第六十一話 帝都にて
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前回までのあらすじ
そんな中、なぜか味方のオークに襲われていた〈黒犬〉を助けた主人公は、〈黒犬〉からさる貴族令嬢の捜索を依頼された。
さっそくオークの貴族令嬢の捜索を開始した主人公は、よく似た特徴をもつメスオークが「牧場」にいるという情報をつかんだが……
―― 帝都にて
請願の儀は四季ごとに一度催される皇室行事の一つだ。
普段は奥の宮に座して姿を見せることのない皇帝が、この日だけは表の宮に出でて、臣民の請願に耳を傾ける。
民草の意見を広く募るために設けられたこの行事は、半ば形骸化しながらも皇帝の最も重要な責務の一つと位置付けられている。
そんな請願の儀にあって、皇帝は玉座に傅くひとりの年老いたオークをうんざりした顔で見下ろしていた。
この赤い近衛狼鷲兵の制服に身を包んだ老将は、先代皇帝の即位に多大なる功績があったとして、請願の儀において常に第一に拝謁できるという特権を与えられていた。
『この度は、第一の拝謁の栄誉に預かりまして――』
『挨拶はいらぬ。手短に用件を申せ』
皇帝が老将の挨拶を遮るが、遮られたほうもまるで気にした様子はない。
これも請願の儀のたびに繰り返されるやり取りであった。
これに続くであろう内容も予想がついている。
『寛大なる陛下、そのようにさせていただきます。
小官が献策させていただきますのは、西の辺境伯についてでございます。
我が密偵が重大なる情報を持ち帰りました。
それによれば、西方辺境伯は不当に武器をかき集めているとの由。
これは叛乱の準備にほかなりません。
直ちに檄を発し、御自ら討伐に向かわれるべきです。
我が近衛狼鷲兵連隊は、いつでも出撃できるよう準備を整えてございます。
御出陣の上は、どうか我らに先鋒を御命じください。
先鋒として、また会戦の勝敗を分ける決戦部隊として、必ずや陛下のお役に立ちましょうぞ』
皇帝は老将の言葉に耳を傾けながら、ちらりと視線を脇へずらした。
そこには誰あろう西方辺境伯本人が、他の廷臣らと共に退屈そうに起立していた。
(なんともまあ、面の皮の厚いことだ)
皇帝は思った。西方辺境伯に対してではない。老将に対してだ。
当人を前にして、よくも堂々とこんなデタラメを言えたものだ。
西方辺境伯領が領軍の再整備をしているのは事実だった。
しかし、それは西方の小王国連合の不穏な動きに合わせたもので、中央への正式な報告と承認を経て進められている。
老将の言う"密偵"以外に、西の辺境伯の叛意とやらを報告してきたものは一人もいない。
確かに西方辺境伯は野心に満ちた、油断のならない男ではあった。
だがそれは宮廷での権力闘争においての話だ。
今の時代に、武力をもって反乱を起こす類の男では決してない。
対してこの老将はどうか。
戦だけでのし上がった、戦しか能のない男である。
大きな戦の絶えたこの帝国において、本来なら居場所のないはずの男であった。
大方、昔を懐かしみ、戦を引き起こして自分の存在を誇示しようというのだろう、と皇帝は考えた。
呆れると同時に、こんなものかという思いが彼の頭をよぎる。
先代皇帝は、生前ことあるごとにこう言っていたものだった。『よいか、かわいい甥御。我が跡を継ぐのであれば、この男を飼い慣らさねばならんぞ。これこそが我を至高の座に担ぎ上げた男なのだからな!』と。
全くの誇張というわけでもない。確かにこの男が率いる狼鷲兵の傭兵隊は、いくつもの重要局面で決定的な戦果を挙げてきた。
それだけに今のこの姿が哀れに思えた。
老いとは残酷なものだ。若き日に戦場を縦横無尽に駆け巡った英雄を、かくも無残に衰えさせてしまうのだから。
『其方の懸念はよくわかった。
監察吏を派遣し、調査を行う。
反乱の事実が明らかとなった際には其方、頼りにさせてもらうぞ』
いつも通りの答えを返し、下がるよう促す。
ところが、この日に限って老将は食い下がった。
『陛下! 陛下! どうかご再考を!
