ?
風説というのは恐ろしいぞ。
人間に孕まされたなんて噂でも出たらどうする』
〈黒犬〉は反論できずに唸り声を漏らした。
『まあ、お前ひとりで決めることでもなかろうが。
いいか、常備連隊長とよく相談しておくのだぞ』
次回は2/17を予定しています
2/10 第六十六話の記述を一部変更しました。
変更前 集まる兵力は騎士だけでも一万
変更後 集まる兵は一万を大きく超える。騎士だけでも六千は固い




