第五十五話 メグの初陣
――〈竜の顎門〉南方、オーク領内にて
竜の背から乗り出して、地上の様子を確認する。
そこでは深紅の鎧の騎士に率いられた一団がオーク軍と対峙していた。
モールスハルツの従士団およそ二百騎。
精鋭中の精鋭と戦詩にも歌われる彼らは、整然と並んで突撃の合図を待っていた。
その背後では、僅かな歩兵に護衛された戦儀神官達が、騎士たちを矢弾から守るべく〈加護の魔法〉の儀式を執り行っている。
対するオーク軍はその数およそ千といったところか。セオリー通り丘の上に陣取っている。
自分たちから仕掛けるつもりはないらしく、三列横隊を組んだままじっとこちらの攻撃を待ち構えていた。
彼らの視線は前方の騎士たちに釘付けになっており、上空を旋回する俺を気にする様子はまるでない。
恐らく竜がこの隊列に襲い掛かってくることはないと踏んでいるのだろう。
事実、竜騎士にとってオーク銃兵の群れへの攻撃は自殺行為も同然なのだ。
戦力比は一対五。
さしものモールスハルツの騎士達でも、これを覆すのは難しいというのが従士団の長であるゴルダンの見立てだった。
少なくとも、大きな損害を出すことは避けられないだろう、と。
ところが、真っ赤な鎧を着たメグは自身の目で敵を確認すると、攻撃を実施すべきと主張したのだった。
曰く「問題ありません。私たちには三騎の竜と、勇者様がついています」と。
問題だらけだろう。千丁もの銃を前に、たかが三騎の竜――ヴェラルゴンに加え今回の遠征のためリーゲル殿から竜騎士を二騎借り受けている――に何ができるというのか。俺に至っては精々十人力程度の戦力にすぎない。
地上からプゥオォーという間の抜けた角笛の音が響いてきた。
メグたちの使う角笛は、その音量以上に遠くまで音が届く。あれも魔法の一種だろうか。
ともかくそれが合図だった。いよいよ戦闘開始だ。
彼女はゆっくりと自身が率いる軍勢を前進させ始めた。
それにあわせて、俺はヴェラルゴンをオーク軍の右翼側面に旋回させた。二騎の竜騎士が縦列編隊を組んで俺の後に続く。
地面ギリギリまで高度を下げ、〈光の盾〉を前方に展開しながら敵対列に真横から接近する。
これが一番攻撃を受けづらいのだ。敵は隊列の一番端の兵士しか俺を撃つことができないからだ。
隊列の端にいたオークの指揮官は、真横から突っ込んでくる俺たちを見て慌てて隊列の一部をこちらに旋回させようとした。
それは致命的な失敗だった。
ブオーッという二度目の角笛の音と共に、メグが騎士たちの歩調を速めた。
旋回中のオーク兵は大地を揺るがし土煙を上げながら迫ってくる重装騎兵たちに気を取られ、その足並みが乱れた。
今が勝機だ。
俺の合図とともに、三騎の竜が一斉に咆哮を上げる。世にも恐ろしい竜の咆声にオーク達の足が止まる。
ほんの数秒のことではあったが、隊列転換中に生じたその隙をメグは見逃さなかった。
彼女は率いる騎馬隊を巧みに旋回させ、足並みの乱れたオーク軍の右翼に殺到した。
右翼の隊列を率いていたオークの指揮官は、空から襲い掛かる竜と、地響きをたてて迫ってくる騎士達とのどちらを狙ったものか逡巡し、号令の機会を逸した。
恐慌をきたしたオーク兵たちは、号令を待たずに空と地上に向かっててんでバラバラに発砲してしまった。
まだ遠いうちからろくに狙いもつけずに放たれた弾丸は、騎士達の盾にかけられた〈加護の魔法〉に殆ど弾き返され、竜の翼にはかすりもしなかった。
そして、射撃を終えたオーク兵は騎士達に背を向け、一目散に走りだした。
右翼で生じた混乱はそのまま戦列全体に波及した。
残った部隊の一列目が一斉に発砲。そして、三列目の後ろに後退……するはずだった彼らは右翼が崩れていく様を見て、そのまま逃げ出してしまった。それを見た二列目は、号令も待たずに発砲し、これまた逃走。
三列目に至っては発砲すらせずに、武器をその場に捨てて逃げ始めた。オーク軍の戦列は完全に崩壊した。
こうなってしまえば何も恐れることはない。ヴェラルゴンから沸き立つような歓喜が流れ込み、俺の精神はあっさりとそれに同調する。竜騎士と竜は完全に一心同体となった。
俺たちは騎士と共に潰走するオークの群れに突入し、蹄と炎とで散々に蹂躙した。