先帝陛下であれば疾うに逆賊討伐の軍を起こし、親征の途に就かれていたことでしょう。
天下泰平を願う陛下のお気持ちは十分に理解しております。
しかしながら、逆徒どもは陛下の愛憐の情の深きを怯懦と取り違えております。
今からでも遅くはありません。一度は陛下の敢然たる――』
『黙れ!』
皇帝は一喝した。
幼かった日のあの地獄のような光景が脳裏をよぎる。
火の海と化した帝都。その炎の間を逃げ惑う民衆。狼藉の限りを尽くす、帝都を守るはずだった傭兵たち。
彼の二人の兄と妹の一人がその日、混乱の中で命を落とした。
あのような惨劇は二度と起こしてはならない。彼はそう考えている。
『もはや戦乱の世は終わったのだ!
余はあらゆる諍いを、平和裏に収めんと願う者だ。
無論、余に刃を向けんとする者があれば受けて立とう。
だが最初に剣を抜くのは余ではない。
余に仕える者は、そのことを決して忘れるな。
よいか、分かったか。分かったのなら下がれ!』
老将は何か言いかけたが結局なにも言わず、ただ悔し気に欠けた鼻を鳴らした。
それから静かに一礼し、本来あるべき位置――近衛筆頭である彼は皇帝の左後方に侍衛する――についた。
(やれやれ、やっと終わったか)
皇帝は小さくため息をつく。
次の請願者が前に出て、玉座の前に跪いた。
北方辺境伯からの使者だった。帝国本軍を一部隊でもよいから派遣してほしいという。
北方辺境伯は体調を崩し、その息子へ事実上の代替わりが行われたばかりと聞く。
ようは父親に仕えていた家臣への統制がきかないので、皇帝の権威を借りたいということだろう。
北方辺境伯領も難治の地であるとはいえ、こうも易々と泣きついて来たことには呆れざるをえなかった。
さて、どうしたものか。
あるいは、これをもって彼の地への影響力の増加を狙うのも悪くない。
いずれにせよ、軍を動かすには慎重な検討が必要になる。
『北方辺境伯領の窮状、確かに聞き届けた。
しかし、即答は出来かねる。
わずかとはいえ軍を動かすとなれば大事である。
帝国議会にて審議にかけ、諸侯らに諮らねばならぬ。
今しばらく回答を待たれよ』
北からの使者は、素直に礼を述べて退室していった。
皇帝はその背を見送りながら〈請願の間〉を見回した。
玉座から一段下がった下座には、順番待ちの請願者がひしめいていた。
当然のことながら玉座から離れるほどにその服装は質素に、そしてみすぼらしくなっていく。
最も遠い位置にいる一団に至っては、その服装たるやボロ同然であった。
皇宮に昇るにふさわしいとは到底言えない姿ではあるが、あれでも彼らなりに最上の服で着飾ってきたに違いない。
そして彼らの意見こそが、この皇帝の最も欲するところだった。
だが、その順序はまだ遠い。
皇帝はもう一度小さくため息をつき、貴族たちのお喋りを聞き流す作業を再開した。
*
近衛狼鷲兵連隊長は、外宮に与えられた執務室に戻ると直ぐにドッカリと椅子に座りこんだ。
既に足腰が悲鳴を上げていた。
己も随分と年を取ったものだと彼は苦笑する。
請願の儀にはとにかく大勢の市民が詰めかけてくる。
無論、請願を希望する者たちはきちんと選別してはいる。
しかし、できるだけ多くの請願を聞こうというのが現皇帝の方針であるから、自然、請願の儀も一日がかりの長丁場となる。
その間ずっと皇帝の背後に立ち続けるのは、この老将にとって今や大変な難事になりつつあった。
そろそろ引退を考えるべきだろうか?
