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第五十九話 〈黒犬〉の依頼

 こんなこともあろうかとジョージと花子を連れてきていたのが幸いした。

 輜重隊とともに後方で待機させてあった彼らを伝令が呼んでくるのを待つ間、俺はメグに〈黒犬〉を紹介することにした。


 

「こいつが〈黒犬〉ですか」


 両手を頭の後ろで組んだ姿勢で俺の隣に立っている片目のオークを指してメグが言う。


「そうだ。コイツがあの〈黒犬〉だ」


 俺の答えに周囲の騎士達が少しざわついた。〈黒犬〉はクレバーな戦い方をするオークの将軍として、人類の間にも知れ渡っている。

 聞けば、モールスハルツ勢も幾度かこいつに痛い目を見せられているという話だった。

 一応、今回も戦闘の結果捕虜にしたという体をとっている。

 〈黒犬〉がオークに追われていたことを知っているのはカイルだけのはずだ。


 ちなみに、〈黒犬〉の二匹の部下はここにはいない。

 背後の森に潜んでこちらを見張っているはずだ。

 〈黒犬〉が自身の武器とクチバシ犬を預けたうえで、そのように指示したのだ。

 こいつはもう俺に対する警戒をほとんどしていなかった。

 なにしろ、こいつを死なせたくないがために、こちらは二度も命を張ったのだ。

 それをわかっていればこそ、今更俺に殺される心配なんてしないのだろう。


 メグはそんな〈黒犬〉の落ち着き払った様子を不思議に思ったらしかった。


「もう手なずけたんですか?」


 そう言いながら、無遠慮に近寄って〈黒犬〉を眺めまわす。


「まさか。油断するなよ。そいつは最後の瞬間まで決してあきらめない。何をするかわからんぞ」


 一応警告はしておく。

 護衛の騎士たちの顔はあからさまに硬くなり、傍らに控えていたゴルダンが剣の柄に手を置くのが見えた。

 ところが当のメグはまるで気にする様子がない。

 〈黒犬〉の顔を確認するといたって暢気な感想を述べた。


「見た目は普通のオークですね」


「角でも生えてると思ってたか?」


「少し期待してました」


 恐ろしい奴がそんなに分かりやすく見分けられるなら苦労はしない。

 英雄を英雄たらしめるのはその肉体ではない。知性ですらない。

 幾ばかの運と、その精神のありようが英雄を作るのだ。

 特殊な力なんか持っちゃいない、能力的には精々平均よりちょっと上程度の奴が英雄になっていく様を俺は何度も見てきた。

 この〈黒犬〉も、恐らくそういう類の奴だ。


 *


 ジョージと花子はすぐにやってきた。

 伝令にやった二人の騎士はよほど急いで馬を飛ばしてくれたらしい。

 会戦に、追撃戦、俺の救援と駆けまわっていただろう彼らの馬は、可哀そうなぐらいにくたびれ果てていた。


 俺はメグに目で合図し、悪名高き〈黒犬〉を一目見ようと集まっていた騎士達を人払いさせた。

 メグだけはしれっと残っている。まあいい。コイツは全部知ってるしな。

 野次馬たちが散り散りになり、落ち着いたところで俺は尋問を開始する。


 一番気にかかったのは、なぜ〈黒犬〉が味方であるはずのオークに追われていたのかだ。

 もしこいつがオーク社会で居場所をなくし、追われる身にでもなっているのなら、どうにかして保護してやらねばならない。

 手元に幽閉しておければ手っ取り早いが、やりすぎて「安全」認定されてしまっても困る。

 絶妙な匙加減が必要で、それを成し遂げるには情報がいる。


「何故追われていたのか」


 と問うと、


『知らぬ。だが、相手の見当はついている』


 との答えがそっけなく返ってきた。誰か有力者の恨みでも買ったらしい。

 詳しく聞こうにも、答える鼻息はとんでもなく不機嫌そうで、この件についてこれ以上の話は聞けそうになかった。


 仕方がないので次の質問に移る。

 奴にとってはこちらが本題だろう。


「いったい何の用があってきた?」


 すると〈黒犬〉がいつになく熱心にフガフガと鼻を鳴らした。

 要約するとこうだ。


『今から四年前、ちょうど今ぐらいの季節に、さる貴族の令嬢が人間に攫われた。

 人間につかまって生きて帰ったものはおらず、その貴族も娘は死んだものと諦めていた。

 ところが、前回自分が捕縛された際に、そこの女(花子のことだ)から

 件の令嬢が生存しているかもしれないという情報が得られた。

 そのことについて報告したところ、その貴族は調査のため再び自分を遣わした』


 つまり〈黒犬〉の目的は攫われたお姫様の捜索と救助というわけか。

 まるで物語の主人公みたいだな。

 そういえば昔、花子の身の上を聞いた時にもそんな話を聞いたような気がする。

