第六十八話 近衛狼鷲兵連隊
帝国最強の名を欲しいままにする近衛狼鷲兵連隊、その一糸乱れぬ隊列が伯都の大通りを進んでいく。
騎乗するは鮮やかな赤の制服に身を包んだ兵士たち。
鞍上にあって微動だにしないその姿は、冷たく、硬い鋼鉄の像の様であった。
肩に担いだ抜き身の片刃剣が日の光を反射して怜悧な輝きを放っている。
先の内戦で名を挙げた伝説の傭兵隊を一目見ようと押し掛けた伯都の人々は、その威容に打たれて息を呑んだ。
誰一人歓声を上げることもできず、ただ畏怖するばかりだった。
大勢の群衆がひしめきながら物音一つ立たないという異様な光景。
その中に狼鷲たちのジャッ、ジャッ、ジャッという爪音だけが響き渡る。
隊列の先頭が大通りの半ばを過ぎた時、小さな影が群衆の股下をくぐるようにして通りへ飛び出した。
小汚い格好をしたそれは、近頃とみに街の中に増えた浮浪児の一人だった。
行進の邪魔をせぬよう通りに配置されていた憲兵が、顔を真っ青にして止めにかかったが間に合わなかった。
狼鷲兵の鋭い視線が、ニコニコと無邪気に笑いながら狼鷲の柔らかそうな羽毛に手を伸ばす浮浪児を捉えた。
そのごつごつとした大きな手が浮浪児に素早く伸びる。
暴力の予感にある者は目を覆い、またある者は目を見張った。
だが、彼らが目にしたのは意外な光景だった。
狼鷲兵は、その垢じみた浮浪児を優しく抱え上げると自身の鞍の前に座らせたのだ。
それどころか、その頭にピカピカに磨き上げた銀鍍金の兜を被せてやりさえした。
浮浪児が狼鷲の上でキャアキャアと嬉そうに叫ぶ。
それを見て仲間の浮浪児たちが飛び出してきた。
子供たちが次々と狼鷲兵たちに掬い上げられていく。
先頭を進んでいた、恐ろしい顔をした指揮官が背後の騒ぎを聞きつけて振り返った。
鼻先の欠けたその男は隊列に群がる子供たちを見て豪快に笑った。
その笑いは自然と周囲に伝染し、通りを包んでいた緊張は瞬く間に霧散していった。
街の者たちがようやく歓声を上げた。
*
常備連隊長は、〈ドラ息子〉らと共に辺境伯邸前の広場で近衛狼鷲騎兵連隊を出迎えた。
〈ドラ息子〉の周囲では護衛隊の者が目を光らせており、少なくとも今は手出しはできそうになかった。
近衛狼鷲兵連隊は子供たちの歓声を引き連れて広場に姿を現した。
常備連隊長は進入してくるその隊列を見て鼻を唸らせた。
大勢の子供たちに群がられながらも、彼らの隊列は一向に乱れていない。
鋭い鉤爪が揃って石畳を叩く音すら寸分の狂いも無い。
個々が手練れであるばかりか、部隊としても恐るべき統制と練度を備えているということだ。
彼の背後には常備連隊の一個大隊が儀仗兵として楽隊と共に整列していた。
常備連隊長は自身が率いるこの連隊を、十分に訓練を積んだ精鋭部隊であると自負していた。
だが、あの赤服の一団を知った今となっては、自慢の部下たちも色褪せて見えてしまう。
北方辺境伯軍の常備連隊は、連隊と言いつつも歩兵の数だけで言えば通常の連隊の倍近い六千もの兵力を擁している。
対する近衛狼鷲兵連隊は、同じく連隊を名乗りながら、実態としては八百程度の狼鷲兵を擁しているに過ぎない。
それに加えて若干の猟兵と軽砲隊を持っているとのことだったが、そちらはまだ到着しておらずこの場にはいない。
これだけの兵力差があってもなお、常備連隊長は自分の連隊が彼らに勝てるか確信が持てなかった。
少なくとも、同規模の人間どもと向き合うより余程恐ろしく思えた。
狼鷲兵たちが整列を終えるのを見計らって、〈ドラ息子〉が前に出た。
