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第六十四話 保護

今回は少し血が出ます。

 人間どもに花子と呼ばれているオークは、自身の主である人間を従えて厩舎の前に立った。

 半開きの扉に向かい、口上を述べる。


『私は北方辺境伯第二令嬢が元筆頭侍女。

 かつての主にご挨拶に参りました。

 どうか中に入れてはいただけないでしょうか』


 扉の陰から一人のオークが顔を出し、花子とその背後の人間の様子を窺った。

 その手には長い棒に包丁を括り付けた即席の槍が握られていた。

 花子の現在の主人は、武器を帯びていないことを示すため両手を挙げてその場でくるりと回って見せた。


 顔が引っ込み、扉が完全に閉じられた。

 厩舎の中からくぐもった声が聞こえる。

 恐らく、この反乱の首領に判断を仰いでいるのだろう。

 程なくして、再び扉が開いた。

 先ほどのオークが、鼻先で中に入るよう促した。


 入ってすぐに血と糞尿の入り混じった異臭が鼻をつく。

 足元に転がる死体は二つ。おびただしい量の血を流してはいたが、臭いの元はこれだけではなさそうだった。

 恐らくは突入を阻むためか入り口を取り囲むようにぐるりとガラクタが積まれており、奥がどうなっているかはわからなかった。


 ガラクタの陰から女オークが一人姿を現し、奥へ進めと花子を招いた。

 見覚えのある顔だった。かつての同僚の一人だ。

 花子がついていこうとすると、背後で警告の声が上がった。


『お前はここまでだ』


 振り返ると、彼女の主人が二人のオークに即席の槍を突きつけられていた。

 主人が、抗議しようとした彼女を制して言った。


「構わない。行け。

 危ないと思ったらすぐに声を上げろ。

 死ぬな。お前は替えがきかない」


 その声に少しだけ情がにじんでいるような気がして、花子は勇気づけられた。

 彼女は主人に頷き返し、ひとり奥へと進む。


 ガラクタで仕切られたその先には、一層凄惨な光景が広がっていた。

 一番に目を惹くのが、間仕切りを壊して作られた広間の、その中央に盛られた肉塊の山だった。

 よほどことがあったのだろう。かろうじて人間のモノであることが分かる他は、正確な人数すら定かではない有様だ。


 その山の上に花子のかつての主人はいた。

 手製と思われる雑多な武器を手にしたかつての同僚たちを従えて、悠然と立っていた。

 彼女がこの反乱の首魁であることは明らかだった。


 花子は思わず駆け寄ろうとしたが、侍女たちに阻まれた。

 花子は構わず叫んだ。


『お嬢様! 今すぐ武器をお納めください!

 ここは既に人間の戦士たちに包囲されています。

 逃げ場も、勝ち目ももうありません。

 でも、今ならまだ間に合います!』


 かつての主人は静かに首を振った。


『いいえ、もう間に合いません』


 そういいながら足元の肉塊を素足で踏みつけた。

 肉塊がぐちゅりと音を立てる。


『もう引き返せはしないのです。

 人間どもは決して私たちを許さないでしょう。

 私たちはここで戦って死ぬのです』


『どうしてこんなことを!

 辺境伯閣下はお嬢様を人間たちから救い出そうとなさっておいででしたのに!

 今しばらく御辛抱いただければ――』


『だからこそです』


 かつての主人は冷たく言い放った。


『だからこそなのです。

 ここが何をするところか、貴女はご存知かしら?』


 花子は小さく頷いた。

 彼女の主人と、それから断片的にしか理解できないもののその周囲の人間たちの言葉から、ここが如何なる施設かの見当はついていた。


『ならばわかるでしょう!

 貴女も貴族の子女と生まれたからには!

