第六十七話 戴冠式
―― 〈カダーンの丘〉にて
あれからひと月ほどが過ぎたが、〈黒犬〉からの返答はいまだ来ない。
やはり交渉の対象とすらみなされなかったか、あるいはこちらの提案が政争の過程でもみ消されてしまったか。
〈黒犬〉自身が帰還途中で暗殺されてしまった可能性もある。
あるいは、単純に払う払わないで揉めているだけなのかもしれないが、今のところこちらからは何もできない。
そうこうしているうちに、成人の儀を終えた国王陛下が大勢の家臣を引き連れて〈カダーンの丘〉にやってきた。
正式な戴冠式を執り行うためだ。
領地の名の由来にして象徴である〈カダーンの丘〉は、神より王権を授かるための聖地とされている。
王家が王城から遠く離れたこの飛び地をわざわざ王領としているのはそれが理由だ。
丘の頂上にはストーンヘンジによく似た巨大な環状列石が鎮座しており、その真ん中で王は神の代理人から王冠を授かるのだという。
この儀式は、太陽の力が最も強くなる日、すなわち夏至に行われるのが伝統なのだそうだ。
やってきたのは国王陛下御一行だけではない。
大勢の有力領主たちが儀式に参加するため、各地から郎党共々続々と集まってきている。
これだけ大勢いるとうちの小さな領館に収まりきるはずもなく、国王陛下とその近臣たちを除いて、残りは野営をしてもらっている。
用意した野営地は大変な賑わいだった。
色とりどりの天幕に加えて、焚火、篝火が盛大に焚かれ、その周りではお供の騎士達が前祝と称して勝手に宴会を開いている。
おまけにどこからともなく商人たち集まってきて露店まで開くものだから、もう完全にお祭り状態だ。
武人どもが集まって酒を飲めば、次に起こるのは決闘騒ぎと相場が決まっている。
いつの間にやら決闘するなら野営地の中央広場という暗黙の了解が出来上がり、集まった野次馬どもが壁となって即席の闘技場が造り上げられていた。
決着がつくたびに歓声が上がり、それが収まる間もなく次は俺達の番だと新たな決闘者が名乗りを上げる。
一々仲裁したところできりがないので放っておいたら、どんどんと盛り上がっていき、しまいにはこの国一番の剣士を決める武闘大会の様相をきたしてきた。
酔っぱらったどこぞの騎士が、闘技場の真ん中で血塗れの剣を振り回しながら次の挑戦者は誰だとがなっている。
遺恨もなしにこれ以上死人を増やされてはさすがに堪らない。
仕方がないので木刀片手に乗り込んで、十人ばかり叩きのめしてやったらさらに盛り上がってしまった。
挑戦者の列があんまり長くなったので、全員まとめてかかってこいと叫んでこちらから列に突っ込み、一気に始末した。
決闘騒ぎもひと段落着いたので少し離れて休んでいると、国王陛下がやってきた。
後ろには護衛の騎士が二人と、例の鷲鼻の老人を従えている。
最後に会ったのはケレルガース行きを命じられた時だったか。
あの時よりも心なしか背が伸びてはいるが、大人から見ればまだまだ小柄だ。
顔だってまだ幼い少年のまま。
にもかかわらず、どこか内から滲むような威厳が感じられる。
「勇者殿、少し話がある」
そう言って陛下はくるりとこちらに背を向けて、野営地から離れていく。
ついて来いということだろうか。
慌てて追いかけたが、俺以外は誰もついてこない。
「よろしいのですか?」
と問うと、陛下は楽し気に
「戦いぶりは見せてもらったぞ。あれなら護衛はもういらぬ」
などと仰る。
さてこれは俺を信頼しているという意味か、二人ばかりの騎士では無意味ということか。
月明りを頼りに、二人して黙々と丘の斜面を登る。
背後の野営地からは楽し気な笑い声と、それから時折歓声が聞こえてくる。
篝火に炙られた頬の熱気が、夜の冷ややかな風の中に吸取られていく。
ようやく頂上についた。
野営地での馬鹿騒ぎも、ここまでは届かない。
巨大なストーンサークルが月に照らされて静かに白く輝いていた。
少年王は、その白い石柱の一つに手を添え、見上げながら言う。
「勇者殿、これが何かわかるか?」
はて、これは何だろうか?
