第六十九話 連隊長
【前回までのあらすじ】
〈黒犬〉の依頼を受け、人間にさらわれた「さる貴族の令嬢」の捜索を行っていた勇者だったが、すんでのところで救出に失敗し、貴族の令嬢は亡き人となってしまったものの、その娘であるオークを保護することに成功した。
しかし、それを材料に〈黒犬〉との返還交渉を開始した矢先に、国王陛下の命令によってオーク領域への大規模な侵攻計画が立ち上がったことを知らされる。
北方辺境伯府は、雇用関係にある狼鷲の傭兵隊に対して、伯都の郊外に宿営地をあてがっている。
狼鷲の飼育には十分に広い土地が必要になるためだ。
その傭兵隊の宿営地にどこか浮ついた雰囲気が広がっていた。
理由は言うまでもない。近衛狼鷲騎兵連隊が伯都に入城したという知らせが届いたためだ。
それを率いるは先の内戦で数々の武功を上げ、今や近衛筆頭にして帝国伯爵という地位にまで上り詰めた伝説の傭兵である。
その存在は、全ての狼鷲兵にとって憧れであった。
〈黒犬〉も例外ではない。
故郷を飛び出し傭兵稼業に身を投じたのも、あの大叔父の存在があればこそだ。
おかげで多くの苦労を味わったし、いくつもの危険にさらされてもきた。
なにより父を大いに嘆かせることになった。
だが、それでも〈黒犬〉は後悔していなかった。
最後に大叔父に会ったのは、故郷を飛び出した直後のことだった。
近衛に来るかと誘われたがその時は断った。今思えば、とんでもなく失礼な態度を取ったような気もする。
なにしろ、相手は帝国の要人中の要人である。血縁でなければ本来会うことすら叶わぬ雲上のお人だったのだ。
だが、大叔父はそれを気にしたような様子はまるでみせなかった。それどころか肩を抱いて激励さえしてくれた。
傭兵隊を率いるうえでの心構えについて様々な助言も――自慢話を交えながらではあるが――聞かせてくれもした。
実際に傭兵隊長になってみると、そのどれもこれもが役に立った。
別れ際には、お前の父親に近況を知らせておいてやるから時折手紙を寄こすように、とも言われた。
故郷を出るにあたって勘当された身としては、これもありがたい気遣いだった。
最近では狼鷲の卵を融通して貰いたいという厚かましい願いにも応じてもらっている。
そんな、遠く帝都にあって滅多に会うことのできない大恩人にして憧れの人物でもある大叔父が、自ら北方辺境伯領へやってきたのだという。
その政治的な背景にはキナ臭いものを感じつつも、直接礼を述べる機会が巡ってきたことに喜びを感じずにはいられなかった。
以前に会った時の〈黒犬〉は、まだ何も持っていない青二才に過ぎなかった。
今は違う。
大叔父には遠く及ばないまでも、自らの力で切り取って得たものがある。
世間知らずの若者としてではなく、一人前の男として堂々と大叔父の前に立つことができるのだ。
今の自分を大叔父がどう評してくれるか、それが楽しみでならなかった。
そんなことを考えながら久々に部族の戦装束に袖を通していると、来客があると告げられた。
まさか大叔父が自ら足を運んでこられたのかと慌てたがそうではなかった。
やってきたのは常備連隊長だった。
身代金の準備ができたのかとも思ったが、どう見てもそのような様子ではない。
ひどく疲れた顔付きと、引き摺るような重い足取りで部屋に入ってくる。
いつもかくしゃくとしているこの老将にしては珍しいことだった。
〈黒犬〉は、常備連隊長に椅子を勧めながら尋ねた。
『ずいぶんとお疲れの様子ですが』
常備連隊長は苦笑いを浮かべながら力なく答えた。
『本国軍を出迎えてきたのだ。
それで少しばかり疲れてしまった』
『なるほど』
大叔父は〈黒犬〉にとって良き先達ではあったが、一部の者――たいていは血筋を笠に着た無能の類――にはひどく当たりがきつい面があることを〈黒犬〉は知っていた。
大方、大叔父があの〈ドラ息子〉と揉め事でも起こしたのだろうと見当をつけた〈黒犬〉は、式典を見に行かなかったことを悔やんだ。
もっとも、軍の責任者として間に立つことになる常備連隊長にとってはたまったものではなかろうが。
『それで、外に出たついでに現状を知らせておこうと思ってな』
『しばしお待ちを』
〈黒犬〉は入口のところで待機していた部下を呼び寄せる。
『少しばかり込み入った話がある。
決してこの部屋にほかの者を近づけるな』
『はっ!』
部下は分かっておりますと言わんばかりにニヤリと笑って見せると、部屋を出ていった。
扉がしっかりと締まったことを確認し、さらに一呼吸おいてから常備連隊長に訊ねる。
『それで、金貨の方はどうなりましたか?』
常備連隊長が、大きく息を吸い込んで何かを言おうとし、それからしぼむ様に息を吐いて項垂れる。
『まさに、そのことで話があってきたのだ』
そういって、絞り出すように現状について話し始めた。
『率直に言おう。
資金集めが難航している。
必要な金貨の半分も集まっておらん』
常備連隊長が語るところによれば、支払いに帝国大判金貨が指定されているのが最大の問題であるらしい。
