第七十八話 大神官長
大神官長の私室らしきこの部屋は、神官居住区の他のか所と同様にいたって質素なつくりになっていた。
部屋を飾る調度品の類は一切なく、置き棚の上に素人臭い彫り筋の素朴な神像が一つ安置されているきりである。
そんなさほど広くもない部屋の奥に、以前に会った時と同じ飾り気のない神官服を着た老人が穏やかに微笑んでいた。
「貴方がここにおいでになったということは、信仰守護騎士たちは仕損じたというわけですね」
俺は頷いて見せた。
「そうなるだろうとは思っていました。
貴方には数多の幸運がまとわりついておられる。
神意は貴方の側にあるということなのでしょう。
只人の身で抗うことなどできようはずもない」
神意だって?
大神官長の言葉に、俺は足元がぐらつくような不安を覚えた。
数々の幸運に支えられて今の俺があるのはその通りだ。
俺の努力や実力以上に幸運に助けられてきた自覚は確かにある。
過去の異世界だけでなく、この世界においても、だ。
花子を引き当てたのはその最たるものだろう。
あの〈顎門〉への襲撃があった夜、俺は奴らの意思に逆らい自由になったつもりでいた。
しかし、今こうしていることが神意によるものだというのなら。
果たして俺は本当に自由になれたのだろうか。
ひょっとして、いまだに奴らの掌の上で踊り続けているだけなんじゃなかろうか。
「ああ勿論貴方の献身と努力を否定するつもりはないのですよ。
ただ、己が身の卑小さを改めて知ったのだと、そう言いたかったのです」
俺の表情の変化をとらえてか大神官長がフォローしてくれる。
そういう意味じゃないんだが、まあいいか。
「さて、勇者様。私はこれからどうなるのでしょうか」
む、本題か。
「私は今、国王陛下の守護騎士としてここに遣わされました。
私はあなたの本意を問いただし、叛意が明らかであれば誅するようにとの命令を受けています」
そういって、陛下から預かった死刑執行の令状を懐から取り出して見せた。
「なるほど」
大神官長の表情は依然として穏やかで、声にも動揺はみられない。
「自裁をお許しいただけますかな?」
俺は頷いた。
「構いません。
しかし、その前に貴方のお考えを聞かせていただきたいのですが」
「今は何を話そうとも信用はされますまい。
見苦しい言い逃れとなりましょう」
そう言いながら彼は神官服の袂から短剣を取り出すと、鞘を払い切っ先を己に向けた。
背後関係や協力者の有無、情報の経路、その他諸々。聞きたいことは山ほどあったが、話してくれる気はないらしい。
仕方がないので見送ることにする。
拷問をはじめとした情報収集は俺の苦手分野だ。
口を割らせることはできても、その情報の真偽は確かめづらい。
気合の入った人間は、なかなか本当のことを話してくれないものなのだ。
しかし妙に切っ先が低いな。
てっきり喉を突くつもりかと思っていたのだが。自分で自分の心臓を突くのは難しいぞ。
疑問に思ったのもつかの間、大神官長はその刃を自分の腹に突き刺した。
そしてそのまま真一文字に短剣を引く。マジかよ。
「介錯は必要ですか?」
俺が声をかけると、大神官長はニヤリと笑って答えた。
「いいえ、今はまだ。
ただいま私は死の淵に有る者となりました。
もはや嘘偽りを述べる必要はございません。
どうか我が言葉を真実と思い、お聞き届けいただきたい」
よくもまあこの状態でこれだけ流暢にしゃべれるものだ。
普通なら痛みでそれどころじゃないはずなのだ。
だが、覚悟は確かに受け取った。
俺がうなずいて見せると大神官長は語り始めた。
「勇者様は、我らの歴史を学んだことがおありでしたね?
どうでしたか、我々の歴史は。勇者様はどう思われましたか」
細かいところは覚えちゃいないが、まあ他所とたいして変わりはない。
「人類の歴史は戦いの歴史である」とはよく言ったものである。
俺がそのような感想を伝えると、大神官長は苦痛に顔を歪ませながら頷いた。
「いかにも、我々は長いこと人間同士で争ってまいりました。
戦とはまことに恐ろしいものです。
戦士たちは互いに血を流しあい、多くの無辜の民が住む家を、畑を、自由を、手足を、そして命を失います。
我ら神殿の役目は、神から与えられた使命は、人々に救いをもたらすことです。
第一に必要なのは平和でした。
そのために我らは戦に役立つ魔術を生み出し、その力を提供することによって人類の統一を図り、乱世を終わらせました。
しかしそれだけでは平和にはなりえない。平和を維持し続けることはできない。
戦いは人間の本能だからです。
勇者様はメグリエール様をお抱えですね?
彼女のような人間から戦を取り上げることが、本当にできるとお思いですか?
敵が必要なのです。人間以外の敵が。
我らの平和を保つためには必要なのです!」
大神官長がだんだんと興奮してきた。
だが、こうしている間にも彼は血を失い続けている。
話し終わる前に死んでしまいやしないかと、俺は気が気じゃなかった。
「勇者様はオークどもの一部と同盟し、より大きなオークの群れに対抗しようというのでしょう?
夷敵に対し夷敵で抗する。なるほど、良いお考えです。
しかし、どうして同じことをオークどもが考えないと言い切れましょうか。
オークどもと手を結び、人の内にある敵を、討たんとする者が、現れないと、どうして言い切れましょうか……!
オークとは、決して、相いれない、敵でなくては……ならないのです。
悪意ある者が、オークと、手を結んだ時……一体どのような惨劇が……現れることか……」
だんだんと息も絶え絶えになってきた。
「どうか……どうか……お考え直しください……。
オークたちと、結んではなりません……。
結べるということを……知られてはならぬのです」
「なるほど、おっしゃるところはよく分かりました。
他に言い残すことは?」
「いいえ……。
お慈悲を」
そう言って彼はここを刺せと言わんばかりに胸を反らせた。
まったく大した精神力だ。
俺は槍を出現させると、それを彼の心臓に沈めた。
先ほどの老神官に見送られて神殿を出た。
あの老神官、大神官長が殺されたというのに顔色一つ変えなかった。
恐らく、全てを知っていたのだろう。
最初から覚悟は決まっていた、そういった顔つきだった。
神殿前の広場から空を見上げると、既に東の空が白み始めていた。
その微かな光の中に、三騎の竜が舞っているのが見えた。
約束通り、俺の合図を待って上空待機していてくれたらしい。
そこでハタと気づく。
襲撃開始の合図は決めてあったが、無事に出てこられた場合の合図を決めていなかった。
どうやって彼らに帰ってもらおうか?
*
深夜、〈ドラ息子〉の寝室の扉が激しく叩かれた。
緊急の報せであるというから聞いてみれば、〈赤鷲〉らが帰還したとの報告であった。
彼らに〈黒犬〉の討伐を命じてから七日目のことであった。
〈ドラ息子〉は着替える間も惜しく、報告のため先行して戻ってきたという伝令をそのまま寝室に通した。
『それで、どうなった』
〈赤鷲〉隊の伝令は、〈ドラ息子〉の問いに直接答えず、折りたたまれた布を差し出してきた。
『なんだこれは』
『戦利品です』
伝令は不敵な笑みを浮かべて答える。
受け取って広げてみれば、切り裂かれてボロボロになってはいたが、それはまぎれもなく〈黒犬〉の隊の隊旗であった。
次回は2/10を予定しています




