第七十七話 大神殿
〈竜の顎門〉までは陛下御一行と一緒に戻る。
まだ他に刺客が潜んでいないとも限らないからだ。
そんなこんなで門にたどり着いた頃にはすでに日が暮れかけていた。
〈顎門〉の守備隊長であるエベルトはリアナ姫を見て嬉しさのあまり泣き崩れた。
そんなエベルトに、陛下が訊ねる。
「顎門の爺、姉上との再会を喜んでいるところ申し訳ないが、一つ聞きたいことがある」
「はい、陛下何なりと」
エベルトは涙と鼻水で顔をクシャクシャにしながら陛下に応じた。
「先ほど、神殿騎士の一隊がこの門を通過したはずだ。
その目的を知らされてはおらなかったか?」
エベルトは陛下の問いに不思議そうな顔をした。
「供もつれずにオーク領へ向かった陛下を護衛しに来たと、そう言っておりましたが。
はて、そういえば彼らはご一緒ではないのですか?」
俺と陛下は顔を見合わせて頷きあう。
「その言葉、誓って相違ないな?」
「もちろんです」
エベルトは依然として訳が分からないといった顔をしている。
本当にそう信じていたのだろう。
「余はあの者たちに襲われたのだ。
勇者殿が返り討ちにしてくれなかったら今頃どうなっていたことか」
それを聞いてエベルトの目が真ん丸に見開かれた。
「な、なんということを!
奴らの目的を知っていれば、一命に代えてもここで食い止めておりましたのに!
反逆者どもの意図を見抜けなかったこと、我が身の一生の不覚にございます。
何なりと罰をお申し付けください」
そう言ってエベルトは陛下の前に頭を垂れてひざまずいた。
「よい。奴らの言い分はもっともであり疑うことは難しかろう。
それでも償いたいというのであれば、我らをしばらくここで保護して欲しい。
あちら側が王都をどの程度掌握しているかわからぬのでな」
「はっ! 仮令神に背くとも陛下の御身のために戦う所存でございます」
「感謝する」
陛下はニッコリと笑ってエベルトの肩に手を置いた。
「頼みにしておるぞ」
それからこちらに顔だけ向けて。
「では勇者殿。手筈通りに」
「はっ」
花子とジョージを陛下に預け、俺は一人竜舎に向かう。
常駐している竜騎士に夜間飛行の案内を頼むとヴェラルゴンに跨る。
北へ。
*
白竜を大竜舎に降ろすと、既に夜更けであるにもかかわらずリーゲル殿が出迎えてくれた。
その顔に緊張の色はまるで見られない。
何も知らないということだ。ここもまだ無事だ。
挨拶もそこそこに用件を切り出す。
「まもなくリアナ姫が戻ります」
リーゲル殿の目が点になった。
「勇者様、殿下は昨年の戦で……」
「はい。しかし生きておられたのです。
オークどもの虜囚となっていたところを救い出してきました。
幸いにも、心身ともに健康です。怪我もありません」
「ま、まことにございますか!」
俺は黙って頷いて見せた。
「しかし問題が起きました。
その帰途で神殿騎士の襲撃を受けたのです。
それも、信仰守護騎士たちにです」
「信仰守護騎士が?
彼らは大神官長直轄のはず。
信仰篤き彼らが何故そのようなことを……」
リーゲル殿が怪訝そうな顔をする。
俺の言葉自体は疑われていないようだ。
「何か行き違いがあったのかもしれません。
私は国王陛下の命を受け、本件について問いただしに神殿へ向かいます
神殿騎士団長の独断による暴走の可能性もありますからね。
まずは大神官長に事情を聴かねばなりません」
「なるほど、それがよろしいでしょう。
しかし……危険ではありますまいか」
リーゲル殿の目が不安そうに揺れている。
信仰と、俺への信頼あるいは姫騎士殿下への忠誠心の間で心が動いている様子。
「確かに危険はあります。
そこで竜騎士を数騎お借りしたいのです」
そう言いながら、国王陛下からの委任状をリーゲル殿に見せた。
「彼らを神殿の上空に待機させたうえで、何か危険が生じた場合は――」
手に槍を出す。
「――これを空に向かって投げます。
もし槍の光が見えたら、神殿に炎を吐きかけ私の脱出を支援してください」
「し、神殿に炎を!?」
リーゲル殿の目が見開かれる。
「いくらなんでもそれは……」
さすがのリーゲル殿もこれには二の足を踏んだ。
「リーゲル殿」
しっかりと彼の目を見据え、名前を呼ぶ。
「今回の襲撃を受けたのは私だけではありません。
リアナ姫に加えて、ひそかに同行しておられた国王陛下もともに狙われたのです」
彼の目に新たな動揺が走る。
「事態は深刻です。
神殿騎士団長の暴走ならばよろしい。
そうでなければ、これは神殿による反逆です」
さて、リーゲル殿は信仰と国王陛下、どちらを取るだろうか?