 私たちは恥を濯がねばなりません。

 辺境伯の血筋に連なる者が、ケダモノ共に捕らえられ、

 その家畜に身を堕としながら生きながらえていたなど、決してあってはならないのです。

 私たちは、人間どもの支配に抗い最後まで勇敢に戦って死んだ。

 そうあらねばならないのです!』


 かつての主人はそこで言葉を切り少しだけ表情を和らげると、死体の山を下りた。

 それから体をかがめ、跪く花子の耳元に口を寄せて続けた。

 

『貴女がいけないのですよ。

 貴女さえ来なければ。

 貴族の娘であったことを忘れたままでいられれば、誇りも何もかも捨てたまま、

 この境遇にも僅かなりとも慰めを見出して生きながらえることもできたでしょうに。

 でも、もはやそれは叶いません。

 辺境伯の娘に戻るのであれば、私はそれにふさわしく振舞わねばならないのです』


 花子は愕然とした。自分の働きは、かつての主人を救うことになるのだと信じていた。

 それがかえって彼女を死に追いやることになるとは考えてもみなかった。

 いや、考えてしかるべきだったのだ。

 花子は、彼女の誇り高さを知っていたはずだった。

 彼女が、あの偉大な北方辺境伯の娘として、それに相応しくあろうとどれだけの努力をしてきたか、それを幼いころから間近で目にしてきていたはずだったのだ。

 そんな彼女に、不用意に帰還の旨を告げればどうなるのか。

 己の失敗に気づいて咽び泣く花子を、かつての主人は優しく慰めた。


『気に病む必要はありません。

 私は感謝しているのですよ。

 貴女のおかげで、私たちは誇りを取り戻すことができました。

 家畜としてではなく、誇り高いオークの一員として死ぬことができるのです。

 さあ、顔を上げなさい』


 かつての主人は、花子に顔を上げさせると真っ直ぐ目を合わせた。


『おそらく貴女は今、通訳のような役割を担っているのでしょう?

 ならば今日のことを誰かに伝える機会もあるはず。

 父には『勇敢に戦って死んでいった』とだけ伝えてください。

 余計なことを言って父を悲しませる必要はありません。

 貴女さえ黙っていれば、私たちの名誉は守られます。

 私たちは皆ここで死ぬのだから』


 花子は彼女の冷たい瞳の中に、狂気の光を見た。

 そして戦慄した。かつての主人の、その真意を悟ったからだ。

 彼女は、その恥辱を知る全ての者を、自身と共にここに葬り去るつもりなのだ。


 その時、外から人間の怒鳴り声が響いた。

 恐らく、中の様子を気にかけてのことだろう。

 すぐに花子の主人が「もう少し待て」と応えるのが聞こえた。

 だがそれが終わりの合図になった。


『貴女は人間のところに戻りなさい。

 さあ皆さん、始めましょう』


 侍女たちが、かつての同僚たちが刃物を手に厩舎の隅へと向かう。

 そこには幼い子供たちが固まって震えていた。


 何を、と問おうとした花子を遮って、かつての主人が言う。


『可哀そうな子供たちです。

 オークでありながら家畜としてこの世に生を受け、

 ただただ孕まされるためだけに生きていく運命だった子供たちです。

 人間どもに嬲り殺されるぐらいならいっそ――』


 母親たちが、我が子に向けて次々と刃物を振り下ろす。

 そのあまりに凄惨な光景に、花子は思わず悲鳴を上げた。


 *


 悲鳴が聞こえた。花子だ。それぐらいの区別はつく。

 俺は両手に〈光の槍〉を出現させると、目の前の槍を持ったオーク達を切り伏せた。

 ガラクタの山を切り崩して一気に突破する。


 厩舎の中央、積み上げられた惨殺死体の前に花子とお姫様がいた。

 お姫様は俺を認めると手にしていた包丁を自身の喉に向けた。

 マズイ!