俺も石柱を見上げた。
このストーンサークルは、巨大な石柱による二重円で構成されている。
あの〈竜の顎門〉の精緻な石組に比べれば、ずいぶんと荒々しい造りだ。
技術的な意味で言えば稚拙、ということになるのだろう。
それでもこの石柱たちからは確かな力が感じられた。
それは魔力のような具体的な作用ではない。
もっと曖昧で、素朴で、原初的な、存在そのものが放つ大きな力だ。
これを作った何者かは、確かにこの場に神々を見出していたのだろう。
ここが神聖な場であることは疑いないが、この石柱が何かと聞かれると答えに困る。
元の世界のストーンヘンジは何と言われていただろうか。
「石の配置を見るに、太陽の位置を測るためのものでしょうか。
丁度、夏至の日出に合せているように見受けられます」
この答えに国王陛下はニヤリと笑った。
「なるほど、さすがは勇者殿。鋭い眼をお持ちだ。
配置についてはまさにその通り」
良かった。正解か。
「だが、正解には足りない」
あらら。
「これは墓標なのだ」
陛下は、ストーンサークルの中央に鎮座する、巨大な一枚岩の台座を指す。
「あの下には、古代文明の崩壊以降、初めて人類を統一した偉大な王、
王者の中の王者こと、ワーガン大王が眠っていると伝えられている」
それから、とその周囲の、内側の円を構成する一際大きな石柱をぐるりと指して。
「あれらの柱の下には、それに続く十人の王たちがそれぞれ埋葬されているそうだ。
夏至の日出の下、古の王たちに認められて、初めて我らは王となることができる。
古い、今は否定された信仰の名残だ」
陛下は石の門をくぐって奥へと進む。
俺も後に従う。
「神殿の者たちはこの風習をどうにかしてやめさせようとしたようだ。
だが、こればかりはどうにもならなかった。
人間の意志は、弱いようでいて強い。
長い年月をかけて積みあがった習慣や意識は、神殿の力をもってしても容易には拭い去れん」
サークルの中央まで進んだ彼は、こちらに振り返って悪戯っぽく笑った。
「あのリーゲル爺ですら、カラスの頭蓋骨を後生大事に懐に隠しているぐらいだからな。
神殿が、いまだに古き教えの復活に神経を尖らせるのも分らんでもない」
カラスの頭蓋骨とは、古い神にまつわる何かのおまじないだろうか?
竜騎士団長のリーゲル殿は、神への信仰篤きことで知られている。
それでもなお、古い縁起担ぎを捨てられないらしい。
俺だって神仏を頼みはしないが、それでも食事の前に手を合わせることを一々疑問に思うこともない。
信仰は、思いのほか人々の生活と精神とに深く浸透している。
それこそ、意識すらしないほどに。
陛下は向きを変え、来た道を戻り始めた。
「近頃、オークを使って何か企んでいるようだな。
追放された学僧まで引っ張り出してきたそうではないか」
バレてる。
一体どこから……ああ、トーソンか。
国王陛下の家臣だからな。俺のじゃない。
誠実で大変よろしい。
しかしどう答えたものか。
俺が悩んでいる間に陛下は続けた。
「まったく、大神官長にばれたらどうなることやら。
あまりかき乱してくれるなよ。
神殿は、竜騎士と並ぶ我が王家の力の源泉だ。
曽祖父は、この二つの力と結ぶことでようやく人類の再統一を果たしたのだからな。
今においても、もはや彼らの協力なくしてオークどもとは戦えん」
そういう話か。
「はっ。以後気を付けます。
特にネズミには」
ネズミと聞いて、陛下が楽しげに笑った。
戻ったら、トーソンにうちのオークたちを隠すよう指示しよう。
もう手遅れかもしれないけど。
少年王は円形に均された頂上の縁に立って、野営地を見下ろした。
俺が隣に立つのを待ってから言う。
「ともあれ勇者殿、元帥位をよく勤めてくれた。
気の進まぬところを押し付けてしまったが、
おかげで平和裏に彼らをまとめることができた。
それも、予想よりずっと早くだ。
心から礼を言う」
「もったいなきお言葉です」
俺自身は特に何をしたわけでもないのだ。
「明日の戴冠式をもって、余は正式に王となる。
すまんが軍権は返してもらうぞ」
やっぱりそうなるか。
無職になった俺にメグはどう出るだろう。捨てられそうだ。
それはそれで構わないけれども、今後はどうしたものか。