そんなことを考えながらクッションの効いた背もたれに体重を預け、ゆっくりと息を吐く。
そして、目を瞑って請願の儀でのやり取りを振り返った。
どうも皇帝は、この老将をただの戦闘狂か何かと見なしている節がある。
老将自身、それを否定するつもりはない。
先の内乱にあって、戦場を駆けまわった心躍る日々は、彼にとって生涯の思い出であった。
機会さえあれば、もう一度あのような戦を楽しみたいとすら思っている。
だが、西方辺境伯の件はそんな個人的な願望によるものではない。
西方辺境伯が叛乱の準備を進めているのは事実だった。
老将が放った密偵は、実際にその兆候をつかんでいる。
確かに、決定的な証拠はなかった。
掴んだ兆候はどれもこれも、単独で見ればそれぞれに言い訳のきく、些細な事柄にすぎない。
だがそれらを総合すれば叛意は明らかだ。
いまなら、まだ準備の整わぬ西方辺境伯領軍を、帝国本軍で押しつぶしてしまうだけで済む。
大した戦にはならない。民の被害も最小で――つまり西方辺境伯領内だけで――抑えられる。
ところが、皇帝はこの老将こそが戦を煽る張本人であるかのように扱い、彼の進言を無視してきた。
馬鹿なことを、と老将は思う。
本当に戦がしたいのならば、なにも言わずに放っておくのが最善だ。
その方が奴の準備も早く終わるし、なにより大きな戦になる。
なるほど非戦を貫かんとするのも、かの北方辺境伯ほどに――先の内乱において、あの男は勝ち馬にすら乗ろうとしなかった――覚悟を固めているのであればよい。
そのためにあらゆる手を尽くそうとしているのなら、それに手を貸すのも吝かではなかった。
だが現皇帝はそうではない。
あれは、幼き日の燃え盛る帝都の幻影にとりつかれ、現実から目を背けているに過ぎない。
すくなくとも、老将はそのようにあの男をみていた。
まあ、いい。もうそれでいい。
どうせ西の辺境伯も、今しばらくはおとなしくしていることだろう。
後のことなど知ったことか。
先代皇帝が霊廟の奥へと隠れてから随分と立つ。
甥のことを是非にと頼まれてはいたが、義理は十分果たしたといっていいはずだ。
老将は引退を決意した。
閉じていた目を開き、辞表を認めるべく従兵を呼びつけた。
従兵が書き物の用意を整えている間に、執務室の扉が叩かれた。
来客だという。
現れたのは小汚い格好をした傭兵だった。
同族だと一目でわかった。狼鷲兵だ。
それも見覚えのある顔だった。
老将は破顔してその傭兵を迎えた。
『よく来た! どうだ、うちの又甥は元気にしているか?』
『はっ! 我らが隊長殿は相変わらずの大活躍であります!
本日は、隊長より閣下への便りを預かってまいりました!』
傭兵はそう言いながら、一通の封筒を差し出した。
それをみて老将は目を細めた。
彼は、自分の若い頃を思い起こさせるあの若者が大のお気に入りだった。
自身にも息子はいたが――遅くにできた子供だった――残念ながらあれは冒険心の欠片も持ち合わせていない。
それなりに優秀で、帯剣貴族の御曹司としてこの近衛狼鷲兵連隊を継がせるに不足はない。
しかし、我が子ながら面白みに欠ける男だった。
それに引き換え、あの又甥は違う。
部族長の跡取りとして生まれながらそれを捨て、戦場での立身出世を夢見て故郷を飛び出したのだ。
これについては、甥っ子に随分と恨まれたものだ。
曰く、『叔父上が余計な冒険譚なぞ吹き込むからこうなったのですぞ!』とのことだったが、老将からすればそれは言いがかりとしか思えなかった。
老将の昔話を聞かせた子供は数多いが、実際に飛び出したのはあいつとその仲間たちだけだ。
あれはそのように生まれついたに過ぎない。これは気質の問題なのだ。
自分のせいであるのなら、何よりあの甥っ子自身が飛び出していなくてはならないはずだ。
ともかく、今では百を裕に超える狼鷲兵を従える傭兵隊長として北の辺境伯に仕え、北の怪物相手に獅子奮迅の活躍を見せているという話だった。
そんな又甥がたまに寄こす手紙は、彼のささやかな楽しみであった。
老将はいそいそと傭兵から封筒を受け取り、早速封を切って中を検めた。
手紙は傭兵隊長という粗野な肩書に見合わぬまめな字で書かれていた。
時候の挨拶に始まり、簡潔に書かれた近況がその後に続く。
人間相手の大規模な会戦に勝利したこと、それに続く竜の空襲のこと、人間の城砦に強襲を仕掛けて大きな損害が出たこと。
そして最後に、もし都合よく孵りそうな卵があれば融通して欲しいということが、申し訳なさそうに書き添えられていた。
老将はフムと鼻を鳴らす。