元々高額決済用の希少な貨幣だ。
大口の取引には手形の類が使われるようになった昨今、金庫の奥深くにあって持ち主の信用を担保するのが主な役割となっている。
従って市場に出回ること自体がほとんどない。
特にここ北方辺境伯領においては、その大部分が辺境伯府の金庫に眠っている。
『見込みが甘かった。
これが同額の銀貨や小金貨であれば、集められない金額ではないのだ。
わしの資産と退職金をすべて担保にぶち込んでしまえばなんとかなる。
だが、大判金貨となると話が全く変わってくる。
まとまった数を集めようとすれば、方々の商人に声をかけねばならん。
だが、わしが金貨を集めていることが〈ドラ息子〉めの耳に入れば事が露見しかねん。
信用に足る伝手を慎重に手繰らねばならん』
もう少しだけ時間が欲しいと常備連隊長は話を締めくくった。
『閣下、〈魔王〉は金額については交渉の余地があると言っていました。
今一度接触し、減額交渉を試みてはいかがでしょうか』
〈黒犬〉の提案に常備連隊長は難色を示した。
『それは危険が大きい。
何度も北へ足を運べば、それだけ〈ドラ息子〉めに感づかれやすくなる。
その上人間どもに借りを作ることにも繋がりかねん。
そのようなことはできれば避けたい』
『ならば、資金集めに協力させてください』
『……当てはあるのか?』
常備連隊長が訝しがるのも無理はなかった。
どれだけ人気があろうとも、〈黒犬〉も所詮は傭兵隊長である。
堅気の商売人に信用される類の職業ではない。
辺境伯府に仕える公僕として、そしてこの地に古くから根付く血筋の一員として、長年にわたって信用を築いてきた常備連隊長ですら集められぬものを、どうして流れ者の傭兵が集められようか。
だが、今の〈黒犬〉には大判金貨の持ち主に心当たりがあった。
大叔父である。あの用意周到な老将のことだ。非常時に備え、少なくない軍資金を持参してきているはずだ。
あまり頼り切るのは気が引けるが、借金ならばいざ知らず、同額の銀貨と引き換える程度ならばどうにかなるはずだ。
そう説明しようとしたその時、〈黒犬〉は扉の向こうで何者かが身動きする気配を感じた。
『誰だ!』
〈黒犬〉が怒鳴ると、扉が勢いよく開いた。
『話はすべて聞かせてもらった!』
姿を現したのは〈黒犬〉が敬愛してやまない大叔父その人だった。
その背後では、先ほど人払いを命じておいたはずの部下が気まずそうにもじもじしている。
なるほど、大叔父上を相手に断れる者などこの隊にはいようはずもない。
『か、閣下! なぜ貴方がここに!?』
事情を知らぬ常備連隊長は、突然現れた大叔父の姿に顔を青くした。
『どうしたもこうしたも、うちの部族の若様へご挨拶に参っただけだ。
なんだ、何も聞いていなかったのか?』
常備連隊長が『本当か』と視線を投げかけてくるのに、頷いて答える。
〈黒犬〉はこの大叔父との関係を誰かに話したことはなかった。
話したところでなにか扱いが変わるとも思えなかったし、そうであればわざわざそんな自慢話をする意味もなかったからだ。
無論、同じ部族の出身者であれば誰もが知っていることではあったから、聞かれれば答えただろうが。
『大叔父上、若様はやめてください。
もう勘当された身の上です』
『まだそんなことを気にしているのか。甥御はとっくに許しているぞ。
おい、若様。故郷に戻りたくなったらいつでもワシのところに来い。
口添えしてやろう』
大叔父はそう言ってブハハハと笑うと、手近な椅子を引き寄せてどっかりと座った。
『それで、なんだ。ずいぶんと面白そうな話をしていたじゃないか。
詳しく聞かせろ』
大叔父は戸惑う二人に、ニヤリと笑いかけた。
『なに、悪いようにはしない。
かわいい又甥のためだ。できる限りの協力をしようじゃないか』
〈黒犬〉自身は、この大叔父を信頼に値する相手と考えている。
だが、この件について自分の一存で話してしまうわけにはいかない。
どうしたものかと思いながら常備連隊長に視線を移す。
常備連隊長は拳を固く握りしめたまま大叔父を睨み付けていた。
この突然の闖入者を信じてもよいか否かを測りかねている様子だった。
大叔父はそんな常備連隊長の様子をみて、面白そうに眼を細めた。
『無論、話したくないというのならそれでも構わんぞ。
だがワシが扉越しに聞いたのは断片的で不正確な内容に過ぎんからな。
何か誤解が生まれていないとも限らん。
貴殿らの言い分をきちんと聞かせてくれた方が、お互いにとって幸せなのではないかな?
すれ違いからの誤認逮捕など、いったい誰が得をするというのだ』
それから常備連隊長の方にグッと身を乗り出して獰猛な笑みを浮かべる。
『さあ、洗いざらい吐いてしまえ。
隠し事はかえってためにならんぞ』
常備連隊長がチラリと〈黒犬〉に視線を送ってきた。
〈黒犬〉はそれに小さく頷いて答える。
常備連隊長は大きなため息を一つつくと、観念したかのように項垂れた。
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