リーゲル殿のところに転がり込めば、とりあえず養っては貰えるかな。
陛下がこちらに向き直る。
その目は真剣だ。ここからが本題なのだろう。
「しかし、勇者殿の役割が終わるわけではない。
引き続きこの〈カダーンの丘〉を預ける。
今後は、守護騎士として余の側に仕えてほしい」
よかった。とりあえず食い扶持は確保できたらしい。
陛下の護衛ぐらいならお安い御用だ。
「謹んでお引き受けいたします」
答えを聞いて陛下がニッコリと微笑んだ。
それから、再び表情を引き締めて続ける。
「既に耳にしているであろうが、秋には余自ら率いてオーク討伐の軍を起こす。
我ら人類総力を挙げての決戦となろう。
力を貸してほしい。
そなたの武名は既に世界の隅々にまで響き渡っている。
我が軍中に、そなたがいるというだけで皆の士気は大いに盛り上がるだろう。
余のためにとは言わん。
人類のために、どうか」
ついに来た。
言うなら今だろう。
「陛下、その前に私から一つ進言させていただきたいことがございます」
「許す」
「この度の遠征、延期してはいかがでしょうか?」
陛下の目に明らかに苛立ちが滲んだ。
苛立って見せたというよりは、苛立ちを隠しきれなかったという風だ。
この少年が、生の、それもネガティブな感情を覗かせるのは初めて見たかもしれない。
「何故だ」
「勝ち目がないからです」
「先の戦の倍以上の兵を揃えた。
竜騎士たちも使える。もうあのような不意打ちは食らうまい。
そしてなにより、勇者殿がいる。
それでも勝てぬと申すか」
「はい、恐れながらその通りです。
多少数を揃えたところで、今のままでは太刀打ちできません。
もちろん戦の勝敗は運に大きく左右されますから一度だけであれば、あるいは勝てるやもしれません。
しかし、勝つにせよ、負けるにせよ、人類は甚大な傷を負うことになります。
そうなれば、その次の戦には勝てません。
最悪の場合、〈竜の顎門〉すら失いかないのです。
人類は滅亡の縁に立たされることになります」
「スレットの奴も同じことを言いおった。
あの戦を生き延びた者は皆そう言う!
負けて臆病風に吹かれたか!」
「戦うなとは申しません。
ただ、今は戦うべき時ではないと、そう申し上げているのです」
「待てということか。
だが、どれだけ待てばいい。
十年か、二十年か。
冗談ではない。そんなに待てるものか!」
最早、陛下は苛立ちを隠そうともしていない。
「せめて、あと一年の猶予を。
オークどもに不和を撒くための工作を進めております。
これがうまくいけば、奴らに内戦を起こさせることができます。
勝利はより確実なものとなりましょう」
「見込みはあるのか」
そう聞かれると苦しい。
そもそもがダメで元々程度。計画と呼ぶのもはばかられる代物だ。
「……十に一つ程かと」
盛りに盛った見積を伝えてみる。
「話にならん。既に内々の下知を下しておるのだ。
そのような不確実な話で延期などできるか!」
ですよね。
だが、ここで引き下がれば人類は破滅だ。
破滅まではいかずとも、当面は立ち直れないレベルの打撃を蒙ることになる。
「しかし陛下、現状は至って安定しています。
オークの軍勢は〈顎門〉からも遠く離れたところにおり、いまのところ安全です。
こちらから戦を仕掛けねばならない理由はありません」
そう言った瞬間、陛下の表情が一変した。
「戦をする理由がないだと!
ふざけるな!
姉上が殺されたのだぞ!
たった一人の家族だったのに! あれほど優しい人であったのに!
余はあの石の玉座の上にたった一人で置いていかれたのだ!
それが戦の理由にならぬと申すか!
仇を討つのは当然であろう!」
なるほど、人類にはなくとも彼にはあるわけだ。
その気持ちはよくわかる。
だが、それに伴う代償はあまりに大きい。
「しかしながら陛下――」
「黙れ!
この日を迎えるために、散々骨を折ってきたのだ!
慣れない政治に悩みながら、諸侯どもに媚をうり、健気な少年を装ってようやくここまで来た!
やっと準備が整ったと思ったら、今度は勇者様が戦をやめろという!
何故だ! 神はオークどもを討伐するために勇者をお遣わしになったのではなったか!
それなのに!