いつも通り簡潔に過ぎる手紙だ。あの又甥は子供のころから無口な質であった。
そこで彼は、直立不動のまま待ち続けていた傭兵に話を振った。
『随分と損害が出たとあるが』
『はい、我が隊は半数近い兵員を失いました。
隊長殿はその欠員を埋めるべく、故郷で募兵を行うよう私に命じました。
その帰り道にこうして帝都に寄らせていただいた次第でして』
『いったいどのような戦だったのだ。
この手紙は簡潔すぎてわからん。詳しく話してくれ』
老将に促されて、傭兵は自慢げに自身も参加した〈壁〉での戦いの一部始終を話し始めた。
恐るべき急峻さを誇る冬の山越え、谷底に仕掛けた罠、逆落としの夜間強襲、〈黒犬〉による城砦深部への侵入、そして脱出。
募兵を任されるだけあって物語りのうまい男で、老将は瞬く間にその話に引き込まれた。
それにしても何という無茶をすることか! 老将は又甥の大胆さに大きな笑みを浮かべた。
話を聞いて自身が若返ったような心持になった。やはりあいつは素晴らしい。
『――こうして隊長殿が持ち帰った情報により、辺境伯のご息女に生存の可能性があることが分かったのです。
死の淵にあった辺境伯閣下は、隊長殿の報告を聞いて息を吹き返したとのこと。
街の者どももそれを聞いて大いにわき返りました。
辺境伯閣下は健康を取り戻し次第、ご息女を奪還するため兵を挙げるだろうと、人々は噂しております』
そういって、傭兵は盛大に盛られているであろう冒険譚を締めくくった。
だが、それでいい。傭兵とはそういうものだ。自分もそうだった。
老将は傭兵に礼を述べ、いくらかの謝礼を握らせてから送り出した。
孵りかけの卵を手配してやることも忘れなかった。
ちょうどいい季節だった。おそらく、そのために時期を合わせてきたのだろう。
急いで戻れば、孵化する前に北の伯都に帰りつけるはずだ。
有意義な時間であった、と老将は思った。
先ほどまでのくさくさした気分は既に吹き飛んでいた。
(いよいよお役御免と成ったなら、北で人間どもと一戦交えるのも面白かろうな)
愉快な心持のままそんな考えを弄ぶ。
あの又甥と最後に顔を合わせたのはいつだっただろうか。
確か奴が故郷を飛び出した直後のはずだ。
その際に『近衛に入る気はないか?』と誘いをかけたのだが、断られたのだった。
その自分が今度は傭兵隊に入れてくれと頭を下げに行くのである。痛快だ。
(囚われの姫の救出とは実に面白い。
まるで物語に出てくる英雄ではないか。
あとは国盗りでもすれば――)
そこまで考えて、ふと〈請願の儀〉での出来事が頭をよぎる。
(そういえば北からの使者がいたな)
帝国本軍を派遣して欲しい等と言っていたはずだ。
老将の欠けた鼻先――先の内戦のさなかに先代皇帝を庇ってついた傷だった――がピクピクと動いた。
彼の頭の中で、自身にも言葉にできない何かがつながった。
長年戦場で培ってきた勘が、戦の匂いを嗅ぎつけていた。
*
近衛狼鷲兵連隊が帝都の兵営から姿を消した、との報告が皇帝の元に届いたのは、それからしばらく後のことだった。
件の老将の執務室には置手紙が残されており、それによれば『北方辺境伯からの支援要請に応えるべく、北へ向かう』とのことだった。
皇帝は報告を聞いて大きなため息をついた。
あの老将のことだ、大方、北部を荒らしまわっているという怪物どもと戦ごっこをしたくなったのだろう。
皇帝はすぐに呼び戻すよう指示を出そうとして、ふと考え直した。
このまま送り出してしまうのも悪くはない。
どの道、部隊自体は派遣する心積もりだったのだ。
予定より規模が大きくなったが、あそこの予算は特殊だ。
傭兵隊を前身に持つあの連隊は、全ての支出を連隊長の棒禄から支払うことになっている。
これも先帝があの男に与えた特権の一つだ。
独立した予算を持つ代わりに、遠征時の費用も全てあの男の手弁当で賄わせることができる仕組みだ。
近衛の一隊、それも筆頭部隊が出向くとなれば、皇帝の権威を知らしめるという点でも悪くない。
なにより、あの口うるさい老爺を遠ざけることができる。
しばらくあちらで遊ばせれば、あの戦狂いもすこしは満足するかもしれない。
手続きを無視されたのは腹立たしいが、まあいい。議会はどうにかしよう。
皇帝は近衛狼鷲兵連隊に追認を与えることに決め、この問題についての思考を打ち切った。
他に考えること――例えば、皇室宝物殿に賊が侵入した件への対処等――が山ほどあった。
積みあがる問題を次々とさばきながら、皇帝はあの老将の自由さを少しだけ羨ましく思った。
次回は6/24を予定しています。
また、感想など戴けますと大喜びいたします。




