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第六十六話 身代金

作者は経済に疎いので、違和感を覚えたとしても「この世界ではこうなっている」ということでご容赦ください

 常備連隊長の元に嫌な報せが届いた。

 あの〈ドラ息子〉の請願により、ここ北方辺境伯領への帝国本軍の派遣が決まったというものだ。


 部隊派遣の名目は北方辺境伯府及び辺境伯本人の警護。

 小規模ではあるが、指示書の要約によれば『伯都の治安が十分に回復するまで』、『場合によっては長期にわたって駐留する』から『受入れの準備を整えておくように』とのことだった。

 既に派遣部隊はこちらへ向けて移動を開始しているらしい。


 常備連隊長は呻いた。

 あの護衛隊とかいう連中が相手ならどうとでもなる。

 所詮は本国系貴族の盆暗どもが兵隊ごっこをしているに過ぎない。

 そのうち隙を見せることもあるだろう。

 だが、帝国本軍となるとどうだ?

 どんな連中が来るかは知らないが、今より事を成しやすくなるとは思えない。

 急ぐ必要がある。


 だが、それはそれとして心残りもあった。

 第二令嬢の件だ。

 もし、あの辺境伯の愛し子が本当に生きているのなら、救出の道筋をつけておくべきだろう。

 〈黒犬〉は今日か明日の内には戻ってくるはずだった。

 まずは彼の報告を聞いてからだ。


 執務室でじりじりとしながら〈黒犬〉帰着の報告を待っていると、執務室の扉が叩かれた。

 続いて『ご報告があります!』との若い開拓民兵上がりの将校の声。

 待ちに待っていた報せを持ってきたに違いなかった。


『入れ』


 扉が開く。


『戻ったのか』


 報告を聞く間も惜しく、鼻を膨らませかけた若い将校を遮って訊ねる。

 彼も心得たもので、『はい』とだけ答える。


『すぐに行くぞ』


 そう言って腰を浮かせかけた常備連隊長だったが、すぐに思い直す。

 

『いや待て、ここに呼ぶ。

 すぐに連れてこい』


 若い将校が敬礼をして足早に出ていく。

 程なくして、〈黒犬〉がやってきた。

 片脇には何の飾りもない飾り気のない壷、もう片脇には人間どもが使う大きな兜を抱えていた。

 はてあの兜は何だろうか?

 だが、壷の中身についてはすぐに察しがついた。


『既にお亡くなりになっていたか』


『はい』


 〈黒犬〉が差し出してきた壷を受け取り、机の上に置く。


『遺骨は確かめたか』


『はい。下顎に大きく外側に反った牙がありました』


 逆さ反りの牙は北方辺境伯の血筋によく見られる特徴だ。

 常備連隊長が敬愛したあの老オークの牙も大きく反り返っていた。

 同時に、その血筋以外ではめったに見られない形質でもある。

 つまりこの遺骨はほぼ間違いなく第二令嬢のものと考えられた。


 半ば諦めていたとはいえ、こうして現実を突きつけられるとやはり気が沈む。

 ところが、〈黒犬〉はさらに報告を続けた。


『しかしながら、お嬢様の遺児を保護したと、彼らはそう主張しております』


 この言葉に、常備連隊長の顔色は変わった。


『それは本当か!』


『真偽はわかりません。

 例の元侍女が通訳としてついてきておりましたので確認したところ、

 確かにお嬢様が幼かった頃にそっくりであるとのことでした』


 今は魔王の通訳をしているというその女は、元は第二令嬢の筆頭侍女だったはずだ。

 第二令嬢の乳母の娘で、乳姉妹でもある。

 その忠誠の厚きことは誰もが知るところだ。

 命がかかっているとはいえ、このようなことで嘘をつくとは考えにくい。


『良い報せだな。もう少し早ければさぞ……』


 常備連隊長は言葉を詰まらせた。

 頭の中を憎悪が駆け抜けていく。

 早ければだって? いいや、違う。奴が遅ければ、あるいは何もしなければ、だ。


 すぐに気を取り直して〈黒犬〉に問う。

 

