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第七話 神とは何ぞや

 俺はキツネにつままれたような気分で城門をくぐった。

 今は竜騎士の礼装ではなく、衛兵が身に着けていたのと同じ鎖帷子に顔まですっぽり覆われるバケツのような兜という格好だ。

 勇者はリーゲル殿と一緒に馬車で帰ったことになっている。


 気が付いたら、断るつもりだった元帥就任に同意させられていた。

 俺が流されやすいのはいつものことだが、それにしても見事に乗せられてしまった。


 仕方がないだろう。あんな健気な少年に、必死の形相で頼み込まれては誰だって断れやしない。

 まあいい。行き当たりばったりなのはいつものことだ。何とかなるだろう。


 それにしても、一体誰が俺を元帥にしようなどと言い出したんだろうか。

 ろくな根回しもなく、急に決まったことらしいのが気にかかる。


 あの老人はいかにも怪しかった。タダ者ではないのはあの目を見れば一目瞭然だ。

 頼るべき大人を失った少年に取り入り、背後から操っているのかもしれない。


 とはいえ、王自身はあいつのことを忠義者と呼び信頼している様子。

 どんな人物か、よく見極める必要がありそうだ。

 リーゲル殿ならあの人物について何か知っているかもしれない。


 リーゲル殿の屋敷に戻った俺は、元帥を引き受けたことを報告した。

 リーゲル殿は難しい顔をして少しの間考え込んでから答えた。


「陛下の仰る通り、ガリルよりは勇者殿の方が相応しいでしょう」


「ところで、元帥って何をすればいいんですか?」


「まずは、元帥にふさわしい装いを急ぎ新調する必要がありますな」


 何事も形からか。


「手配は吾輩の方でさせていただきます。しかし……」


 リーゲル殿の言葉が途切れた。何か言いにくいことがあるらしい。


「費用のことですね?」


「はい、ただの甲冑ならいざ知らず、元帥就任の儀にふさわしいものとなると、吾輩の俸給ではさすがにお出しできかねます。

 幸い、カダーンの丘からは十分な収入が得られるでしょう。

 頭金については吾輩が立替えておきますゆえ、領地からの収入にて賄っていただきたく」


 まぁ、そのための領地らしいしな。

 さすがにいつまでもおんぶに抱っこってわけにもいかない。


「わかりました。頭金についても収入が入り次第必ず返済させていただきます」


「ただし、剣については吾輩から贈らせて頂きます」


「いいんですか?」


「騎士の叙任に際して、後見人にあたる人物が剣を贈るのが習わし故」


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


「ところで、勇者殿は紋章はお持ちですかな?

 元帥の軍装は、紋章付の鎧と盾を身に着けるのが正式でございますので」


「はい、あります。なにか描くものはありませんか?」


 すぐに一片の羊皮紙と羽ペンが持ってこられた。

 それを受け取ると、いつもの図案をさらさらと描きあげる。


「ほう、泉と乙女、ですか」


 小さな泉の傍らで、乙女が祈りをささげている図だ。

 最初の冒険以来、なにか印を掲げる必要がある時はこの図案を使うことにしていた。


「なにか問題はありますか?

 何分、この世界の風習はよくわからないもので」


「いえ、何の問題もありません。由来をお伺いしてもいいですかな?」


「昔、泉の女神に助けられたことがありまして」


「なるほど。よい紋章かと」


 俺が出会ったのは、女神ではなくただの少女だ。

 だけど、それはささやかな違いだろう。

 あの娘は、俺にとって女神同然の存在だったんだから。


「そういえば、陛下の私室で不思議な老人が陛下の側に控えていたのですが、あれは何者ですか?」


「陛下の後ろに控えていた老人?