派遣部隊の指揮官と挨拶を交わすためだ。
〈ドラ息子〉は偉そうにふんぞり返りながら、相手が狼鷲から降りるのを待つ。
序列に従うならば、いまや正式に北方辺境伯の地位についた〈ドラ息子〉がまず挨拶を受けるはずであった。
ところが鼻の欠けた近衛の指揮官は狼鷲に跨ったまま微動だにしない。
それどころか、鞍上から〈ドラ息子〉を見下ろしてとんでもないことを口走った。
『おい、どうした小僧。
遠路はるばる助けに来てやったのだ。
さっさと我が前に跪いて挨拶をせんか』
そのあまりに尊大な態度に、〈ドラ息子〉は色を失った。
彼が何か言おうと息を吸い込んだのを見て、後ろに控えていた〈腰巾着〉が慌てた様子で進み出る。
『か、閣下。もし連絡に行き違いがございましたら申し訳ございません。
先代の北方辺境伯は永遠の旅路につきました。
ですから、我が主人は既に正――』
『知っている』
近衛の隊長は〈腰巾着〉の言葉を短く遮ると、ギロリと睨みつけた。
睨まれた〈腰巾着〉はビイと小さく悲鳴を上げて〈ドラ息子〉の後ろへと逃げ戻った。
『だから何だというのだ。
なるほど、先代の辺境伯であれば敬意も払うし、怖れもしよう。
だが貴様はどうだ、小僧。
役目を引き継いで早々、皇帝陛下に泣きついておいて、己がその地位にふさわしいなどとよく言えたものだ。
恥を知れ、この無能め』
〈ドラ息子〉は目を見開いて鼻先をブルブルと震わせた。
陰口を叩かれるのには慣れていたが、こうまで公然と侮辱された事は、少なくとも成人してからは一度もなかった。
彼は〈腰巾着〉が不安げに袖を引くのにも構わず叫んだ。
『こ、この成り上がり者が!
先代の皇帝陛下に気に入られた程度で増長しおって!
貴様なぞ、しょせんは名ばかりの爵位を賜った下賤な蛮族に過ぎぬではないか!』
近衛の隊長はそれを鼻先で笑い飛ばした。
『いかにも成り上がり者だとも。
先代陛下のご寵愛も、名ばかりの爵位も、そしてこの近衛隊長の地位も、全てこのわしが実力で手に入れたものだ。
だが小僧、貴様には何がある?
偉大な御父上から引き継いだのは、その醜い逆さ牙だけではないか』
〈ドラ息子〉は拳を握って踏み出しかけたが、次の瞬間には鞍上からの鋭い視線に射すくめられ、身動きが取れなくなった。
そのまましばらく近衛の隊長を憎々しげに睨み付けていたが、やがて『此度の無礼な振る舞いについては、必ず皇帝陛下に報告するからな!』という捨て台詞を残して、取り巻きたちと共に去っていった。
近衛の隊長が、去っていくその背に大声で嘲笑を浴びせた。
常備連隊長は、そんな光景を少し離れた場所から複雑な思いで眺めていた。
あの〈ドラ息子〉が散々に痛罵される様は痛快ですらあった。
だが、それが余所者によるものとなればただ愉快がっているわけにもいかない。
あの男にどれだけ問題があろうとも、それは北部に住まうものの問題なのである。
余所者に鼻先を突っ込まれて面白いはずがない。
日頃、〈ドラ息子〉のことを下品なジョークのネタにしている兵士たちですら、今のやり取りを見て殺気立っているのだ。
常備連隊長はため息を一つつくと、連絡係として用意した二人の士官を従えて近衛の隊長の下へ向かった。
一人は子飼いの常備連隊将校。
もう一人は、主計長から預かったいかにも生真面目そうな主計官だった。
近衛の隊長は常備連隊長が近づいてくるのを認めると哄笑をひっこめて、先ほどとは打って変わった人好きのする笑みを浮かべた。
驚いたことに、彼はするりと鞍を降りて常備連隊長に歩み寄ってきた。
