第七十三話 囚われの姫
リアナは六尺棒の中ほどを右前に構えながらオークどもと対峙していた。
敵は三匹。いずれもよく見知った獄卒たちだ。
壁を背にしたリアナに対し、扇状に展開して三方から六尺棒を槍のごとく構えてリアナの隙を伺っている。
斯様な状況にあってなお彼女は不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「かかってきなさい、かわいい子豚ちゃんたち」
彼女の発した言葉の意味を知ってか知らずか、両側のオークたちが気勢を上げながら突きかかってきた。
リアナは棒の両端で左右の攻撃を同時にさばきながら、壁沿いに大きく左に踏み込こんでオークの懐に潜り込み、その腹に棒の先端を叩き込んで昏倒させる。
ついで棒を上げて、中央のオークが振り下ろしてきた攻撃を防ぎ、そのまま右足を軸に左足を回転するように下げて右のオークの再度の突きをかわす。
棒を持った両手にぐっとっ力を込めて押し出し、中央のオークをよろけさせると、素早くこれを打ち倒して二匹目を沈黙させる。
そして最後の一体の破れかぶれの突きを軽くかわして、その隙だらけの頭に鋭い一撃を見舞った。
三体のオークが倒れ伏す様を見て満足げな表情を浮かべたリアナの背後で、ピーッと鋭い笛の音が響く。
振り返ると、そこには将校と思しきオークが、さらに多くの獄卒たちを従えて立っていた。
彼は大きく息を吸い込むと、もう一度呼子を鳴らした。
将校に向き直ったリアナの背後で、先ほど叩き伏せたオークたちがのろのろと立ち上がる。
そのことを気配で察しながらも、リアナは顔色一つ変えなかった。
立ち上がったオークたちは足元に転がった棒を拾い上げると、しかしリアナには目もくれず、将校の背後に居並ぶ同僚たちの列に加わった。
よくよくみれば、そこにいるオークたちは既に半分以上がどこかしらにアザやらコブやらをこしらえている。
将校がピッと短く笛を吹けば、新たに四匹のオークが前に出て一礼し、それから棒を構えた。
リアナは応じて棒を構えなおすと、少しだけ舌を出して唇を湿らせる。
(さて、次はどう料理しようかしら?)
*
それからさらに三組ほどのオークを叩きのめしたところで、その日の訓練はお開きとなった。
将校はリアナに一礼すると、アザだらけコブだらけの獄卒たちを率いて去っていった
オークの一隊を見送りながら、監視役の獄卒が差し出した手ぬぐいでリアナは汗をぬぐう。
先の会戦にて気を失った状態で捕虜となったリアナ姫は、伯都へと連行された後、ここ常備連隊の兵営の一角に捕らわれていた。
彼女にとって意外だったのは、ここでの待遇が思いのほか良いことだった。
清潔な部屋と衣服を与えられ、日に二度の運動時間には監視付ではあったが営庭内を自由に動き回ることができた。
虜囚ゆえの不自由さは有るものの、食事については王都にいた頃よりも良いものが提供されている程だ。
これらは北方辺境伯軍の捕虜取扱規則に基づくもの――リアナは将官相当として扱われている――であったが、そのような詳細までは知る由もない。
壮絶な拷問を受けることすら覚悟していた彼女にとって、この厚遇はオークという生物への認識を改め、敬意を抱くに至らせるに十分であった。
こうしたリアナの感情と態度の変化はオークたちにも伝わり、当初は猛獣に接するように恐る恐る接していた獄卒達も今ではもうリアナを恐れることはなく、かといって軽んじることもなく適度な距離を以って彼女と接するようになっていた。
今では五日に一度のペースで行われるようになっている先ほどの模擬戦も、そうして築き上げた信頼関係の賜物であった。
リアナにとってみれば運動不足の解消を兼ねたいい気晴らしであり、何よりオークたちの敬意を得るのに一役買っていた。
オークたちにしてみれば人間たちの戦い方とその対策を学ぶ貴重な機会である。
そうしたわけで、この模擬戦は双方にとって益のある交流の場となっていた。
一点だけオークたちの不幸を挙げるならば、リアナが人類の中でも指折りの武術の使い手であったことだろう。
おかげで彼らは、いまだ白兵戦において人類に対抗する術を見つけられずにいるのだった。
監視役の獄卒を従えて自室へ戻ると、そこにはすでに着替えが用意されていた。
獄卒が一礼して部屋を出るのを見届け、さっそく汗に濡れた服を着替え始める。
しかし、軽く汗を拭き、新しい服に袖を通し始めたところで、部屋の外からオークたちの揉めるような声が聞こえてきた。
普段とは異なるその緊迫した様子に不信を覚えたリアナは、手早く着替えを済ませると少しだけ扉を開け、廊下の様子を窺った。
すると、監視役の獄卒が見慣れぬ制服を着たオークの一団を必死で押しとどめているのが目に入ってきた。
「何事ですか?」
人間の言葉が通じないことを知りつつも彼女が声をかける。