 フォルトガンのことですかな?」


「名前は聞けませんでしたが、目つきの鋭い方でした」


「それであれば、間違いないでしょう。あの者については、それがしもよく知らんのです」


「貴方にもわからないんですか」


「彼の出自を知るものは誰もおりません。

 少なくとも、名家の出ではございませぬ。

 先代がお亡くなりになった頃から陛下の周囲に出入りするようになりましてな。

 公の場に姿を現すのは稀ですが、陛下の背後に付従って何事か囁いておるようで。

 今では陛下第一の腹心ともっぱらの噂です」


 出自不明の謎の腹心か。

 なんだか思っていた以上に思っていた通りの人物だぞ。

 怪しいことこの上ない。


「そんな人物を陛下の側に置いておいていいんですか?」


「……様々な噂はありますが、いずれも調べてみれば根拠のないことばかり。

 私腹を肥やすでもなければ、特定の者に肩入れするでもなし。

 案外悪い人物ではないのかもしれませんぞ」


 それでいいのか。

 どうもリーゲル殿は人を信じすぎじゃなかろうか。


 陛下がリーゲル殿を元帥に選ばなかったのも、その辺りが理由かもしれない。

 胡散臭さでは負けていない俺がいうのもなんだけど。


「あるいは、此度の勇者殿の元帥就任もあの者が陛下に助言したのかもしれませんな」


 *


 その夜は悪夢を見た。いつもの悪夢だ。

 最初の冒険から、現実に戻されたときの夢。


 夢の中で目を覚ました俺は、自分の部屋にいることに気付く。

 あれほど帰りたいと願ったあの部屋だ。


 懐かしさを覚えると同時に、あの冒険が全て夢だったのだと思い、俺は泣いた。

 部屋から聞こえる泣き声に気付いた母が部屋に飛び込んでくる。


 母にとっては半年ぶりの、感動の再会だ。

 だけど、俺にとってはそうじゃなかった。


 *


 翌日、リーゲル邸には俺への挨拶を希望する訪問客が列をなしていた。

 中でも、朝一番に乗り付けてきていたのが一番の大物だった。


「お初目にかかります、勇者様。

 私は名をロムウェルという、神に仕える僕の一人でございます」


 ロムウェルと名乗ったその男は、質素な神官服をまとった、いかにも温厚そうな丸顔の老人だった。

 どこかで見た気がするのだが、思い出せない。


「お久しぶりでございますな、大神官長」


 その老人にリーゲル殿はそう呼び掛けた。


「今はその名で呼んでくださいますな。

 一人の信徒として、神の御使いに一目お会いいたしたく参っただけでございますゆえ」


 大神官長?奏上の儀の最中に、陛下に抗議した羆男を一喝したあの尊大な神官か。

 もう一度目の前の神官をよく見る。

 確かに同じ顔だが、あまりにも雰囲気が違うため中々両者が結びつかない。


「御挨拶が遅れて申し訳ありません。

 色々と込み入った事情がございまして、これまでお訪ねすることもかないませんでした」


 そういって彼は俺に向かって頭を下げた。


「いえ、本来であればこちらからお伺いするべきところを、大神官長自らおいでいただけるとは全く光栄なことです」


 挨拶を済ませると、二、三当たり障りのない雑談を交わした。

 生活に不便はないかだとか、食べ物は口に合うかだとか、そういうのだ。


 その後、大神官長は何かを言いかけて、それを飲み込むように口をつぐんだ。

 表情は温和なままだったが、目には微かに緊張が浮かんでいる。

 ここからが本題らしい。


「……」


 だが、なかなか話は始まらない。

 口を開きかけては、また閉じる、というのを何度か繰り返した。

 彼にとっては何かしらの決意を必要とする話題であるらしい。


 内容は大体察しが付いていた。

 俺はリーゲル殿に目配せをした。


「それがしは所用を思い出しましたので、しばし席を外させていただきます。

 御用の際は、そちらのベルを鳴らしてお呼びください」


 そういって、彼は部屋を出て行った。

 扉がきちんと閉まるのを待って、俺の方からきりだしてみた。


「もしかして、私に何か尋ねたいことがあるんじゃないですか?」


