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第五十七話 突破と追撃

 ついに奴らに追いついたぞ!

 〈黒犬〉はそう考えてにんまりと笑った。

 人間どもの足跡を見つけた、その翌日のことだった。


 彼の目の前に、人間どもの野営地の跡が広がっていた。

 燻ぶる焚火の後はもちろん、あたり一帯に大量に転がる獣の糞ですらまだ暖かい。


 奴らがここを発ってから、まだそれほど時間は過ぎていないはずだ。

 狼鷲を駆けさせれば、おそらく日が天頂にかかる前には目視できるだろう。


 その時、ピィッという甲高い音が〈黒犬〉の耳を貫いた。

 周辺警戒に当たっていた部下が吹いた呼子の音であった。


 まさか、人間どもに見つかってしまったのか。


 ギョッとしながらも振り向き、部下の指さす先をみる。

 狼鷲兵が三騎、北西からこちらに接近してくるのが見えた。

 彼らの軍装には見覚えがあった。

 あれは〈赤鷲〉隊の兵に間違いない。


 人間どもではなかったことにホッと胸をなでおろしたのもつかの間、〈黒犬〉の脳裏を疑念がよぎる。


(どうして俺たちの後ろから現れた?)


 〈赤鷲〉は〈黒犬〉と同じように北方辺境伯に雇われている傭兵隊の一つだ。

 今回、彼らは前哨として討伐隊に参加していたはずだ。


 それが背後から現れたということは、討伐隊の本隊も〈黒犬〉達の背後にいることになる。

 だがそれはあり得ない。


 〈黒犬〉達のように潜行してきたならまだしも、普通に進軍していれば確実に竜に捕捉される。

 そうなれば人間どもが自軍の背後に回り込むことを許すはずがない。


 かといって、あれだけの規模の歩兵部隊が竜に見つからぬように進めば、行軍速度は格段に遅くなる。

 そうなれば、身軽な〈黒犬〉達に追いつけはしない。


 あるいは、斥候に出たままはぐれたのだろうか?

 それにしても本隊から離れすぎではないか。


 ピュルルルル


 彼らが呼子を吹いた。

 どうやら、こちらと接触するつもりらしかった。

 情報交換でもしようというのだろう。


 〈黒犬〉も呼子を吹いてそれに応えた。

 〈赤鷲〉の兵たちがゆっくりとこちらに向かってくる。


 部下の一人が〈黒犬〉の傍に狼鷲を寄せてきた。

 そして世間話でもするような何気なさでそっと警告した。


『隊長。コソコソと動いてる奴らがいますぜ』


 顔を正面に向けたまま、視線を左右に動かす。

 なるほど言われるまでは気づかなかったが、目を凝らせば森や繁み、地形の凹凸に身を隠しながら移動する〈赤鷲〉の兵がチラチラと見えた。

 〈赤鷲〉は練達の傭兵隊だ。完全に隠れおおせている兵も多いだろう。


『どれぐらいいそうだ?』


 〈黒犬〉は隣の部下に小声で尋ねた。

 そいつはフガフガと空中の匂いを嗅ぐように小さく鼻を鳴らした。

 本当に臭いをかいでいるわけではない。ただの、この男の癖だった。


『百五十はいるかと』


 すると〈赤鷲〉隊のほぼ全力がこの場にいることになる。

 やはり討伐隊がこの近くにいるのだろうか。

 姿を見せた三騎がやけにゆっくり近づいてくるのは、おそらくこちらを包囲する時間を稼ぐためだ。


 大方、こちらを脱走兵や野盗の類と疑ってるのだろう。

 傭兵の中には、ごくまれに軍を抜け出して狼藉を働く者がいるのだ。

 辺境伯はそのような脱走兵に懸賞金をかけている。


 だが慌てる必要はない。〈赤鷲〉の隊長とは顔なじみだ。

 粗暴で反りの合わない男だが、こちらの釈明に耳を貸さぬほどの阿呆でもない。

 任務の詳細を明かすわけにはいかないが、話せばわかってくれるだろう。


 その時、背後の丘の向こうから角笛の音が響いてきた。

 はるか遠くの、微かな音ではあったが間違いない。

 あれは人間どもの軍勢が戦闘開始の合図に用いるものだ。

 奴らの角笛は異常なほど遠くまで届く。


 あの丘の遥か向こうで奴らが戦いを始めている。

 誰と? 決まっている、討伐隊の本隊だ。


 では目の前にいるこいつらは何だ?

 本隊がいよいよ接敵しようという時に、どうして本隊から遠く離れている?