すると、見慣れぬ制服のオークたちはギョッとした様子で動きを止めた。
一方、獄卒は振り向いてリアナがすでに着替えを終えていることを確認して、人間から見ても分かる程に安堵の表情を浮かべた。
と同時に恐らく力が緩んだのだろう。
見慣れぬ制服のオークに押しのけられ、獄卒は背を壁にしたたかに打ち付けた。
押しのけたオークはそのまま獄卒の襟首をつかむと、リアナの方を指さしながらブウブウと何やら喚いた。
獄卒がそれに応じて宥めるような仕草をする。
どうやら、彼らはリアナが拘束もされずにいることに文句を言っているらしかった。
なるほど、リアナのことを知らぬオークにしてみれば、猛獣が出歩いているようにも見えるのだろう。
親切な獄卒が責められ続けるのも不憫に思え、リアナは彼らに害意ないことを示すために両手を頭の後ろで組んで見せた。
それを見た獄卒が何事かを言うと、見慣れぬ制服のオークはようやくつかんでいた襟首を突き放して彼を解放した。
「それで、私に何か御用ですか?」
リアナが再び言葉を発すると、見慣れぬ制服の一団は怯えるようにあとじさった。
いったい彼らは何がしたいのかとリアナは訝った。
「用がないのなら私は部屋に戻りますよ」
リアナがそう言って背を向けようとすると、一団の最後尾にいたひと際大柄そうなオークが何かを叫んだ。
それを合図に、オーク達が縄を手に彼女に向けてにじり寄ってきた。
「縄など無用! 私は逃げも隠れもしません。
何処へなりともついていきましょう。案内しなさい」
そう言ってオークたちのほうへと踏み出したリアナであったが 無論、人間の言葉が通じるはずもなく、かえって彼らの恐怖を煽る結果になった。
横柄なオークが指先を震わせながらリアナを指し再び何かを叫ぶと、周囲のオーク達が一斉に飛び掛かってきた。
彼らは無抵抗のリアナをその場に引き倒し、酷く乱暴に縄をかけた。
その時ふと、獄卒とリアナの視線が交差した。
獄卒がひどく悲し気な目をしているのを見て、とうとう別れの時が来たのだとリアナは悟った。
オーク達は彼女を強引に立たせると、縄を強く引いてついてくるよう促した。
リアナはすっかりなじみになっていた獄卒に別れを告げるため振り返ろうとしたが、縄を強く引かれてそれも果たせなかった。
一行が屋外に出たところで、騒ぎを聞きつけた将校が駆けつけてきた。
背後には警護用の六尺棒を手にした獄卒たちを引き連れている。
リアナが鍛えた愛すべき弟子たちであった。
彼らはリアナが囚人のごとく縄打たれているのを見て抗議の声を上げ、棒を構えて一行の行方を塞いだ。
鍛え抜かれた獄卒たちの気迫を受け、見慣れぬ制服の一団は縮み上がっている。
しかし、例の横柄なオークは一向に取り合わず、将校に向けて一枚の紙を突きつけた。
それを見た将校の顔が歪む。
将校が悔しげに獄卒たちに指示を出すと、彼らも不承々々といった様子で道を開けた。
一行が再び進み始めた直後、将校が突然号令を発した。
それに応じて獄卒たちが一行の両側に整列する。
棒を両手に握り、真正面に垂直に立てたその姿は、まるで高貴な客を見送る儀仗兵の様だった。
行く先には、ここに連れ込まれるときにも使われた檻付きの荷車が待ち構えていた。
リアナはその狭い入口にギュウギュウと押し込められる。
入口に大きく頑丈な錠前がおろされ、荷車がガタガタと音を立てながら前進を開始した。
以前に乗せられた時も同様だったが、この荷車は窮屈な上にひどく揺れるのだ。
不快な乗り心地に顔をしかめながらリアナは周囲を見回した。
荷車は彼女の乗るものを含めて三台。
それを守るように、先ほどの見慣れぬ制服のオーク兵たちが左右をそれぞれに一列縦隊を組んで併進している。
(はて、私はどこに連れていかれるのか……)
奇妙なことに、前を進む荷車には雑多な荷物に混ざって鷹と犬がそれぞれ檻に押し込まれて積まれていた。
振り返って後ろの荷車を確認すれば、こちらには毛皮やら酒樽が積まれている。
てっきり処刑場にでも連れていかれるものと思っていたリアナは首をひねった。
どんなに疑問に思おうとも答えを知る術は彼女にない。
オークどもに訊ねてみたところでこの連中は答えてはくれぬであろうし、そもそもリアナには彼らの言葉がわからない。
そのとき列の最後尾に見慣れた生き物がいるのにリアナは気が付いた。
馬である。一匹のオークに曳かれてトボトボと後をついてくる。
オークどもが馬を飼っているという話は聞いたことがないので、おそらくあれも先の戦の戦利品だろうと彼女はあたりをつけた。
どこまで行くのかは知らないが、あれに乗れればどんなに楽だろうか。
しかし、いまは虜囚の身。それもかなわぬ望みとリアナは大きくため息をついた。
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