「しかし……」
リーゲル殿が絞り出すようなうなり声をあげる。
その時。
「団長」
背後から若い声が聞こえた。振り返る。
カイルだ。数人の若い竜騎士が一緒だ。
「勇者様が参られたと聞いていてご挨拶に参りましたところ、
勇者様からのご依頼がこの耳に入ってまいりました。
その任、私にお任せください」
「控えろ! まだ何も決めておらぬ!」
リーゲル殿がカイルに向かって怒鳴った。
しかし、彼の隣にいた若い竜騎士が代わって言葉を継ぐ。
「団長!
勇者様は先の戦いにおいて、我ら竜騎士の名声を取り戻してくださいました。
それだけではございません。
お命を危険にさらしてまで我ら竜の兄弟の命を助けてくださったのです。
この御恩、今こそ返すべき時です」
もう一人が進み出た。
「我ら、地獄に落ちるとも勇者様にお供する所存」
カイルは二人の先輩竜騎士を意外そうな顔で見た後、もう一度前に出た。
「神は神殿にはおられません。
ご自身がいつもそう言っておられたではありませんか!
どうか我らにお命じを!」
リーゲル殿は再度唸った。
カイルが言葉を重ねる。
「ではせめて今ひと時、我らが飛び立つまでの間だけ目を瞑っていていただけないでしょうか。
戻りましたら処分はいかようにも受けます」
「ふざけるな!」
リーゲル殿が怒鳴った。
「誰がそのような責任逃れをするものか!
竜騎士団長リーゲルが命じる。
王都大神殿上空にて待機し、勇者様を支援せよ。
勇者様より合図があった場合は、神殿を焼き払うべし。
さあ行け!」
カイルと若い竜騎士たちが自身の竜へと駆けていく。
駆けながらカイルが仲間たちに何やら声をかけ、それに仲間の一人がカイルの肩を叩いて応じていた。
カイルの奴、思いのほか仲間内で人気があったらしい。助けたかいがあったというものだ。
彼らの背を複雑な表情で見送るリーゲル殿に声をかける。
「ご助力、感謝いたします。
ついでに馬を借りたいのですがよろしいでしょうか」
竜で大神殿前に乗り付けるのは目立ちすぎるからな。
「構いませぬ。ご武運を」
「ありがとうございます。では」
リーゲル殿が何か言いたそうにしていたが、今は時間が惜しい。
*
深夜の大神殿は静まり返っていた。
様々な動物の彫刻で飾られた石造りの巨大な正門が全ての人の出入りを拒んでいる。
試しに手で押してみたが、勿論びくともしない。
さて、どうしたものか。
大声で名乗りを上げて、門を開けるよう要求すればいいのだろうか?
まさか。誰にも見つからずに大神官長の下にたどり着けるならそれが最上だ。
「もし、そこの御方。神殿に何か御用でしょうか?」
俺が悩んでいると、そんな声が聞こえてきた。
みれば、正門の脇には小さな通用口があったようで、そこから一人の神官がひょっこり顔を出している。
彼は振り向いた俺の顔を見てすぐに目の前の人物が何者かに気付いたらしかった。
「これはこれは、勇者様ではないですか。
こんな夜更けにどうなされました」
彼の顔から警戒感が瞬く間に抜けていくのが見えた。
今度はこちらが怪訝な顔をする番である。
どういうことだ? まあいい。
「大神官長に危急の用件があってまいりました。
どうかお目通り願います」
「承りました。
どうぞお入りください」
拍子抜けするほどあっさりと入れた。
神官は扉の内側に控えていた少年神官を呼び寄せて言う。
「勇者様を控えの間にご案内するように。
それから、大神官長にお知らせを」
「はい。では勇者様、こちらへ」
少年神官の後に続いて神殿の奥へと進む。
昼間は大勢の神官や参拝者で賑わっているのだろうが、今は物音ひとつしない。
無音の廊下に、俺たちの抑えた足音だけがヒタヒタと反響していく。
罠ではないかと神経を張り詰めてみたものの、殺気どころか人の気配すらなかった。
神話にまつわる物らしい荘厳な浮彫が施された礼拝堂を抜け、神官たちの居住区に入る。
居住区はいたって質素な造りになっており、装飾の類はほとんど見られない。
必要がないからだろう。
物音こそほとんどしないが、こちら側ではそこかしこから人の存在が感じられる。
寝息によく似た、平穏な気配だ。
「こちらが控えの間でございます。
大神官長を呼んでまいりますので、しばしお待ちを」
他と一切見分けのつかない、飾り気のない扉の前で少年神官が言った。
促されるままにその部屋に入り、待つ。
さほど待たされることもなく、今度は年老いた神官が迎えに来た。
「勇者様、準備が整いました。
どうぞこちらへ」
彼に続いて隣の部屋に移る。
そこには、大神官長が穏やかな笑みを浮かべて俺を待っていた。
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