互いに向き合い、背筋を伸ばして敬礼を交わす。
先に口を開いたのは近衛の隊長だった。
『貴殿が、北方辺境伯領軍の常備連隊長殿であるか』
『はい、閣下。如何にも。
どこかでお会いしたことがあったでしょうか?』
『いいや。しかし、貴殿の武名は遠く帝都にある我が耳にも届いておる。
北部の守護者として、怪物ども相手に長らく戦い続けてきた古兵であると聞き及ぶにつけ
同じ軍人として一度はお会いしたいものと常々考えておったところなのだ』
『過分な評価、痛み入ります』
さしもの常備連隊長も、伝説的な軍人であるこの男にこのように言われれば悪い気はしない。
思わず頬が綻びそうになるのをぐっとこらえて用件を持ち出した。
『この者たちを連絡官として閣下にお預けいたします。
不足のことがあれば、何なりとお申し付けください』
二人の連絡官が前に出て、改めて敬礼する。
『うむ』
近衛の隊長が目配せをすると、担当者と思われる狼鷲兵がやってきて彼ら二人を引き取っていった。
遠ざかる彼らの背を見送りながら、常備連隊長は再び背筋を伸ばした。
そして、近衛の隊長の目をしっかりと見据える。
『もう一つ、申し上げたいことがございます』
『聞こう』
近衛の隊長は同じように姿勢を正して応じた。
『まずは、我らに至らぬ点があったことをお詫び申し上げます。
しかしながら、我らに如何なる落ち度があったにせよ、我らが領主に対し、公衆の面前であのような悪罵を浴びせられるいわれはございません。
北方辺境伯の旗下に集う者の一人として、厳重に抗議申し上げます』
近衛の隊長はフムと鼻を鳴らした。
『まず、貴殿らに何一つ落ち度はない。
そのことは明らかにしておかねばなるまい。
ただ、あの小僧の顔が気に食わなかっただけなのだ。
なるほど、貴殿ら北部の者への配慮が欠けていたのは確かだ。
その点については我が落ち度に違いあるまい。
この通り、心から謝罪申し上げる』
そう言って、近衛の隊長はその場に片膝をつき、頭を深く垂れた。
常備連隊長は背後で兵士たちがざわついてるのを感じた。
対する狼鷲兵たちは、彫像のごとくに立ち尽くすばかりで、欠片も反応を見せない。
そのことが常備連隊長には一層不気味に思えた。
『か、閣下。謝罪を受け入れます。
どうかお顔をお上げください』
常備連隊長は大急ぎで近衛の隊長に手を差し伸べる。
彼はその手を取り、立ち上がる。
和解は成った。
完全に立ち上がる直前、近衛の隊長が耳元で囁いた。
『ところで、貴殿自身はあの男をどう思っておられるのかな?』
その言葉にギョッとして、思わず握ったままの手を離しそうになる。
そんな常備連隊長の様子を、彼は面白そうに目を細めて見ていた。
『ご安心なされよ。
北方辺境伯閣下の顔が気に入らないのは確かだが、任務は任務。
身の安全は、先代皇帝より賜りし我が爵位にかけて、必ずやお守りして見せよう。
配下を待たせておるゆえこれにて失礼する。
貴殿とはいずれまたゆっくり話をしたいものだ』
近衛の隊長はそう言いながら狼鷲に跨ると、部隊を率いて広場から去っていった。
常備連隊長は汗をぬぐった。
あの男は一体どういうつもりであんなことを言ったのだろうか?
自分の殺意があの男に見透かされたような気がして、どうにも落ち着かない気分になった。
書き溜めが尽きたため、またしばらくお休みさせていただきます。
休載期間は例によって半年ほどになる予定です。
申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。