*
戦闘が大方片付いたのを確認し、俺はヴェラルゴンとともに地上に降り立った。
硝煙、血、まき散らされた臓腑と糞尿。それから、表面が炭化した焼死体。
それらが合わさって、地上はまったくひどい臭いだった。
もう何日かすれば、腐敗臭がこれに加わる。
戦いの後はいつもこうだ。こればっかりはどうにも好きになれない。
多分、祭りが終わった後の匂いだからだろう。
「勇者様~!」
呼ばれて振り向いた先にいたのは、初陣の興奮に頬を上気させた我らが英雄メグリエール嬢だった。
深紅の真新しい鎧に身を包み、満面の笑みを浮かべている。モールスハルツにおいて、深紅の甲冑は当主にだけ許された特権だと聞いている。
彼女の周囲にはゴルダンの他十騎ばかりが従ってるのみだ。
それも全員女性だった。恐らく例の侍女たちだろう。
他の騎士たちは散り散りに逃げ去ったオークどもを追撃しているらしい。
「よう、メグ。気分はどうだ」
「最高です!」
メグは馬から降りながら答えた。大変に良い笑顔だ。
メグの背後で、ゴルダンが俯いて眉間をグリグリしている。
戦場の現実を見て少しは考えを改めてくれるんじゃないかと期待したが、そんな様子は全く見られない。
まあメグが浮かれるのも無理もない。
見える範囲だけでも数百のオークが死体になって転がっている。対するこちらの損害は二十騎程度らしい。
初陣にしてこれだけ完全な大勝利となれば、なるほど戦も楽しかろう。
「ところで! 私の戦いっぷりはどうでしたか?
ちゃんと空から見ていてくれましたよね?」
「上出来だ。初陣とは思えん。
大したものだったよ」
俺の言葉に、彼女は満面の笑みをさらにとろけさせた。
掛け値なしの無防備な笑顔だ。
褒められたのがよほどうれしかったらしい。コイツがこんな顔をするのは初めて見た。
「どうです? 私の言ったとおりだったでしょう?」
今回の作戦はほぼメグの提案によるものだ。
彼女はオーク兵を一目見るや士気や練度がどうしようもない程低いことを見抜き、勝利をもぎ取ったのだ。
こいつは、戦士としても、指揮官としても申し分なく優秀であることを見事証明して見せた。
「ああ、奴らがあそこまで簡単に崩れるとは思わなかった。よく見抜いた」
それ自体は大したものだが、しかしどうも怪しい。
あまりにも敵が脆すぎた。罠じゃないかと不安になるぐらいに。
「メグ、あまり深追いさせないほうがいいんじゃないか? 罠かもしれないぞ」
俺とて戦の経験自体は人並み以上に積んでいるつもりだが、この世界のオークについては判断材料の持ち合わせがあまりない。
ここはひとつ、経験豊富な人物の意見も聞いてみたほうがいいだろう。
そう思って俺はゴルダンに話を振った。
「ゴルダンさんはどうみますか?」
「そうですな。確かにあの脆さは異常でした。
しかしながら、竜騎士によれば伏兵もなしとのこと。罠とは考えにくいですな」
ゴルダンは、相変わらず眉間を抑えながら答えてくれた。
「敵が脆かった理由はこれでしょう」
そう言って彼は、一丁の銃を差し出してきた。何の変哲もない前装式の銃だ。
俺の世界の博物館で展示されていたものによく似ているが、少しばかり短い。
オークの体格に合わせてのことだろう。
「何か不審な点でも?」
「死んでいたオークが手にしていたものです。
これまでオーク達が持っていた銃とは違い、先端に槍が取り付けられています」
銃の先端部分に、槍の穂先に似たL字型の長い突起ががっちりと固定されている。
取り外しの利かない固定式の銃剣か。
そういえば、先の大会戦の時にはこんなものは付いていなかった気がする。
どうやらオークどもはまた一歩、文明を前進させたらしい。
感心する俺をよそにゴルダンが説明を続ける。
「今回の敵には長槍兵が一匹もいませんでした。
恐らく、奴らは銃の先端に刃物をつけることで長槍に代えようとしたのでしょう。
まあ、オークの浅知恵というやつですな。
これでは我が騎士の突撃を防ぎようがありません。
敵があっさり崩れたのも、壁となってくれるはずの長槍兵が不在だったためでしょうな。
射撃後の銃兵というのは全く無防備ですから」
なるほど。
ゴルダンはこの新兵器に随分辛辣な評価をつけたようだ。