 大神官長は、大きく息を吸い、それからゆっくりと口を開いた。


「……勇者様は、神にお会いしたことがおありでしょうか?」


 直球だった。

 大方予想通りの、シンプルだが難しい質問だった。

 神といってもいろいろある。

 いくつかの異世界で、神を名乗る強大な存在と出会ったことがあったが、彼が聞きたいのはそういうことじゃないだろう。


 慎重な回答を必要とする問題だ。


 以前に同じような質問を受けた時には、その世界の宗教団体から日夜刺客を送られる羽目になった。

 返り討ちにするのはわけなかったが、ゆっくり眠れないのが辛かった。

 しまいには娼婦に化けた暗殺者がその秘密の場所に毒を――この話はやめておこう。

 あの時は、神の使者を積極的に名乗ってあることないこと言いまくった俺も悪かった。


 ともかく、この質問の答え次第では、彼の信仰や世界観が根本から崩れかねないのだ。

 緊張するのもうなずける。


 俺は彼の様子をもう一度窺った。

 彼はこちらの言葉はもちろん、表情の動き一つ見落とすまいと全力でこちらに注意を傾けていた。

 その目は真剣そのもので、狂気の気配はない。


 この場合、正直に誠意をもって話すのが正解だろう。どの道、俺は嘘が下手だ。


「それは、私をこの世界に送り込んだ存在と、という意味でしょうか?」

「はい、そうです」


 それなら話は早い。


「そうであれば、私は会ったことはありません。

 声を聴いたこともありません。

 ただ、その気配を感じることがあるだけです。

 その存在が、あなた方の信じる神と同一かも私にはわかりません。

 そして勿論、あなた方が信じる神にも会ったことはありません」


「では、神の国からいらしたのではないのですね?」


「はい。私がいた世界はいくらかの違いこそあれ、ここと同じく人間の住む世界です。神の国ではありませんでした」


 もっとも、実際にあの世界を目にすれば神の世界と勘違いするかもしれないが。


「私自身、元の世界では特別な力を持たないただの人間に戻ります。

 この勇者としての私の力は、異世界に送り込まれている間にだけ発揮されるものなのです」


「勇者様はどうして選ばれたのですか?」


「私にもわかりません」


 たぶん、奴らの気まぐれだろう。俺自身には特別な才能は一つもない。


「そうですか」


 そういって、大神官長は再び黙り込んだ。


「……では、勇者様も神については何もご存じないのですね?」


「はい、そうです」


 俺をこの世界に送り込んだ存在について、俺はほとんど何も知らない。

 これ以上聞かれても何も答えられない。

 だが、大神官長は俺の答えに満足したようだった。


「不躾な質問にお答えいただきありがとうございました」


「こちらこそ、ろくにお答えできず申し訳ありません」


「そんなことはありません。

 大変有意義なお話を聞かせていただきました。

 もっとゆっくりお話ししたいところですが、あいにくとつまらぬ用事が山のようにございまして。

 いつかまたじっくりとお話しさせていただければと思います」


「機会があればぜひ」


 おっと、大事なことを聞き忘れていた。


「ところで」


「なんですか、勇者様」


「他の方に神について聞かれたとき、同じように答えてもよろしいでしょうか?」


 大神官長はそれを聞いてニヤリと笑った。


「勇者様は、嘘の苦手な方とお見受けします。

 そのまま答えていただいて結構です。

 我らの偉大なる神の威光が、形を変えながらも異世界にまでいきわたっているという証左となりましょう」


 大神官長が手を差し出してきた。俺はそれを握り返し、硬い握手を交わした。


 ベルを鳴らす。


 戻ってきたリーゲル殿に礼を述べた後、大神官長は再び質素な馬車に乗って帰っていった。


 その後はひたすら来客の応対に追われた。

 何しろ、客は文字通り列をなしているのだ。

 名前を聞いて、二三言葉を交わして、ご退出。

 ほとんどアイドルの握手会だ。以後お見知りおきを、を言われてもとてもじゃないが覚えきれない。