 いや、そもそも最初から別行動をとっていた可能性が高い。

 ずっと、こちらをつけていたのだ。


 〈黒犬〉の本能が全力で警鐘を鳴らす。

 周囲を警戒していた部下たちが寄ってきて〈黒犬〉を守るように取り囲んだ。


『走れ!』


 〈黒犬〉はそう叫ぶや否や、狼鷲の騎首を返して駆けさせた。


 背後で銃声が響く。

 三発。

 いずれも十歩は離れたところに着弾し、土を跳ね上げた。


 下手糞め、と〈黒犬〉は哂う。


 同時に、あちこちに潜んでいた〈赤鷲〉の兵が一斉に姿を現した。

 すでに包囲はほとんど完成しつつあるのが見て取れた。


 〈黒犬〉達は包囲を突破すべく楔形の隊形をとった。


 人間どもの蹄の跡をなぞり、角笛が響いてきた方向を目指す。

 そこが唯一の突破口だった。


 前方に展開しつつある狼鷲兵が〈黒犬〉達に向かって発砲した。

 今度の敵は腕利きだった。弾丸がカン高い唸りを上げて頭をかすめる。

 背後で狼鷲の悲鳴が響いた。誰かが撃たれた。

 それが誰かも確認することなく、〈黒犬〉はただ前に駆ける。


 ついに一騎の狼鷲兵が〈黒犬〉の正面に回り込んできた。

 胸甲をつけず、槍だけを持った軽槍騎兵だ。身軽な分足が速い。

 そいつはいかにも手練れらしい獰猛な笑みを浮かべながら、〈黒犬〉の突破を阻止すべく手にした騎兵用の槍を構えた。

 〈黒犬〉もサーベルを引き抜き、速度を緩めることなく猛然と突進していく。

 

 サーベルの間合いまであと一息。

 その最後の跳躍をせんと愛鷲が身を縮ませた瞬間、敵兵が槍を繰り出してきた。

 互いの速度が乗ったその槍は、例え胸甲を打ち抜けなかったとしてもその衝撃を以って〈黒犬〉を地面に叩き落とすことができる。

 〈黒犬〉の身体の中心を正確に捉えたそれは、鞍上にあっては躱すことのできない必殺の一撃となるはずだった。

 だが、槍の穂先が〈黒犬〉の体に届く刹那、〈黒犬〉の愛鷲はぐっと上半身を沈み込ませた。

 〈黒犬〉の体を貫くはずだった穂先が、鉄兜の側面を火花を散らしながら滑っていく。

 そのあり得ない動きに敵兵が驚愕の表情を浮かべた次の瞬間、黒い狼鷲は跳躍した。

 〈黒犬〉の手に握られたサーベルが振りぬかれ、狼鷲兵の首が宙に舞う。

 部下たちが乗り手を失った狼鷲の脇をすり抜けて、〈黒犬〉の後に続く。


 背後で銃声が響いた。  

 銃弾が唸りを上げて〈黒犬〉を追い越し、あちこちで土が爆ぜる。

 また一人、背後で誰かが倒れた。

 

 遠くでまた角笛が響く。

 あちらに行けば討伐隊の本隊がいるはずだ。

 彼らがこの件に関与している可能性は低い。討伐隊の主力は、開拓地から焼け出された難民たちだ。

 黒幕が誰かは知らないが――想像は付くが――難民兵に〈黒犬〉殺害を命じるほどの馬鹿ではないはずだ。

 〈赤鷲〉がわざわざ別行動をとっていたということが、この〈黒犬〉の推理を補強する。

 ならば、本隊に合流するのが最善だ。

 まさか〈赤鷲〉どもも、討伐隊の見ている前で味方殺しはできないだろう。


 もっとも、〈黒犬〉たちが着く前に、討伐隊が人間どもに敗北してしまうことも考えられる。

 まぁ、その時はその時だ。〈赤鷲〉の奴らも〈黒犬〉を追跡するどころではなくなるはずだ。

 何より、と〈黒犬〉は考える。


(俺が用があるのは、そいつらの方だ)


 背後に追いすがる銃声を聞きながら、〈黒犬〉は黒い狼鷲を跳躍させた。

 