実際、奴らはこちらの突撃を防げなかったんだから、そういう評価にもなるだろう。
だが俺は知っている。いずれこの兵器は長槍兵を戦場から駆逐することになるのだ。
俺はゴルダンから銃を受け取って眺めまわした。
何十年も使い古したような本体に比べると刃物の取り付け金具だけ妙に新しい。
この武器は本当につい最近配備されたばかりのように見える。
「ゴルダンさん、これは油断のならない武器になるかもしれませんよ」
そう言いながら、ゴルダンの脇にいた彼の馬に向かってエイと銃剣を突き出して見せた。
馬は怯えるように嘶き、数歩あとじさった。
少しばかり図体は大きいが、馬の性質というのはどこの世界でもあまり変わらないな。
「馬の突進を止めるのに、必ずしも長さが必要なわけではありません。
今回の奴らが弱かったのは、おそらくこの武器に慣れていなかったせいでしょう」
そう言って俺は、ピカピカの取り付け金具を示した。
「奴らが十分な訓練を積んでいれば、もっと苦労していたかもしれませんよ。
なにしろ槍兵を銃兵に置き換えられるようになれば、それだけ火力は向上するわけですから」
俺の説明を聞いてゴルダンがまた眉間をグリグリと押した。
メグは食い入るように俺の手の中の銃剣を見つめている。
「なんにせよ、長居は無用だ。メグ。
もう十分楽しんだろう。今回は引き上げよう」
「そうですね。せっかくの初勝利にケチがついてもつまらないですし」
彼女は背後に控えていた護衛の一人に手を振った。
その侍女は全身に奇妙な形の角笛をいくつもぶら下げていた。
ずっと俺たちの会話を聞いていたらしいそいつは、細長い角笛を選んで息を吹き込んだ。
ボエェェェェェエ!
何とも言えない力の抜ける、しかし奇妙に力強い音が辺りに響き渡る。
少し間をおいて同じような音があちこちから応えるように返ってきた。
騎士達が戻ってくるのをぼんやりと待っていると、真っ赤な竜が一騎、警告の声を上げながら降りてきた。
カイルだ。
今はもう傷も癒えて、謹慎もめでたく解除されたという。
リーゲル殿に竜騎士を貸してくれと頼みに行った際に、それを聞きつけてわざわざ志願してくれたのだ。
哨戒のために送り出していたのだが、どうやら新たな敵を発見したらしい。
着陸と同時にカイルが叫ぶ。
「報告! 北東よりクチバシ犬の一群が接近中! 数は百以上!
先頭に、黒いクチバシ犬に騎乗したオーク在り!」
報告を聞いた全員に緊張が走った。
北東だって!? いつの間にか、奴らは俺たちの背後に回り込んでいたらしい。
そして、黒いクチバシ犬。間違いない、〈黒犬〉だ。
やはりこれは罠だったのだ。
今奴らがまとまって突入してくればとんでもないことになる。
なにしろ、メグの軍勢は潰走したオークたちを追ってバラバラに散ってしまっている。
ところがメグの周りには十騎余りの護衛がいるだけだ。
ご丁寧にも真っ赤な鎧まで着ているのだから、大将を討取るのはたやすかろう。
指揮官さえ討取ってしまえばバラバラになった騎士の始末などどうとでもなる。
戦義神官たちだって全滅だ。大損害だ。
俺は大急ぎでヴェラルゴンに飛び乗ると、カイルのあとに従って全力で羽ばたかせた。
丘を一つ越えた先に奴らはいた。
〈黒犬〉はすでに戦場の本当にすぐそばまで迫っていたのだ。
まったく危ないところだった。
もし今度の遠征に竜騎士を伴っていなかったら、おそらくメグたちは全滅していただろう。
あるいは、カイルが奴らを発見するのがほんの少し遅れていただけでも相当の損害が出たはずだ。
今のタイミングですらメグたちの集結が間に合うかどうかは微妙なところなのだ。
少し時間を稼いでやらねばなるまい。
俺はカイルに俺の後ろに続くよう合図を送り、それから攻撃に移るべくヴェラルゴンを旋回させた。
そしていよいよ高度を落とそうとしたその時、俺は信じられないものを見た。
クチバシ犬に乗ったオークたちが発砲したのだ。
俺に向かってじゃない。前に向かって。
〈黒犬〉の周囲に土煙が上がる。
なんであいつが撃たれているんだ!?
次回は1/7を予定しています。
『白の魔王と黒の英雄 2』は1/6(紙版は恐らく1/8頃)発売です。
皆様よろしくお願いします。