 確か、一緒に主人であるお嬢様と一緒に開拓地を回っていた際、白装束の軍勢に捕まったんだったか。

 ということはお姫様を攫った魔王は、あのリアナ姫だな。

 魔王はとっくの昔に倒したのにお姫様は戻らずとは、昔話のようにうまくはいかないものである。


 〈黒犬〉が突然俺の前に跪き、また鼻を鳴らした。

 何を言っているんだろうか。

 花子の方をちらと見ると、石板に文字を書くその手が止まっていた。

 ジョージがそのことに気づき、花子に早く訳すよう促した。

 彼女はすぐに気を取り直して、〈黒犬〉の言葉を伝えてきた。


『どうか、その令嬢を探す手伝いをしていただきたい。

 その貴族は娘の保護に莫大な報酬を約束している。

 失礼でなければ、謝礼としてそれを貴殿にお渡しする』


 さて、どうしたものか。

 いまさら何年も前に捕まったオークを探し出せるものなのだろうか?

 人間の奴隷ならいざ知らず、オークの売買をしている家畜商たちがオークを見分け、あまつさえ覚えているとはとても思えない。

 見つけ出すには大変な苦労が必要になりそうだ。

 そもそもまだ生きているかすら怪しい。


 なによりコイツに死なれては困るのだ。

 これに味を占めて二度三度と俺に会いに来ないとも限らない。

 今回こうして遭遇したのが俺達だったからよいものの、他の討伐隊と鉢合わせでもしたら大変だ。

 三度目はないと釘を刺した上で、多少痛めつけて追い返した方がいいかもしれない。

 クマなどの野生動物にはこの手が効くという。


 だが、それでコイツが諦めるとも思えなかった。

 なにしろ、少人数で〈顎門〉の最深部突入なんて無茶をやらかした奴なのだ。

 最悪の場合、お姫様を探すために人類領に潜り込んでこないとも限らない。

 あの山脈を越えるだけでも十分なリスクだ。

 そういう意味では、形だけでも引き受けて無茶をさせないようにした方がいいのかもしれない。


 どう答えたものかと悩んでいると、メグがクイクイと俺の袖を引いてきた。


「勇者様、〈黒犬〉はなんて言ってるんですか?

 私にも教えてくださいよ」


 おっと、コイツのことを忘れていた。

 俺は、〈黒犬〉の話をかいつまんで説明してやると、すこしばかり首をひねった。

 それから、


「コイツ、味方のオークに追われてたんですよね?」


 と確認してきた。そうだと答えると何が嬉しいのかニコニコしだした。

 愛嬌のある可愛らしい笑顔だが、俺は知っている。

 これは何か悪いことを思いついた時の顔だ。


「勇者様、この話、引き受けるべきだと思います。

 そんなめんどくさそうな顔しないでください」


 顔を読まれた。

 いや、別にオーク探しが地味で面倒だから断ろうとしていたわけではないのだ。

 

「理由を聞いてもいいか?」


 俺が聞き返すと、メグはチラリと花子と〈黒犬〉に目をやってから言った。


「理由をお話しするのは構いませんが、彼らの前で話すのもいかがなものかと」


 なるほど。やはりろくでもないことを考えているらしい。

 方針は決まった。


「花子、伝えろ」


 花子がこちらをじっと見上げた。


「貴族令嬢の捜索、確かに引き受けた、と」


 彼女は〈黒犬〉に向き直り鼻を鳴らした。

 こちらに背を向けたので、いま彼女がどんな顔をしているかはわからなかった。

 花子からこちらの回答を聞いた〈黒犬〉が、片膝をついて胸に手を当てた。

 多分、オーク流の感謝の現し方なのだろう。


 次に会う時期と手順について取り決めた後、俺はシッシッと手を振って〈黒犬〉に立ち去るよう促した。

 奴は何も言わずに立ち上がり、こちらに背を向けて森に向かって歩き出した。


 だが、数歩歩いたところでふいに振り返ると、花子に向かって何か言った。

 花子が答えた。それが少しの間続いた。

 短いやり取りだったが、その間に一度だけ花子がチラリと振り返って俺を見た。

 その悲し気な仕草を見て俺はおおよその内容を察した。

 それが終わると、今度こそ〈黒犬〉は森に消えた。


 メグがゴルダンを呼び寄せて、撤収開始を告げた。

 ゴルダンは何も言わなかったが、その傍らにいた若い騎士が「いいのですか?」と聞いてきた。

 〈黒犬〉のことを言っているんだろう。


「ああ、いいんだ。

 何度でも返り討ちにしてやればいい。

 奴は俺たちの強さや恐ろしさを仲間に伝えるだろう。

 ただのオークが語るならいざ知らず、オーク随一の将軍がそれを語るなら、何倍も震え上がるはずだ」


 若い騎士は感心したように「なるほど。さすが勇者様です」と言った。


次回は2/5を予定しています

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