『それで、条件は。

 身代金を要求されたのだろう?』


『はい、閣下』


 〈黒犬〉は人間どもが使う古ぼけた兜を常備連隊長に見せた。


『これを、帝国大判金貨で一杯にして返すようにと』


 常備連隊長は大きく鼻を膨らませて呻くように鳴らした。

 それからしばし沈黙し、〈黒犬〉に告げる。


『既に知っていることとは思うが、辺境伯閣下は永遠の旅路につかれた』


 〈黒犬〉は黙って頷き返した。


『その後釜についたドラ息子めは、お嬢様の捜索を打ち切ると言いおった。

 無論、身代金など銅貨一枚払わんだろう。

 この件はもう終わりだ。

 事の顛末については一切口外するな。

 手下どもにも徹底させておけ』


 目の前の〈黒犬〉の表情が悔し気に歪んだ。

 彼の気持ちは常備連隊長にも痛い程に理解できた。


『しかし、閣下――』


 〈黒犬〉が非難めいた口調で何か言おうとするのを遮って続ける。


『それから、ドラ息子めにも知らせるなよ。

 いまだ捜索中であるとでも言っておけ』


 〈黒犬〉の表情が、驚きと困惑が入り混じったものに変わる。

 同時に、そこにほんの少しだけ期待が混じっていることを常備連隊長は見逃さなかった。


『一つ、個人的にお前に頼みたいことがある。

 お前にしか頼めぬことだ』


『何なりと、閣下』


『引き続き、〈魔王〉との返還交渉を継続してもらいたい。

 頼めるか?』


『もちろんです』


 常備連隊長の問いに〈黒犬〉は迷うことなく返してきた。


『ドラ息子めは人間との接触禁止令を出している。

 危ない橋を渡ることになるぞ。

 報酬も、おそらくほとんど出せん。

 それでも引き受けてもらえるか?』


 〈黒犬〉が、馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 何をいまさら、ということだろうか。

 常備連隊長はその回答に大いに満足した。


『身代金はワシがどうにかして用立てて見せよう。

 準備出来次第、もう一度北に向かってもらう。

 その後は頼んだぞ』


 *


―― 〈カダーンの丘〉にて


 〈黒犬〉との交渉を終え、〈カダーンの丘〉へと帰還する。

 お姫様の子供にあんな値をつけたのは、ちゃんとした意図があってのことだ。


 もちろん、金そのものは目的ではない。

 オーク達と取引や交渉が可能かどうかを探るためだ。

 〈黒犬〉本人については十分に信用できると踏んでいるが、その背後にいるオーク国家となると話は別だ。

 そもそも奴らが人間を交渉相手と見なしていない可能性は十分にある。

 丁度、〈黒犬〉が俺を相手に交渉することができても、他の人間には相手にされないのと同じようにだ。


 だから、〈黒犬〉個人では到底支払えないであろう額に設定した。

 支払いに指定したあの大判金貨の価値も花子と〈骨太〉に確認をとっている。


 ちなみにあの金貨は館に残されていたリアナ姫の遺品から失敬したものだ。

 勲章らしきメダルやら装飾入りの短剣やら懐中時計(!)やらがごちゃごちゃと詰め込まれた箱に入っていたのだ。

 おそらく倒したオークから分捕った戦利品だろう。


 ともかく、花子達の言葉を信じるならば、あれは日常の支払いには殆ど使われることがない高額決済用の貨幣とのことだ。

 その上流通量自体が極めて少なく、大商人ですらまとまった数を保有していることは稀だというから好都合だった。

 (余談だが、花子によればオークの商人たちは普段の大口取引には手形のようなものを使うらしい。やはり進んでいる)


 〈黒犬〉の独断ではどうやったって今回の身代金を用意することはできないはずだ。

 その上の存在に相談せざるを得なくなるだろう。

 〈黒犬〉の依頼主がこの辺りを支配する地方領主だというメグの推測があっているのなら、それはつまり、今回の交渉相手はこれまで人間が争ってきたオークの地方政権そのものということになる。

 ここにきてようやく、〈黒犬〉という個人ではなく――間接的にではあるが――オークという種族との交渉が可能になるのだ。

 奴らが値切ってきたとしてもそれは問題ない。むしろ大歓迎。

 重要なのはオークの社会が人間を交渉相手と見なしうるのか、それを確認する事だからだ。


 そんなことをメグに話して聞かせたところ、盛大に呆れられた。


「何やってるんですか勇者様。

 お姫様本人ならともかくその子供ですよ?