 *


 〈黒犬〉が奇襲を仕掛けてきたというので急行してみたら、なぜかその〈黒犬〉が攻撃されていた。

 仲間割れだろうか? よりによって今やらなくてもよかろうに。

 何が起きたのかは知らないが、これは非常にマズイ事態だ。

 アイツこそが人類最大の敵だからだ。

 アイツが死んだら、世界は平和になったとみなされ、俺は元の世界に強制送還されてしまうかもしれない。


 もちろん、そうならない可能性もある。

 世界の危機は珠の方だけで、アイツが死んでも別に構わないのかもしれない。

 だが、あのいつも気配だけを感じさせている奴らの反応を見る限り、その可能性は低いだろう。

 いずれにせよ、それを今試してみるつもりはなかった。


 俺は一旦オークどもの頭上を飛び越してから、竜の体を大きく左に捻った。

 地平線が時計回りにグルリと回る。上下が反転したところで今度は上体をグッとそらす。

 回転が止まり、逆さになった地平線が視界の下へと流れていく。

 内蔵が浮き上がるような感覚。同時にヴェラルゴンの興奮が流れ込んでくる。気分が高揚する。

 攻撃高度まで急降下したところで水平飛行に移る。

 高度と引き換えに得たその速度で、瞬く前に敵最後尾を射程に捉えた。

 ヴェラルゴンが大きく開いたその口から炎を吐き出し、二匹のクチバシ犬がその乗り手ごと燃え上がる。


 間抜けなことに、敵は〈黒犬〉との追いかけっこに夢中で、竜の存在に全く気付いていなかったらしい。

 突然の空からの攻撃に彼らは慌てふためいた。

 ある者は振り向いて手にした短銃をこちらに向けようとした。

 ところが間の悪いことに、そのすぐ前にいたオーク騎兵は竜の射線から逃れようとクチバシ犬を急旋回させていた。

 両者は激突し、もつれあいながら転がっていた。


 そんな混乱の中を俺は大きく口を開けて掃射していく。

 ヴェラルゴンが歓喜していた。


 さらに数匹のオークを焼き殺したところで、敵の指揮官はようやく背後の騒ぎに気づいた。

 先頭付近にいたそのオークが、振り向くや否や笛のようなものを口に咥えて指示を飛ばすと、クチバシ犬達は瞬く間に統率を取り戻した。

 彼らは綺麗に二手に分かれ、左右に散開していく。

 なるほどたいしたものだ。


 俺は後続のカイルに左の敵を追うよう指示を出すと、ヴェラルゴンを右に旋回させた。

 あの指揮官らしきオークはこちら側にいるはずだ。

 奴の統率力は見事なものだが、見た所兵士たちの自己判断力はさして高くない。

 頭を潰せば後は勝手に逃げ散るだろう。


 〈黒犬〉達が小さな森に飛び込んでいくのが視界の隅に映る。

 いいぞ。後はそこで大人しくしててくれ。

 同時にヴェラルゴンの鋭い視覚が指揮官を捉えた。

 翼を使ってさらに加速しながらそいつを追う。


 周囲のオーク騎兵が指揮官を守ろうと発砲してきたが、騎兵用の短銃がこの距離で当たるわけがない。

 一度だけ〈光の盾〉の縁にあたってカキンという弱々しい音を立てたがそれっきりだ。


 とうとう射程内に指揮官を捉える。

 ヴェラルゴンが炎を浴びせると、そいつは火だるまになって地面をのたうち回った。

 もちろん乗っていたクチバシ犬も一緒にだ。


 あとはもう楽なものだ。

 立ち直る暇を与えぬよう、カイルと一緒に逃げ惑うクチバシ犬どもを追いかけまわしてやるだけだ。


 一旦高度を上げて全体を見回す。

 いた。少し離れたところで、周囲の兵を呼び集めている奴がいる。

 俺はそこめがけて一直線に降下していく。

 敵を射程に収めると同時に炎を吐きかける。

 仲間を呼び集めていたオークはその場で炎上し、集合しかけていたオーク兵は再び逃げ散った。

 これでよし。


 さて、次は……と、周囲を見回したところでヴェラルゴンが何かを伝えてきた。

 火炎袋が空になってしまったらしい。

 連戦だからな。仕方がない。

 みればカイルも攻撃をやめ、高度を上げてグルグル回り続けている。


 そうこうしている間にも、敵は少しずつ秩序を取り戻しつつあった。

 俺は集まりかけているオークどもに向けて急降下し、炎に代わってヴェラルゴンの咆哮を浴びせた。

 オークどもは慌てふためいて逃げ散っていく。

 そう何度も通用する手じゃないが、これでもう少し時間が稼げるはずだ。


 少し離れたところで、今度は十騎程のオーク兵が集まっているのが目に入った。

 彼らは真っ直ぐ〈黒犬〉たちが隠れている森の方へ向かっていく。

 くそ、頭を潰せばすぐに逃げるとばかり思っていたのに、予想外にしぶとい。


 俺はそいつらめがけて急降下し、再び威嚇の咆哮を浴びせた。

 ところが今度の奴らは怯みもしない。

 それどころか反撃すらしてきた。

 数発の弾丸が〈光の盾〉にあたってキンキンと音を立てる。


 頭を潰せば片が付くはずだなどというのは全くの見込み違いだった。

 奴らはもう完全に立ち直りつつある。

 奴らが戦意を取り戻し、〈黒犬〉の潜む森に殺到するまでそう時間はかからないだろう。


 かくなる上は最後の手段だ。


 俺は地表スレスレまでヴェラルゴンを降下させる。

 左右からビュンビュンと唸りを上げながら銃弾がかすめるように飛びすぎていく。


 いいね、やっぱり戦ってのはこうでなくちゃ。


 小さな森がぐんぐんと目の前に迫ってくる。


 さっきの奴らを追い越したところで、俺はベルトの命綱を切り離し、ヴェラルゴンの背から飛び降りた。


次回は1/22を予定しています

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