姉上を見捨てた其方が、この上仇討ちの邪魔までするのか!」
そう言われるとこちらも辛い。
俺が彼の姉を見捨てたのは確かだからだ。
リアナ姫とともに突撃していれば、勝てはせずとも彼女一人ぐらいなら助け出せたかもしれない。
あるいは突撃をやめるようもっと真剣に説得すべきだったかもしれない。
しかし、それは後知恵にすぎないのだ。
当時の限られた情報と力の中で、俺は最善と思われる道を選んだ。
と、そのように言い訳することは可能だ。
だが、そういった正しさは彼にとって何の慰めにもならないだろう。
俺が言葉を返せずにいる間に、陛下は少しだけ冷静さを取り戻したらしい。
ぎこちなく怒りの形相を収めながら俺に謝罪した。
「すまぬ。
勇者殿にとっても、辛い判断の上であったことだろう。
今の言葉はどうか忘れてほしい。
戴冠式を前に気が昂っていたようだ」
そうして頭を下げたまま続ける。
「だが、その上でどうか。
力を貸してほしい。頼む」
姉を見殺しにした男に、頭を下げて協力を依頼するその心情はいかなるものだろうか。
国王陛下が、政治的怪物であることはもはや疑いない。
だが、同時にその内心は孤独な少年に他ならないのだ。
スレットが、勝ち目の薄さを知りつつ従軍に同意した理由が今ならわかる。
陛下が顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見据えてくる。
その瞳には、狂気と紙一重の強い意志が見て取れた。
説得は不可能。
俺がいようが、いまいが、彼は出陣するだろう。それを止める手立てはない。
グラグラと揺れる内心と並行して、俺の中の冷静な部分がそろばんをはじいている。
今ここでこの少年を殺せば、大規模な遠征は少なくとも阻止できる。
さて、遠征で失われる数多の騎士達と、この少年の命とではどちらが重いか?
俺は鞘から剣を抜く。
少年は、それを見ても身じろぎ一つしない。
俺は片膝をつくと、刃の部分をもって柄彼に差し出した。
「我が剣をお受け取りください。
この剣の及ぶ限りにおいて、陛下をお守りいたします」
この少年は王家直系の最後の生き残りで、人類統一の象徴だ。
今の人類に、再統一のための内戦をやる余裕はない。
要は致命的な負け方さえしなければよいのだ。
戦に参加し、可能な限り被害を抑えるのが最善だろう。
最悪、彼だけでも連れて逃げだせばいい。
陛下は俺の剣を受けとると、満足げな笑みを見せてくれた。
*
夜明け前。
俺は陛下に従って再び丘を登った。
丘の頂上には、戴冠式を見に集まった諸侯が石列の外円に沿ってぐるりとひしめいていた。
陛下と共に石の門をくぐり、内円へと進む。
中央の台座の上で、大神官長と、それから王冠を捧げ持ったネズミ顔の堂主が陛下の到着を待っていた。
陛下はその前まで進むと、跪いて頭を垂れた。
俺は剣を抜いて捧げ持つと、大声で叫ぶ。
「先王アルハートの子、ノトハルトが今、王冠の正統な守護者として名乗りを上げた!
異議のある者はいるか! いるなら直ちに名乗り出よ!」
もちろん名乗り出る者はいない。
それから、俺は内円の石柱に沿って時計回りに歩き始めた。
それぞれの石柱の前には国内の有力領主たちが一人ずつ立っている。
一人目は〈奏上の儀〉で異議を叫んだあの羆男だった。
俺が剣を捧げ持ったまま前に立つと、羆男が大声で叫んだ。
「異議なし!」
彼らは現世の有力者たちであると同時に、古の王たちの依り代としてここに立っている。
彼らの承認は、同時に死者たちの承認でもある。
二人目、知らない顔。同じように「異議なし!」と叫ぶ。
三人目、同じく知らない顔。異議なし。
四人目、スレット。異議なし。
五人目、メグ。俺をみて悪戯っぽく微笑む。
頼むから変な真似はしてくれるなよ。
彼女は良く通る透き通った声で叫ぶ。
「異議なし!」
心底ほっとした。
以下、恙なく全員の承認を得る。
内円をぐるりと一回りした俺は剣を収めると、陛下に倣って大神官長に跪く。
しばらく沈黙が続いた。誰一人、身じろぎ一つしない。
そのまま数分が過ぎて、変化が起きた。
日出だ。日の光が、石の門を通って陛下と、大神官長とを照らした。
大神官長が厳かに告げる。
「先王アルハートの子、ノトハルト。
我らが神は其方を王と認めた。
この王冠は、その証である」
王冠が大神官長の手によって載せられる。
陛下が立ち上がり、力強くその両腕を掲げた。王冠が朝日を浴びて輝く。
それに応えて儀式を見守っていた諸侯が一斉に剣を引き抜くと、鋼の刀身が日の光に煌めいて、巨大で無骨な石列を王冠のように飾り立てた。
「国王陛下万歳!」
例の羆男が叫んだ。
剣を掲げたまま全ての領主たちがそれに応える。
「万歳! 万歳! 万歳!」
少年は、万人が認める王となった。
次回は8/5を予定しています