 俺は刃物を取り上げるべく突進する。

 二匹のオークが武器を構えながら俺とお姫様の間に立ち塞がった。

 右の、槍を持ったオークは明らかに戦慣れしている。おそらく元兵士だ。

 左のオークは剣を手にしてはいるが、どう見ても素人だ。

 俺は大声を上げた。

 左のオークが剣を取り落し硬直する。思ったとおりだ。

 邪魔なのは右の奴だけ。

 突きかかってくるその槍をするりとかわし、その心臓に〈光の槍〉を叩き込む。

 崩れ落ちる体を押しのけ、進路を開く。

 お姫様は一瞬だけ躊躇ったらしい。ギリギリ間に合いそうだ。

 最後の跳躍のため踏み込んだその瞬間、俺は前につんのめった。

 さっきの臆病なオークが俺の脚にしがみついていた。

 くそ、完全に見誤った。戦えないことと、勇気がないことは違う問題なのだ。

 もう間に合わない。


「花子! 止めろ!」


 最後の最後で勇気を示したそいつに止めを刺しながら、花子に向かって叫んだ。

 腰を抜かしていた花子が、我を取り戻してお姫様に手を伸ばす。


 だが、お姫様の刃は無情にもその喉に押し込まれていった。

 お姫様の口から血があふれ出し、ゆっくりと身体が崩れ落ちていく。


 同時に部屋の隅にいた小柄な一団が奇声を上げながらこちらに突進してきた。

 鬼気迫るような気迫と形相ではあるが、いかんせん動きはまるで素人だ。

 難なく全員を切り伏せることができた。


 一息ついてから、すっかり人気のなくなった厩舎を見回す。

 部屋の中は死体だらけだ。凄惨な光景というほかはない。


 部屋の隅にまだ子供であろう小さなオークたちが血まみれで転がっている。

 人間の手に委ねるぐらいならばと母親たちが手を下したんだろう。多分、最後に突進してきた一団がそれだ。


 反対の隅には、大人のオークの死体が五つほど横たえられていた。

 大柄なのが二つに、小柄なのが三つだ。


 大柄な死体の片方は刃傷を受けている。

 恐らく鎮圧に来た牧場の使用人と戦って死んだのだろう。


 もう片方の大柄な死体は手ひどくリンチされた形跡があり、小柄な方はいずれも絞殺されたものらしく見える。

 こいつらは叛乱開始前に殺されたんじゃなかろうか。

 あのお姫様が蜂起に先立って意思の統一を図ったのだ。


 ひい、ふう、みいと、大人と思われるオークの数はこれで十九体。

 義足の男が言っていた通りだ。


 気は進まないが子供たちの数も確かめておくか。

 念のためだ。

 そう思って足を向けたその時、子供の死体の一つがむくりと起き上がった。

 まだ生き残りがいたらしい。

 そいつの血塗れの瞼がパチリと開いた。

 そのまま、怯えるでもなく虚ろな瞳でこちらをみつめている。


 このままあの領主に引き渡したところで碌なことにはなるまい。

 ついでに止めを刺しておいてやろう。

 そう思って、再び〈光の槍〉を出現させる。


 お姫様に縋り付いて泣いていた花子が不意に顔を上げた。

 彼女は幼いオークと俺の手の中の槍を交互に見やった後、四つん這いのままばっと駆け出して俺の前に立ち塞がった。

 それから、件の子供を指さして盛んに何か俺に訴えかけてくる。

 残念ながら俺には何を言っているのかさっぱり聞き取れない。

 槍を消して彼女を落ち着かせる。

 いくらか落ち着きを取り戻した花子が、手についた血で床に文字を書いた。


 『娘』


 それから、先ほどのお姫様の死体を指さす。


 なるほど。

 改めて虚ろな目をした子供をよく観察する。

 確かに、よくよく見ればその小さな牙は、逆さに反っているように見えなくもなかった。


次回は7/15を予定しています

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― 新着の感想 ―
[一言] もう、この十三番目の世界は、凄惨な未来しか待ってないような気がしますが、ここから、どうやって大団円に持っていくのか、興味があります。ワクワク。
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