 ただでさえ胡散臭いのに、そんなに吹っ掛けたら払ってもらえるわけないじゃないですか。

 信用以前の問題です。この交渉は間違いなく決裂ですよ」


 言われてみればまことにもっともな話だった。

 あれが本当にお姫様の子供であるという証拠は一つもない。

 なんなら俺達にとってすら真偽は不明だ。

 花子がそう言っているだけなのだ。


「まあ、うまくいったとしても無駄になりそうですけどね」


 頭を抱えている俺に、メグが聞き捨てならないことを言う。


「どういうことだ?」


「国王陛下が成人の儀を前倒しになさるそうです。

 有力盟主の支持もあらたかとり付けたみたいですよ」


 あの少年王も、俺の知らない所で随分と動き回っていたらしい。

 これが実現すれば、先の敗戦以来不安定になっていた王国の政治状況も格段に安定するはずだ。


「いい話じゃないか。

 何か問題でもあるのか?」


「はい。大ありです。

 国王陛下は正式な戴冠式を済ませ次第、親征を宣言なさるおつもりのようです。

 既に全諸侯に向けて遠征の準備をするよう内々にお触れが出されています」


 俺は首を傾げた。

 既に有力盟主たちの支持を取り付けているなら、今さら戦をする必要もないだろう。

 そもそも、俺に元帥とかいう肩書を押し付けたのも、内戦を防ぐためだったはずだ。


「親征するって、いったいどこに」


 メグは肩をすくめて答えた。


「どこもなにも、オーク以外に相手はいないじゃないですか」


 なるほど。


「私の知るかぎりでは、ケレルガースを筆頭に少なくとも五つの有力盟主が従軍に同意しています。

 我がモールスハルツもその一つです。

 リアナ様の敵討ちを大義に掲げられれば、私としても否応はありません。

 他の盟主も規模の大小はあれ、多くが従軍するでしょう。

 集まる兵は一万を大きく超える見込みです。

 騎士だけでも六千は固いでしょう。

 人類が出しうる全力と言ってもいい数ですね。

 リアナ様でもなしえなかったことです」


 なんともまあ。

 薄々とは感じていたがあの少年王、やはりただの子供ではなかったらしい。

 玉座で見た、あのか弱い少年の姿は見せかけだったのだろう。

 それはまあいい。人類にとっては喜ぶべきことだ。


 だがあまりに早い。あと数年は猶予があるつもりでいたのだ。


「それで、いつ兵を挙げるんだ」


「例年通り。秋の収穫を終えた頃を考えているようです」


「ふむ」


 戦に一番いい季節を選べば当然そうなるだろう。

 既に季節は夏の初めに差し掛かっている。

 国王陛下が兵を挙げるまで、元の世界の感覚で言えば残り三ヶ月程だろうか。


 そしてオークたちとの交渉にはとかく時間がかかるのだ。

 狼煙を上げて〈黒犬〉を呼び出すのに十日は待たされる。

 用件を告げて返事を受け取るのにはその倍は待たねばならない。

 要するに、一度のやり取りだけでたっぷりひと月はかかるわけだ。 


 次回にすんなり身代金を持ってきてくれればいいが、そうはならないだろう。

 オークの地方政権内にゴタゴタが起きてくれればと期待していたが、人間の大軍がなだれ込んできてしまえば最早それどころじゃあるまい。

 かえって団結することも大いにあり得る。

 つまらないことなんて考えずにタダでくれてしまえばよかった。


「で、どうだメグ。

 その陣容で、オークどもに勝てると思うか?」


 俺はこの世界の戦力にあまり詳しくない。

 だからメグに聞いてみた。


「この間のオーク軍を基準にするのはやめた方がいいですよね?」


 先日のメグが初陣を飾った戦いのことだろう。

 あの時のオーク兵は明らかに練度が低く、やる気も感じられなかった。

 メグには悪いが、昨年の大敗戦時のオーク軍とは比べ物にならない。


「そうだな」


 俺の答えを聞いてメグはまた肩をすくめた。


「でしたらお答えのしようがありません。

 私はオークの本軍を見たことがありませんので。

 なにより戦の勝ち負けなんて、誰にも分りませんよ」


 なるほど、もっともだった。

 どんな戦も最後は賭けだ。

 とはいえ何事にも限度というものがある。

 勝率はできるだけ上げておくべきだし、あまりに不利な勝負は降りるのが賢明だろう。

 神に祈るのはごめんだ。


「今しばらくお待ちいただくよう、陛下を説得しないとな。

 お前にも協力してもらうぞ」


 俺がそういうとメグが不満げに口を尖らせた。

 そんな顔をしてもだめだ。


「あまりに勝ち目が薄い。

 ここでまた大敗すればもう後がない」


「まあ、勇者様がそうおっしゃるのなら」


 そういいながらも、その顔は明らかに納得していない。

 そりゃそうだろうな。彼女にとっては待ちに待った大戦おおいくさだ。

 こいつの協力にはあまり期待出来そうにない。

 他に相談相手を見つける必要がある。

 スレット辺りはどうだろうか?


次回は7/29を予定しています

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