「問題はありません。名前を覚えるに値する人物は一人もおりませんので」


 これは礼儀作法の師匠、ガルロの言だ。

 奏上の儀のレッスンが終わった後も、この世界の作法を俺に教えるために残ってくれている。

 それにしても酷い言い様だ。


「向こうも、そのような扱いになれておりますからな。

 名を思い出せずとも、さも覚えているかのように応じれば合わせてくれるでしょう」


 それでいいのか、礼儀作法。


「でも、後々の付き合いを考えると、やっぱり聞き直しておいた方がいいのでは?」


「それではその者の面子を潰すことになります。

 真っ向から潰せば、潰された方も引くことができなくなります。

 例えその後殺されるとわかっていても、剣を抜き、恥を雪がねばなりません。

 どうしても聞きたければ、人の目がないところでさりげなく聞き出してください」


 そういうものなのか。実に野蛮な世界だ。

 だが、俺の世界にもそういう時代があったし、他の異世界でも珍しい話じゃなかった。

 

 途切れることがなかった来客の列も、昼食の前にはすっかり解消していた。

 ガルロに聞くところによれば、午後に人を訪ねるのは失礼にあたるらしい。

 午後の訪問が許されるのは、近しい親族と招待されたものだけなのだそうだ。


 ほとんどの来客が、何かしらの贈り物を持ってきていた。

 返礼する必要があったが、ガルロがそれらの贈り物を身分や価値に合わせて適切にシャッフルし、贈り返してくれた。

 俺に名前を覚える必要はないなどと言っておきながら、自分自身は一人残らず把握していたらしい。


 ガルロは俺と違ってずっとこの世界で生きてきた男だ。

 恐らくは、元々彼らのことを知っていたんだろう。


 それでも、あれだけの数をきちんとさばけるのだから大したものだ。

 ぜひともレッスン終了後も引き続き貸してもらいたいところだ。


 訪問客の中には、俺に頼みごとをする者が少なからずいた。

 「領地を不当に相続しようとしている者がいる」だとか、「当主の不在をいいことに近隣の領主がちょっかいを出してきている」だとか。

 そして最後はこう締めくくられる。


「どうか元帥として奴らを討伐してください。あるいは、せめて討伐令だけでも……」


 どれも迂闊に首を突っ込めば火傷しそうな案件ばかりだ。

 恩は売れても、代わりに恨みも買う羽目になる。

 ほとんどが先の会戦で当主を失ったことが原因になっていた。

 陛下の――もしかしたらあの老人の――懸念は当たっていたというわけだ。


「まずは国王陛下に調停をお願いするのが良いでしょう。

 その調停に従わないものがあれば、その時は必ずやその者を討伐いたしましょう」


 下手に軍事介入して内戦を引き起こさないように、というのが俺を元帥に指名した理由だったはずだ。

 だから俺は働かない。


 陛下に丸投げして追い返そう。

 決して怠け心からではない。


 国王陛下の思惑は別にしても、その世界の問題にはなるべく口を挟まないというのが、ここしばらくの俺のやり方だった。

 以前それで失敗したのだ。

 この手の問題にいちいち首を突っ込んでいたらきりがない。


 味方は増えるが敵も増えるのだ。世界を救う前に疲れ切ってしまう。

 人間同士のもめごとへの干渉は、世界を救うのに必要な最小限で済ませたい。


 それとは違う頼みもいくつかあった。


「私の夫(あるいは息子や主君、その他縁戚)の軍勢が、山の向こうに取り残されております。どうか〈顎門〉の前に居座る軍勢を追い払い、彼らを救い出してはくれないでしょうか」


 確か、取り残された戦力は騎士だけで三千ほど。

 うまいこと救い出せればそれだけ戦力が増える。


 領主が帰還すれば、状況も安定させるられるかもしれない。

 なにより、恨みを買わずに恩を売れるというのが良い。リーゲル殿に相談してみよう。


 もっとも、取り残された連中が、現時点でどれだけ生き残ってるかは知らないが。


次回投稿は7/4を予定しています。

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